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 ローゼリア様の声が響き渡った中庭では皆が動けずに固まっている。徐々に困惑するように騒めいていくが再び声をあげた彼女によってそれもぴたりと止まった。

「殿下はわたくしという婚約者がいながらそちらの子爵令嬢を常に横においておりましたわ。このままでは誤解をされるとわたくしが忠告しているのにそれには耳を傾けずその令嬢の話ばかりを聞くなどどちらが婚約者かわかりません。あなたもみだりに殿方に近づくなと教えて差し上げたのに今もそうやって……はぁ。わたくしの忠告など無意味でしたわね。あなたの事を思って心を鬼にしてやってきましたがすべて無駄でしたわ。もうわたくしも我慢の限界ですの。不貞の証拠も揃っておりましてよ。よってそちらの有責での婚約破棄を望みますわ!」

 長々と語っているがすべて彼女の思い違いではないだろうか。殿下とエレナ様が浮気をしていると言いたいのかもしれないが、お二人は誰がどう見てもそういった関係ではない事くらい皆がわかっている。ローゼリア様は見当はずれの忠告ばかりしていただけで我慢をしていたのも殿下の方だと思う。それに婚約破棄を望むにしてもこんな場所でおこなうなど普通に考えればありえない。家を通して王家に訴えればいいだけなので彼女はいったい何を考えてこんな行動に出たのか、もはや彼女の思考が理解しがたい。
 フンっと鼻を鳴らして余裕そうにニヤリと笑っているが、この後の事を考えればそんな態度に出られる彼女はおかしくなってしまったのかとつい思ってしまう。

「はぁ……残念だよローゼリア。いや、エレティコス嬢。君とは幼い頃からの付き合いだからね。私にだって情もあるし何とか歩み寄れたならと考えていたがもう無理なのだろう。この事は陛下に報告をして婚約解消の方向で進めておこう。もちろん私の有責での破棄にはならない。やっていない事を認めるわけにはいかないからね」

 本当に残念そうに彼女を見ている殿下の気持ちはきっとローゼリア様にはひとつも伝わっていないだろう。すっと手を上げて何かを指示し、生徒達に緘口令を敷いたがすぐに広まっていくに違いない。その頃には正式に解消されているとは思うが、とんだ場面に出くわしてしまってもはや中庭を兄に案内するような空気でもない。このまま帰ろうと兄に言おうと思ったが、話しかけるよりも先に兄が殿下達の方へ向かって行く。

「お兄様?」

 この空気の中でよく割り込んでいけますわね。それよりもいったいどうしたのかしら?

 そのまま殿下の前に行くかと思えばローゼリア様の前でぴたりと止まって彼女を見つめているので、その様子にまたまわりが騒めいていく。ローゼリア様もいきなり現れた他国の王子に驚いたのか息を飲んで一歩後ろに下がっていた。

「なるほど、婚約は解消されたのですね。ならばローゼリア・エレティコス侯爵令嬢、どうかこの私アルフレド・マナンティアールの妻になっていただけないか」
「は?」
「え? え、えぇ!?」

 兄はにこやかに彼女にプロ―ポーズらしきものをしているが、これはいったいどういう事なのか。ローゼリア様も何が起きているのか理解できていないのか「え?」しか言葉にできていない。殿下は困った顔をされているし、私と一緒にいるレジェスは顔を覆って首を横に振っているだけで誰も兄を止める者などいない。もちろん私も動けないでいたのだが、止まっていた思考を回転させて今のこの事態をどうすべきか考えるがいい案など浮かぶわけがない。

「何をしていますのお兄様!? いきなりプロポーズなど……百歩譲ってするとしてもこんな場所で! しかもまだその方は一応はクリストバル殿下の婚約者でしてよ!!」

 自分でもこんな大きな声が出るのかというぐらいに取り乱して叫んでしまったが許して欲しい。私もいきなりの事で冷静ではないのだ。王族として対応できたらよかったのだが無理だ。兄が理由もなくこんな事をしでかすなどとは考えたくない。不思議そうに私の方を見ているが、本当に何も考えずにこのような行動をおこしたというのだろうか。

「どうしたんだい? クレスがそんな大きな声で叫ぶなんて珍しいね」

 暢気に聞いてくるが自分の行動を振り返って欲しい。私はふらりとよろめいたのをレジェスに支えられ、この場をクリストバル殿下が収めてくれるのを見ているしかできなかった。
 額に手を当てながらニコニコと笑う兄と頬を染めて混乱しながらも嬉しそうにしているローゼリア様、そしてその近くでおろおろしているボルケ子爵令嬢を私はただ眺めていた。
 兄のその笑顔に違和感を覚えながらも、今後をどうしていくか悩む私に大丈夫か聞いてくれるレジェスの声にしっかりせねばと何とか真っ直ぐ立つ。

「急ぎ、父に報告を」
「了解しました」

 とりあえずは事の詳細を父に報告し、騒動を大きくしてしまった事をクリストバル殿下に謝罪する。彼はこちらこそ巻き込んでしまい申し訳ないと言っているが、彼は悪くない。気にしないで欲しいと伝えても彼は首を振って本当に申し訳なさそうにしている。

「こんな事になるのならもっと別の……いや、今更だな。クレスセンシア殿下、どうか兄君を嫌わないでやって欲しい。あの方は……」
「クレス! これから私は彼女との婚約を進めるためにしなくてはならない事が増えたから先に戻らせてもらうよ」
「お兄様……」

 殿下が何かを私に伝えようとしたのをわざとらしく遮った兄はあの違和感のある笑みを浮かべている。だがそれもすぐに消していつもの私に見せてくれるあの穏やかで安心させてくれる微笑みで頭を撫でてくれた。

「大丈夫だよ。クレスは何も心配なんていらないからね。すべてお兄様に任せていればいいんだよ。そうすればきっと……ね」

 去り際に小さく私に伝えてくれた言葉の意味はなんなのだろうか。肝心な何かを教えてくれずに去っていったが、それでも兄のあの言葉には彼の想いが詰まっているのだけは感じられた。





 エザフォスの王城へ向かう馬車の中でアルフレドは物憂げに窓の外を眺めている。一緒に同乗しているのはレジェスだけなので気も緩んでしまい、ついため息をこぼしてしまった。

「そんなに嫌ならやめておけばよかったでしょうに」
「いいんだよこれで。これらすべてはあの子のために繋がっていくんだ。私はあの子のためなら何だってするよ」
「それでも……」
「こらこらしつこいぞ。この事は陛下達も御存知なのだし、昨日エザフォスの国王陛下にも了承してもらっている。まぁクリストバル殿下は心配していたが一応は納得してくれたのだからこのまま進めるよ」

 三つ下の妹であるあの子は私にとって特別なんだ。絶対に私がこの手で……。

「いや、それは違うか」
「殿下?」
「こういう二人の時は気軽に名前で呼んでくれたらいいのに、おまえは真面目だね」
「そういうわけにはいきません」
「本当に真面目な奴め。融通をきかせろ」

 だからこそ任せられるのだろうけど、ちょっと頑固だよなぁ。

「おまえには期待しているからね」
「期待には応えたいとは思っていますが、無茶ぶりだけは止めてください」
「大丈夫。そんなに難しい事ではないからね。ただ、おまえにしか頼めないから今から頭でも下げてお願いしておこう!」
「お・や・めください!」

 こんな風に軽口をたたいていられるのはいつまで許されるのだろう。いつまでも続いて欲しい穏やかな日々はもう終わってしまうかもしれない。自分でそうなるように進めたのに名残惜しく思ってしまうぐらいこの日々が愛おしいのだ。だからこそ私は決めたわけだが、それでも泣きたくなってしまう。手放しがたいそれらをこれからひとつずつ捨てていく事になるこの選択を正しいと思わなくてはきっと前に進めない。憂いを残す事がないように慎重に進めていこう。

 大丈夫。お前達ならきっと……。

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