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5.その誠実そうな顔の下に、一体どんな企みを

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 湯を浴びて、食事は自室で済ませた。エヴァンの顔は見たくもなかった。


「やり方がぬるかったのかしら……」


 夫に見つからないうちに修道院に駆け込み、俗世を捨てる。
 そのやり方そのものに問題があるのかもしれない、と窓辺から庭を見下ろしながらリズベルは考える。
「できるだけひっそりと、醜聞にならないようにと言うのが間違いだったのかも。そうね、今更一つや二つ、汚名が増えたところで気にするようなものでもないわ。もっと派手に騒ぎ立てて、周りを巻き込んで、彼が拒めない状況を作り上げるとか。そうよ、もういっそ彼を悪者に仕立ててしまってもいいわ。信じる信じないなんてどうでもいい、そう、結婚の誓約を破棄できるような」
 気は進まないが、不貞も一つの手段だろう。罪には問われるが死罪にはならないし、流刑なんかになれば何もかもが丁度良い。
「相手を巻き込むのは不本意だけれど、まぁそこはお金で解決しましょう」
 何せ、リズベルには特に使うアテのないまとまった財産がある。
 今後の方針転換を決意した時だった。
 コンコンと、控えめなノックの音が響く。
「エマ? 今日はもう下がっていいと言ったはずよ」
 部屋付きの侍女が来たのだと思ってそう声を向ける。
 けれど返事はなく、了承を得てもいないのに扉が内側に向けて押される。
「!」
 そんなことをする人物はこの屋敷には一人しかない。


「入室を許した覚えはありません」


 自分よりもこの夫の方にこそ全権があるのだと分かりながら、不機嫌丸出しでリズベルは溜め息を吐いた。


「忘れ物をお届けに」
「忘れ物?」


 そんなものがあっただろうか。
 エヴァンは特に何を持っている様子でもない。


「そんな窓辺にいては冷えるでしょう。春が近いとは言え、まだまだ寒さは和らいでいないのに」
 余計なお世話ですと言う前に、ソファの背に掛けてあったガウンを手に取りエヴァンはリズベルの肩に掛けた。そのまま包み込まれるように腕を回されてしまい、リズベルは抵抗するように身体を揺らす。
「ほら、やはり冷えている」
 もちろん、そんなものをエヴァンは気にしない。
 するり、リズベルの左手を取ってその薬指の付け根をくすぐる。
 そうして背後で何か探る気配がしたと思ったら、反対の手が月明りに光るリングを取り出した。
「あ……」
 リズベルが逃走の最中外して馬車に隠した結婚指輪だった。
「結婚に際して、貴女は私を永遠に自分のものにするのだと約束したではありませんか。違いますか?」
 確かにした。けれどそれは式におけるお決まりの文句であり、リズベルが特別に望んで織り込んだものではない。
 ぎゅっと抱き竦められる。耳元で低い声が熱っぽく囁いた。
「捨てられるだなんて、思わないでください」
「無理な相談だわ」
「何故です? まだ王太子殿下に未練がありますか?」


 ない。全くない。


「え、えぇ、そうよ」


 ないが、そう言わなければ説得力がない気がしてリズベルは是と返した。


「酷い人だ。こんなに愛を、献身を捧げても、貴女はオレには見向きもしない」
 “オレ”という本当にプライベートな空間でしか使わない呼称に、ドキリと胸が騒いだ。それを無視するようにリズベルはつっけんどんな態度を意識して問う。
「貴方、何を企んでらっしゃるの」
「企む?」
 不思議そうな声が上がった。演技なら見事なものだ。
「殿下とどんな取り引きをしたの。もうそろそろ、教えてくださってもいいんじゃなくて?」
「取り引きとは」
「私を押し付けられる代わりに、何を得る約束を、あるいは何を清算する約束を取り付けたの、と訊いているの」
「オレが陛下や王太子殿下に貴女との結婚の許しを願ったのは、純粋に元から貴女をお慕いしていたからですが」
「まぁ、とんだご趣味をされてるのね。世間から後ろ指指される悪女を慕っていただなんて。嘘はもう少し上手についてくださらない? 冗談としても面白みがないわ」
 ハッと鼻で笑い飛ばしたが、エヴァンはそれは気にせず彼女の言葉を意味深に繰り返した。


「世間から後ろ指指される悪女、ね」


 そうして問いかける。


「殿下と取り引きしていたのは、貴女の方でしょう」
「はい?」
「自分がそうだったから、オレもまたそうだと考える」
「……意味がよく」
「分かるはずだ」


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