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第3.5話 間章
オレはまだなんにも分かっていなかった【藤方広平の場合再び】 その4
しおりを挟む「香凛ちゃん」
「はい」
お店を出たところで、包みを一つ差し出す。
「ほい、これはお兄さんから香凛ちゃんにお土産です」
「え」
案の定、香凛ちゃんの顔には困惑が浮かんだ。
うん、その表情も想定済みなので、特にダメージはないです。
「見てみて」
半ば強引に押し付けられた袋の中身を、香凛ちゃんが確認する。
中身はラッコのぬいぐるみだ。香凛ちゃんの腕に丁度いい感じに収まるだろうサイズ感。
今日一日館内を巡って、香凛ちゃんが一層目を輝かせたのが、シャチとラッコのゾーンだった。
本当は多分、もう少しじっくり眺めたかったのだと思う。オレが見たいことにしてもう少しその場に残れば良かったのに、その時上手いこと言えなかった自分をちょっと後悔している。
別にこれはその埋め合わせとかじゃなくて、どうせなら好きな生き物をプレゼントしたかったって、それだけのことなんだけど。
「あの、でも」
困った表情は改善されない。
何が言いたいのかは、分かるような気がした。
人から気軽に何かもらったりはできない。
もらっても、自分は何にも返せないのに。
「別に何か返してほしくてプレゼントする訳じゃないよ」
図星だったのだろう、言うと香凛ちゃんはギクリと肩を強張らせた。
「あぁ、でも。交換条件って訳じゃないけど」
「?」
何か要求があれば、この子の気持ちが少しは楽になったりするだろうか。
「これからは、名前で呼んでくれると嬉しい」
「名前」
今日一日、香凛ちゃんはロクにオレのことを何とも呼ばなかった。
どう呼んだらいいのか、分からないのだろう。今までも、二三度“お兄さん”と呼ばれたことがあるくらいだ。
「“広平君”とか、どうでしょう」
「でも、大人の人をそんな風に」
難色を示す声。
確かに大人を君付けで呼ぶ習慣なんてないだろう。しかも身内でもなんでもない。敬語を使うべき相手として、彼女はオレを認定している。
「オレは君のパパと友達な訳だけど。できれば香凛ちゃんとも直接友達になりたいな、と思ってる」
「……ともだち」
彼女は眉をハの字にする。
やはり自分の常識とは合わないらしく、抵抗感の方が強いようだ。
「変?」
なのでそう訊いてやった。
この子は人を否定することが苦手なようだから、こう聞けば頷くだろうと大人のずるい計算も働いていた。
「変じゃ、ないです」
案の定、彼女はオレを否定できなかった。
「別にすぐに無理に呼ばなくてもいいよ。徐々にでね。でも、そういう風に呼んでもらえると、より嬉しいかなってお話」
ずるくてごめんね、と心の中だけで詫びながら、彼女の腕の中の袋を指し示す。
「で、これ、受け取ってくれる?」
「……ありがとう、ございます」
ほんの少し、口許が綻んだ。今はそれで十分だ。
帰り道、会話は少なかった。
けれどそれは空気の悪さを示すものではなく、疲れたのだろう香凛ちゃんがうつらうつらしていたからだ。朝から慣れないオレとずっと一緒だったこともあって、緊張し通しだったのだろう。
降車駅のいくつか手前でケータイが震える。
メールに返信しながら、隣でお土産の袋をぎゅっと抱きかかえている姿を盗み見ると、それだけで和む。
「香凛ちゃん、もうすぐ着くよ」
速度を緩め始めた車内でそう声をかけると、無言の内に香凛ちゃんは立ち上がった。
けれどやはり眠いらしい。
少々覚束ない足取りにちょっと不安になって試しに手を差し出して見たら、香凛ちゃんは何も躊躇わずにこちらの手を握ってみせた。
「っ!」
ヤバい、感動する。眠くて思考が働いていないだけかもだけど、お兄さん、嬉しいです。
そのまま手を繋いだ状態で改札を抜け、ゆっくり歩き始める。
いや、大丈夫かな。このくらいの年の頃の女の子と手とか繋いでて大丈夫?
普通もうお父さんイヤ! とか言い出す年齢? そもそも職質とか掛けられない?
そんな心配をしながら歩いていると、前方から見覚えのある姿が近付いて来る。
「香凛、広平」
征哉だ。トラブル処理の大体の目途がついて、自分はもう帰れそうだと連絡は来ていた。
握っていた手がするりと抜ける。
「楽しかったか」
「うん」
大きな手に頭を撫でられると、深い笑みがその顔に浮かんだ。
「香凛、お前、眠いのか」
ふわっとした様子に征哉はそう訊くが、彼女は首を横に振る。
「眠くない」
「眠いんだろ」
そういう年じゃないもんなどとしばらく問答していたが、結局は征哉がその小さな身体を抱き上げた。
見る見る力が抜けていくから、やはりかなり眠かったのを堪えてここまで歩いてきたらしい。征哉を見たら、安心したのだろう。
実は昨日も楽しみ過ぎて興奮してたのか、なかなか寝付けなかったみたいなんだ、と征哉が言う。
それだけ楽しみにしていたのに、彼女はあれだけ表面上はあっさりと諦めてみせたのだ。
「……大丈夫だったか? 聞き分けはいいが、人見知りは人見知りだから」
「今日一日で、それなりにお近付きになれたと手応えを感じている」
力強く答えると、
「それは、その、良かった」
征哉はちょっぴり苦笑した。
「広平、本当に悪かったな。助かった」
「まぁ困った時はお互い様だ。オレが昔締切前日にレポートのデータ消し飛ばした時、徹夜で付き合ってくれた恩とか、そういうのは色々あるだろ」
あの時、バックアップを取っておかないなんて馬鹿だなぁと周りが苦笑する中、いいから気合い入れろと励まして手伝ってくれたのは征哉だけだった。
「中には征哉じゃないとダメなこともあるけどさ、他がサポートできることだって同じようにあるだろ。オレは血縁的にお前の身内ではないけどさ、そういう時の選択肢に入るくらいの信頼があると、勝手に思っている」
「……勝手では、ないと思うぞ」
「そうか。……いずれ逆にオレが頼らなきゃいけないこともあるだろうし、あんまり一々気にするなよ。パパスキルの上がった征哉になら、将来オレもピンチヒッターとして安心して自分の子を託せる」
そう言ったら、征哉は笑った。
「その前に早くプロポーズしろよ」
その言葉にうっと詰まる。
「ばっか、まだ学生だよ。早まった真似できるか」
「この間、彼女がバイト先の男に告白されたどうしよう早く結婚してしまいたいとか延々泣きながら愚痴ってたクセに」
「それはオフレコでお願いします誰にも言わないで」
ううん、付き合いが長いとお互い手の内をさらけ出し過ぎていて、結構痛いところを突かれたりもする。
「オレのことは、いいから」
「……うん、何かあった時は頼りにさせてもらう」
「それで宜しい」
じゃあなとその場で別れる。
何となく気になって振り返ったら、征哉の肩で瞼を擦る香凛ちゃんと目が合った。
ひらり、小さな手が振られる。
「広平くん、ばいばい」
「!」
ぐはっ! 可愛い!! なんだこの可愛い生き物は!!
「バイバイ」
思わぬ反応に身悶える。
いや、可愛い可愛いとは思っていたけど、この破壊力をオレは全然理解していなかった。
これは征哉、近いうちにとんでもない親馬鹿を発揮するだろうし、いや、嫁に出すこととか想像したらきっと禿げるな。間違いない。
心理的距離が近付いた喜びを噛みしめながら、オレは遠ざかって行く仲睦まじげな親子の背中を見送る。
それを見ていたら何だか深雪に会いたくなってきて、後日渡そうと思っていたお土産片手に電話番号を呼び出していた。
そうそう、それから追加報告。
後日、マンションを訪れた時、香凛ちゃんのベッドにくまのぬいぐるみと並んで例のラッコのぬいぐるみがいるのを征哉に見せてもらって、お兄さんは大変感動致しました。
それから、征哉のケータイに可愛いシャチのストラップがついているのが微笑ましくて堪らんかったです。以上。
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