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6.取り引き

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 思わず振り返れば、目と鼻の先に綺麗な顔があった。頬にかかる息は生ぬるい。


「貴女は王太子殿下にユリア嬢をいじめるように頼まれた」
「――――」


 こくり、無意識にリズベルの喉が小さく鳴った。


「貴女は妃候補の中でも家格が高く、その見目の麗しさ、教養の深さ、立ち居振る舞い全てを取っても内定間違いなしと言われていた。一方ユリア嬢は殿下と相思相愛の仲とはなったが、いかんせん候補者の中では一番家格が低い。これといって目立った功績もなく、こう言っては失礼だが周りからの印象も薄かった。貴女や他の候補者を押しのけて正妃の座に就くのは難しい。けれど、彼は彼女を選びたかった」


 それは事実だ。彼が他のどの候補者よりユリア嬢に心を寄せていたことは、知る人なら知っていた。


「だから殿下は貴女に持ち掛けた。ユリア嬢をいびり倒し、その際には他の妃候補、それも選ばれる可能性が高そうな者を巻き込むようにと。頃合いを見てそれを白日の下に晒し、余計な候補者達を一掃すると。その際にはユリア嬢に厳しい処罰をやめてほしいと言わせ、彼女の健気さ、慈愛の精神、心根の美しさを周りにアピールする。実際に彼女からの申し出やら何やらがあって、貴女の処罰は比較的軽く済まされた」
 淀みなく語られるが、彼の話は滅茶苦茶だ。リズベルは嘲ってしまう。
「そのお話、私に全く旨味がないのだけれど。貴方には私にそんな滅茶苦茶な自己犠牲の精神があるように見えているの? 殿下にそれほどまでに何か恩があったりしたかしら?」
 そんなことをする必要はなかった。リズベルはただそこにそのまま在れば、自然と妃に選ばれるだろう立場にいた。自らそれをふいにするようなことをするものか。
 はっきり言って、大したものを持っていないユリア嬢など怖くも何ともなかった。リズベル自身が王太子を愛していたとするならば憎くもあっただろうが、貴族の婚姻には恋愛よりも他の要素が重視される。それにユリア嬢との間にある恋情だっていつまでも続くものではなく、一過性のものかもしれないと十分に考えられた。
 そもそもあの時の彼の愛が真実のものだなんて、誰がどう保証するのだ。しかも十年、二十年立てば、人間の考えなど変わる可能性は十二分にある。


 だから、リズベルがそんな愚かな真似をする必要はどこにもなかったのだ。
 なかったはずだ。


「ウォルト家は非常に家格の高い家ではあるが、実は数年前にご当主、貴女の父上が事業に失敗されていて家計は火の車だった」


 なのに、エヴァンの語りは止まらない。


「貴女の弟君は直系の唯一の男児でありながらその身を難病に侵されていて、治療には他国の医療技術が必要な状態」


 するりするりと言葉が出て来る。


「数年前に嫁いだ姉君は夫に愛人を作られたショックで人が変わってしまい、金遣いが荒くなっていた。とうとう生家の隠し財産にまで手を付ける始末」


 リズベルは自分の耳を疑った。


「祖父母や母君は懸命にこの事実を隠し立て直しを図っていたが、限界は近い状態。古くからよく勤め上げてきてくれた使用人達の暮らしも守らなければならない」


 他者から聞くはずがない言葉が列挙されるものだから。


「それら全ての面倒は見てやるからと、そう持ち掛けられたのでしょう?」
「――――」


 見上げた瞳は、やはり穏やかに澄んでいる。
 全てを飲み込んでいる目だ、と彼女はふと気付いた。


「だから貴女は実行した。キツイ言葉を投げかけ、持ち物を壊し、彼女にだけ必要な情報を回さず恥をかかせ、悪い噂を流した」


 全てを知っていて、受け止めて、寄り添おうとしている。


「ね、傍から見ていたと言ったでしょう。十分、良く知っていると」


 大変、居心地が悪い。


「妄想話を有難う。そのお話が事実だとして、けれど私が妃の座に収まれば王家の力でどうにかできたことばかりよ。汚名を被る理由にはならない」
 にこりと微笑みを以てリズベルは返した。
「被らなければこの窮状を全て明らかにすると脅されたでしょう? 貴族社会は狡猾だ。人の不幸は食い物にされる。ウォルト家を徹底的に落ちぶれさせようと、あるいは利用してから捨てようと集ってくる輩が出て来ることは明らかだ。そうなれば家は一巻の終わり。貴女の選択一つで、多くの人間の将来が大きく左右される局面。選びようなどなかったはずだ」


 なのに、そう言われて頬が強張る。


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