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23.魔女集会で会いましょう
しおりを挟むその空間が、正直リリアンヌは得意ではなかった。
そもそも惑いの森に引っ込んで暮らしている身である。
人がうじゃうじゃいる空間は煩わしいと思っているのだ。
けれど。
「嫌だわぁ、その話、本当?」
「嘘なんか吐いてどうするのよ」
「謀りは魔女の十八番でしょう?」
ここはいつ来ても賑やかしい。
視界を過るのはどれも黒・黒・黒の衣装。けれど引かれる紅の色、耳許、胸元、手首を飾る煌びやかな装飾品が、黒尽くしの視界に彩を添えていく。
広い空間を満たすのはかしましい女の声。高めの声ばかりがそこには響く。
そう、女の声しかここではしない。
けれどそれは、当たり前のことだった。
「魔女集会なんて、いつぶりだか」
ここは、魔女の集会。魔女達が情報交換のために集う、魔女のためにだけある集会。
他の者には秘されたこの場所は、一体いつからあるのか分からないくらい古い。
広々とした空間には年季を感じる、けれど手入れの行き届いたアンティークの調度品が並び、酒や茶、菓子に軽食なども用意されている。
それらを給仕するのは、この空間専属の使い魔達だ。魔女達の姿の合間に紛れて、人外の者達がちょこまか動き回っている。
「あら、見て」
「珍しい、巡りの魔女よ」
「前に見たのは一体いつのことかしら」
リリアンヌが広間に降り立つと、彼女に気付いた魔女達が途端にこそこそ囁きを交わし出す。その内容にある通り、リリアンヌは本当に極稀に、何か目的がある時しかここを訪れない。中にはこの場をサロンとしておしゃべりに興じるために利用している魔女もいるようだが、それは彼女には考えられない利用の仕方だった。
魔女とは面倒な生き物だ。群れない生き物なので派閥というものはあまり作らないが、確執がある者も各々多い。だから大勢がいる場であちこちとつるむのは、それほど好ましいことに思えない。どこの関係が拗れているか分からないから、何の拍子に揉め事に巻き込まれるか分からない。
「あまり最近は噂を聞かないけれど」
「あら、もう隠居?」
「馬鹿、迂闊な発言はよしなさいな。私、この前上級の悪魔を滅したって話聞いたわよ」
「嘘でしょ、悪魔ってそう簡単に滅せるものだった?」
「そんな訳ないじゃない」
どこで手に入れてくる噂か知れないが、色々と好き勝手言われている。けれど、そのどれにもリリアンヌは反応を示さなかった。
数多の視線を頓着せずに広間を進んでいると、そんな中でも声をかけて来る者もいる。
「リリアンヌ!」
正面から両腕を広げてむぎゅっと抱きしめてきたのは、まぁまぁ親交のある魔女だった。
「サブリナ、暑苦しい」
「相変わらずつれないわねぇ」
「つれて堪るか」
クセの強い赤毛に垂れ目気味の瞳、押し付けられる身体は豊満で圧迫感がすごい。
「まぁ変わりがないみたいで安心だわ」
スキンシップ過多でおしゃべり好きで、一見リリアンヌとは合わなさそうなサブリナ。だが性格はかなりさばけており、バランス感覚に優れていて、ついでに言えば好き嫌いの基準がリリアンヌとは合っている。べたべたされるのにだけ目を瞑れば、割に付き合いやすい魔女だった。
「それで、今日はどんな用件で?」
「話が早くて助かる」
巻き付けられた腕を外しながらそう言ったら、つまらなさそうにされる。
「あら、だって貴女ったら用がなけりゃここへ来ないんだもの」
それは否定できない。
群れるのは嫌いだ。空間を共有し、言葉を交わし、親交を深めるということはつまり、自分を知られるということでもある。それはあまり賢い選択ではないとリリアンヌは思うのだ。
「ここしばらくは森に籠りきりだったんじゃない? いつぶりだか、ちょっとすぐには思い出せないわ」
籠りきりというほどではなかったが、確かにここしばらく魔女集会へ顔を出すことはなかった。
その理由の一つには、自分の拾い物について誰にも悟られたくなかったから、というのがある。
サフィールのことを知られたら、興味を持つ者が出てくるだろう。面白半分にちょっかいを出してくる者がいれば、リリアンヌの弱みになると考えてサフィールに人質の価値を見出す者も出てくるはず。
そんなことで煩わされたくなかったし、同様に魔女の元にいるという理由だけで拾い子に面倒を持ち込みたくなかった。
実際、サフィールを知った魔女に絡まれたことがあるので、リリアンヌは極力拾い子の存在を同業者や客相手には秘匿してきた。
魔女とは鋭い生き物だから、勘付かれたくなかったらそもそも関わるべきでない。
「……リリアンヌ?」
「アンヌ!」
さて、ここに来たのは情報収集のためだが、どうやって切り出そうか。サブリナ相手にそう考えていたら、そこにまた新たな声が割り込む。
振り向けば、そこには高い位置で括ってなお腰まで流れる艶やかな黒髪を持つ細身の魔女と、三つ編みにした金髪を揺らす柔らかな空気の魔女がいた。
シアとクラリッサ。二人もまた、リリアンヌが友好的に口を利ける数少ない相手である。
クラリッサを見て、しめたとリリアンヌは思った。
クラリッサは一連の神殿の騒動の関係者だ。人違いとは言え、手を出されたのだから。彼女がいるなら、話を切り出すのに不自然はない。
「シア、久しぶりだな」
「えぇ」
「クラリッサも、元気そうで」
「その節は有難う。本当に感謝してるわ」
柔らかく微笑むクラリッサ。助け出した時、特にどこを痛めつけられた様子はなかったが、力を封じられてはいたし、魔女の矜持についてはひどく痛めつけられたことだろう。リリアンヌに比べれば穏やかで争い事にも向かない性格をしているが、恐らく見た目の笑顔ほど自分に起きたことを水に流せてはいないはずだ。
「あぁ、クラリッサ、大変だったみたいね?」
サブリナが周囲に聞こえないよう声を落として訊く。
「恥ずかしい話よ。情けない限りだわ」
言葉通り、恥じ入るようにクラリッサが目を伏せる。
「――――まだ王都に?」
「一応ね」
心配するようにシアが訊けば、これには即答した。
「人間が嫌にならなかったの?」
なってもおかしくはないな、とリリアンヌも思う。嫌気が差して、しばらくは引き籠ろうと思っても不思議はない。
「報復は済んでるの」
けれど彼女はにこやかにそう言い切った。
報復。
彼女を売った人間に対する、その報い。
「あら、そうなの?」
それに驚く者はここには一人もいない。当然よねという顔で、皆が軽く頷き同意を示した。
魔女が舐められるようになったらおしまいだ。
一人の魔女が軽んじられることで、その空気が魔女の世界に伝播するような事態にもなりかねない。もちろん、短慮に魔女を軽んじる愚かな相手を伸す方法なら、魔女達はいくらでも知っている。けれど高い高い矜持が、そういった事態そのものを許容できないのだ。
迂闊に舐められるような魔女になってはいけない。
怖いのは、人間に舐められることではない。舐められたことによって魔女の価値を貶めたと烙印を押され、同業者達から冷遇されたり、淘汰の対象にされたりすることなのだ。
だから、クラリッサの報復は、半ば義務のようなもの。
「確かに散々だったけど、王都を出て行こうとは思わなかったの。私は別にそれほど高名な魔女ではないし、人がいる方が仕事になるんだもの。それに、気分が悪くなることも確かにあるけれど、基本的に人間って面白いわ。眺めて暮らすのが好きなの」
「はは、リリアンヌとは正反対ねぇ」
サブリナが笑う。
「私は別に、人嫌いを公言してるんじゃないよ」
またもや巻き付いてきた腕を引き剥がしながら、リリアンヌは一応否定しておいた。
「あぁ、そうだった。リリアンヌは人間が嫌いというか、あれこれに関わるのが面倒なのよね」
そう、面倒が嫌いなのだ。
リリアンヌはそれほど多くのことを必要としていない。最低限生活が回れば、それで十分だ。人付き合いも金も名誉も、あまり興味はない。友でさえ、さほど必要とは思えないのだ。
況してや、愛なんて。
そんな風に思っていた自分が、けれど今やその“愛”というものをひたむきに向けられ、振り回されている。面倒事は大嫌いなはずなのに、サフィールを拾ってからこの方、思い返してみれば面倒事だらけだった。
「そう、面倒ことは嫌いだ。私がクラリッサだったら、当分人間相手の商売はやめる。煩わしい」
家に置いてきたサフィールのことを思う。
容体が急変するような心配はまずないが、寝たきりのところを襲われでもしたらひとたまりもないと思う。神殿の人間は諦めていないはずだ。そしてリリアンヌの睨みだと、恐らく他に協力者がいる。
だから、できる限りのことはしてきた。魔女の家には元々それなりに呪いが施されているが、別の結界を張り、異変があれば瞬時に察知できるよう、仕込みもしている。ここから家までは道を繋げているので、帰るのは一瞬で済む。
「動いているのは神殿だろう? 神殿が魔女に関わろうとするなんて、よほどだ。向こうから見ればこちらは異端」
「ちゃんと考えれば、力の原理は一緒なのに」
シアが冷たく吐き捨てる。
神殿は認められない。
自分達が崇める清廉なる力が、分解してみせれば時に人を呪い殺し利己的に奮われる魔女の力と同じだなんて。認めてしまえば、人心を掴むことができなくなる。
気分は悪いが、否定されるのは当然のことと言えば当然なのだろう。
「きな臭い動きよねぇ」
「私は人違いのとばっちりだった訳だけど、一体どの魔女のことを指してるのかしらね? 魔女に所縁のある人間、“所縁”って、どれほどのものを指しているのかしら」
その魔女とは自分のことだ。所縁というのは、一つ屋根の下で十年を超えて暮らすほどのものだ。それも純潔を重んじるはずの魔女が、である。
だがそんなこと言えるはずもなく、“さぁな”と首を傾げてみせたら、
「――――え?」
サブリナが急にきょとんとした声を出した。
「サブリナ?」
「魔女に、所縁がある?」
何かおかしなところがあっただろうか。
するとサブリナが言った。
「あら、私が聞いた話は違うわよー?」
「違う?」
レイナルドだって、“魔女に所縁がある”と言ったのに。アレがそうそうガセネタを持って来るとは思えないが。
けれどサブリナは、“魔女”とは別の存在を挙げた。
「魔女に所縁がある、じゃないでしょう? 聖女に所縁がある、の聞き間違いじゃない?」
「聖、女?」
それはまた、寝耳に水な話だ。
聖女と言えば、神殿が大切に大切に囲っている乙女だ。神に仕える、最も清らな存在。聖女もまた徒人には奮えない力を持つが、それは神に選ばれ与えられた力とされている。常に神殿の奥の奥に引っ込んでいて、よほど大きな行事でもない限り出て来ない、いるかいないかよく分からない存在のはずだが。
「そうよ、聖女よ。確かそのはず。魔女じゃなくてね。だからクラリッサの話を聞いた時、少し変だなとは思ったの。でも、ほら、アイツらにとって魔女って異端で、悪者扱いしたい存在じゃない。だからその聖女と所縁のある人間とやらを、魔女がどうこうしたとか、そういう話になってるのかと思ったのだけれど」
「いやでも聖女に所縁があるってどういう人間だ? 神殿に見い出される前の家族とか、友人関係とかか?」
時代が古過ぎる気がする、とリリアンヌは思った。
今の聖女が神殿に入ったのはいつのことだろうか。正直全く興味がないので、よく分からない。ただ、最近の話ではないはずだ。それなりの年月が経っているはず。
でも、と思う。
神殿の狙いはサフィールだ。つまり、サブリナの話が本当なら、サフィールは神殿と関係があると言うより、聖女と関係があると言う方が正しいということになる。
聖女と関係が? 親戚? 年の離れた弟とかか?
内心で疑問の渦をぐるぐる巻いていると、今度はシアが口を開いた。
「……私が聞いたのは“魔女”だったけれど。あれだけはっきり言っていたのだから、聞き間違いではないと思うわ。神殿の探し物は、魔女に関わりがあるのよって。私はよく知っているわって、あんまり自信があるようだったから」
それを聞いて、何故か嫌な予感がした。胸の内が妙に騒いだ。
急に、サフィールの顔が頭に浮かぶ。浮かんで、離れない。
傷付き、まだ寝込んでいる拾い子。守りは固めてきたつもりだ。
けれど。
「誰が」
硬い声でリリアンヌはそう問うた。けれど返ってくる答えを、自分は既に知っているような気がした。
「ローゼリカよ」
言われた次の瞬間、右の親指に嵌めていた大きなエメラルドの宝石が、唐突に鋭い音を立てて割れた。
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