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第3.5話 間章
誰がなにを、分かっていなくとも【倉科店主・見上の邂逅】 その3
しおりを挟む「ーーーー来月」
ぴくり、言葉を発すると肩が揺れた。
「来月の季節のデザート、金時芋のパウンドケーキで」
予想しない単語に、そろそろと顔が上げられる。不思議そうな、戸惑いの色を濃く宿した瞳がこちらを見上げる。
「香凛ちゃん、そういうの好きそうだなって勝手に思ってるんだけど」
「あの……」
良いのか、悪いのか、そんなことは知らない。
わざわざやめておけばいいのにと、思わなくもないが。
けれどそれは他人の事情だ。俺は他人の事情には淡白でありたい。淡白であることが、救いになればいいと思う。
多分それは、自分が他人にとってそうであってほしいからだろう。
彼女はお客様だ。
倉科の食事を、美味しい美味しいと喜んでくれる、お客様。
自分にとってはそれで十分だ。親代わりと言う男性と恋人である”宮木香凛”は、この店において別に必要なラベリングではない。
「客商売してるとね、色んな話が耳に入ってくるよ。だけどそれは入ってくるだけだ。この口から、何か言葉が出ていくことはない」
「………………」
「そうでないといけないと思ってる。良心の問題である前に、信用の問題だよ。お客様に別のお客様の個人的な話をぺらぺら喋る店主がいる店に、誰が来たがる?」
顔見知り程度の関係だ。そんな相手に”大丈夫、絶対に言わないよ”なんて言われても、正直な話、本当に大丈夫だろうかと信用しきれないだろう。
だから、”あなたのために”ではなく、客商売における信用という”こちらの都合”を理由にした方が、彼女もきっと安心できる。
それに、喋っている内容に嘘はない。
口の軽さは本当に命取りだ。
「そう言えば、倉科のだし巻き玉子、家では再現できないんだって言ってたよね」
「…………そうですね、無理です」
「ここに来ないと、食べれないよ?」
言ったら、彼女はようやく頬の強張りを少しだけ解いて、ぎこちないながらも微笑みを浮かべた。
「ーーーーじゃあ今日もお願いしようかな。だし巻き玉子、食べたいです」
「はい、ご注文承りました」
ここにはただ食事を楽しみに来てくれればいい。
ただ、食事だけを。
さて、だし巻き玉子の準備をするかと、ようやくグラスに手を伸ばした彼女を横目で捉えながら卵を取り出した時だった。
ガラリと再びレールの上を戸が滑る音。二人つられて扉の方へ顔を向け、そこにいた人物に一緒に目を丸くする。
向こうも、同じように目を見開いていた。彼女の、姿を見て。
「香凛、なんで……友達と夕飯だって出かけたんじゃ」
そこにいたのは五条さんだった。
彼を見て、すぐに気付く。恐らく、彼の狙いもまた彼女と同じだったのだろうと。己の守りたいもののために、ここへ来たのだろうと。
結構な時間が過ぎた気もしていたが、時計を見るとまだ開店から十分も経っていなかった。
「似た者同士だねぇ」
小声で囁くと、香凛ちゃんは照れ臭そうな表情をこっそり見せた。
「五条さん、どうぞ」
彼女の隣の席を勧める。
「それとも一緒に奥のテーブル席に移ります?」
「……いえ、カウンターで」
面食らった顔はしていたが、俺と彼女の様子が穏やかなのを見て、大体を察したらしい。
一つ深く息を吐き出してから、彼は彼女の隣の椅子を引いた。
「何にします?」
「……じゃあ瓶ビールを」
冷蔵庫から瓶を取り出す。背後ではごにょごにょと抑えた声がしていた。
「なんでまた一人で……」
「それはそっちもそうでしょう?」
「オレと香凛じゃ立場が違う」
「何言ってるの、一緒だよ」
信頼と親愛を感じる雰囲気。
嫌悪感は別になかった。
「こんばんはぁ」
また新たなお客様がやって来る。
一人目にも二人目にも三人目にも、自分にとって何か違いはない。等しくお客様、それだけ。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
難しいこともあるだろうけれど、二人が穏やかに日々を過ごしていければそれがいいと、自分は無関係の赤の他人ではあるが、心の片隅でそう思う。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
「有り難うございました。またのご来店お待ちしております」
「来月、金時芋のパウンドケーキ、楽しみです」
タイミング良くお会計は後から入ってきた従業員ではなく、自分が担当できた。
二人が軽く会釈してくるりと背を向け歩き出す。ーーーーと、彼女の方だけまたこちらを振り返り、踏み出そうとしていた足を戻した。
「見上さん」
「うん?」
小声で、内緒話のように口許に手を当てながら、
「さっき、宮木香凛だって、五条香凛じゃないんだって言いましたけど」
とびきり素敵な笑顔で茶目っ気たっぷりに彼女は言った。
「でも、将来的には五条香凛になるつもり満々です」
例えば。
例えば、自分の話をするならば、自分は多分きっと誰かと所帯を持つことはないだろう。社会制度としての”結婚”をしない。
人には、それぞれ事情がある。マジョリティーの一人にはなれず周りと毛色が違うと、どうしても目立つ。理不尽に叩かれることも、ご親切に”正しさ”を滔々と説かれることもあるだろう。
けれど、それは”異常”でも”異質”でもないのだ。
沢山の正解が認められればいいと、そう思う。
彼らの関係において、例えば親戚が、友人が、口性ない近所の噂好きな誰かが、”信じられない”とあからさまな嫌悪感を示すこともあるだろう。きっと、いや、絶対ある。
はっきり言って、目撃されたのが俺だったことは、彼らにとってとても幸運なことだったはずだ。
これが隣近所の噂好きの住人だったならば、二三日後にはあることないこと尾鰭を付けられて、大層肩身の狭い思いをしなくてはならない状況に陥っていただろう。
そしてそうなる危険性はいつでも身近にあり、二人は油断など決してしてはいけない関係なのだ。
理解や許容より、拒絶と偏見の方がずっとずっと強くこの世には蔓延っているのだから。
「それでも……」
あの時、五条さんがあえて握り直した手を思い出す。
「……難しいかもしれないけど」
二人が決めた覚悟なら、最後まで貫けるといい。
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