鬼の国で花が散る

紫草 友紀子

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終章 時代

第四十七話 問い

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 「お前は一体何者だ」

 白は自らに問うように、眼下の美女に言った。
 美女はすかさず白と同じ場所まで飛んできた。二人の間には、黒い雲と風がまるで竜のように絡み唸っている。見つめ合う相手は狐と美女。風と雲が渦巻く天空で、その様はまことに尋常な光景ではなかった。

「白さん・・・あなたどうかした。私が誰って、私はあなた。九尾の狐じゃないの。もちろん私こそが本体だけれど」

「違う。お前は私ではない」

「なるほど、ある意味では私たちは別々の存在です。だって私たちは別々の結論に辿り着いている。いえ、それも違う。私は辿り着いているけれど、あなたはまだ私のいるところまで来ていない。あなたは私を認めたくないの。怖いのですよ。これだけ証が揃っていながら、あなたはまだ人間が善だと思っている。
 私と共有する記憶にだって、悪が蔓延って国を滅ぼした記憶があるでしょう。それなのに昔の私たちはまた別の国で、人に夢を見た。未練がましい恋はいつまでたっても終わらなかった。人の本性は悪。太古の神々の結論は正しかった。人間には導き手が必要だった。でももう神々は地上にはいないし、干渉もそうそうできない。だから、同じような指導者としくみが必要です。そう、昔ながらの。そうでなければ人全体が滅びてしまう。
 私は善だろうが悪だろうが、人を愛している。だから、国を滅ぼして一から再生させることで救ってきました。でもどうやらこの国ではそれが出来ないらしい。なんと悲しいことか。だから、人が悪だと受け入れた上での、国作りを手伝う」

勝ち誇ったようにいう妲己に、白は少しも動じてはいなかった。

「私は・・・目覚めてから、自分の身体の不調と記憶の曖昧さに違和感を覚えていた。それがなんなのか、私も分からなかった。だが、お前が現れたことで分かったような気がする。私は、自分の存在の証明と理由を失っていたのだ。記憶を、今までの自分のやってきたことを忘れてしまうというのは、そういう事だ。だが、それは私だけではない。お前もだ」

「何を言っているのだか。眠りについていたあなたとは違って、私の記憶は完全です。そしてあなたが見ていないものをたくさん見てきた。やはり人は悪ですよ。神の庇護が必要だった」

「違う!」

 白は全身全霊の力を五体に込めた。あふれ出た気は強烈な波動となって周囲の大気を震わせる。遠くでは鳥たちが一斉に逃げ飛ぶ。波動は妲己にも震え伝わるが、彼女は嘲笑するだけで全く動じてはいなかった。

「違わない」

 妲己が白と同じ動作をすると、今度は大気ばかりが大地までも激しく鳴動した。二人のやりとりは天地を震撼させている。周囲の黒雲はまるで無数の黒蛇か黒竜が踊るように渦となって回転している。その中心の二人の間には激しい雷光が幾度も炸裂していた。

「あなたは今、善の力を使っている。じゃあ、どうしてかしら、私の方がずっと強いのは」

 白は押し寄せる相手の波動を必死で食い止めながら思考した。
 九尾の狐、すなわち自分とは一体何なのだろうか。それは伝説にあるような傾国の妖怪ではない。自分は、その時代時代を懸命に生きた。そこに何か思惑があったわけではない。自分は天より与えられた大命があったはずである。それはなんだったのか。ただ人が善か悪かと断じることだったのか。そもそも人は善と悪で分けられるのだろうか。人々に新しい価値観が生まれ、世が動く時に時代が変わる。その中に自分はいつもいた。

では、自分とは。

 その時、白よりも余裕のあった妲己は、自分たちが引き起こした天空の渦に、まるで流星のように近づくものがあることに先に気がついた。それは矢のようだったが、そうではなかった。
 剣である。
 どこからか放たれた小さな剣が、こちらに凄まじい早さで飛んできているのだ。しかもただの剣ではない。
 未だかつて見たことの無いほどの霊気の蠢きを感じる。けれども、明らかに攻撃の意思のある剣の動きに、妲己はさほど警戒しなかった。なぜならどう見ても、その剣が向かって行く先は自分ではなく目の前の半身なのだ。
 白もようやく剣の存在に気づいた。しかし全てはもう遅かった。白を捕らえた剣は、深緑の輝きは放ってそのまま突進し白の身体を突き抜けた。
 その時、白の身体に異変が起こった。心体の中心で何かが音を立てて割れる。それは破壊ではなく、今まで何か大切なものを遮っていた殻が割れる音だった。
突然銀色の毛並みが黄金色に輝きだした。渦となっていた黒雲と風は、今や砂金のように輝く金の粒子となって白の周りを流れている。
 その輝く粒子が、天地の気の如く白の身体に流れ込んで来ていた。
徐々に白の身体が本来あるべき変態していく。
 白銀の毛並みと紅蓮の瞳は、至尊の黄金色へ。
 一本の尾は無限と永遠を意味する九本へ。
 その姿は紛れもなく、白面金毛九尾の狐の姿である。

「ああっ、分かった。私は全て分かったぞ」

あれほどあった不穏な黒雲や風は跡形もなくなり、今や天から無窮の光が降りていた。

「何故・・・あなたがその姿に。あなたは私の」

「まだ分からんか」

 白は黄金の目を見開くと、たちまち女の姿の動きは固まった。

「そんな・・・まさか・・・これが善の力だというのか。人はまさか」

 言葉とは裏腹に、妲己の表情は全てを悟ったからこその狼狽の色に満ちていた。今や自分よりも遙かなる高みにいる白を口を開けて見つめるばかりだった。

「その通り。これが善の力だ。だが私は忘れていた。私の封印は、力を抑えるものではなかった。善を、愛を感じる心を封印するものだったのだ。

 ああっ、私は全て思い出したぞ。私は、あの時八万の兵と戦った。しかし奴らに負けたのではない。奴らの大将は八万の兵全てを術の生贄とし、私の力を封じたのだ。そして私は本能的にあの剣の元に逃げてきた。剣が先にあの山にあったのだ。全ての呪を打ち消すあの剣の力があれば、私に施された封印が解けると思った。あの剣は私に力を与えていたのではない。私の封印を徐々に解いていた」

「あの剣とは、まさか」

「この力と私の姿をみるがいい。これこそが人が善なる証。たとえ戦乱の世にあっても、この世は愛で満ちている。人々がそれを忘れているだけなのだ。お前は一体何を見てきたのだ。お前は、騙されている。お前にそのような呪をかけたのは一体どこの誰だ」

「私が、騙されている?呪をかけられているですって。馬鹿なことを。私はずっとこの目で世を見てきたのです。この鬼国にも自分で考えて来た。あの計画だってそうです。第一、この私を騙す力と、数百年の寿命を持つ者が人間にいるはずがない」

 白は目を細めて、狼狽える半身に施された術を見た。そこには確かに、禍々しい練り込まれた呪がある。
妲己の言うとおりである。このように強大な術を施し、長年に渡って操り続ける者など人間にはいない。この国の史上最強と言われた空海、日蓮といった大僧侶とて、力はともかく百年を超えては生きることは出来なかった。それが天より人に与えられた寿命の理である。さらにその理から外れた神仙は、人界への干渉が許されていない。
 しかし、人は群れ、組織を作るのである。一人ではなく、大勢の力で大呪は完成する。受け継ぐことで、数百年を越えて仕事を成すことが出来る。それは至誠の大業であれば万物の誰にも真似できない奇跡であるが、そうでなければ恐ろしい悪夢である。

「今、お前の術を解いてやろう。さあ、我が元に還るが良い。人が善か悪なのか、あるいはまた別の何かなのか。私たちがこの国で出した結論は、一つに戻れば共有できる」

「嫌。嫌。私はお前になど還らない。この世は理不尽で溢れている。人は悪だから、だから」

「今度は、お前が怖くなったのだな。もう分かってしまったのだろう。認めろ。そして喜べ。この世に人が創造された時から、この世は真実愛で満ちている。人はその結晶である」
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