鬼の国で花が散る

紫草 友紀子

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第三章 康政

第二十二話 夢幻(ゆめまぼろし)の一族

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 勝隆がまずしなければならなかったのは、平伏する少女と男に説明する事だった。
彼らは目覚めると既に平伏しており、勝隆自身もすぐにはこの事態を把握できなかった。

「お初にお目にかかります。私は長宗我部の綾姫。元親の妹にございます。落ち延びる途中ではありましたが、昨夜の城での一件、私は全て承知しております。竜の下った場所を見極め参上したのですが、こちらの虎之助の言うところに寄ると、城にお泊まりだった方とか。滞在中は挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。勝隆殿は竜神の御子であられるのですね」

 綾姫は畏まりひれ伏したまま続けた。

「昨夜の貴方様のお力で、私は落ち延びる事が出来ました。誠にありがとうございます」

とにかく勝隆はこの状況を理解せねばならなかった。つまり、今目の前で平伏している少女は、昨夜自分が見つけだす事を決意した元親の妹で、長宗我部の姫。彼女は昨日の一件から勝隆、すなわち自分を竜の御子だと思っている。城を抜け出す途中、勝隆が竜の頭に乗るのを見たのだろう。そして彼女は竜が下ったこの滝壺を見つけだして、ここまでやって来た。彼らは(当然ながら)竜の御子を非常に神聖視していて、今、自分に頭を垂れているのだ。

「あーあ、なんか変な事になっちゃったわね」

 それほど困っていないように言ったのは、とっくに起きていた白だった。しかも、姿は狐のままである。
 勝隆は慌てた。

「白!」

 声を顰めて非難する。

「お前いいのか、正体がばれても」

「いやー、もう見つかっちゃったのよ。私が寝言言っていたの聞かれたみたいでさ」

「お前妖怪なんだろ?この人達が近づいてくるの分からなかったのか?」

「熟睡してまして」

「神経を疑う」

「だって言ったじゃない!あれに化けるのは疲れるって。大体どれだけ大きさが違うと思って」

「竜神の御子殿並びに妖狐殿」

 綾姫の落ち着いた声が再び聞こえた。二人の平伏は続いている。白の事はともかく、勝隆を竜神の化身だと信じ込んでいるようである。勝隆は一体どう説明しようかと頭を抱えた。
 白は二人をちらりと見やると、慣れた様子で居を正し、そのまま喋り始めた。

「むむむ、綾姫そなた、何も礼を申すためだけに我らが前に参ったのではなかろう」

随分と尊大な口振りだったが、その態度は様になっている。

「はい」

「話を聞こう。まずは面を上げよ」

 それまで平伏していた綾姫が、顔を上げた。
白い。勝隆が彼女を見てまずそれを思った。岡豊城では南国と言う事もあってか、男も女も肌が焼けて浅黒かった。陽射しの強いこの土地ではそれが自然なのだろう。だが目の前の少女の肌は、透けるような白さであり、この土地の者ということが頭にあると、それは衝撃的なほどの意外性だった。
 白の化けた玉藻の肌も白く美しい事この上ないが、綾姫のものには若さ特有の瑞々しさが際立っていた。顔立ちもまた端正で、愛嬌は薄そうだが聡明そうな冴え冴えとした美貌である。また端麗ゆえの愛嬌の薄さも、潤んだ黒い瞳によって補われ見事に調和している。単なる美しさで言えば玉藻の方が上なのだろうが、単なる造形とは別に、人の心を捉える美しさもまた別にあるのだと勝隆は学んだ。

(木瓜の花が似合うかもしれない)

不意にそう思い、勝隆は紅くなった。

「実は、私はお二方に御助力お願いしたく、参上致しました」

「助力とは?」

 はい、と綾姫は姿勢を正す。

「ご存知の通り、私は昨夜、兄貞親に命を狙われました。幸いこうして落ち延び、九死に一生を得る事が出来ましたが、今回の一件、どうも合点がいきませぬ。もし私が思うとおりならば、今城には父母兄弟が、兄の手により捕らえられております。私は一族の者として、父母兄弟を助けなくてはなりません」

「ということは、昨夜の騒動の原因をお前は知らぬのか」

「はい。私にとっては、いつもと変わらぬ一日でした。兄が謀反を起こすならば、何故昨日だったのか、どうして今までは何事もなかったのか、それが謎です」

どうやら昨夜の騒動の原因を綾姫も知らないようである。
しかしそれならばなおさら、気丈な姫であると勝隆は思った。今まで平穏に暮らしていた姫が突然、何の前触れもなく命を狙われた。幸い助かったから良かったものの、生命の危機だったのだ。しかし命からがら逃げ出したところ、すぐさま一族の安否を心配して行動を起こそうとしている。さすが武家の姫である。やはりなかなかに気が強い。

「ふむ。しかし勝隆が聞いたところ、貞親は自分が父親から一族を任されたといっていたらしい。これはどう思う?もしそれが事実ならば、貞親の立場も行動も正当なものであるといえるが」

 綾姫はしばし考え込んだ。

「急すぎる、ということを除けば確かにあり得る話かも知れません。私にしても、そういった事を想定していた者がいたからこそ、抜け道を使って逃げてこられたのです。しかしそれならば、私は一族全体よりも、血の繋がった母と弟たちを救うために、行動を起こさなくてはなりません。貞親殿が嫡子となり、あのような行動を起こしたからには、もはや母たちに命の保証はありませぬ」

「なるほど。確かに私の力を持ってすれば、岡豊城を落とすことなど容易い。しかしあいにく、私は人の世に干渉することを禁じられている。ある時以降、そのような制約がこの世にはあるのだ。人を守ったり、今まで山で暮らしていて世間知らずな阿呆な子に色々教えるのならばまだしも、大名のお家騒動に関わることは出来ない」

「しばらく私の身を守っていただければ、それで十分です」

 貞親君に劣らない、聡明な瞳だった。

「何を考えている?」

「かつて私の父は、岡豊城が本山氏を中心とする連合軍に攻め落とされた折、一条家に逃げ延びた後、当時の当主、一条房家様に助力を願い、長宗我部再興の機会を待ちました。私もそれに倣い、まずは一条家を訪ねようと思います。一条家は土佐でも権威があり、尊敬を集めている家です。そしてその一条は、兄よりも私を支持してくれていました。もし大恩ある一条から問いただされれば、いかに兄でも無下にすることは出来ないでしょう。

今の当主の兼定様が動いて下さるかどうかは分かりません。けれど少なくとも、あそこに行けば情報は集まってくると思うのです。行方知れずの兄元親の事も・・・」
 そこまで言うと、続きは虎之助が引き継いだ。

「しかし道中追っ手が来ないとも限りません。私は忍で、忍としての力量なら自信はあります。なれど、多勢で正面から来られては、姫様を一条まで送り届ける自信がございません。その後の事を考えると尚更です。何卒御助力を」

 白はどうする、と勝隆に目で合図した。すべてはお前次第だと言う事だろう。
勝隆の決意は変わらなかった。綾姫の潤んだ瞳を見ながら、すぐに答えた。

「分かった。力を貸しましょう。実を言うと、俺も貞親君の事に興味があるんだ」

綾姫と虎之助は顔を見合わせて喜んだ。

「勝隆殿、玉藻殿、誠に、誠に有り難うござます」

 二人はまた平伏する。

「止めて下さい。着物が汚れてしまう。誤解なのです」

 勝隆の言葉に、綾姫は野兎のようにきょとんとした。
 全ての事情、勝隆の出自等を包み隠さず聞かされた綾姫達は、彼が竜神の御子だと思っていた時よりもさらに驚いた。
まるで死人が甦ったような驚き方で、彼らは何度も本当にあの平家なのかと問い直した。しかしそれも無理はない。今の世に生きる人々、特に武家の人間にとって平家とは、自分たちを公家の僕から歴史の主役へと押し上げた特別な一族に他ならない。
 もし平家が栄華を極め、その後に源氏が幕府を開かなければ、今の武士の世はなかったのだ。
 今は戦国であり、乱世である。しかし、時勢の主役は間違いなく武士という階層だろう。その流れは、源氏の棟梁頼朝が鎌倉に幕府を築いたよりも遙か以前に、平清盛公が作り出したものなのである。

「まさかそんな・・・本当に、平家嫡流の人間が安徳帝と神器をもって落ち延びていたなんて。それもすぐ近くで三百年も。そして勝隆殿がその子孫とは」

「勝隆でいい。後出来るだけ普通の喋り方で」

勝隆は面はゆい気分になった。どうも竜神の御子だった時よりも遠くに見られたように感じる。

「・・・はい、分かりました。けれど本当に驚きです。だって土佐では平家源氏の落人の話はそう珍しい事ではございませんし、自分の系譜をそう語る人も結構おります。けれどその多くは一門とは言ったって、郎党達でしょう。本家、清盛公の血を引く、それも嫡流の人間の話なんて、まず伝説でした。まして神器と帝の事なんて」

綾姫は厳かに勝隆の背中の包みに目をやった。自然と居を正してしまう。この中には、神代の時より受け継がれてきた至尊の神器があるのだ。戦国の世にあっても、この神器がどれほどの政治的な価値を持つかと思うと、考えを巡らさずにはいられなかった。

「けど俺はもう、平家の復活や、天下を統べることなんて考えてない。だから綾姫、今後は変に構えないでくれ。まあ、平家の人間である事はなかなか捨てられないし、誰かと聞かれたら、俺はやっぱり平家の勝隆だけれど」

 何かを推し量るように、綾姫はしばらく勝隆の瞳を見つめた。勝隆は澄んだ彼女に瞳にふと吸い込まれるような錯覚に陥りかけた。
聡明で気丈な姫は、一体勝隆の瞳に何を見るのか。

「分かりました。それで良いと思います。それが今までの勝隆の人生だったのですものね」

温かな微笑を綾姫は浮かべた。勝隆も、何かが通じ合えたような気がして自然と微笑んだ。
陽射しが良い具合になっていた。強すぎず弱すぎず、穏やかである。これからしばらく旅が続くだろう。
 滝壺ということで、ちょうど良いと思った綾姫は、流れの弱いところで水浴びをしていた。白と勝隆は少し先で魚を捕って食事をしている。
念のため、近くに虎之助を見張りさせていた。
せせらぎの中澄んだ水に浸かりながら、綾姫は我が領内の川は何ともきれいだと感心していた。岡豊城近くに流れる国分川も綺麗な川だが、ここの水はそれよりさらに澄んでいる。これなら魚もさぞ美味な事だろう。城の湯殿も良いが、こういうところで身体を清めるのも、解放された気分になって何とも心地よかった。
  難を言えば、足の裏の痛みである。城から落ち延び、虎之助の並外れた視力と機転のおかげで天翔る竜をおいかけここまで来たが、道とは呼べぬところを歩いて来たおかげで草履を履いていても足の裏は傷だらけだった。 物心ついてから初めて女の格好で外出したというのに、やっていることは相当な無茶だと綾姫はつくづく思った。身体の殆どを水に浸けたまま、空を仰ぐ。果てしなく蒼い皐月の空だ。これほど青く長閑な空の下にあっては、自分に降りかかった突然の出来事が、現であるとはとても信じられなかった。
  何故兄は、突然あのような暴挙に出たのだろう。兄の貞親が普段から肩身の狭い思いをし、不満を抱いていたのは自分にも分かる。彼が謀反の準備をしていたとしても、状況としては決して不思議な事ではない。けれど、父と兄には、何か自分には入り込めない特別な絆のようなものがあるのだと思っていた。皮肉かも知れないが、正真正銘の男同士の絆というべきもののような暗黙のものだと感じていた。それが存在する故に、父は跡目の決定を迷っていたし、兄も耐えていたように思うのだ。正直、長宗我部を継ぐのは兄だと思っていた。
 そもそも時期からしておかしいと綾姫は思う。
 もし自分が兄の立場で謀反を計画していたならば、あの酢漿草衆の存在は隠すだろう。自分が自由に動かせる武力があることを知られては、警戒されるだけだからだ。けれど彼らの存在は家中の者なら知っていたし、兄も隠してはいなかった。(むしろ、孤立していた貞親が、ごろつき同然の若者たちを集めて訓練をしているのを、回りの者たちは冷ややかな目で見ていたというのが、実際のところだったのだ)
 では、やはり父が兄に全てを任せたというのが本当なのだろうか。

(父上は一体、何を考えているのか)

「虎之助聞こえる?」

 綾姫は見張りに立っているはずの虎之助に向かって呼びかけた。岩の向こうから、声が返ってくる。

「はい。聞こえてますよ」

ほら、この声だ、と綾姫は思った。いつもと変わらない、落ち着いたどこか軽い虎之助の声だ。その声に今の状況がますます実感できなかった。
虎之助の声は聞く限りいつもと変わりなく、ひょうひょうとさえ受け取れた。

「勝隆殿が平家の貴種だっただなんて、本当に驚いた」

平家。武士で初めて、栄華を極めた一族。当時においても一体どれほどの例外だったのだろう。日輪と月以外、全てのものを手に入れ栄耀栄華を極めた彼らは、盛者必衰の理にしたがって滅びていく。
まるで物語のようではないか。

(夢幻(ゆめまぼろし)の一族、平家)

夢の後、彼らは、勝隆は孤立した山の中で、どのように生きてきたのだろう。

(駄目だ。別の話に逃げようとしている)

「壇ノ浦から三百年、山の中に隠れていたなんて、本当に信じられない」

「ええ、竜神の化身だと言われるより、そちらの方が驚きました。もちろん、狐が喋るのにも驚きましたけど」

「本当に。先に竜を見ていたのでその時はそうでもなかったけれど。四国って狸は多いのに狐はあんまり見ないから、意外だったわ。化けているのなら狸の方がそれっぽいのに」

「白殿は狸なんかより気品がありますね」

「そうね、狸は間抜けに見えるから。品って結構大事よね。白殿は随分長生きしているような気がする。竜に変化できるほどなのだし、人に変化したらもの凄い美女なのでしょう?早く見てみたい」

「きっと驚きますよ。俺も会った時平静を装ってはいましたが、眩しいくらいでしたから」

「感謝しなくては。あの二人が助けてくれなかったら、私たちだけで中村まで行かなくてはならなかった」

「そうですね。悔しいけど、俺一人では自信がありません」

「ねえ虎之助、父上は、一体何をお考えなのだと思う?」

 しばらく答えが返ってこなかった。
 二人の間に川のせせらぎだけが流れる。

「考えるところを言っても良いんですか?」

「はい」

「国親様は、今回正式に若の、じゃなかった姫の兄君を、つまり貞親様を次期当主に選ばれたのだと思います。すると、問題になってくるのは、家中の姫様の勢力です。姫様がどう思おうと、母君のとよ様を筆頭に元親派という勢力はありましたからね。貞親様が跡目を継ぐとなると、必ずや二つの勢力の争いが起こるでしょう。そこで、貞親様は先手必勝で家中を制圧したという・・・」

虎之助の推測は簡潔だった。そしてまさにその通りではないかと、綾姫も思っていた。そうだとすれば合点がいく。ただ、時期がなんとも納得いかないのだ。一体どんなきっかけで、あのようなことが起きてしまったのだろう。

「私はその事に行き着いてから、ずっと頭にあることがある」

「なんです?」

「もし、私が、元親派、自分の勢力をきちんと掌握していたら、こんな事にはならなかったのではないだろうか」

また、返事はすぐには返ってこなかった。
そうなのだ。もし自分が自らの勢力の統制を完全に出来ていれば、仮に兄の貞親が当主となっても、取り巻く家臣達を引き連れ、彼を当主と認めて支えることは可能だったはずだ。しかし今の自分にはそれが出来なかった。自分には未だ母や重臣たちを抑えることは出来るほど成熟してはいなかった。今思えば、父も兄も自分の成長を待っていたのかも知れない。

「急に事態が進んだ理由は分からないけれど、私は間に合わなかった」

 その事が、今となっては歯がゆいと綾姫は思った。

「虎之助・・・弱音を言っても良い?」

「構いませんよ」

「これから、私はどうなるのだろう?」

「どうって、中村の一条様のところに行くのでしょう?」

「違う」

その言葉の意味を二人は既に共有している。虎之助はわざととぼけたのだ。

「私は、これからどんどん身体も変わって行く。もし今の局面を乗り切って、長宗我部は私が継いだとしましょう。家中は大丈夫としても、常に他国の者の目を気にしなくてはならない。長宗我部は内に、大きな弱みを抱えることになる。戦が起これば、そういった弱点が致命的になってくる事は間違いない。私が家を継ぐことが、長宗我部にとって本当に良い・・」

「違いますよ。そういうことではありません」

虎之助は真面目な声になっていた。

「あなたは今、そういう家の事が不安なのではないでしょう」

一陣の風が吹き、回りの木立の葉音が一斉に聞こえた。

「どういうこと?」

「今、ここには俺しかいません」

どこからともなく、春の強い風が吹く。

「虎之助、私は今、とても不思議な気分なの。私は今まで長宗我部の元親として生きて来た。そう母にも回りにも求められてきたし、それが自然だと思ってきた。けれどしだいにその事や自分の受ける教育に違和感を覚えるようになってきて、色々と疑問を持つようになっていった。それは虎之助も知っているでしょう。

 それでも私は一生、元親を貫き通すのだ、そうはっきりと自覚して決意しようした。すると、その瞬間から心の中で声が聞こえたのよ。本当にそんなことが出来るのか、いつか破綻するのではないかと。それからはとにかく不安で、そんな気持ちのまま毎日時が流れているのを怯えていたように思う。そこに急転直下でこんな事態になってしまった。
私は女の格好をして落ち延び、綾姫と名乗って他人と会うことになった。今、私は皮肉にもこれがきっかけで、これこそが自然なんだと分かったの」

「このまま、一緒に逃げますか?」

「え?」

「そういう事でしょう?今は絶好の機会ですよ」

虎之助の言は一気に飛躍していたが、突き詰めるとそういうことである。
 もし今、長宗我部の家も一族も捨てて逃げれば、もう男の人生を生きなくても良い。恐らく今までよりも遙かに泥臭い生活が待っているだろうが、それは何とかなるだろうと綾姫は思った。しかし安易に決断は出来ない。問題はその行動が、今まで綾姫が守り従ってきた武家の男子としての美徳、規範の全てを覆すものということである。
 この行動が謀反なのかどうかはともかく、自分は城を追われ、残った母や弟たちは捕らわれ、今や命の保証はない。この状況で全て捨てて逃げることは、武士の行動の規範から考えるならそれは大悪である。さらにいうと、母と弟の生命を助けるところに一番の重きがあるのではない。最も恥ずべき事は敵に城を奪われ、家臣を捕縛され、その恥辱を晴らせぬということである。武士の子、まして戦国大名の子なら、必ず報復せねばならない。成功しようと失敗しようと、一度も刀を構えず、弓を引かぬというのはあってはならない選択である。綾姫は元親として、そう教わり今まで育ってきたのだ。
 その武家男子の考え、規範が、自分は女なのだと自覚したばかりの綾姫を強く縛っていた。

「虎之助。とにかく一条殿のところに行こう。あそこの当主なら、悪いようにはしないだろう。けれど、私の今の姿を見たら、あの方は笑うかも知れないな」

その声色は、もう元親のものだった。
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