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第二章 綾姫
第十六話 弥吉の答え
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勝隆はまず、城の西の曲輪を案内してもらい、その後に一族の屋敷、台所などを回り、最後は主郭部にと帰って来た。また(よほど信用されているのだろうか)途中に武器庫も見せてくれ、勝隆は自分の知っている武具との違いもいささか知ることが出来た。
勝隆は改めて思うのだが、ここは随分規則が緩やかな城だ。他の城を知っているわけではないが、そう感じた。
「それで逸話申すと実はこの城、我が長宗我部は一度奪われているのだ」
「そうなのですか?」
言ってから、そういえばと密偵の話を思い出した。長宗我部は一度滅びているのだ。
「ああ。祖父の代に、本山という豪族が中心となって攻められてな。その時この城を奪われた。祖父はその時自害し、落ち延びた父上はその後中村の一条家を頼った。ああ、一条家というのは京からやって来た公家で、関白も務めたことのある家柄であるから、この
辺りでも土佐の盟主として尊敬を集めている家だ。
それでその一条家で成長した父上は、かの家の助けもあり本山と和睦し、ついにはここを取り戻した。どうだ良い城だろう?」
「歴史のある城なのですね」
勝隆の言う歴史とは、逸話だけではなく人の想いや人生の事だった。貞親はすぐにそれを察したのか、満足そうにああと頷く。勝隆も何かが通じ合えたような気がして、嬉しかった。
「さて、これで大体は案内し終えた。勝隆殿、何か質問はあるか」
貞親はまったく尊大さを感じさせない爽やかさで訪ねてきた。こうした多くの人々に傅かれる立場にありながら、どうしてもこうも偉ぶることなく清潔な態度でいられるのだろうと、勝隆は純粋に不思議に思うとともに、好感を持った。
「いえ、大変為になりました。感謝いたします」
勝隆は心から感謝した。岡豊城はまさしく名城である。このような経験は村の外に生まれたとしていても、なかなか出来るものではない。そして何より、この青年と接する機会が持てたことが、勝隆は思いの外嬉しかった。貞親という青年には、人を爽快にさせる何かがある。そのような人物は、決して多くはなく、後に何かを成し遂げるというのは勝隆にもなんとなく分かった。
ただこの機会を与えてくれたのが、あの十兵衛だと言うことに気づくと、なんとも複雑な気分である。
「あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、玉藻殿。遠慮はいらぬ」
はい、西の曲輪の中に、家老のお屋敷に見劣りしない立派な館がありましたでしょう?少し異彩を放っているように見えたのですが、あれはどういう館なのでしょうか?」
「ああ・・・それは・・・あそこは」
玉藻の質問に、貞親は明らかに顔を曇らせた。長宗我部の気風は彼にも通じるところらしい。
「私の館だ。あそこは元々、本山にこの城を乗っ取られていた頃に造られた城で、城主の家族が住んでいた。その為少し趣が他の館とは違うのだ。まだ新しく、広さもかなりあるから、私などは気に入っている」
「貞親様」
用意された屋敷の部屋で待っていたのは、人懐っこい顔をしたまだ小さな童だった。浅黒い肌の土佐人達の中でも一際黒く、白い歯の目立つ少年である。
「お部屋のご用意、ちゃんとしておきました!」
「弥吉、ご苦労だったな」
貞親から労いの言葉を貰うと、弥吉は誇らしげに微笑んだ。
「貞親様、おいらちゃんとお役に立てたでしょ?約束通り今度剣術を教えて下さいね」
「分かっているとも。私もお前には強くなってもらいたいから」
「絶対ですよ。おいら大きくなったら貞親様の一番の家来になるって決めてるんだから」
「こらあんまりはしゃぐな。客人の前だぞ」
「あっ、本当だ。初めまして。おいら、貞親様の家来で弥吉と言います。今年で十になります。滞在中、お二人の身の回りの世話をいくらかさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
多少砕けているものの、なかなか気持ちの良い元気な挨拶だった。勝隆の村の童も、このような年頃の子はたいていそうである。年まで自分からいうあたり、周りに懸命に自分の存在を主張している様子だった。
「初めまして。俺は勝隆。こちらは玉藻と言う。滞在中、よろしく頼む」
「はい!」
「それでは勝隆殿。私は下がらせていただくが、またいずれ会うことになるだろう。ともかく今宵はゆっくりと休まれるがよい。弥吉、後は頼んだ」
「はい!」
貞親が退室した後、弥吉は失礼しますと言って勝隆達の荷物を預かった。
「じゃあお二人とも、湯浴みの用意が出来ているので案内致しますね。玉藻様は女の人がお世話しますから、少しここで待ってて下さい。さぁ、勝隆様こちらへどうぞ」
案内された湯殿は、部屋から少し離れたところにある、丁度良い広さの湯殿だった。村では山の天然の温泉か、湯に布を浸して身体を拭いていたので、室内の湯船に浸かるというのは勝隆は初めてだった。
身体を清めて入ると、魂の抜けるほどの心地よさが身体を包み込んだ。
(・・・気持ちいい)
無意識に目を閉じて、恍惚とする。湯に浸かるというのが、これほどまでに心地よいとは勝隆は今の今まで知らなかった。
目を閉じたままで、勝隆は自然と思考していた。
(ついに来てしまった。・・・辿り着いてしまった。俺はここからどうしたらいい?長宗我部は覇気というか活気があって、祖父上が言ったように有望な気がする。当主の国親にはまだ会ってないけど、次期当主の貞親は、聡明そうで好感が持てる男だ。良い殿になるだろう。家臣にも慕われているし、他の氏族の力を知っているわけじゃないが、もしかしたら本当に四国を統一するのかも知れない。けど別に家臣になろうとか、そこまで心惹かれるわけじゃないんだ。役に立つかどうかも分からないし。けど・・・じゃあ、一体俺はどうする?どこに行く?俺は何をすれば良いんだ?)
振り出しに戻ってしまったと勝隆は思った。祖父の言葉と、何かが変わるかも知れないという漠然とした思いでここまで来たものの、土佐に辿り着いても自分の中でそれほど猛烈な変化はないように思う。いやこれから先何か変わるのだろうか。
(いっそ村に戻ろうか)
村に帰って三郎を告発すれば、全ては解決するかも知れない。その後は自分の良く知る暮らしが待っている。その暮らしは自分はずっとしていたのだから、そこに戻ることは決して苦しい事ではないはずだ。と、そこまで考えて、いや駄目だと勝隆は思った。違う。
それでは本当に何も変わっていない。
自分があの時村に帰らずここまで来た理由は、変わりたいと、何かを埋めたいと願ったからだ。まだ何も変わっていないのだ。このままに村に帰っても安穏として暮らせるかも知れないが、今のままでは納得がいかない。勝隆は、何かに辿り着いてからあそこにかえりたいと思った。それは場所ではないのだ。
「勝隆様、湯殿に浸かるのは初めてですか?とっても気持ちがいいでしょ。これはとても珍しいんですよ」
目を開けると、弥吉が背中を流そうと待ちかまえていた。一人前にはちまきを巻いている。
「ああ、こうして湯に全身浸かるのは初めてだ。とても気持ちがいい」
「勝隆様も、都から来たんじゃないんですか?」
「いや、俺は都の出じゃない。色々あって、阿波の山中で十兵衛殿と合流したんだ」
「へえ、阿波人(あわびと)なのか。じゃあ、結構近くですね」
確かに距離としては近いが、たぶん京の都よりも遠い場所だと心の中で答えた。
「なあ、弥吉。お前は大きくなったら何になりたい?」
突然の問いに弥吉はきょとんとした。
「えっ?いきなりなんです。そりゃあ、強くなっていっぱい手柄を立てて、貞親様の一番の家臣になることですよ。おいら、元々武士の家柄じゃないから武士に憧れてるんです」
弥吉は何の屈託もなくそう答えた。
「・・・けどもし、もしだ。それが駄目だったら。お前はどうする?」
「どういうことですか?」
「例えば、貞親殿が家臣はいらないって言ったとしたら?決してお前が嫌いなのじゃないけど、もう家臣はいっぱいいるからいらないと言い出したら。お前の次にしたいことは何だ?すぐ見つかると思うか?」
「おかしな事を聞きますねぇ。うーん、そんなこと考えたこともないです。これが駄目だったら次はこれって考えてるほど、おいら頭良くないし。他のみんなは違うのかな」
いや同じだろうと勝隆は思った。目の前の大きな目標に夢中な時、大抵の者はその予備の事など考えない。夢中になっているものが絶対のものだと信じている。だからこそあれほどに直向きになれるのだ。自分は村の者達から情が薄いと言われ、自身も対して平家再興に拘っていないつもりだった。けれどやはりどこかで『夢中』になっていたのだろうか。
「次なんてすぐに見つかるのかな。おいら、頭悪いからもの凄く時間がかかりそうな気がします。けど、おいら、それでも貞親様の役に立てる事は何かってとこからを考えると思うな。家臣になれなくても。だっておいらが一番の家臣になりたいと思ってるのは、貞親様が大好きだからだし。うん、貞親様が好きって言うのがおいらの真ん中なんです。だから、おいらはそこからまた何か見つけると思います」
弥吉の純一無雑な瞳。勝隆は目から鱗が落ちるような気分だった。
勝隆は改めて思うのだが、ここは随分規則が緩やかな城だ。他の城を知っているわけではないが、そう感じた。
「それで逸話申すと実はこの城、我が長宗我部は一度奪われているのだ」
「そうなのですか?」
言ってから、そういえばと密偵の話を思い出した。長宗我部は一度滅びているのだ。
「ああ。祖父の代に、本山という豪族が中心となって攻められてな。その時この城を奪われた。祖父はその時自害し、落ち延びた父上はその後中村の一条家を頼った。ああ、一条家というのは京からやって来た公家で、関白も務めたことのある家柄であるから、この
辺りでも土佐の盟主として尊敬を集めている家だ。
それでその一条家で成長した父上は、かの家の助けもあり本山と和睦し、ついにはここを取り戻した。どうだ良い城だろう?」
「歴史のある城なのですね」
勝隆の言う歴史とは、逸話だけではなく人の想いや人生の事だった。貞親はすぐにそれを察したのか、満足そうにああと頷く。勝隆も何かが通じ合えたような気がして、嬉しかった。
「さて、これで大体は案内し終えた。勝隆殿、何か質問はあるか」
貞親はまったく尊大さを感じさせない爽やかさで訪ねてきた。こうした多くの人々に傅かれる立場にありながら、どうしてもこうも偉ぶることなく清潔な態度でいられるのだろうと、勝隆は純粋に不思議に思うとともに、好感を持った。
「いえ、大変為になりました。感謝いたします」
勝隆は心から感謝した。岡豊城はまさしく名城である。このような経験は村の外に生まれたとしていても、なかなか出来るものではない。そして何より、この青年と接する機会が持てたことが、勝隆は思いの外嬉しかった。貞親という青年には、人を爽快にさせる何かがある。そのような人物は、決して多くはなく、後に何かを成し遂げるというのは勝隆にもなんとなく分かった。
ただこの機会を与えてくれたのが、あの十兵衛だと言うことに気づくと、なんとも複雑な気分である。
「あの、質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、玉藻殿。遠慮はいらぬ」
はい、西の曲輪の中に、家老のお屋敷に見劣りしない立派な館がありましたでしょう?少し異彩を放っているように見えたのですが、あれはどういう館なのでしょうか?」
「ああ・・・それは・・・あそこは」
玉藻の質問に、貞親は明らかに顔を曇らせた。長宗我部の気風は彼にも通じるところらしい。
「私の館だ。あそこは元々、本山にこの城を乗っ取られていた頃に造られた城で、城主の家族が住んでいた。その為少し趣が他の館とは違うのだ。まだ新しく、広さもかなりあるから、私などは気に入っている」
「貞親様」
用意された屋敷の部屋で待っていたのは、人懐っこい顔をしたまだ小さな童だった。浅黒い肌の土佐人達の中でも一際黒く、白い歯の目立つ少年である。
「お部屋のご用意、ちゃんとしておきました!」
「弥吉、ご苦労だったな」
貞親から労いの言葉を貰うと、弥吉は誇らしげに微笑んだ。
「貞親様、おいらちゃんとお役に立てたでしょ?約束通り今度剣術を教えて下さいね」
「分かっているとも。私もお前には強くなってもらいたいから」
「絶対ですよ。おいら大きくなったら貞親様の一番の家来になるって決めてるんだから」
「こらあんまりはしゃぐな。客人の前だぞ」
「あっ、本当だ。初めまして。おいら、貞親様の家来で弥吉と言います。今年で十になります。滞在中、お二人の身の回りの世話をいくらかさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」
多少砕けているものの、なかなか気持ちの良い元気な挨拶だった。勝隆の村の童も、このような年頃の子はたいていそうである。年まで自分からいうあたり、周りに懸命に自分の存在を主張している様子だった。
「初めまして。俺は勝隆。こちらは玉藻と言う。滞在中、よろしく頼む」
「はい!」
「それでは勝隆殿。私は下がらせていただくが、またいずれ会うことになるだろう。ともかく今宵はゆっくりと休まれるがよい。弥吉、後は頼んだ」
「はい!」
貞親が退室した後、弥吉は失礼しますと言って勝隆達の荷物を預かった。
「じゃあお二人とも、湯浴みの用意が出来ているので案内致しますね。玉藻様は女の人がお世話しますから、少しここで待ってて下さい。さぁ、勝隆様こちらへどうぞ」
案内された湯殿は、部屋から少し離れたところにある、丁度良い広さの湯殿だった。村では山の天然の温泉か、湯に布を浸して身体を拭いていたので、室内の湯船に浸かるというのは勝隆は初めてだった。
身体を清めて入ると、魂の抜けるほどの心地よさが身体を包み込んだ。
(・・・気持ちいい)
無意識に目を閉じて、恍惚とする。湯に浸かるというのが、これほどまでに心地よいとは勝隆は今の今まで知らなかった。
目を閉じたままで、勝隆は自然と思考していた。
(ついに来てしまった。・・・辿り着いてしまった。俺はここからどうしたらいい?長宗我部は覇気というか活気があって、祖父上が言ったように有望な気がする。当主の国親にはまだ会ってないけど、次期当主の貞親は、聡明そうで好感が持てる男だ。良い殿になるだろう。家臣にも慕われているし、他の氏族の力を知っているわけじゃないが、もしかしたら本当に四国を統一するのかも知れない。けど別に家臣になろうとか、そこまで心惹かれるわけじゃないんだ。役に立つかどうかも分からないし。けど・・・じゃあ、一体俺はどうする?どこに行く?俺は何をすれば良いんだ?)
振り出しに戻ってしまったと勝隆は思った。祖父の言葉と、何かが変わるかも知れないという漠然とした思いでここまで来たものの、土佐に辿り着いても自分の中でそれほど猛烈な変化はないように思う。いやこれから先何か変わるのだろうか。
(いっそ村に戻ろうか)
村に帰って三郎を告発すれば、全ては解決するかも知れない。その後は自分の良く知る暮らしが待っている。その暮らしは自分はずっとしていたのだから、そこに戻ることは決して苦しい事ではないはずだ。と、そこまで考えて、いや駄目だと勝隆は思った。違う。
それでは本当に何も変わっていない。
自分があの時村に帰らずここまで来た理由は、変わりたいと、何かを埋めたいと願ったからだ。まだ何も変わっていないのだ。このままに村に帰っても安穏として暮らせるかも知れないが、今のままでは納得がいかない。勝隆は、何かに辿り着いてからあそこにかえりたいと思った。それは場所ではないのだ。
「勝隆様、湯殿に浸かるのは初めてですか?とっても気持ちがいいでしょ。これはとても珍しいんですよ」
目を開けると、弥吉が背中を流そうと待ちかまえていた。一人前にはちまきを巻いている。
「ああ、こうして湯に全身浸かるのは初めてだ。とても気持ちがいい」
「勝隆様も、都から来たんじゃないんですか?」
「いや、俺は都の出じゃない。色々あって、阿波の山中で十兵衛殿と合流したんだ」
「へえ、阿波人(あわびと)なのか。じゃあ、結構近くですね」
確かに距離としては近いが、たぶん京の都よりも遠い場所だと心の中で答えた。
「なあ、弥吉。お前は大きくなったら何になりたい?」
突然の問いに弥吉はきょとんとした。
「えっ?いきなりなんです。そりゃあ、強くなっていっぱい手柄を立てて、貞親様の一番の家臣になることですよ。おいら、元々武士の家柄じゃないから武士に憧れてるんです」
弥吉は何の屈託もなくそう答えた。
「・・・けどもし、もしだ。それが駄目だったら。お前はどうする?」
「どういうことですか?」
「例えば、貞親殿が家臣はいらないって言ったとしたら?決してお前が嫌いなのじゃないけど、もう家臣はいっぱいいるからいらないと言い出したら。お前の次にしたいことは何だ?すぐ見つかると思うか?」
「おかしな事を聞きますねぇ。うーん、そんなこと考えたこともないです。これが駄目だったら次はこれって考えてるほど、おいら頭良くないし。他のみんなは違うのかな」
いや同じだろうと勝隆は思った。目の前の大きな目標に夢中な時、大抵の者はその予備の事など考えない。夢中になっているものが絶対のものだと信じている。だからこそあれほどに直向きになれるのだ。自分は村の者達から情が薄いと言われ、自身も対して平家再興に拘っていないつもりだった。けれどやはりどこかで『夢中』になっていたのだろうか。
「次なんてすぐに見つかるのかな。おいら、頭悪いからもの凄く時間がかかりそうな気がします。けど、おいら、それでも貞親様の役に立てる事は何かってとこからを考えると思うな。家臣になれなくても。だっておいらが一番の家臣になりたいと思ってるのは、貞親様が大好きだからだし。うん、貞親様が好きって言うのがおいらの真ん中なんです。だから、おいらはそこからまた何か見つけると思います」
弥吉の純一無雑な瞳。勝隆は目から鱗が落ちるような気分だった。
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