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201.意気地なしの沈黙
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「じゃあやる事にしたんだ?」
『契約社員だけどね。運営業務とはいっても私はアシスタントだし』
「大事な仕事だよ」
『ええ』
「応援してる」
『ありがと。アンタほんとお父さんそっくり』
「え……」
半笑いで返され、やや詰まる。またしても親父と同じ反応だったか。子供の頃から親父に似ているとは全く言われずに育ってきたからなんとも新鮮でおかしな気分だ。
喜ぼうにも喜ぶ理由が見つからないのでどうとも言い難い。そうやって俺が動揺している間に、母さんの興味は次の話題にサックリと移っていた。
『そうだあとね、ジャガイモそっちに送ったから』
「ジャガイモ?」
『大量に。叔父さんが持ってきてくれたの』
「どの?」
『依多の次男』
「あぁ……」
実家の隣の隣の地域は依多という。そこに住んでいるのはじいちゃんの弟。
パブロさんと仲良しになった化石ジジイがジャガイモをくれたらしい。自分ちの畑で育てた新じゃがだの大根だのをたまにお裾分けしてくれる。
『遥希は最近どうだってさ』
「どうって……」
『あの人いつもアンタのこと気にするからねえ』
「……この前挨拶行かなかったのやっぱマズかったかな」
『大丈夫でしょ。お互いそこまで厳密じゃないんだし』
県内なので疎遠にはならない。新年には挨拶し合う習慣もあるが、年が明けてからの最初の週はご近所間での行ったり来たりで何かとバタつき慌ただしい。
お互いに忙しいのが分かっているから、親族が一斉に集まるとすればそれがいったん落ち着いた後。身内だからこその遠慮があって、一月の半ばくらいに集まりを開くのが恒例になっている。
この前帰省した時もそう。俺がこっちに戻ってきた翌週に親戚筋で集まったそうだ。
一応ウチが本家になるから皆ゾロゾロやってくる。居間とその隣を仕切る大げさな襖を鴨居と敷居の間から取っ払い、二部屋を広々とくっつけて開催される大宴会。古いあの家の慣習とも言うべき年間行事のうちの一つだ。
「今年も大変だった……?」
『そりゃあね。あの人数が集まるわけだし』
「父さんは……?」
『飲めないお酒を勧められて辞退するのに苦戦してた』
相変わらずだ。何度下戸だと言っても忘れちゃうのか聞く気がないのか必ず勧めてくるのが親戚。じいちゃんは酒が好きな人だったし、ばあちゃんも母さんも酒豪とくればそこの婿にも飲ませたがる。
酒が飲めない親父をなんでもない事として受け入れたのは唯一じいちゃんだけだった。反対に一番理解できないって顔してたのが依多の大叔父。
じいちゃんは長男。あのジジイは次男。じいちゃんが突然死んで一体何を気負ったのだか、昔よりさらに頑固になった。
戦前かって思うくらいに家を大事にする気質が強くて、とは言え代々農家なのでお家がどうとか血筋がどうとかの大層な一族では決してないのだが、ジジイにとっては重要なのだろう。
家父長制に誇りを持っているようだから婿である親父にも厳しく、じいちゃんがいなくなってからは俺への当たりも殊更に強くなった。
男のくせにそんな調子でこの家の長男が務まると思うのか。いつまでも女みてえにナヨナヨしてんじゃねえ。タマついてんのかテメエ。もっと男らしくしろ。顔を合わせればそんな事ばかり言われる。
スクランブル交差点のど真ん中で今時そんな事を叫んでいたら血祭りにでもされそうなものだが、あのジジイは言動を改める気がない。改めるも何もそもそも悪いと思っていない。
男とか女とかの言葉自体を目の敵にする風潮にはいくらなんでも違和感がある。安易に根こそぎ刈り取ってしまえば、多様性だかダイバーシティーだか現代的で大層高尚な価値観にそれこそが反するはずだ。
罪のない言葉でも気に入らないからと踏みつけて封じ込めるのはおかしい。俺はそう確信しているが、しかしそれが大叔父の発言となるとどうにもこうにも受け付け難い。
全く同じセリフを投げてくるのがじいちゃんだったら気にならない。
男だろうが坊主、シャッキリしやがれ。転んだ時とかいじけてる時とか、そんなふうに良く笑って言われた。俺はそれに元気よく応えていたし、幾度となくそれで背中を押された。
でも依多のジジイのはそういうんじゃない。大叔父は俺が気に入らないのだろう。
あのジジイが俺に説教垂れるときのそれは言葉のアヤでも冗談でも親愛でもましてや尊重の類でもなく、本当にそう思って言っていた。男はこうでなければならないという確固たる像が自分の中にあり、そこに俺は当て嵌まらないらしい。
地元も好きだし実家も好きだ。しかしそこにやってくる親族の集まりだけは居心地が悪い。
上京一年目に全く帰らずにいたのは少なからずそういう事情もあった。バイトだのなんだのを言い訳にして、親戚と会わなくて済む口実を作った。
「そろそろ集まりにも出ないとだよな……」
『いいよ、アンタがそんなの気にしなくて。こっちで上手くやるから』
「……父さん集中砲火じゃない?」
『この家の長男のお墨付きはそう簡単に薄れるもんじゃないよ』
婿大好きなじいちゃんは良く言っていた。ウチの倅見てみろ、いい男だろ。方々にニコニコと自慢していた。
今でもその効力は薄れることなく、婿養子である親父が親戚筋から理不尽に当たられることはない。母さんが大学を中退する原因を作った男ともなれば風当たりは強そうなものだが、俺はそういう光景を一度たりとも見たことがなかった。
ちょっとした陰口ですら聞いたことがない。俺がそんな話を聞かなくていいように守られていたのだと、今なら分かる。
味方だからこそいつだって敵にもなれる親族達から、じいちゃんは俺たちを守っていた。
『心配しなくても大丈夫。あの叔父さんも昔に比べれば随分丸くなってきたし』
「まるく……?」
『うん。この前なんか料理運ぶの手伝ってくれたんだから』
「え…………誰が」
『だから依多が』
「…………」
依多のジジイが宴会で料理を運んだ。至って普通の事のように聞こえるが、これはかなり凄いことだ。
「……余命宣告でもされた?」
『バカ、縁起でもないこと言うんじゃないよ。あれだけピンピンしてんだから殺したって死にやしないでしょ』
母さんの方がだいぶ口悪い。
『人っていくつになっても変われるみたい』
「変わりすぎじゃない……?」
『だね。叔母さんも半笑いになってた』
大叔父のとこの嫁さんである大叔母は頑固ジジイに長年連れ添ってきた昔ながらの内助の功だ。バリバリ農家だから内側にいないで畑仕事に精を出す人だけど、あんなジジイにはもったいないような明るくて気さくなおばあちゃん。母さんやばあちゃんとも仲が良くて俺たち家族にいつも優しくしてくれる。
良く働き良く笑う自分の妻にまで石頭のジジイは横柄だ。女は亭主の三歩後ろをついてくるものだと思ってる。嫁に来た女は家長たる男に尽くして当然と思ってる。
そのジジイが何やら、変わったそうだ。
『叔母さんの話によると、考えを改めたのはパブロさんのおかげなんだって』
「パブロさん?」
『移住者の。スペインの』
「ああ、うん……え……何を……」
『ほとんどの役割には男も女も関係ないって言われたらしいよ』
「…………それだけ?」
『それだけ』
「……パブロさんってほんと何者なの。魔法使い?」
『私も一度会ってみたいってお母さんとよく話してるの。外見もかなりのイケメンらしいから』
母さんもばあちゃんも会話が衰えない。二人ともいい男は大好きだ。韓国のイケメンは全員崇めてる。
イケメンで魔法使いのパブロさんは何をしたのだろう。歴史の遺物みたいな亭主関白感覚を他人から指摘されようものなら逆ギレで返すようなあのジジイが。宴会の席で自ら腰を上げた。
なぜ。一体どうやって。あのジジイに理詰めでいってもまずもって効果はない。余計に感情的になられるだけであり、かと言って逆ギレに逆ギレし返したら大惨事になるだろう。
それをパブロさんは改めさせた。しかもほんのちょっとした一言で。
どういうニュアンスでどういう伝え方をすれば頑固ジジイが素直になるのか、コツがあるなら俺も知りたい。
「……すげえなパブロさん」
『ねー。近々パブロさんのお店行ってみようかな』
「イケメンを見に?」
『いけない?』
「いや……」
母さんは自由だ。堅苦しい親族に囲まれて育ったとは思えない。
さすがはあのじいちゃんの娘なだけあって時々とんでもなく豪胆な行動に出る。母親の自由な習性はいくら息子でも予見が難しく、いつどこから鋭く的確な攻撃が飛んでくるかも未だかつて察知できた事はない。
『それで?』
「え?」
『あんたの方はなんの用なの』
「…………」
世間話で人をここまで油断させておきながらこれだ。唐突に切り出されて本日も無残に押し黙った。
『またガーくん呼ぶ?』
「えっと……」
『お金ないんだったら正直に言いなさい。どんな無駄遣いしてんのアンタ』
「あるから、それは。なんでそんな信用ないの俺」
『大学生の男が親に電話してくる用なんてそれしかないでしょ』
「どんな偏見。むしろちょっと余ってるから仕送り減らしても大丈夫だよ」
『バカだね、たかだかハタチになったくらいで子供が生意気言ってんじゃないよ』
お金なくてもあっても怒られる。どういうことだ。俺にどうしろと。
『ほんとに何かあるなら言いな』
「いや、何かっていうか……」
金の無心ではない。だが金の無心の方がまだ多少は話しやすいかもしれない。
前回の電話と同じパターンだ。同居しますと切り出したいのにいざとなると踏ん切りがつかない。そもそも俺はここで同居のお知らせを母さんにしたとして、同居相手であるその隣人をどういう存在として説明するつもりでいる。
そこから決心がついていない。ただのルームシェアと言うつもりなのか。それとも、正直に話してしまいたいのか。
考えれば考えるほど腰が引けるからほぼほぼノープランで電話した。結果ノープランにも程があったため曖昧に言葉を詰まらせた俺に、母さんは静かに投げかけてくる。
『……いざってとき自分の子供を助けられないなんて私は嫌だよ』
ふっと、顔を上げ、息を吸い込む。吸い込んだそれはすぐに吐き出せない。
寸前までの詰め寄る気配は消し去り、電話越しに落とされたのはそれだけ。その言葉は予想外だった。いや。でも、そうだよな。こっちから電話なんて普段ならばしないのだからなおさら。
「ごめん……今度はそういうのじゃないから。本当に大丈夫」
『そう。ならいいけど』
真面目に答えれば拍子抜けする程あっさりと解放される。しかしながら身の内から募ってくるのは罪悪感。
どんな言い訳を述べるべきか。自分のことばかり考えていてそこまで気が回らなかった。
ろくに連絡してこない息子から立て続けに用件不明の電話をかけてこられる親の心境は、穏やかなもんじゃないに決まってる。
「……また電話する」
『ええ。分かった』
「…………」
今日はガーくんが登場しなかったから、とても静かに通話を終えた。
結局また言えなかった。言うための質問を前回も今回も投げてもらったのに、逃げてしまった。黙ってしまった。いざとなるとつい、ごまかしてしまう。
伝えなければならないのに伝え方が分からない。同期のダチとルームシェアしますとお知らせするのとは訳が違う。
だいぶ年上の社会人と同居。ポカンだろう。なんでそうなるんだと普通の親なら言いたくなる。
引っ越しちゃってからの事後連絡。それならばどうかと考えた事はある。そういえばこの前引っ越したんだ。そう言って軽く報告してみるプランも練ったが、さすがにこれはちょっとどうかと思うし瀬名さんとしても気が引けるようだ。
瀬名さんは学生という俺の立場をよく分かってくれている。分かってくれているからこそだ。早く言わないと。このままじゃ、駄目だ。
引っ越します。お隣さんと同居します。これだけでいい。サクッと言えるはずの二行だ。
放任だしガサツだし口が悪くて息子の扱いも荒いけれど、心配されているのは知っている。
元々分かっているつもりだったが今の今まで十分ではなかった。さっきの母さんの言葉でもっと、今までよりもずっと余計に、理解せずにはいられなくなった。
いざってときに助けようとしてくれる親に、なんて言って話せばいい。全てを知らせたらどんな顔をされる。それを思うと身が竦む。
母親の若い時代の何もかもを奪ってきた俺が、その親に本当の事すら言えない。
大学生だから。それもあるけど、それだけでは決してない。
それだけではないその心境が、瀬名さんに対する不誠実を俺にじっとりと見せつけてくる。
俺は色んな人に背を向けている。考えているのは自分のことだけ。誰に対しても正直じゃない。
瀬名さんには一番、ひどい事をしている。一番向き合いたい人なのに。いつだって真っすぐなあの人に、ひどい事をずっと、し続けている。
『契約社員だけどね。運営業務とはいっても私はアシスタントだし』
「大事な仕事だよ」
『ええ』
「応援してる」
『ありがと。アンタほんとお父さんそっくり』
「え……」
半笑いで返され、やや詰まる。またしても親父と同じ反応だったか。子供の頃から親父に似ているとは全く言われずに育ってきたからなんとも新鮮でおかしな気分だ。
喜ぼうにも喜ぶ理由が見つからないのでどうとも言い難い。そうやって俺が動揺している間に、母さんの興味は次の話題にサックリと移っていた。
『そうだあとね、ジャガイモそっちに送ったから』
「ジャガイモ?」
『大量に。叔父さんが持ってきてくれたの』
「どの?」
『依多の次男』
「あぁ……」
実家の隣の隣の地域は依多という。そこに住んでいるのはじいちゃんの弟。
パブロさんと仲良しになった化石ジジイがジャガイモをくれたらしい。自分ちの畑で育てた新じゃがだの大根だのをたまにお裾分けしてくれる。
『遥希は最近どうだってさ』
「どうって……」
『あの人いつもアンタのこと気にするからねえ』
「……この前挨拶行かなかったのやっぱマズかったかな」
『大丈夫でしょ。お互いそこまで厳密じゃないんだし』
県内なので疎遠にはならない。新年には挨拶し合う習慣もあるが、年が明けてからの最初の週はご近所間での行ったり来たりで何かとバタつき慌ただしい。
お互いに忙しいのが分かっているから、親族が一斉に集まるとすればそれがいったん落ち着いた後。身内だからこその遠慮があって、一月の半ばくらいに集まりを開くのが恒例になっている。
この前帰省した時もそう。俺がこっちに戻ってきた翌週に親戚筋で集まったそうだ。
一応ウチが本家になるから皆ゾロゾロやってくる。居間とその隣を仕切る大げさな襖を鴨居と敷居の間から取っ払い、二部屋を広々とくっつけて開催される大宴会。古いあの家の慣習とも言うべき年間行事のうちの一つだ。
「今年も大変だった……?」
『そりゃあね。あの人数が集まるわけだし』
「父さんは……?」
『飲めないお酒を勧められて辞退するのに苦戦してた』
相変わらずだ。何度下戸だと言っても忘れちゃうのか聞く気がないのか必ず勧めてくるのが親戚。じいちゃんは酒が好きな人だったし、ばあちゃんも母さんも酒豪とくればそこの婿にも飲ませたがる。
酒が飲めない親父をなんでもない事として受け入れたのは唯一じいちゃんだけだった。反対に一番理解できないって顔してたのが依多の大叔父。
じいちゃんは長男。あのジジイは次男。じいちゃんが突然死んで一体何を気負ったのだか、昔よりさらに頑固になった。
戦前かって思うくらいに家を大事にする気質が強くて、とは言え代々農家なのでお家がどうとか血筋がどうとかの大層な一族では決してないのだが、ジジイにとっては重要なのだろう。
家父長制に誇りを持っているようだから婿である親父にも厳しく、じいちゃんがいなくなってからは俺への当たりも殊更に強くなった。
男のくせにそんな調子でこの家の長男が務まると思うのか。いつまでも女みてえにナヨナヨしてんじゃねえ。タマついてんのかテメエ。もっと男らしくしろ。顔を合わせればそんな事ばかり言われる。
スクランブル交差点のど真ん中で今時そんな事を叫んでいたら血祭りにでもされそうなものだが、あのジジイは言動を改める気がない。改めるも何もそもそも悪いと思っていない。
男とか女とかの言葉自体を目の敵にする風潮にはいくらなんでも違和感がある。安易に根こそぎ刈り取ってしまえば、多様性だかダイバーシティーだか現代的で大層高尚な価値観にそれこそが反するはずだ。
罪のない言葉でも気に入らないからと踏みつけて封じ込めるのはおかしい。俺はそう確信しているが、しかしそれが大叔父の発言となるとどうにもこうにも受け付け難い。
全く同じセリフを投げてくるのがじいちゃんだったら気にならない。
男だろうが坊主、シャッキリしやがれ。転んだ時とかいじけてる時とか、そんなふうに良く笑って言われた。俺はそれに元気よく応えていたし、幾度となくそれで背中を押された。
でも依多のジジイのはそういうんじゃない。大叔父は俺が気に入らないのだろう。
あのジジイが俺に説教垂れるときのそれは言葉のアヤでも冗談でも親愛でもましてや尊重の類でもなく、本当にそう思って言っていた。男はこうでなければならないという確固たる像が自分の中にあり、そこに俺は当て嵌まらないらしい。
地元も好きだし実家も好きだ。しかしそこにやってくる親族の集まりだけは居心地が悪い。
上京一年目に全く帰らずにいたのは少なからずそういう事情もあった。バイトだのなんだのを言い訳にして、親戚と会わなくて済む口実を作った。
「そろそろ集まりにも出ないとだよな……」
『いいよ、アンタがそんなの気にしなくて。こっちで上手くやるから』
「……父さん集中砲火じゃない?」
『この家の長男のお墨付きはそう簡単に薄れるもんじゃないよ』
婿大好きなじいちゃんは良く言っていた。ウチの倅見てみろ、いい男だろ。方々にニコニコと自慢していた。
今でもその効力は薄れることなく、婿養子である親父が親戚筋から理不尽に当たられることはない。母さんが大学を中退する原因を作った男ともなれば風当たりは強そうなものだが、俺はそういう光景を一度たりとも見たことがなかった。
ちょっとした陰口ですら聞いたことがない。俺がそんな話を聞かなくていいように守られていたのだと、今なら分かる。
味方だからこそいつだって敵にもなれる親族達から、じいちゃんは俺たちを守っていた。
『心配しなくても大丈夫。あの叔父さんも昔に比べれば随分丸くなってきたし』
「まるく……?」
『うん。この前なんか料理運ぶの手伝ってくれたんだから』
「え…………誰が」
『だから依多が』
「…………」
依多のジジイが宴会で料理を運んだ。至って普通の事のように聞こえるが、これはかなり凄いことだ。
「……余命宣告でもされた?」
『バカ、縁起でもないこと言うんじゃないよ。あれだけピンピンしてんだから殺したって死にやしないでしょ』
母さんの方がだいぶ口悪い。
『人っていくつになっても変われるみたい』
「変わりすぎじゃない……?」
『だね。叔母さんも半笑いになってた』
大叔父のとこの嫁さんである大叔母は頑固ジジイに長年連れ添ってきた昔ながらの内助の功だ。バリバリ農家だから内側にいないで畑仕事に精を出す人だけど、あんなジジイにはもったいないような明るくて気さくなおばあちゃん。母さんやばあちゃんとも仲が良くて俺たち家族にいつも優しくしてくれる。
良く働き良く笑う自分の妻にまで石頭のジジイは横柄だ。女は亭主の三歩後ろをついてくるものだと思ってる。嫁に来た女は家長たる男に尽くして当然と思ってる。
そのジジイが何やら、変わったそうだ。
『叔母さんの話によると、考えを改めたのはパブロさんのおかげなんだって』
「パブロさん?」
『移住者の。スペインの』
「ああ、うん……え……何を……」
『ほとんどの役割には男も女も関係ないって言われたらしいよ』
「…………それだけ?」
『それだけ』
「……パブロさんってほんと何者なの。魔法使い?」
『私も一度会ってみたいってお母さんとよく話してるの。外見もかなりのイケメンらしいから』
母さんもばあちゃんも会話が衰えない。二人ともいい男は大好きだ。韓国のイケメンは全員崇めてる。
イケメンで魔法使いのパブロさんは何をしたのだろう。歴史の遺物みたいな亭主関白感覚を他人から指摘されようものなら逆ギレで返すようなあのジジイが。宴会の席で自ら腰を上げた。
なぜ。一体どうやって。あのジジイに理詰めでいってもまずもって効果はない。余計に感情的になられるだけであり、かと言って逆ギレに逆ギレし返したら大惨事になるだろう。
それをパブロさんは改めさせた。しかもほんのちょっとした一言で。
どういうニュアンスでどういう伝え方をすれば頑固ジジイが素直になるのか、コツがあるなら俺も知りたい。
「……すげえなパブロさん」
『ねー。近々パブロさんのお店行ってみようかな』
「イケメンを見に?」
『いけない?』
「いや……」
母さんは自由だ。堅苦しい親族に囲まれて育ったとは思えない。
さすがはあのじいちゃんの娘なだけあって時々とんでもなく豪胆な行動に出る。母親の自由な習性はいくら息子でも予見が難しく、いつどこから鋭く的確な攻撃が飛んでくるかも未だかつて察知できた事はない。
『それで?』
「え?」
『あんたの方はなんの用なの』
「…………」
世間話で人をここまで油断させておきながらこれだ。唐突に切り出されて本日も無残に押し黙った。
『またガーくん呼ぶ?』
「えっと……」
『お金ないんだったら正直に言いなさい。どんな無駄遣いしてんのアンタ』
「あるから、それは。なんでそんな信用ないの俺」
『大学生の男が親に電話してくる用なんてそれしかないでしょ』
「どんな偏見。むしろちょっと余ってるから仕送り減らしても大丈夫だよ」
『バカだね、たかだかハタチになったくらいで子供が生意気言ってんじゃないよ』
お金なくてもあっても怒られる。どういうことだ。俺にどうしろと。
『ほんとに何かあるなら言いな』
「いや、何かっていうか……」
金の無心ではない。だが金の無心の方がまだ多少は話しやすいかもしれない。
前回の電話と同じパターンだ。同居しますと切り出したいのにいざとなると踏ん切りがつかない。そもそも俺はここで同居のお知らせを母さんにしたとして、同居相手であるその隣人をどういう存在として説明するつもりでいる。
そこから決心がついていない。ただのルームシェアと言うつもりなのか。それとも、正直に話してしまいたいのか。
考えれば考えるほど腰が引けるからほぼほぼノープランで電話した。結果ノープランにも程があったため曖昧に言葉を詰まらせた俺に、母さんは静かに投げかけてくる。
『……いざってとき自分の子供を助けられないなんて私は嫌だよ』
ふっと、顔を上げ、息を吸い込む。吸い込んだそれはすぐに吐き出せない。
寸前までの詰め寄る気配は消し去り、電話越しに落とされたのはそれだけ。その言葉は予想外だった。いや。でも、そうだよな。こっちから電話なんて普段ならばしないのだからなおさら。
「ごめん……今度はそういうのじゃないから。本当に大丈夫」
『そう。ならいいけど』
真面目に答えれば拍子抜けする程あっさりと解放される。しかしながら身の内から募ってくるのは罪悪感。
どんな言い訳を述べるべきか。自分のことばかり考えていてそこまで気が回らなかった。
ろくに連絡してこない息子から立て続けに用件不明の電話をかけてこられる親の心境は、穏やかなもんじゃないに決まってる。
「……また電話する」
『ええ。分かった』
「…………」
今日はガーくんが登場しなかったから、とても静かに通話を終えた。
結局また言えなかった。言うための質問を前回も今回も投げてもらったのに、逃げてしまった。黙ってしまった。いざとなるとつい、ごまかしてしまう。
伝えなければならないのに伝え方が分からない。同期のダチとルームシェアしますとお知らせするのとは訳が違う。
だいぶ年上の社会人と同居。ポカンだろう。なんでそうなるんだと普通の親なら言いたくなる。
引っ越しちゃってからの事後連絡。それならばどうかと考えた事はある。そういえばこの前引っ越したんだ。そう言って軽く報告してみるプランも練ったが、さすがにこれはちょっとどうかと思うし瀬名さんとしても気が引けるようだ。
瀬名さんは学生という俺の立場をよく分かってくれている。分かってくれているからこそだ。早く言わないと。このままじゃ、駄目だ。
引っ越します。お隣さんと同居します。これだけでいい。サクッと言えるはずの二行だ。
放任だしガサツだし口が悪くて息子の扱いも荒いけれど、心配されているのは知っている。
元々分かっているつもりだったが今の今まで十分ではなかった。さっきの母さんの言葉でもっと、今までよりもずっと余計に、理解せずにはいられなくなった。
いざってときに助けようとしてくれる親に、なんて言って話せばいい。全てを知らせたらどんな顔をされる。それを思うと身が竦む。
母親の若い時代の何もかもを奪ってきた俺が、その親に本当の事すら言えない。
大学生だから。それもあるけど、それだけでは決してない。
それだけではないその心境が、瀬名さんに対する不誠実を俺にじっとりと見せつけてくる。
俺は色んな人に背を向けている。考えているのは自分のことだけ。誰に対しても正直じゃない。
瀬名さんには一番、ひどい事をしている。一番向き合いたい人なのに。いつだって真っすぐなあの人に、ひどい事をずっと、し続けている。
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