上 下
6 / 104
第1話 パパはなんにも分かってない

分かってない その6

しおりを挟む





 玄関のドアが音を鳴らしたのは、十一時を過ぎた頃だった。集中できなかったマンガはとっくに本棚に返して、もう寝ててもいい時間だったけど今度は見るともなしにお笑い番組を見てた。
「おかえりー」
「ただいま、まだ起きてたのか」
「テレビ見てた」
 リビングに入って来た背広姿に内心きゅんとしてるのは秘密で。
 私は普通を意識して声を出す。
「これ、土産」
 そう言うパパの手には、何やら袋。受け取って中を覗けば白い箱ーーーーケーキだ。
「タルト、明日までいけるらしいから」
「やったー」
 美味しそう、と思って、お土産がうれしくて心が弾んだ。


 でも。


「何か、最近人気のとこなんだと」


 続いた言葉に、一転心は萎む。


 誰かの気配を感じさせる発言だった。
 人気のケーキ店なんて、パパの引き出しにはないはず。その情報は、誰からもらったの。


 雨木はるか、という名前がまた頭を過って、胸を滅茶苦茶に掻き回す。


 会ってたかどうかなんて分からない。証拠なんてない。ただの私の妄想だ。
 でもこういう時、残念ながら女の勘は残酷なくらい当たる。


 ふと脱がれた背広から漂ってきた匂いに、心がまた反応した。



「……甘い匂いがする」



「タルトが?」
「違う」
 背広から、ふわりと香る匂い。そんなにキツくはない。でも明らかに女物と分かる甘く柔らかい匂い。
「香凛?」
 匂いなんてどこでもつく。電車で隣になった人の香水がキツかったとかでも、背広に移るだろう。
「そういえばお前、もうすぐ誕生日だろ。そろそろ欲しいもの考えとけよ」
 一瞬不思議そうな顔をしながらも、パパは話題を変えた。


 あと半月しない内に、そう、私の誕生日が来る。
 二十一の、誕生日。


「…………もう二十歳超えたよ。子どもじゃないからいいよ」
 言ったら、パパは軽く笑って返してきた。
「何言ってんだ。十九も二十も二十一も大差ない。それに家族だろーが」
 痛い。
 パパにとっては十九も二十も関係ない。そもそもいくつになろうが関係ない。私はずっとこのポジションから抜け出せない。
 例え首筋から甘い香りを漂わすようになったって、私は子どもだ。そういう対象にはならない。


 痛くて、悔しい。好きって気持ちを持っちゃった自分が恨めしい。


「何でもいいはやめてくれよ。今時の女の子が欲しがるものなんててんで分からん」



 女の子。
 私は"女性"にはなれない。レディにはなれない。



 いつもは抑え込める気持ちが、今夜に限っては吹き零れてしまいそうだった。


「香凛はあんま物欲しがんないだろ、二言目にはなくても大丈夫っつーだろ」
「そんなことないよ」


 私には欲しいものがある。もうずっとずっと欲しくて欲しくて堪らないものが。
 口に出さないだけだ。お腹の内は欲望でどろどろしてる。
 パパはそれを知らないだけ。


「あるよ、精々アイス買うならハーベンにして~とかその程度しか言わん」
 優しい笑顔が辛い。保護者の顔しか見せないパパが憎い。ほのぼのした空気しか流れない現実が、とても大事なものなはずなのに、壊してしまいたくて仕方がない。


「誕生日」
「うん」
「欲しいのある」


 やめておけ、と頭の中で警鐘は鳴り響いていた。


 そうだ、やめておくべきだ。
 いつかは、ここを出て行くまでには言ってしまうつもりだったけど、でもそれが今じゃないってことははっきり分かってる。


 でも。頭っていうのは、心をきちん躾られない。鎖に繋いで厳重に管理することなんてできない。


 私の唇から、遂にその言葉は滑り落ちてしまった。





「パパが欲しい」





「ーーーーーーーー香凛?」
 訝しむ声、寄せられる眉。でも、落とした言葉は戻らない。



「パパを私にちょうだい」



 何言ってるんだ。
 そう思った。滅茶苦茶だって。


 でも、苦しいの。本心を一つも口にできないのは、分かってもらえないのは苦しい。
 言った後にそれを上回る苦しみが待ってるって分かってたって、我慢がきかないくらいには苦しい。


「…………あぁ、あれか、一日オレを独占したいって? 良いよ、有休取ってどっか連れてってやろうか」
 一瞬だけ考え込むような表情を見せたパパは、でもすぐにそう切り返してきた。


 逃げ道を与えられてるのかもしれない。はぐらかされてるのかもしれない。
 それは、もしかすると有難いことなのかもしれない。


 でも。


「違う」


 そうじゃない。一日じゃなくて、一日だけじゃなくて。


「半永久的に欲しいって言ってるの」


 ずっとずっとずっと。私かパパが死ぬまでずっと。その隣にいられる、特別な席をちょうだいよ。


「香凛……」
 パパの顔があからさまに強張った。
「何が、不安なんだ」
 パパは言う。私のとんでもない要求に、まだ無理矢理解釈を当て嵌める。子どもの不安なんだと。
「香凛がここを巣立っても、香凛が望む限りここは帰って来て良い場所だし、オレだって保護者の立場は捨てない」
「嘘」
 否定の言葉は間髪入れずに飛び出した。
「嘘じゃない」
 パパに嘘のつもりがなくても、そんなの。
「嘘じゃなくても、無理だよ」


 だって、私は何にも持ってないから。
 この保護期間が終わってしまったら、胸を張って一緒にいられる手形を、何にも持ってない。


「私がここを出て行って肩の荷が降りたら、きっとパパは自分のこれからの人生を見直す。その先で誰かと結婚するかもしれない。結婚して、子どもが生まれてーーーーそれが、パパの手にするべき本物で正当性のある家族だよ」


 私は、どこまでいっても非公式な存在だから。


「…………香凛、血の繋がりがないからって、何もかもを否定するのはよせ。本物とか、正当性とか、そういう言葉で自分を追い詰めるな。香凛は他人じゃない」
 そんなことない、と叫ぶように言っていた。
 私は、他人だ。どうしようもなく、他人なのだ。気持ちの問題だけでは、乗り切れない。世間的には、社会的には他人なのだ。


 パパは分かってない。なんにも分かってない。
 私の、どうしようもない不安を。
 そして、私の本気の想いを。


「私、何の権利もない赤の他人だよ。邪魔者だよ。限りなく不自然な相手だよ」
 パパが新しく家族を作ったら、とてもじゃないけど私はそんなところに割り入っていけない。それはあまりに無神経な行為だと、そう思う。
「それに、私が言ってるのはそういうことじゃないの。不安だからこんなこと言い出してるんじゃない」


 ときめいたり、痛んだり、その両方できゅうっとなるこの胸は、家族の"好き"の枠をとっくにはみ出してる。


 笑った顔が好き、優しい手が好き、私のワガママにしょうがないなって付き合ってくれるところが好き、寝起きのちょっと抜けた表情が好き。
 忙しい毎日を支えたい、楽しいことを沢山共有したい。
 頭を撫でられるんじゃなくその手で触れられたい。抱き締められたい。唇を合わせたい。全部全部、私をもらってほしい。


 私の"好き"はそういう"好き"。
 どろどろの要求がいっぱい詰まった、でも間違いなく"恋"という色に染められた気持ち。


 本当はこんな八つ当たりみたいな感じで言いたくなかった。上手くいく可能性が皆無でも、大切に大切に伝えたかった。少しでも綺麗な思い出にしたかった。だけどもう、今更だ。


「私に、パパの隣にいる権利を保証してくれるなら、私をパパの特別にしてよ。パパのーーーー」


 言ったら、終わっちゃう。
 全部が滅茶苦茶になっちゃう。
 私は後悔する。ものすごく後悔する。
 知ってる。分かってる。だけどでもそれでもーーーー



「パパの恋人にしてよ」



 言葉は、転がり落ちてしまった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】男嫌いと噂の美人秘書はエリート副社長に一夜から始まる恋に落とされる。

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
真田(さなだ)ホールディングスで専務秘書を務めている香坂 杏珠(こうさか あんじゅ)は凛とした美人で26歳。社内外問わずモテるものの、男に冷たく当たることから『男性嫌いではないか』と噂されている。 しかし、実際は違う。杏珠は自分の理想を妥協することが出来ず、結果的に彼氏いない歴=年齢を貫いている、いわば拗らせ女なのだ。 そんな杏珠はある日社長から副社長として本社に来てもらう甥っ子の専属秘書になってほしいと打診された。 渋々といった風に了承した杏珠。 そして、出逢った男性――丞(たすく)は、まさかまさかで杏珠の好みぴったりの『筋肉男子』だった。 挙句、気が付いたら二人でベッドにいて……。 しかも、過去についてしまった『とある嘘』が原因で、杏珠は危機に陥る。 後継者と名高いエリート副社長×凛とした美人秘書(拗らせ女)の身体から始まる現代ラブ。 ▼掲載先→エブリスタ、ベリーズカフェ、アルファポリス(性描写多め版)

腹黒御曹司の独占欲から逃げられません 極上の一夜は溺愛のはじまり

春宮ともみ
恋愛
旧題:極甘シンドローム〜敏腕社長は初恋を最後の恋にしたい〜 大手ゼネコン会社社長の一人娘だった明日香は、小学校入学と同時に不慮の事故で両親を亡くし、首都圏から離れた遠縁の親戚宅に預けられ慎ましやかに暮らすことに。質素な生活ながらも愛情をたっぷり受けて充実した学生時代を過ごしたのち、英文系の女子大を卒業後、上京してひとり暮らしをはじめ中堅の人材派遣会社で総務部の事務職として働きだす。そして、ひょんなことから幼いころに面識があったある女性の結婚式に出席したことで、運命の歯車が大きく動きだしてしまい――?  *** ドSで策士な腹黒御曹司×元令嬢OLが紡ぐ、甘酸っぱい初恋ロマンス  *** ◎作中に出てくる企業名、施設・地域名、登場人物が持つ知識等は創作上のフィクションです ◆アルファポリス様のみの掲載(今後も他サイトへの転載は予定していません) ※著者既作「(エタニティブックス)俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる」のサブキャラクター、「【R18】音のない夜に」のヒーローがそれぞれ名前だけ登場しますが、もちろんこちら単体のみでもお楽しみいただけます。彼らをご存知の方はくすっとしていただけたら嬉しいです ※著者が読みたいだけの性癖を詰め込んだ三人称一元視点習作です

【R-18】残業後の上司が甘すぎて困る

熊野
恋愛
マイペースでつかみどころのない上司とその部下の話。【R18】

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

【R-18】【重愛注意】拾われバニーガールはヤンデレ社長の最愛の秘書になりました

臣桜
恋愛
札幌の飲食店でマネージャーをしていた赤松香澄(あかまつかすみ)は、バニーガールの格好をするよう強要されセクハラを受けていた時、ファッションブランドChief Every(チーフ・エブリィ)の社長で、世界長者番付にも載る億万長者。テレビなどメディアにも出る有名人の御劔佑(みつるぎたすく)に助けられた。それだけでなく、御劔の会社で秘書として働くようスカウトされてしまう。熱心に口説いてくる佑に、香澄は心を動かされ、彼と共に東京に向かう事を決意した。東京での秘書生活を経て、佑とも心を通わせ婚約し、お互いの両親とも挨拶をする。いざ彼の母方の実家であるドイツに向かうとそこで香澄に災いが降りかかり――? 佑の従兄である奔放な双子・アロイスとクラウスにも振り回される日々。帰国したかと思えば会社内でのいびりがあり、落ち着いたかと思えばまた新たなトラブルに巻き込まれて――? いちゃいちゃしながら世界を回りつつ、ヒロインの香澄が色んなトラブルに遭い、二人で乗り越えてゆく大長編です。 ※ 未熟な挿絵もついております。 ※ ムーンライトノベルス様、エブリスタ様にも投稿させて頂いております。 ※ ラブシーン(程度の強弱はありますが、こちらで甘い雰囲気と判断した箇所)には☆を、挿絵のついている回には※をつけています。香澄が少し可哀想な目に遭う回は、★をつけます。 ※ 表紙はニジジャーニーを使用しました。

【完結】【R18百合】女子寮ルームメイトに夜な夜なおっぱいを吸われています。

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 風月学園女子寮。 私――舞鶴ミサが夜中に目を覚ますと、ルームメイトの藤咲ひなたが私の胸を…! R-18ですが、いわゆる本番行為はなく、ひたすらおっぱいばかり攻めるガールズラブ小説です。 おすすめする人 ・百合/GL/ガールズラブが好きな人 ・ひたすらおっぱいを攻める描写が好きな人 ・起きないように寝込みを襲うドキドキが好きな人 ※タイトル画像はAI生成ですが、キャラクターデザインのイメージは合っています。 ※私の小説に関しては誤字等あったら指摘してもらえると嬉しいです。(他の方の場合はわからないですが)

拝啓 愛しの部長様

鏡野ゆう
恋愛
МCNホールディングス(仮称)でコンビニスイーツの商品開発に携わる部署にいる海藤部長と宮内愛海ちゃんの恋花です。 小説家になろうで書かれているトムトムさんのお話『本日のスイーツ』と一部でコラボしています。http://ncode.syosetu.com/n2978bz/

【契約ロスト・バージン】未経験ナースが美麗バツイチ外科医と一夜限りの溺愛処女喪失

星キラリ
恋愛
不器用なナースと外科医の医療系♡純愛ラブ・ストーリー 主人公の(高山桃子)は優等生で地味目な准看護師。 彼女はもうすぐ三十路を迎えるというのに 未だに愛する人を見つけられず、処女であることを嘆いていた。ある日、酔った勢いで「誰でもいいから処女を捨てたい」と 泣きながら打ち明けた相手は なんと彼女が密かに憧れていた天才美麗外科医の(新藤修二) 新藤は、桃子の告白に応える形で 「一夜限りのあとくされのな、い契約を提案し、彼女の初めての相手を務める申し出をする クリスマスの夜、二人は契約通りの関係を持つ たった一夜新藤の優しさと情熱に触れ 桃子は彼を愛してしまうが、 契約は一夜限りのもの 桃子はその気持ちを必死に隠そうとする 一方、新藤もまた、桃子を忘れられずに悩んでいた 彼女の冷たい態度に戸惑いながらも 彼はついに行動を起こし 二人は晴れて付き合うことになる。 しかし、そこに新藤の別れた妻、が現れ 二人の関係に影を落とす、 桃子は新藤の愛を守るために奮闘するが、元妻の一言により誤解が生じ 桃子は新藤との別れを決意する。 怒りと混乱の中、新藤は逃げる桃子を追いかけて病院中を駆け回り、医者と患者が見守る中、 二人の追いかけっこは続きついには病院を巻き込んだ公開プロポーズが成功した。愛の力がどのように困難を乗り越え、 二人を結びつけるのかを描いた医療系感動的ラブストーリー(※マークはセンシティブな表現があります)

処理中です...