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帝都の大学

気分転換

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 決意して来たにも関わらず、ビルネンベルクを前にすると揺らぎそうだった。それでも、扉の外で待っているリュディガーのことを考えると、気づかせてくれた恩に報いることができないのだから、と自身を叱咤し、ことのあらましを話した。

 時折、意図せず声が震えたりしてしまうが、部屋を満たす、穏やかでいて落ち着いた香を深く吸い込み、なんとか続ける。

 最初こそ驚いた表情でいたビルネンベルクは、ただ静かに見守るように話の調子を合わせて傾聴に徹してくれたのが、救いだった。

「__よく話し難いことを、打ち明けてくれた」

 お茶を改めて注ぎながら労い、ビルネンベルクは席を立って、座るキルシェのそばまで歩み寄る。そして、膝を床につけるとキルシェの手をとった。

「こんなに震えて……すまなかった。気づけずにいた私を許して欲しい」

 同じ、触れられる、という行為であるが、ケプレル子爵のそれとは違い、嫌悪感など微塵も抱かず、安心感を与えてくれるのがビルネンブルクの手だった。

 __謝られることなんて、ない……。

 うっ、と喉の奥から競り上がってくるのは、嗚咽の声。

 息を止めるように堪えると、ビルネンベルクが、細く長い優美な指の手で、ぽんぽん、と手を叩いて、すらり、と立ち上がった。

「__舐められたものだ」

 ビルネンベルクのその時の声。あまりにも低く独り言のようで呟くものだから、聞き漏らしそうだった。

 見上げてみると、窓の外を見やる真紅の双眸が、妖しく光り、口元が不敵に笑んだ__ように見える。

「キルシェ、君の杞憂が一切なくなることを約束する」

 しかし直後の声は、いつもの__いつも以上に労る優しい声で、表情も柔らかいそれ。あまりの変化に、見間違いだったのだろうか、と戸惑っている隙があらばこそ、ビルネンベルクはキルシェを置いて扉に向かった。

「リュディガー、いるね?」

「はい」

 返事を受け、ビルネンベルクは扉を後ろ手で閉めて廊下へと出てしまった。

 取り残されたキルシェは、部屋をぐるり、と見渡し、どうしようか、と思案する。見慣れた部屋なのに、落ち着きがなくなってきて、そわそわしてしまう。すると、昼間の不快な出来事を思い出してしまう。

 頭を振って振りほどいても、すぐにケプレル子爵の顔が浮かんで__吐き出したからこそ、浮かぶようになったのだろう。不快なものと自分の中で認めてしまったから。

 これがいつまで続くのだろう、と重いため息をはきだす。キルシェはうんざりしながら、とりあえずは喉の強張りをほぐそうと、目の前のお茶を手にとり、口に運んだ。

 そこへ、扉が開いた。ノックもなしだったから、身体が弾んでしまうほど驚いて、口に含んでいたお茶を慌てて飲み干せば、現れたのは扉の向こうで待っていたはずのリュディガーだった。

「キルシェ」

 硬くもないが柔和でもないいつもの表情の彼は、先程までのことなどなかったかのような拘りない風で名を呼び、外へ出るように手で軽く招く。

 無言で頷いて、卓の茶器を揃えて盆に移す形で片付け、キルシェは席を立った。

 魔石の灯りが、淡くも煌々と照らす廊下へ出、リュディガーの後に続く。石造りの廊下は人気が少なく、一番流動的な三階からもあまり音がない。その三階へ至る階段の前まで来ると、リュディガーが足を止めて振り返った。

「これから外へ行くが、その格好で寒くはないか? ほかに防寒着が必要なら持ってくるといい」

 ここで待つ、と片足に重心を移し、腕を組むリュディガー。

 __外……?

 何の用事でだろう。皆目見当がつかないが、キルシェは答える。

「このままで大丈夫です」

 講書での外出に続いて、先程まで彼の弓射に付き合っていたから、防寒は大丈夫だ。

「そうか。では、行こう」

 言って歩き出すリュディガーは、玄関へ向かう。

 玄関の扉を開けると、ひやり、とした外気が鼻をつく。若葉も芽吹き、日が伸びた時分とは申せ、日が沈んでからの夜気は冷える。キルシェは、厚手の外套の衣嚢に仕舞っていた手袋を取り出した。

 手袋を取り出したのを認めたリュディガーは、嵌めるのを待ってから歩みを再開する。その彼は、迷いなく門へと向かう。外というが、どうやら大学の外まで出る気のようで、いよいよキルシェは先を行く大きな背中に尋ねた。

「あの、どこへ?」

 ああ、とリュディガーは、足を止め、周囲をみやってからキルシェへ向き直る。

「__食事へ行く」

「……はい?」

 思わず、眉を顰めてしまう。

「美味しいものを外で食べてこい、と」

「え……」

「ビルネンベルク先生が。__気分転換になる」

「は、はぁ……」

 自身の苦悩を吐き出せこそすれ、もやもや、とした不安定なしこりがあるのは否めない。安心しきれていない部分が大きい。

 妙な身体の緊張感もあるし、平常心を装って、このままいつものように食堂へ行って食事というのは、今のキルシェにはあまりにも辛いことだ。

 気づいたビルネンベルクには、本当に頭が上がらない。

 __でも……。

「どこか、気に入りの店があるだろうか?」

「ないです」

「ない? 遠慮はしなくていい」

「遠慮というか……私、外食はビルネンベルク先生のお伴で外に出たときに、何度かご相伴にあずかれたくらいなので、詳しく知らないのです」

 え、とリュディガーはいくらか驚きに目を見開く__が、キルシェが苦笑を浮かべれば、所謂、令嬢というものの事情を察したようで、なるほどな、と独り言のように納得した。

 通常であれば、それなりの家では財布は持たせないし、屋敷の外で食べることなどありえない。食べるとしても、日中であれば街のレストランという選択肢もあるが、夕食は宿の食堂だ。どちらも独りでなどありえなく、家族か使用人が必ずお伴でいる。家族以外の異性と食事など、はしたない行いとされる。

 キルシェの場合、躾が貴族に匹敵する質で厳しくされていたから誤解をされやすいが、所謂貴族ではない。そこそこの富裕層の家柄なだけだ。そして、大学に在籍しているが故に自分で財布を持つ__特殊と言えば特殊。

 ビルネンベルクと限定的に気兼ねなくご相伴に預かれたのは、日中であったこと、そして彼がよく学生を伴っていることが多く、彼のおおらかで寛容な性格も帝都では知られているので、誰も不自然に思わないからである。

「__外食に抵抗がある?」

「いえ、今はさほど」

 現在、家から遠い大学に在籍し、外聞などそこまで気にしなくてもよいと言っていい。外食ぐらいでお咎めなどはありえないだろう。行ってみよう、とか、行ってみたい、とかそうした気持ちがないわけではない。しかしながら、是が非でもというわけでもなく、動機もない為、これまでそうした機会を自ら手放してきた。

「では、私の存在が問題か?」

「それも、気にはなりません。ただ、本当に勝手がわからないので……」

「勝手?」

「はい。友人と外で食べるなんてことはなくて……学業に専念した所為でもあるのですが……料理店とか詳しくないんです」

「なら、食べたいものとか、好きなものは?」

 問われてキルシェはしばし考える。

 出されたもの、出てきたものを文句や注文をつけず食べる__そうしてきたから、拘りは皆無に等しい。

 あるにはある__あったはずだが、今の気分では思いつかなかった。頭がうまく働かないほど、疲弊しているのだ。

「……強いて言えば、辛くないものがいいです」

「わかった」

 頷くリュディガーの口角が、ぐっ、と深く笑みを刻み、魔石の灯りが灯った門へと歩み始めた。
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