26 / 27
或ル脱獄
1
しおりを挟む玄関前に車を停めた銀髪蒼眼の男は僕を迎えに来たと言った。僕は何も言わず、彼の車の助手席に座る。日もまともに昇らないような時間帯に行動するなんていつぶりだろうか。
「イリヤぁ、僕ほんと研究所行きたくないんだけどォ」
「知ってるわよ煩いわね、アタシの苦労も知らずそういう事言わないで頂戴」
「それ言われると何も言えないよ」
眠気に耐えきれず欠伸をし、彼に悪態を吐いた。車を走らせる彼は溜息を吐き、表情一つ変えずに返事をする。
暫くの沈黙の後、彼は小さくこう呟いた。
「アイツ等はアタシの全てを奪った……絶対許さないんだから……」
「……、そんなイリヤは今何してんの」
「アタシ?アタシは普通に働いてるわよ」
彼は目の前で赤に変わる信号を一瞥し、ブレーキを踏んだ。ダッシュボードに無造作に置かれた煙草の箱から中身を一本出して咥え、火を灯す。運転席と助手席の窓を開け、煙を外に向かって吐いた。
「イリヤ、煙草吸ってたっけ」
「……、最近、ね……」
「そっか、礼央さんも吸ってたよね」
「そう……」
「……、」
彼は此方を一度も向かず、信号が青に変わると同時にアクセルを踏んだ。彼の硝子玉、もとい宝石のような怪しい艶を持つサファイアの瞳は、外の光を鋭く反射させている。それは人間の本来持っている瞳の輝きとは違う、無機質に光を反射する彼の眼を見つめていると、それが突然此方を向いた。
「なぁに?そんなに見つめて……」
「……、僕を連れていったら、礼央さん本当に助かるの?」
「分からないわよ……ただ、アンタなら何があっても逃げれるでしょ?」
「僕のこと何だと思ってんだよ」
「対人用生物兵器」
「マジで怒るよ」
「冗談よ……、でも、礼央を助けられるのはアンタしかいない……アンタの、父親の命令よ……」
「……、父親、ね……」
彼は消え入りそうな声でそう呟く。自分の父親、聞きたくない単語だ。覚えてもいない男の命令で呼び出される此方の気持ちも考えて欲しいが、イリヤはその男に逆らえない。
彼はイリヤや龍一が働く研究所の所長、そして今一番力を持っている財閥、御堂財閥のトップだからだ。
この世界で、製薬、医療の分野で御堂の名前を聞いたことがない人間は恐らくいないだろう。御堂の名はそれほどの力を持っているのだ。
尤も、自分自身の本名にも御堂の名は入っている。
御堂 聖────僕を研究所に入れ、身体を弄らせた親がつけた名前だ。自分の息子を自身の実現したい目的の為の材料として、赤の他人に身体を好き放題弄らせた人間のつけた名前を名乗る気はさらさらない。
霧夜、という名前も素性も知らない科学者がつけた名前だ。尤も、その男は僕の身体に注射を打ち、研究そっちのけで僕を犯していた。だから僕はその男を殺した。
どういった処理になっているかは知らないが、それも過去のどうでもいい話である。
「……あんなの、ただの他人だよ」
「そうね……」
「殺しちゃダメ?」
「ダメよ、アタシの働き口がなくなっちゃう……アンタが雇ってくれるの?霧夜研究所で」
彼は吸っていた煙草を灰皿に押し付けて消火する。ふふ、と小さく笑う彼につい軽口を叩いてしまう。
「残念ながらうちはもう定員いっぱいだよ」
「知ってるわよ、アルビノの子でしょ」
「國弘くんって言うんだよ、僕はまともな子しか雇わないし、イリヤは頭のネジぶっ飛んでるからやだ」
「誰が頭のネジぶっ飛んでるですって!?」
僕の軽口に彼は声を上げ、突然右の頬をつまんできた。痛い痛い、と笑いながら言うとわざとらしく、あらごめんなさいね、なんて嫌味たらしく言ってくるのだ。
「真理亜が言ってたよ、研究の為に女性の子宮を手当たり次第に集めてるって……マッドサイエンティストだっていう噂が広がってたよ」
「違うわよ!あれは取ったものじゃなくて作ったものよ!」
「いやどういうことだよ」
「アタシの研究してる分野のひとつよ」
「ふーん、まぁどーでもいいけど」
「アンタってほんと人のこと興味ないわよね」
「人に興味がない訳じゃないよ、イリヤに興味持つと礼央さんに怒られるからね、こっわーい顔で睨まれちゃう」
「……そうね、確かに」
僕は今から助けに行く"礼央さん"の事を皮肉を込めて言うと、彼は目を細めて遠くを見つめるのだった。
きっと、イリヤはいつまでも待ち続けたのだろう。彼を助けられる日を。
彼は僕と真理亜、その他の検体として囚われていた人を救った代わりに独房に囚われたと訊いた。家にも帰れず、とある研究員の開発した薬の実験台として一日中、毎日のように拷問を受けているという話も訊いた。
このタイミングを逃すと一生彼を救うことができないかもしれない、一世一代のチャンスなのだろう。
大切な人を救いたい、幸せにしたいという感情を今まで知らなかった昔の僕だったら、自分から地獄である研究所に足を踏み入れたりしなかっただろう。イリヤの想いを理解することすらできなかっただろう。
國弘くんに、出逢ったから。
大切な人を救いたい、幸せにしてあげたいという感情を彼は教えてくれたのだ。
しかし彼は、いきなり出ていった僕を許してくれないだろう。あんなに泣きじゃくって、僕の頬を叩いた彼の顔が脳裏から離れない。不思議なこともあるものだ、彼を大切にしたいという想いが芽生えたから、他の人間を救おうとして彼から離れることになるなんて。
はあ、と小さく溜息を漏らすイリヤを一瞥し、声を掛ける。
「あのさぁイリヤ」
「何よ」
「僕、何がなんでも家に帰らなきゃいけないからさ……最悪仕事なくなるかもよ」
「別にいいわよ、さっきのは冗談」
「理解してくれて助かるよ」
「アタシ、研究所の中では一番理解のあるオンナだと思うわよ」
「オンナ?」
「女」
「それネタ?」
「ネタじゃないわよ」
「ほんと?ウケるねそれ」
苦笑を漏らし、彼の運転に微睡みながらポケットに入ったスマホを触る。先日、龍一が連絡を入れてきた画面を開き、そこに送られてきたネット記事を開いた。
『約5年前から行方不明の精神科医』という見出しの中に、見知った顔の写真が表示される。
それを一瞥し、深い溜息を吐いた。
「てかさ、何で今更こんなことになったんだろうね?」
「……、さぁね……、礼央の親が久し振りに息子の顔が見たいってなったんじゃない?連絡したら連絡つかなくて家にもいないし元職場の人間もどこに行ったか分からないってなったからでしょ……5年近く行方不明だって……ほんと今更」
彼も同様に溜息を吐き、眉根に皺を寄せる。
思いもよらない所から巡ってきた、一世一代のチャンスというのはこの事だ。
"礼央さん"は、研究所の近くにある病院の精神科のカウンセラーをしていた。元々彼は人当たりもよく、同僚の医師や患者からも人気があった。しかし、突然──恐らく、7年程前だろうか──彼は研究所で働くようになったのだ。検体になった人間のカウンセラーとして雇われたらしいが、真偽は定かではない。そもそも、カウンセラーを雇う理由が分からないからだ。
しかし彼は検体である僕や真理亜にも優しく、その他大勢の人間から信頼を寄せられていた。それは彼の人柄が為せる業だろう。
検体の解放、なんてことしなければ、彼はイリヤと共に今も幸せに暮らしていただろう。なのに、何故あんなことをしたのか。
そんな彼が、行方不明者として捜索願を出され、つい先日、ネットニュースに話題として上がったのだ。僕は、大学で生徒がその話題を口にしていたのは小耳に挟んでいたが、まさかあの"礼央さん"だとは思わなかった。
何故、今更その話題が上がったのかも分からない。
本来ならばもっと早く誰かが気づいてもよかったはずだ。何か陰謀めいたものを感じるが、一先ず研究所に行かないと解決もしなさそうだ。
彼も、薄々勘づいているようではあるが、わざとそういった話を避けていた。
そんな彼は、礼央さんさえ救えたらあとはどうでもいい、といった一種の覚悟すら感じる。そんな彼に、今更な疑問を投げかけた。
「何でイリヤが捜索願出さなかったんだよ」
「……アタシができるわけないじゃない、何言ってんの?できたらやってるわよ」
「いや頭回らなかったのかなーって」
「失礼ね……、まぁ……まさかって思ったわよ、アタシ礼央の両親に嫌われてるし、アタシの所為で礼央は両親に勘当されたようなモノだから……」
「……自分から勘当しといて顔が見たいなんて、おかしな話だね」
「その辺の事情はアタシも知らないわ」
「だよねェ……」
「そもそも研究所にいる人間って、基本的に家族がいない人間が殆どなのよ……、目的の為に全てを捨ててきた人間だけが残ってるの……アタシとか、龍一とかね……」
「ふぅん」
「何で礼央が来れたのか分からない……どういうつもりなのかしらね?アンタの父親は」
「そいつの話はやめろって」
「そうね、ごめんなさい」
「あんまり思ってないだろ」
「まぁね」
彼は相変わらず人を揶揄うのが好きなようで、右の口角をにたりと吊り上げ、言葉に合わない表情をする。謝る気もない癖に平然とごめんなさいと言う、彼は本当に掴みどころのない男だ。
そんな彼から出たもう一人の男の名前に妙に引っかかった。
「……龍一の目的って何?」
「あら知らないの?元恋人なのに?」
「知らねーよあいつの事とかずっとどうでもよかったし、元恋人じゃないし」
「へぇ、じゃあ全部終わったら教えてあげるわよ……尤も、問い質せば本人から言ってくれるかもしれないけど?」
「ヤダよめんどくさい」
「そう……まぁ勝手にすればいいわ……、あら?お喋りもここまでね」
「……ちっ」
彼は車のウインカーを出してある施設の入口に入る。顔を上げると、大仰な建物が立ち並び、奥には沢山の機械が並ぶ施設が見えた。
「着いたわよ……御堂製薬本社……、あんたが言うところの研究所よ」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる