上 下
46 / 247
帝都の大学

奇跡の御業のなさしめる Ⅱ

しおりを挟む
 均整の取れた身体__背が負うそれ。

 絶対的な存在への忠誠の証。同時に、彼ら龍帝従騎士団の矜持の象徴。

 肩甲骨の下部末端の間、背骨を中心として左右対称に配された、刺青らしくやや青みがかった墨の紋。威風堂々たるそれは距離があっても目を引くほどの大きさで、まずもって見落とされることなどないもの。

 それを敵に向けることは退くことを意味し、あってはならないとされ、それ故か彼の背には傷は少なく、正面の方が古傷も新しい傷も多いように思う。

「__もう一回。あと2往復してみせて」

 その十歩の距離。たかだが十歩だ。

 しかしながら、その十歩を往復する様を見て、キルシェは苦しさを覚えるほど胸が締め付けられながら、心底ほっとした__のだが、ふと、リュディガーが鳩尾を押さえて顔をしかめ、足を止めるので、ぎくり、と身構えてしまう。

「……少し、内臓に響きます」

「まあしょうがないさ。身体の頑丈さは鍛えようがあるけど、内臓は鍛えられないからね。__頭痛も目眩もしないね?」

「ありません」

「よしよし、歩行も大丈夫そうだ。どれもこれも、順調順調。朝に比べたら驚異的だ」

「恐れ入__」

「彼は、見た目通り、体力と回復力が取り柄ですので」

 リュディガーの言葉を封じるように言い放ったラエティティエルに、フーデマンは笑う。

「なるほど。__あ。足は大きな怪我は何もなかったね、確か」

 はい、と頷くリュディガーに、今一度大きく満足気にフーデマンが頷いた。

「なら、これで終わりだ」

 フーデマンはラエティティエルへ目配せし、それに応じて頷く彼女はキルシェが居る方へと向かってくる。そのとき、彼女と視線が合い、穏やかに笑顔を向けられてしまった。

「すみません、気になってしまって……」

「いえいえ、いいんです。__どうぞ」

 恐縮して身を縮こまらせれば、優しく彼女が部屋へと誘ってくれた。

 歩行中は半裸であったリュディガーは、キルシェが部屋へ踏み入るのを見て、先程の動揺した様子から配慮してくれたらしく、その時すでに衣服を整え終え、寝台の縁に腰を下ろしていた。

「部屋だけれど、もうこの大部屋の必要はないんだが、個室に移るかい?」

「ラエティティエルが楽な方で」

 キルシェらが歩み寄る姿をちらり、と見ながら彼らは会話を続けていた。

「どっちがいいかい?」

「でしたら、このままこの部屋の方が助かります」

 キルシェの後へ続く形のラエティティエルの答えを聞き、フーデマンが頷いた。

「なら、このままということで」

 そうしてすっく、と立ち上がると、キルシェに座っていた椅子をすすめる。

「では、私はこれで。他の者を診るからね」

 ありがとうございました、とリュディガーは寝台から立ち上がって礼を取る。それは淀みない武官の鑑のような動きで、寝台の上で身体を動かすのを難儀していたのが嘘のようだった。

 __こんな短時間でこれほど快復できるの……。

 これが奇跡の御業というものなのだろうか。

 残穢を吐いてからは早いらしいが、それにしても驚くばかりだ。

「それじゃあ、何事もなければ、また明日」

「はい」

 軽く手を挙げて、次いでキルシェには会釈をし、部屋の外へと足を向ける。__が、あ、と思い出したような声を上げてくるり、と振り返るフーデマン。

「__もしできそうなら、外を歩くといい。むしろ積極的に動いたほうがいいねぇ」

「今日からもうよろしいのですか?」

「ああ。なるべく普段通りに過ごすほうが、活性するよ。元通りになろうとね」

「左様でございますね」

 フーデマンの言葉に、ラエティティエルが笑って頷いた。それに彼は頷くと、じゃあ、と改めて別れの挨拶として手を挙げ、今度こそ部屋を後にした。

 キルシェは去っていくフーデマンへ、見えていないとはわかっていても頭を下げて礼をとる。そして顔を上げれば、安堵のため息が思わずこぼれてしまった。同時に視界がじんわり、と滲んで口を一文字に引き結び、それ以上滲まないよう堪える。

 なるべく平静を、平常心を__。

「__なんて顔してるんだ」

 言ったのはリュディガーで、やはり気づかれたか、と内心がっかりとした。

 反射的に手の甲を鼻に押し当てるようにして口元を押さえ、ちらり、と見れば、滲んだ視界に佇む彼が片眉を顰めながらも笑って見てくる視線が、大げさだ、と物語っている。

「あんなしっかり歩けるなんて……それに目だって心配だったので……」

「__安堵なさったのでしょう」

 __そう、それ……。

 ラエティティエルが言う言葉は、まさしく自分が言いたいことだった。

 リュディガーが怪訝に彼女と見比べるので、こく、と頷き肯定する。

 ラエティティエルはサイドテーブルに置かれていた、冷めきってしまっている茶器を、つい今しがた彼女が運んできた茶器の盆にまとめながら言葉を続ける。

「よくお考えください。見舞いに来ても寝たきりで、目覚めたと思ったら変なものは吐き出すし、朦朧としている姿しかご覧になっていないのですよ」

「それは……まあ……」

 やや棘のある言い方に、リュディガーは渋い顔になる。

「そのようにただただ無様を晒して、どの口が、なんて顔しているんだ、です? よいご身分におなり遊ばされた様で」

「い、いえ、あの__」

「……ごもっともだ」

 なにもそこまで、と焦るキルシェだが、ラエティティエルの言葉を制す間もなく、リュディガーが後ろ頭を掻いてため息交じりに呟いた。

「では、猛省して、快復に専念なさいますよう」

「ああ、それは勿論」

「まだ動ける気力はありますね?」

「ん? ああ」

 よろしい、と頷いてラエティティエルは窓の外を見やる。

「__あらためて新しいお茶をご用意しますが、それは外の東屋にお運びしますので、さっそくそちらまで歩いて行ってください。清涼な風と日差しは身体にはいいものですから。私はその間に、寝台を整えるなどいたします」

 返事を待たず、彼女は壁の身の丈以上の大きさの箪笥に向かうと、観音開きのそれを開ける。そこには一着羽織が掛けられていて、それを手に取ると両手に抱えるようにして運んでくる。

「付き添いに、今から誰か手が空いている者を見つけてきますので、お待ちを」

 羽織を手渡し、次いでまとめた茶器を乗せた盆を手に取るところで、キルシェが思わず口を開いた。

「でしたら、私が」

 その言葉を発するころには、平常心を取り戻せていて表情も無理せず明るく保つことができていた。

「それは、ありがたいお申し出ですが、お時間は大丈夫なのですか? 彼が目覚める前から居られましたのに」

「大学は大丈夫なのか?」

「今日の午後は何もないので。だからこうして来てます」

 __あるのは、ローベルトさんのところへ行くだけだし。それだってまだ時間に余裕があるもの。

「でしたら、お願い致します」

 ラエティティエルに、キルシェは頷いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

処理中です...