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第2話 香凛はなんにも分かってない
分かってない【パパ編】 その8
しおりを挟む香凛と初めて顔を合わせたのは、姉が結婚を決めて両家の顔合わせをと設けられた場でのことだった。
とある料亭の座敷に現れたちんまい香凛は、多分まだ五歳くらいだっただろう。
白い丸襟の水色のワンピース姿。
――――今でも意外によく覚えている。
姉の結婚にはひと悶着あった。姉が初婚なのに対し相手は二度目で、しかも連れ子までいたからだ。
前妻とは死別と聞いて、嫌いになって別れたでもなし、まだ気持ちが残っているんじゃないか、娘のことを家政婦兼ベビーシッター扱いするんじゃないか、子どもと上手くやっていけるのか、自分の子どもを設けるのに遠慮してしまうのではないか、本当に幸せになれるのか、他にいくらでも良い人はいるんじゃないか。
山程の懸念があって、両親も簡単には受け入れられなかったと言う。
だが姉の選んだ昭久さんは、誠実な人だった。
山のように積み上げられた両親の心配と不安を納得に変えるほどには誠実に丁寧に、何度も何度も家に足を運び理解を求めた。
昭久さんの人柄に絆されて、両親も最終的には大丈夫なのかもしれないと、娘の結婚を祝福することを決めた。
さて、件の昭久さんの連れ子と言うのが娘であることは知っていた。
前の奥さんはその娘を生んで半年で亡くなってしまったと聞いていた。
乳飲み子を抱えながら、しかし今日まで彼は娘を何とか一人で育て上げていたのである。働きながらそれはどれほど大変なことなんだろうと、当時まだ学生だったオレは全くピンと来ない想像をぼんやりしていた。
両家の顔合わせの場で小さな少女を見てもその大変さは当然想像の域を出ず、普段関わることのない生き物に苦手意識を持っていたオレは香凛を遠巻きに眺めるに留めていた。
大人しい、と言うよりは聞き分けの良い子どもという感じがしたのを覚えている。
じっとしてようねと言われれば、ちょこまかあちこちを動くこともなくその通り良い子にしている。人懐っこいと言うよりは、人見知りの色の方が強いのか、見慣れないオレや両親のことは父親の影からチラチラと覗いては引っ込むということを繰り返していた。
小動物みたいで愛らしいとは思ったが、男子学生と幼稚園生に共通の話題があるはずもないし、子どもに合わせるほどの器用さも自分にはなかった。
泣かれでもしたら面倒だ。対処する術をまるで知らない。
極力、関わらないでおこう。向こうにとってもそれが平和なはずだ。
そう思ったのに、食事が済んだ後、"ちょっと話があるから、征哉、香凛ちゃん退屈しちゃうだろうから一緒にお庭でも回って来なさい"という非情な命令が母親から下され、オレは絶望しながらも細心の注意を払って香凛の小さな手を握る羽目になった。
"えーっと、池でも見るか?"
香凛はぐずらず見知らぬお兄さんであるオレの手を素直に取り大人しく連れ出されてくれたはいいが、如何せん大人し過ぎた。
人見知り発動中なのか、まずもって会話が成り立たない。問いかけにはコクリと頷きだけが返されて、オレ達は沈黙の中ひたすらに庭を歩き回るという苦行に晒されていた。
一体どれくらい時間を潰せば良いのだろう。
呼び戻されるまで、ずっとこうしていなくちゃいけないんだろうか。
今は大人しくてもいつ泣き出したりするか分からない。泣かれたら、もうこっちは打つ手なしだ。
オレは下の子だから、誰か小さな子をあやした経験など絶無なのだ。
池に掛けられた小さな橋に差し掛かる。
あぁ気詰まりだと内心嘆いていたオレは、小さな呟きに意識を現実に引き戻された。
"…………きんぎょ"
香凛が興味深そうに池を覗き込んで、すいすいと泳ぐその姿を追っていた。
"金魚じゃなくて、あれは鯉"
随分前のめりで覗き込むのでこのままでは危ないと、反射的にその身体を抱き上げる。一瞬後に"しまった、嫌がられるか"と慌てたが、池の中に夢中な香凛は頓着しなかった。
"こい? きんぎょ?"
興奮を伝えるように肩の辺りのシャツ地を掴まれる。まん丸に開かれた瞳は面白いくらい輝いていて、苦手意識が少しだけ引っ込んで純粋に可愛いと思えた。
"鯉。えーっと、金魚の仲間、友達だよ"
"いっしょじゃない?"
"似てるけど、一緒じゃない。ほら、金魚よりずっと大きいだろ?"
池の中は結構な数の鯉が泳いでいた。色とりどりで、子どもの目にも楽しいだろう。
"ほら、向こうに金ぴかのヤツいるぞ"
そう言えば腕の中で幼い少女は背を伸ばし、足元でばしゃりと鯉が跳ねると逆に小さく丸こまった。
ちょっと年齢差があり過ぎるが、妹がいるのはこういう感じなのかもしれない。
ただ冷静に考えて、自分はこの子の"お兄さん"ではなく"叔父さん"なんだな、と気付いたら随分複雑な気分になった。この年でオジサン呼ばわりされるのは、ちょっと頂けない。
まぁでも大学進学と一緒に実家も出ていたし、この小さな生き物と会うこともそうそうないだろうと思っていた。
"かーりん"
話が終わったらしい姉が、義娘の名前を呼ぶ。
呼ばれた少女は血の繋がりがないなんて全く感じさせない、屈託ない笑顔でこっちの腕から飛び出して、姉の元へ駆けて行った。
二人はどう見ても親子にしか見えなくて、姉はもちろん、少女も幸せそうな様子にホッとしたのを覚えている。
大丈夫、この家族は幸せな家族になる。姉さんは、良い結婚をするのだと。
予想通り、その後も香凛と顔を合わすことは滅多になかった。
稀に実家で会うことがあってもオジサン呼ばわりされることもなく、香凛はオレとの接し方を図りかねているようだった。たまに困ったように"お兄さん"と呼び掛けられることがあるくらい。
香凛は、オレにとってそれほど重きを置く存在ではなかった。
でもそれは、お互い様の話だったろう。
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