貢がせて、ハニー!

わこ

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217.さよならヤモリ

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「たんぽぽにもたまには行きましょうね」
「そうだな」
「あの公園のことも忘れないようにしよう」
「もちろん」
「小さいしショボいし桜しかねえけどすごくいい場所だったと思う」
「同感だ」
「この前のジイさんみてえな顔した可愛いワンコは元気かな」
「きっと元気だ。すれ違いざま挨拶してくれる飼い主さんに悪い奴はいねえよ」
「そっか……」
「安心しろ」
「うん……」
「何も心配はない」
「……うん」
「だからもうそろそろいいんじゃねえのか。別れは十分惜しんだだろ」
「…………」
「これ夕べからやってんだぞ」
「……そこのコンビニに夜いるお兄さん、愛想はないけど仕事は丁寧で……」
「さてはお前変化に弱いタイプだな」

 引っ越しの日だ。そろそろ業者さんがやって来るはず。などと思っていたらちょうど来た。

「悪いが感傷に浸ってる場合じゃねえんだよ。今日はバタ付くぞ、覚悟しろ」
「ウス……」



 そうやって作業は始まった。

 兄弟でも親戚でもない隣合った二部屋の住人が同じマンションの同じ一室へ二人一緒に引っ越したい。という、ちょっとばっかし特殊だろう俺達のこの要望。
 変だと思われるんじゃなかろうか。予約の前に色々問い合わせた時も依頼を申し込んだ時もそして今もちょっと不安だったが、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。心配は見事に裏切られて不審そうな反応はされなかった。

 力持ちのお兄さんたちは何も気にせずテキパキ仕事をしてくれる。梱包はすでに済ませてあるからサクサクと運び出してくれた。
 元気よく丁寧にキビキビ動くプロフェッショナルな方々と次にお会いするのは新居への搬入作業にて。希望の合流時間は前もって伝えてあるし、予定通り順調に進んでいる。



 部屋がガランとなった後は、お願いしていたちょうどくらいの時間に管理会社の立ち合い担当者がやって来た。
 契約時に二本もらった鍵のうちの片方は、俺も瀬名さんにずっと預けてあった。それを交換し直して、久々に二本揃ったこの部屋の鍵。
 あとは担当者さんに渡すのみ。この鍵を俺が使う事はもうない。

 担当のお兄さんがブレーカーを落とし、俺もとうとう鍵を返却。
 今この部屋にあるのは玄関近くにポツンと置いてあるボストンバッグだけ。ダン箱に入れる程ではなくてすぐさま使いたいような物をここにまとめて突っ込んである。

 諸々の確認が済んだ部屋の中を一度ぐるりと見回した。
 するとポタッと、唐突に一粒。水滴。そのほんの微かな音に、ハッとして振り返る。

 シンと静まり返った室内。荷物を運び出してしまえばガランとしていて物寂しい。当然ながら人の気配は俺と担当さん以外にないが、一日中日当たりはいい部屋なので綺麗に明るく澄んでいる。
 ここで寝起きしたのは半年ほどだった。隣に入り浸るようになっても朝晩は行ったり来たり、荷物やらを置きに来たり、出掛けにはクマ雄に警備を頼んだり。瀬名さんと喧嘩すると立て籠ったり。籠城していると瀬名さんが土下座しに来たり。ストーカーに襲われもしたけど、優しい人達に助けてもらえたり。

 なんやかんや色々あった部屋だ。安い部屋だしその上いわくも付いていそうな根拠も浮上しているけれど、居心地は良かったんじゃないかな。
 だってこの二年間、俺はいつも楽しかった。

「…………どうもお世話になりました」

 部屋のどこかに向けて呟くと、それに答えたのはおどろおどろしい女の低い呻き声。などではなくて、担当のお兄さんだ。
 イチャモン付けて原状回復費を過分にふんだくる事など一切してこないちゃんとした管理業者さんは、愛想よさげに軽くペコリとしてきた。

「こちらこそ。お時間いただきありがとうございました」

 ニコッとされたのでニコッと返す。お礼にはお礼が返って来た。
 隣では瀬名さんが別の担当者さんと室内を確認している。書類にはもうサインした頃だろうか。あの部屋でも喧嘩とか色々したけど、俺がうっかり壁紙破っちゃったみたいな粗相はしていないはず。

 俺達はもうお隣さん同士じゃない。間仕切りが正式になくなる。これからは瀬名さんと二人で暮らす。
 だからこことはお別れだ。ここはもう俺の部屋とは違う。次にここを寝床にする人が来たら、毎日楽しく暮らしていけるといい。


 ボストンバッグを手に取って、玄関からもう一度だけ部屋を見つめた。

 家守。などと、呼んでいたくらいなのだし。
 ここには悪いものなんて、最初からいなかったのかもしれない。
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