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第3.5話 間章
オレはまだなんにも分かっていなかった【藤方広平の場合再び】 その3
しおりを挟む「アイツ、結局朝食食べてないんじゃ」
「コーヒーだけ、です」
バタバタと出掛けて行った征哉の様子を思い浮かべながらそう言うと、小さな声で香凛ちゃんが教えてくれた。
うーん、やっぱり心の距離がかなりある。
「きっとコンビニとかで何か買っていくよ。大丈夫。オレ達もごはんにしようか」
しかしオレはめげない。今日一日このチャンスをものにして、ぜひもう少しお近付きになってみせようじゃないか。
「こっちがクリームチーズとスモークサーモンで、こっちがタルタルたまご、それからこっちがスライスオニオンと生ハム、だけど結構ペッパーが効いてるみたいだから、ちょっと辛いかも? あとイチゴクリームもあるよ」
買って来たサンドウィッチを並べてお好きなのをどうぞと言うと、
「いただきます」
と香凛ちゃんはおずおずとタルタルたまごに手をつけた。
向かいの席でオレも同じようにサンドウィッチに手をつける。
何か話しかけてみようかと思うが、何が適切な話題かちょっと迷う。
いっそテレビでも点けてしまえばいい感じに沈黙も満たされて、ついでに何か話題も見つかるだろうか。
いやしかし、すぐにテレビに頼るのは逃げではないか。
「…………おいしい」
そんな風に思っていたら、向かいからぽそりとそう呟かれた。
無理して、気を遣って言ってくれたのかなとも思ってしまったが、彼女はぱくぱくとサンドウィッチを食べ進めている。そして確かにここのサンドウィッチは美味しい。
いや、単に会話のなさを埋めるために食事に専念してみせているだけかもしれないけど。
ごちそうさまでした、と両手を合わせて彼女が口にした頃には、オレも次に話しかけるネタを見つけていた。
「どこの水族館行く予定だった? 分かる?」
水族館と言ってもいくつか候補がある。
幸いどこに行く予定かは把握していたらしい。香凛ちゃんに教えてもらった名前で調べると、コツメカワウソとか小動物と触れ合えるコーナーの多い水族館のようだった。
ケータイの画面をスクロールして、オレはそれ以外の水族館情報を確認してみる。
「お、ここ、シャチがいる。シャチのショーだって」
あんまりシャチがいる水族館って聞かないな。そう思って口にすると、疑問符が上がった。
「……シャチ?」
「知らない? こういうの」
ケータイの画面を見せてみる。
「イルカとかとちょっと似た感じだけど、シャチはもっと大きくて」
肉食で結構怖い系です。と言うのはやめておいた。
「……すごい」
どうやら初見らしい。
「今日はこっちに行ってみようか」
香凛ちゃんの食い付きもいいし、距離的にも問題ない。ここにしよう、とそう決める。
元々行く予定だったところは、今度改めて征哉と行けばいい。
洗い物を終えた辺りで、歯磨きなどを済ませた香凛ちゃんが洗面所から戻って来る。
「着替えて来て、いいですか」
パジャマ姿ではないけれど、いわゆるホームウェアと呼べる類のラフな格好をしていた。外出できないほどではないけれど、遠出するならもうちょっと気合いを入れたいところだろう。
「うん、ニュース見てるから、ゆっくりどうぞ」
そう言ってのんびり待っていたら、しばらくして部屋から出て来た香凛ちゃんはフリルのついたブラウスに鮮やかな水色のキュロット姿だった。とても可愛らしかったが、ワンピース姿ではなかった。
うん、知ってる。
あのワンピースは征哉とのお出かけ用だもんね。オレのための格好ではないんだよね。
「香凛ちゃん、水色似合うね」
「……ありがとうございます」
「じゃあぼちぼち出発しようか」
しょっぱくなんかない。
征哉と勝負して勝てるなんて思ってないし。
さて、水族館までに着く道すがら、香凛ちゃんは色々とこちらに質問してくれた。
“パパといつから友達ですか”
“休みの日は何してますか”
“本物のシャチ、見たことありますか”
気遣いの気配満載だったけど、雪解けの可能性は感じる。少なくともどうしても喋りたくないというレベルではないらしい。
「おぉ~、水族館、久しぶり。わくわくするなぁ」
最寄りの駅で降り立って、大きな建物を目の当たりにすると、俄然テンションが上がって来る。
深雪のリクエストで水族館デートをしたこともあったけど、それもそれなりに昔のことだ。
その水族館にシャチはいなかったし、個人的にもすごく楽しみである。
「ふむふむ、シャチのショーは十三時からか、まだ時間あるね。イルカショーもあるみたいで、こっちはもうすぐ開演みたいだけど、どこから見たい?」
「中の水槽、順番に見ていきたいです」
「オッケー。じゃあ行こうか」
チケットの半券を受け付けの係の人に切ってもらって、一歩館内に踏み入れる。
休日なので当然人が多く半ば反射的に手を伸ばしかけたが、相手の両手が斜め掛けにしたポシェットの紐をぎゅうっと握りしめてるのを見て、数瞬迷った挙句引っ込めてしまった。
いや、うん、慣れてない男の人と手を繋ぐとか、嫌かもしれない。
それに手を繋がなければ絶対に迷子になるというような年頃でもない。それでなくとも香凛ちゃんはしっかりした子だし。
そもそもこの年頃の子は手とか繋ぐっけ? どうだったっけ?
……うん、あんまり人通りが多くなるようだったら、また考えよう。
「きれい……」
水族館のメインだろう自分の身長の何倍もある大水槽の前で、香凛ちゃんが半ば無意識に零す。
沢山の種類の魚が縦横無尽に泳いでいた。大きなエイが真ん前を横切ると、可愛いと呟く。
あぁ、あの裏の、顔みたいに見えるよなと、キラキラし出した顔をみて微笑ましい気持ちになる。
数歩進む度にこちらを確認するし、オレが退屈することを恐れてか一つの水槽の前で長く足を止めたりしないようかなり気を配っている様子はあったが、それでも電車の中の様子と比べると表情も明るく楽しんでくれているようだった。
水槽の脇に張られているパネルは漢字も多かったりするので時折解説すると、感慨深そうに頷いてくれる。
館内のレストランで昼食を済ませ、少し余裕を見てショーの会場に向かう。
着替えの用意はしていなかったので、水濡れ注意のラインより少し後ろ、けれどステージの中央を正面から見れる席に並んで座った。
『みなさーん、こーんにちはー!』
ショーの始まりを告げるお姉さんの元気な声。指示に従って水槽の中をぐるりと大きく回るシャチ。
「!」
「すごいな、迫力満点」
距離があっても感じる存在感にそう感想を零しながら隣を見ると、思っていたよりも大きかったのだろう、驚きにまん丸と目を見開いた香凛ちゃんがいた。
「…………かっこいい」
怖がるかなと思ったら、はぁと感心するような溜め息を零す。
『いきますよー、三、二、一!』
合図に合わせてシャチが大きくジャンプする。
大迫力だ。大量の海水が跳ね上がり、前方の席に容赦なく撒き散らされる。キャーキャー上がる悲鳴。
大人も子ども関係なく披露されるパフォーマンスに釘付けになる。
いや、ホント今日、ここ選んで良かったな。
例え相手がオレであったって、香凛ちゃんにもいい思い出になるだろう。
シャチのショーが終わっても、二人とも興奮冷めやらぬ状態だった。
余韻に浸りながら、少し高めのテンションで残りの水槽も見て回る。
全て観終わって、出口付近に差しかかれば、お土産がずらりと並んだショップが待ち構えていた。
「お土産、買おうか。何がいいかなぁ」
けれどここで振り返ってみると、香凛ちゃんのテンションはすっかり元に戻っていた。
元って、朝家を出た時くらいのテンション。つまり、かなり凪いでいる。
え、いや、なんで?
ここまでの道のり、何かあったっけ。
かなりいい感じだと、シャチさんありがとう! って自分では思ってたんだけど。
そこでふと、彼女の懸念事項に思い当たる。
「軍資金、もらってるよ?」
入館料も昼食代も、事前に征哉がオレにしっかりお札を握らせている。それはお土産代も含まれているだろう金額だったし、それは置いておいてもオレだって自分の財布はちゃんと持っている。
そりゃ、他人にお金を出してもらう気まずさというものはあるかもしれないが。
今日はあんまりそういうことを気にし過ぎないでほしい、というのは難しい話だろうか。
「…………いい、です。お年玉、持ってきたから」
けれどぼそりと固い声で返された内容に、ハッとする。
難しい話なのかもしれない。この子にとっては特に。
自分の身の上を、彼女はしっかり理解している。自分のことを、お荷物だと思っている。
それは征哉といる時の態度でも分かる。
この子は征哉に懐いてはいるけれど、けれどいつも遠慮して、線を引いて、この年頃の子に反射的に浮かぶだろう望みを飲み込んでいる。
家計の負担になってはいけないとか、考えてるに決まってる。
「……征哉に、お土産選ぼうか」
そういう気持ちには、多分外野が何を言っても仕方がないのだ。時間と、その中で積み上げていく関係性を通して、彼女が自分自身で納得できるように、落としどころを見つけられるようにならなければならないのだろう。
だって、まだ一年も経っていない。
この子が、普段何ともないように振る舞っているそのことだけでも、本当にすごいことなのだ。
「オレも何か選ぼう。アイツ、クッキーとか甘いものでも食べてくれるよな」
自分の考えを押し付けても何にもならない。
自分のお年玉で、仕方がないとは言え約束を反故にした父親にお土産を買おうと言うのだ。
この年頃の子のお年玉って、すごく貴重な財源なのに。
何それ、泣かせる。征哉が愛されてて、羨ましい。
真剣な表情でショップをぐるりと回った香凛ちゃんは、結局お腹の部分がクリーナーになったケータイストラップに決めたようだった。
かっこいいと言っていたシャチを選んだ辺り、そうか香凛ちゃんにとって征哉のイメージはそうなんだな、とお兄さん感動しまくりです。
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