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第1話
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薔薇が咲き乱れる、庭園の一角に位置するガゼボ。そこで、バーガンディ伯爵家の女当主であるグリゼルダは信頼の置ける老執事──スチュアートと共にティータイムを満喫していた。
「グリゼルダ様がお好きなローズティーとブリオッシュでございます」
「まあ、私の好物を用意してくれたのね。ありがとう、スチュアート」
スチュアートにローズティーとブリオッシュを差し出されたグリゼルダは、にっこり微笑んで礼を言う。
グリゼルダはもう不惑の年だが、未だに独身だった。
というのも、若い頃に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠されていたからだ。
二十二年前。グリゼルダは、恋仲だった王太子──ジェラールと結託して彼の婚約者である公爵令嬢ヒルダを陥れようとした。
だが、結局計画は失敗に終わり、当然ながらジェラールとも破局。
その後、ジェラールは廃嫡された挙句修道士として修道院に幽閉され、グリゼルダは邸に軟禁状態で四六時中監視される生活を送ることとなった。
国王がフェミニストで寛大だったのと、バーガンディ伯爵が王室の遠縁に当たるということもあり、グリゼルダは軟禁処分に留まったのだ。
犯した罪の重さを考えれば、本来ならグリゼルダも修道院に幽閉されたとしても何らおかしくない。けれど、グリゼルダは一人っ子で兄弟がいなかった。
だから、きっと父親であるバーガンディ伯爵も跡取りのことで悩んだ末に娘を邸に軟禁することにしたのだろう。
グリゼルダがスキャンダルを起こして以来、バーガンディ伯爵は気苦労が絶えなかった。その心労がたたったのか、十年前に病床に伏せそのまま亡くなってしまった。
母親もグリゼルダを産んですぐにこの世を去ってしまったため、グリゼルダは頼れる人間がろくにいない中、爵位を継ぐことになったのだ。
そんなグリゼルダには前世の記憶がある。
前世のグリゼルダは二十歳の日本人女性で、ある小説にはまっていた。
ところがある日、不慮の事故で死んでしまったのだ。そして、気づけば直前まで読んでいた小説の世界にヒロインであるグリゼルダとして転生していた。
前世の記憶が蘇った瞬間、グリゼルダは歓喜した。
グリゼルダは、前世の推しだったジェラールと結ばれる日を心待ちにしていた。
けれど、一向にその日は訪れない。何故なら、悪役であるはずの公爵令嬢ヒルダがなかなか尻尾を出さなかったからだ。
本性を現さないどころか、寧ろ彼女は品行方正な性格のいい令嬢として評判を上げている。グリゼルダは、ついに痺れを切らした。
このまま本性を現さなければ、あの女とジェラールが結婚してしまう。何とかしなければ。
悩んだ末に、グリゼルダはヒルダを陥れることにした。
駄目元でジェラールを誘惑したら、すぐに彼はグリゼルダに靡いた。
作中では、グリゼルダは地味だけれど美人という設定だった。
だから、ちょっとお洒落に気を使えば、ジェラールはおろか学園中の男子生徒たちが虜になったのだ。
原作と展開が違うなら、自分で流れを変えて修正すればいい。そうすれば、自分はきっと幸せになれる。グリゼルダは、そう信じて疑わなかった。
(どうして、私があんな目に遭わないといけないの……? せっかく、大好きな小説の世界に転生したのに)
二十年以上前のことなのに、あの日受けた屈辱がつい昨日の出来事のように鮮明に思い出される。
あの日──学園主催のダンスパーティーの最中、グリゼルダは「ヒルダに階段から突き落とされそうになった」と訴えた。
うるうると目を潤ませてジェラールの隣に並べば、事前に示し合わせていた通り彼はヒルダに婚約破棄を突きつけ断罪してくれた。
全部、思惑通りにいくと思ったのに……なぜか、ヒルダの取り巻きの男たちが邪魔をしたのだ。
ヒルダの取り巻きは、本来ならグリゼルダを好きになるはずだった。それなのに、彼らはグリゼルダがイメチェンをしても全く靡かないどころか、眼中にもなさそうだった。
それだけでも気に入らないのに、あろうことかヒルダを庇うなんて。
彼らは口々に「ヒルダ嬢がそんなことをするはずがありません」と言ってヒルダを擁護した。
そして──挙句の果てに、グリゼルダの秘密を暴露したのである。
実は、ジェラールを誘惑したグリゼルダはそれだけでは飽き足らず他の男子生徒たちとも関係を持っていた。
グリゼルダは浮かれていた。自分は物語の主人公なのだ。幸せな未来が約束されているのだから、多少の火遊びは許されるはず。そう思い、自身の美貌を利用して生徒どころか教師にまで手を出した。
それを知るなり、ジェラールはこめかみに青筋を立てて憤慨した。そして、仲間割れをした挙句、責任の擦り付け合いにまで発展し──結局、ヒルダと取り巻きたちによって返り討ちにされてしまったのだ。
(はぁ……もう一度、初めからやり直せないかしら。あ、でも……もしかしたら、今世で死んだら今度は別の異世界に転生できたりして。それなら、次は大好きだったあの乙女ゲームの世界に転生したいな)
そんなことをぼんやりと考えながら、グリゼルダはティーカップに口をつける。
「そう言えば、今日はカーラの命日ですね」
「え? あ、ああ……そうね」
スチュアートに話しかけられ、はっと我に返ったグリゼルダは慌てて返事をする。
カーラ──彼女は、グリゼルダの侍女だった女性だ。
二十二年前。グリゼルダがスキャンダルを起こしたのを皮切りに、使用人が次々と辞めていった。
そんな中、最後まで邸に残ってグリゼルダに忠誠を誓ってくれたのがカーラだった。もちろん、今、自分の隣にいるスチュアートもその一人だ。
『何があろうと、私はお嬢様の味方ですからね』
それが、カーラの口癖だった。グリゼルダは、まるで向日葵のような彼女の笑顔に救われていた。
だが、同時に妬ましくもあった。カーラには夫と小さな息子がいた。夫が体を壊してからは、彼女が大黒柱を担っていたらしい。
夫の治療費も払わなければいけないため、家計はいつも火の車だったらしいが、彼女はいつも幸せそうだった。
(伯爵令嬢である私が、カーラより不幸だなんて……そんなの、絶対に許せない)
そう考えたら、グリゼルダは無性にカーラが憎くなった。
ある日、グリゼルダは所用で外出したカーラを尾行した。
そして、彼女が階段を下りようとしている時にそっと背後から忍び寄り、ドンッと背中を押して突き落としたのだ。
当時、カーラは妊娠していた。カーラ自身は怪我をしただけで済んだが、お腹の子は流産してしまったと聞いた。
グリゼルダは胸がすく思いだった。
侍女のくせに、私より幸せになるから悪いんだ。これは、ちょっとしたお仕置きなんだと──そう自分に言い聞かせ、正当化した。
子供を失ったカーラは意気消沈していた。
一応、仕事には復帰したものの、どこかうわの空でいつも虚ろな目をしていた。
そして、月日は流れ──数ヶ月後。カーラは、ある日突然死んでしまった。
その日。無断欠勤が何日も続いていたので流石にグリゼルダもおかしいと思い、スチュアートに様子を見に行かせたのだ。
鍵は開いたままだったらしい。怪訝に思いながらもスチュアートが部屋に入ると──なんと、カーラが首を吊っていたらしい。その傍らでは、まだ幼い息子が泣きじゃくっていたそうだ。
なんでも、彼女の夫は数ヶ月前に病死したらしい。
スチュアートも彼女の夫が死んだことは知らなかったようで、「きっと、誰にも相談できなかったのでしょうね。可哀想に」と哀れんでいた。
遺書などは特に見つからなかったらしいが、使用人たちの間では「きっと、あんなことがあった後に旦那にまで先立たれてしまって、希望が見出だせなくなったんだろう」と噂になっていた。
──もう、十五年も前の話だ。
カーラが首を吊って死んだという知らせを受けた時は、流石にグリゼルダも動揺した。
けれど、元はと言えば彼女が悪いのだ。だから、気に病む必要なんてない。
「グリゼルダ様がお好きなローズティーとブリオッシュでございます」
「まあ、私の好物を用意してくれたのね。ありがとう、スチュアート」
スチュアートにローズティーとブリオッシュを差し出されたグリゼルダは、にっこり微笑んで礼を言う。
グリゼルダはもう不惑の年だが、未だに独身だった。
というのも、若い頃に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠されていたからだ。
二十二年前。グリゼルダは、恋仲だった王太子──ジェラールと結託して彼の婚約者である公爵令嬢ヒルダを陥れようとした。
だが、結局計画は失敗に終わり、当然ながらジェラールとも破局。
その後、ジェラールは廃嫡された挙句修道士として修道院に幽閉され、グリゼルダは邸に軟禁状態で四六時中監視される生活を送ることとなった。
国王がフェミニストで寛大だったのと、バーガンディ伯爵が王室の遠縁に当たるということもあり、グリゼルダは軟禁処分に留まったのだ。
犯した罪の重さを考えれば、本来ならグリゼルダも修道院に幽閉されたとしても何らおかしくない。けれど、グリゼルダは一人っ子で兄弟がいなかった。
だから、きっと父親であるバーガンディ伯爵も跡取りのことで悩んだ末に娘を邸に軟禁することにしたのだろう。
グリゼルダがスキャンダルを起こして以来、バーガンディ伯爵は気苦労が絶えなかった。その心労がたたったのか、十年前に病床に伏せそのまま亡くなってしまった。
母親もグリゼルダを産んですぐにこの世を去ってしまったため、グリゼルダは頼れる人間がろくにいない中、爵位を継ぐことになったのだ。
そんなグリゼルダには前世の記憶がある。
前世のグリゼルダは二十歳の日本人女性で、ある小説にはまっていた。
ところがある日、不慮の事故で死んでしまったのだ。そして、気づけば直前まで読んでいた小説の世界にヒロインであるグリゼルダとして転生していた。
前世の記憶が蘇った瞬間、グリゼルダは歓喜した。
グリゼルダは、前世の推しだったジェラールと結ばれる日を心待ちにしていた。
けれど、一向にその日は訪れない。何故なら、悪役であるはずの公爵令嬢ヒルダがなかなか尻尾を出さなかったからだ。
本性を現さないどころか、寧ろ彼女は品行方正な性格のいい令嬢として評判を上げている。グリゼルダは、ついに痺れを切らした。
このまま本性を現さなければ、あの女とジェラールが結婚してしまう。何とかしなければ。
悩んだ末に、グリゼルダはヒルダを陥れることにした。
駄目元でジェラールを誘惑したら、すぐに彼はグリゼルダに靡いた。
作中では、グリゼルダは地味だけれど美人という設定だった。
だから、ちょっとお洒落に気を使えば、ジェラールはおろか学園中の男子生徒たちが虜になったのだ。
原作と展開が違うなら、自分で流れを変えて修正すればいい。そうすれば、自分はきっと幸せになれる。グリゼルダは、そう信じて疑わなかった。
(どうして、私があんな目に遭わないといけないの……? せっかく、大好きな小説の世界に転生したのに)
二十年以上前のことなのに、あの日受けた屈辱がつい昨日の出来事のように鮮明に思い出される。
あの日──学園主催のダンスパーティーの最中、グリゼルダは「ヒルダに階段から突き落とされそうになった」と訴えた。
うるうると目を潤ませてジェラールの隣に並べば、事前に示し合わせていた通り彼はヒルダに婚約破棄を突きつけ断罪してくれた。
全部、思惑通りにいくと思ったのに……なぜか、ヒルダの取り巻きの男たちが邪魔をしたのだ。
ヒルダの取り巻きは、本来ならグリゼルダを好きになるはずだった。それなのに、彼らはグリゼルダがイメチェンをしても全く靡かないどころか、眼中にもなさそうだった。
それだけでも気に入らないのに、あろうことかヒルダを庇うなんて。
彼らは口々に「ヒルダ嬢がそんなことをするはずがありません」と言ってヒルダを擁護した。
そして──挙句の果てに、グリゼルダの秘密を暴露したのである。
実は、ジェラールを誘惑したグリゼルダはそれだけでは飽き足らず他の男子生徒たちとも関係を持っていた。
グリゼルダは浮かれていた。自分は物語の主人公なのだ。幸せな未来が約束されているのだから、多少の火遊びは許されるはず。そう思い、自身の美貌を利用して生徒どころか教師にまで手を出した。
それを知るなり、ジェラールはこめかみに青筋を立てて憤慨した。そして、仲間割れをした挙句、責任の擦り付け合いにまで発展し──結局、ヒルダと取り巻きたちによって返り討ちにされてしまったのだ。
(はぁ……もう一度、初めからやり直せないかしら。あ、でも……もしかしたら、今世で死んだら今度は別の異世界に転生できたりして。それなら、次は大好きだったあの乙女ゲームの世界に転生したいな)
そんなことをぼんやりと考えながら、グリゼルダはティーカップに口をつける。
「そう言えば、今日はカーラの命日ですね」
「え? あ、ああ……そうね」
スチュアートに話しかけられ、はっと我に返ったグリゼルダは慌てて返事をする。
カーラ──彼女は、グリゼルダの侍女だった女性だ。
二十二年前。グリゼルダがスキャンダルを起こしたのを皮切りに、使用人が次々と辞めていった。
そんな中、最後まで邸に残ってグリゼルダに忠誠を誓ってくれたのがカーラだった。もちろん、今、自分の隣にいるスチュアートもその一人だ。
『何があろうと、私はお嬢様の味方ですからね』
それが、カーラの口癖だった。グリゼルダは、まるで向日葵のような彼女の笑顔に救われていた。
だが、同時に妬ましくもあった。カーラには夫と小さな息子がいた。夫が体を壊してからは、彼女が大黒柱を担っていたらしい。
夫の治療費も払わなければいけないため、家計はいつも火の車だったらしいが、彼女はいつも幸せそうだった。
(伯爵令嬢である私が、カーラより不幸だなんて……そんなの、絶対に許せない)
そう考えたら、グリゼルダは無性にカーラが憎くなった。
ある日、グリゼルダは所用で外出したカーラを尾行した。
そして、彼女が階段を下りようとしている時にそっと背後から忍び寄り、ドンッと背中を押して突き落としたのだ。
当時、カーラは妊娠していた。カーラ自身は怪我をしただけで済んだが、お腹の子は流産してしまったと聞いた。
グリゼルダは胸がすく思いだった。
侍女のくせに、私より幸せになるから悪いんだ。これは、ちょっとしたお仕置きなんだと──そう自分に言い聞かせ、正当化した。
子供を失ったカーラは意気消沈していた。
一応、仕事には復帰したものの、どこかうわの空でいつも虚ろな目をしていた。
そして、月日は流れ──数ヶ月後。カーラは、ある日突然死んでしまった。
その日。無断欠勤が何日も続いていたので流石にグリゼルダもおかしいと思い、スチュアートに様子を見に行かせたのだ。
鍵は開いたままだったらしい。怪訝に思いながらもスチュアートが部屋に入ると──なんと、カーラが首を吊っていたらしい。その傍らでは、まだ幼い息子が泣きじゃくっていたそうだ。
なんでも、彼女の夫は数ヶ月前に病死したらしい。
スチュアートも彼女の夫が死んだことは知らなかったようで、「きっと、誰にも相談できなかったのでしょうね。可哀想に」と哀れんでいた。
遺書などは特に見つからなかったらしいが、使用人たちの間では「きっと、あんなことがあった後に旦那にまで先立たれてしまって、希望が見出だせなくなったんだろう」と噂になっていた。
──もう、十五年も前の話だ。
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