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197.スローライフの幻想Ⅰ
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瀬名さんと並んで見つめるのはノートパソコン。画面越しにこっちを覗き込んでくるキキとココがとてもかわいい。
二匹の名前をこちらから呼べば、キキは冷静に画面を観察し、それからチラリと目が合った。さすがカメラの存在にもきちんと気付いている辺り賢い。キキの中には人間が入っていそうだ。
ココはココでパソコンに向けて小さい鼻でクンクンしながら画面を前足でパフパフしてくる。しかしキキが自分の隣でカメラを見ているのに気付くと今度はそこをパフパフしてみる。さすがはお姉さんっ子。肉球でパフッと覆われた画面は真っ黒になるがそれすら可愛い。
ここまでが毎回パソコン越しに起こる和やかな交流のワンセットだ。猫さんたちとも現代ツールでコミュニケーションを取れるのが瀬名家だ。
「そろそろ切るぞ」
『ええ。明日は朱里とユウちゃんがいる時に電話するね』
「しなくていい。朱里が休暇終えるまでかけてくんな。つーかいつも遥希に構いすぎだ」
朱里さんは今週末には向こうに戻ってしまうそうだ。その前に一回くらいは挨拶できるチャンスがあるかもしれない。
ニャアニャア言う瀬名家の娘さん達をマユちゃんさんが膝の上に抱っこした。またね遥希くん。そう言ってバイバイされたため、こちらもペコリとして返す。
そのまま瀬名さんが通話を終えようとしたその時、しかし寸前でマユちゃんさんが思い出したように声を上げた。
『あ。そうそう恭吾、忘れるところだった。さっきウチに電話があったの。高遠くんから』
「たかと……高遠? あっ? ウチにっ?」
『ええ。それを知らせようと思って連絡したの。ごめん、ごめん。あなた達とお喋りしてたら楽しくなっちゃって忘れてた』
「……用件は」
『恭吾は最近どうしてるって』
「…………」
ふんわりした喋り方のマユちゃんさん。一方の瀬名さんは何やら急に整ったその顔をしかめていた。
「……他に何か話したか」
『ううん、何も。あなたが今どこに住んでるか知りたいみたいだったんだけどね、元気にしてるとだけ伝えておいた』
「ありがとう。助かる」
どういう話かは分からないが、親子の間で共通認識できる何がしかがあるのだろう。
マユちゃんさんはニコニコしながらキキココの前足をちょこんと持ち上げた。一人と二匹で再び俺にバイバイを送ってくれる。
『じゃあ今度こそまたね遥希くん』
「はい。また」
バイバイと振り返した俺の隣で瀬名さんが通話終了のアイコンをクリックした。
パタンと静かに閉じられた薄いパソコン。その横顔はどこかゲンナリしているように見える。すごく気になる。
「高遠くんって……?」
「……高校の時隣のクラスにいた奴」
「友達?」
「違う」
光速の否定。奇妙な昆虫を拒絶する時と同じくらいの速度感だった。
「友達じゃない人から電話なんかかかってくるの?」
「ダチじゃねえが顔見知りではある。高校では体育の授業だけ二組合同でやってたんだよ。そのせいであいつと接点ができた」
そのせいでって言った。迷惑そうな顔してる。ついでに疲れたような溜め息も。
「……実家にまで電話してくんのはマジであり得ねえ」
「よほど急ぎの用だったのでは?」
「どうせロクな話じゃねえよ。金なんかせびられてもムカつくだけだから何があっても無視しとくに限る」
「お金ない人なの?」
「言うことだけご立派な勘違い野郎が行きつく先の典型例だ」
瀬名さんが本人不在の所で他人を悪く言うのも珍しいな。チョココロネ並みに性格が捩じれ曲がっているから、信頼できる相手でもない限りあからさまな悪口は言わないはずなのに。
他人の生き方を否定するような真似など普段なら決してしない大人だ。それが今は心底苦々しそうな顔を。高校時代に何があった。
「どういう人……?」
好奇心に任せて聞いてみる。瀬名さんの顔は不愉快そうにしかめられた。
「どうもこうもねえ」
「具体的に」
「…………」
さらに不快感の高まった顔をした。
「……とにかくもう自分の事を毎日ずっと喋ってる。しかもその話がクソほどつまらねえ。誰かが自分以上に何かを知ってるのも許せねえから会話泥棒の常習だ。その上どうしようもない見栄っ張りでいつも大口叩いてた」
「大口?」
「並みの奴らとは違う世界を見にいってくるから俺。が口癖だ」
「どうしたの」
「デカい事やり遂げるんだとよ。ただ大見栄切るだけの事はあって成績はいつも上位だった。あれをキープしてたって事は努力も相当してたはずなのに、口を開けば自慢と悪口と頼まれてもいねえ余計なアドバイスで人の神経を逆撫でさせる天才でもあったために可哀想なくらい人望がなかった」
「もったいない」
「全くだ。それでも構ってやる奴らはいたんだけどな、あいつは真っ当な忠告を受けても聞き入れるどころか嘲笑うんだよ。挑戦しないで保守的なことばかり言うのは無能な人間の証拠だとかなんとか」
「おぉ……」
なかなか。
「大学も同じだったんですか?」
「いや。ただ人伝に色々聞いてはいる。大学出た後は都内のデカい商社に入ったらしい。飲みに誘われて迂闊に付いてくと、大手自慢と年収自慢とあの仕事に関わってる自慢を延々聞かされる事になったそうだ」
「口だけで中身なさそうな人なのにそんないい仕事に就けたの?」
「お前も結構ハッキリ言うよな。自己アピールに積極的な奴の方が就職活動では有利だろ」
「あぁ……」
「あいつの場合は出身大学のブランドもあった」
「成績キープの努力は無駄じゃなかったんですね」
「そうらしい。なのに何を勘違いしたんだか一年もしねえでその会社辞めて起業して結局上手くいかずに今度はなぜか地方移住だ」
なんでまた。ずいぶんとジグザグした生き方だ。チャレンジ精神旺盛というより無謀な人の気配を感じる。
「それ以降なんの接点が?」
「電話が来たんだよ、突然。七年……八年くらい前か。離島でビジネス始めるから一緒にやろうって」
「離島でビジネス……」
「ああ」
「内容は……?」
「バカになりたくなけりゃ詳細は知らない方がいい。どこかで聞いたことあるような起業家の成功事例だけを寄せ集めて継ぎ接ぎした雑なプランだった。いや、あれは計画とさえ言えねえ」
「計画にさえなってないような仕事の誘いをそんな唐突に?」
「絶対に成功するからジョインするなら今だと言われた」
「うわ……」
「断ったらお前には成長マインドセットが足りてないってなぜか説教された」
「…………」
何かの受け売りっぽい雰囲気がプンプンと漂ってくるが、日常会話でマインドセットとか言う人本当にいるんだな。
しかもそれは瀬名さんを勝手に固定マインドセットの持ち主と決めつけてそれとなくディスってる。腹立つなそいつ。瀬名恭吾を馬鹿にすんなよ。
絶対に成功というその誘い方も要注意ワードの最上位に来るやつ。投資のオススメをされた事はなくてもビジネスの勧誘はあったのか。
そこには瀬名さんが嫌いそうな要素がギュギュッと凝縮されている。やたらと明るいそのテンションも、上澄みだけ片手で掬い取ったような中途半端にウザい横文字も、根拠のない謎の自信も。高遠くんなるその人物はそんな言葉で釣れると思ったのだろうか。
「……それまでなんの交流もなかった人なんでしょう?」
「あるわけがねえ。高校でも別に仲良くなかった」
「なのに声かけてきたの?」
「推測でしかねえけどあの感じはおそらく知り合いに片っ端から連絡取ってたと思う。実際声かけられた高校時代のダチを何人も知ってる。隆仁もそうだ」
善良でにこやかな顔がポッと浮かんだ。
「でもなんで今になってまた……。しかも今度はご実家に」
「繋がらねえからだよ。俺も隆仁もその時から着信拒否してる」
「え……二条さんも?」
好き嫌いが激しい瀬名さんはともかく、あの二条さんが。温厚なあの人が。
どうにも想像つきかねる行動にキョトンとした俺を見て、瀬名さんは淡々と付け足した。
「お前が思ってるよりも隆仁は冷たい男だぞ」
「あれ以上愉快な人を俺は他に知りませんよ」
「誰にでもすんなりそう思わせるのがあいつの一番怖いところだ。どんなに嫌いな奴が目の前にいてもずっとニコニコしてられる。そういう相手から気に障るようなこと言われても全く動じねえしな」
「すげえ……。あの温厚さ俺も見習いたい」
「いや、そうじゃねえ騙されるな。あいつは温厚なわけじゃねえぞ。話し合うだけ無駄そうな奴にまで自分を理解してもらおうとはハナから思ってねえだけだ」
「……はい?」
「ゴミに群がる小バエに向かって自分が今なぜ殺虫剤持ってんのか説明しようとはお前だって思わねえだろ」
「…………」
「分かったか。あれは冷たいを通り越して冷徹な男だ」
これがもしも瀬名さんだったら、合わない相手との関わり合いを避ける様子も簡単に想像がつく。
しかしこれは二条さんの話だ。まさかあの優しい二条さんが。
「寸前まで笑いかけておきながら切るときはスッパリ切るんだよ。隆仁の許容範囲を超えた時にはすでに相手は絶縁されてる」
「……俺も気を付けよう」
「お前は大丈夫だ」
「分かんないよ、実はイライラされてたかも」
「遥希に関しては百パーセントあり得ない」
「なんでそんな言い切れるんですか」
「誰だろうと面白がって近付きに行く変人に見えるだろうが、来る者を拒むのが面倒なだけであいつはこれでもかって程に好き嫌いがハッキリしてる。ムリな相手とは視線すら合わせねえよ」
「…………」
なんで瀬名さんと二条さんがあんなに仲良しのなのかちょっと分かった気がする。
「そういやこの前店のSNS通してコンタクト取ろうとしてきたとか言ってたな」
「店に……?」
「ああ」
「迷惑」
「だよな。隆仁も即ブロックしたそうだ。ウザすぎてこの話自体忘れてた」
なんで瀬名さんと二条さんが親友なのか大体分かった。
「その人今も離島にいるんですかね……?」
「離島かどうかは知らねえがド田舎を転々としてるらしい。そのくせ田舎は閉鎖的すぎて住民とはまともな会話もできないとか言ってるそうだ」
「はぁっ?」
「この偉そうな酷評を直接聞かされた奴もお前と同じ反応してた」
「…………」
「頼むから俺を睨むな。言ったのは俺じゃない」
又聞きでもイラっと来た。
山と川と田んぼが地域面積の大部分を占める田舎で育った者としてその発言は聞き捨てならない。
「ド田舎の人間だって会話くらいはできますよ」
「分かってる」
「なんなんすかその友達」
「友達じゃねえ」
爆速の拒否。
「郷に入っては郷に従えってのが正しいかどうかはともかくとして、そんな格言は地元民の目の前で切り裂いてちぎって踏みつけて燃やして海に放り捨てるような業突く張りだ。その土地に根付いてる伝統だろうと自分にとっての理想に合わなきゃ平気な顔してぶっ壊しかねない。つーかすでにその手の事をどっかで何度かやらかしたらしい」
「侵略者じゃねえか」
「まさしくな。敬意もクソもねえあの性格じゃどうせどこ行っても追い出される」
「その人に田舎はムリだよ」
他人の家を土足で踏み荒らして怒られない人がどこにいるのか。古くから続いている土地ならなおさら。いきなりやって来てそこで変革を起こせる余所者はそれほど多くない。
ぐうの音も出ないほどのヤリ手ならば話はまた違ってくるが、傲慢で偉そうな人間は基本的に嫌われる。周りの支持を集められるのは、正論を並べ立てる人でも綺麗事を言い連ねる人でもましてや尊大な人でもない。それを成立させるだけの明確な意志と能力を持ち合わせた本物の実力者に限られる。
俺達みたいなどこにでもいる凡人が上辺だけなぞって声援を期待するのはただの思い上がりだろうに。それをその高遠くんという人は、そこかしこでやらかしていると言う。
「そんな態度しか取れねえ人がなんでやたら地方を目指すの」
「東京は俺の価値を理解しねえと本人は言ってるらしい。実際言ってんのを聞いたってダチを十三人知ってる」
「知らない人をこんなふうに言うのもあれですけど、絵に描いたような自信過剰ですね」
「漫画の主人公として生まれていたら何かの頂点に立ててたかもな」
昨今はこれと言って目立ちそうにない夢見がちなニートであっても異世界行くと突如勇敢になって都合よく大活躍するらしいからな。
「都会暮らしの人が思ってるほど田舎の生活って楽じゃないですよ。不便とかそういうの抜きにしたって」
地方なんてどこも同じように見えるのだろうが都会よりもむしろ個性は強い。内々で固まったあの独特な空気感は、良くも悪くも個人の自由を大事に考える都会から見ると異質で異様に思えるだろう。
都会より圧倒的に人は少ない。そのため広々として見えるのは本当。しかしそれは外から見た場合の表面的な光景であって、自分がその中に入ってみたときに見えてくる景色は違うかもしれない。
「俺がいた町にも移住者は来てるし、その人達はすっかり溶け込んでるんです。だから地方移住が悪いとは全然思ってないんですよ。田舎が活気づくのは俺も嬉しいんですけど……でも、こう……うーん……分かる?」
「ああ。俺もダテに田舎で育ってねえ」
瀬名さんは田舎じゃなくて地方都市のお育ちだけど。
「中にはいいとこしか見ねえ奴もいる」
「それです、それ」
「豊かな自然。綺麗な空気。広々とした情緒あふれる古民家。そこで送る気ままな自由生活」
「どれも間違いとまでは言いませんけどド田舎育ちの俺からしてみるとなんつーか……ナメすぎなんだよ」
「歯切れ悪かった割に急に直球で言ったな」
「移住失敗した人の話が出てくるとだいたい田舎のせいにされるから地方出身者としてはちょっと黙ってられないんです。ブームに乗って軽々しく来やがったくせして文句ばっか言ってる奴とか」
現実を見ろ。という上から目線のアドバイスは俺も大嫌いだが、かと言って幻想を道しるべにして突き進んでいくのも良くない。
何年もかけてしっかり調べて入念に計画を立てたうえで移住を決意した人達にとっても、そういう人が起こした失敗による移住者への警戒心は妨げになる。
地域のルールや慣習や文化を受け入れようとしてくれる移住者は多い。俺がいた町にやって来た人達は皆そうだった。
田舎に住みたい人達ではなくて、あの場所に住みたい人達だった。だからこそそこに馴染んだ。けれども、そうではない人もいる。
「極端な話しかしないメディアの罪も重いですよ。田舎をやたら褒めちぎって楽園だと思い込ませてますから」
「かと思えば田舎の闇の暴露だのなんだのをやりたがる動画投稿主とかもいる」
「それで最終的に拡散されるのは移住者の悲鳴みてえな話題でしょう?」
「否定的な見出しの方が注目されやすいのは仕方ねえ」
手の平返しが大好きな連中に扱き下ろされた土地はいくつあるだろう。とある村とか、山奥の集落とか、何県何市の某所だとか、言葉にいくらモザイクをかけても現代じゃ簡単に特定される。
「移住者に同情したくなるのも一応分かるには分かるんです。来たくもないのに転勤とかで仕方なくそこに住んでる人なんかは本当に大変だろうなって思うし」
「ああ。都会に慣れた人間から見れば田舎のローカルルールもただの脅威だ」
「暗黙の了解って結構根が深いですからね」
移住者の単なる過剰反応という話だけではないと思う。謎ルールはどこにでも存在している。可愛いものから厄介なものまで。
地元民からなんとなく愛されているお地蔵さんのお線香当番があるとか、なんのためにやってんだか分からないお祭りにも強制参加させられるとか。引っ越して来たらご近所だけではなくて地域のボスに挨拶が必須とか。たとえその慣行を知らずとも最初の挨拶をすっ飛ばしてしまうと、後々死ぬほど生きづらくなるとか。
あとはしばしば見聞きするのが意外とお金にまつわるトラブル。自治会費の徴収やなんかに驚く都会人はまあまあ多い。
極めて厳格な暗黙のルールで取り仕切っている所もあれば、割かしマイルドでちょっとミスっても笑って許されるコミュニティもある。おっとりした住民性ながらも連携と助け合いは成り立っている集落がある一方で、集団意識だけが異様に高くて相互監視が常態化している全体主義みたいな村もある。
ルールが作られていく過程は様々。そのため合理的とはとても思えない不条理がまかり通っている場所もあるだろう。
一口に田舎と言ってもその様相はピンキリだから、中には逃げ出したくなるような土地の一つや二つ存在していても不思議ではない。
「だからって田舎を全部一括りにはされたくないんですよ。地方に住んでる奴はみんな頭おかしいみたいな言いがかりまでつけてくんのは許せない」
田舎でこんな仕打ちを受けた。自治体から聞いた好条件とは全くもって話が違った。
思った移住とは異なった人達の怒りと悲しみはネット界隈で散見する。
大抵のトラブルは十ゼロでどっちが悪いと言い切れるものではない。色んな人がいるように色んな地方があるわけだから、お互いの相性というものも大なり小なり関わってくる。
そんな当たり前の前提さえもすっ飛ばし、百ゼロで田舎が悪いみたいに断言する連中が横行している。
「自分らも変わんなきゃなんねえって気づける田舎だってちゃんとありますよ。なのに地方はどこも時代遅れで常識がないとか言われてると思うと悲しくなってくる」
「地元愛強い奴には酷だろうな」
「反論する機会も与えられないもん。前に瀬名さんにも見せたあのゴミ記事覚えてるでしょう?」
「ああ」
かつて社会学のレポート課題作成のため、ネットでちょろちょろ調べ物をしていた時にそれを見つけた。
その話題が目についたのは、俺の生まれ育った県の中での出来事だったから。県内ではあるが市としてはお隣。その中でも一番小さく、ひときわ高齢化と過疎化が進んでいる村が堂々と名指しされていた。
俺の実家からはそこそこ距離があるうえ、北側を鬱蒼とした山一つが隔てている。そこまで大きな山ではないものの一人で山向こうまで行った事はなかった。そこが何やらネットニュースで取り上げられて、一部でずいぶん盛り上がっていた。
知った地域の名というのもあり、軽い気持ちで読みはじめたその記事。移住促進の過程で起きたトラブルの話題らしいことは見出しの時点で気づいてはいた。
読み進めたそこに書かれていたのは、惨憺たるド田舎の現状。夢を持って単身やって来た善良な若き移住者が受けた、甚大な被害について。
だいぶ酷い事をされたらしい。書き連ねられた地獄の毎日。度重なる陰湿な嫌がらせに、理不尽な仕打ちの数々。
それは元々ド田舎にいた俺でもゾッとした。その当事者の証言がどこまで本当なのかは知らないが、田舎という環境を実際に見て育ったからこそ実感できる部分もあった。
都会とは確実に何かが異なる、内々のあの空気感。それを知ってしまっているから、余所者イジメの構造ができ上がったとしてもおかしくはない。実際に見たわけでなくても、そうなっていく雰囲気も想像だけならできてしまった。
その記事がどうしても頭に残り、その話題をピンポイントで検索したのが悪かった。
次に見たのは検索結果の最上位に表示されたニュースメディア。ページを無駄に分割するタイプのゴミみたいなサイトだった。そしてそこの記事に書いてあった事こそ、田舎というカテゴリーに対する誹謗中傷の数々だ。
ページネーションにイライラする派なので普段は記事の質によらずその手のサイトはスルーしている。なのに見てしまった。気になったから。
続きを読むボタンが付いているサイトは即刻離脱する事にしていたというのについうっかり見てしまった。デカデカとした見出しが完全に喧嘩売っていたので。
さらにそこのネットメディアでは一般からのコメント投稿が可能な仕様になっていた。
見出しを見て本文を読んだついでについついコメントまで拾ってしまったところ、荒れに荒れていた。暴言が飛び交っていた。田舎擁護のためじゃない。むしろそれとは真逆。
だから田舎からは若者が逃げるんだ。地方なんて不便で暮らしにくいだけ。同調圧力がまかり通る地獄。ド田舎は頭悪い老害の巣窟。
野次馬どもが知ったような口を次々に。
「ああ……クソ。思い出したらまたムカムカしてきた」
「いつの記憶蒸し返してイラ立ってんだ」
「あんなゴミがいまだにネットを漂ってると思うだけでジリジリしてくるんです」
「直感でゴミだと思ったもんは見るな。他人の小競り合いなんか気にして時間を無駄にする暇があるなら俺と遊んだほうが楽しい」
「ゴミは見ねえようにしてたんですけど挑発的な煽りタイトルに釣られて」
「最後のとこだけ無視するな」
たとえ中身は大したことがなくても人間心理をこれでもかというほど利用したタイトルは巧妙だ。田舎は悪。地方民は鬼。移住促進には闇しか潜んでいない。そんな印象操作でも狙っているかのような書き出しだった。
ヤバい謎ルールでガチガチになっている地域が一部には確かにある。それは事実だ。しかし全部が全部そうではない。
「あれがメディアとして成立しちゃってんのがもう怖いよこの国は終わりですよ、ジャーナリズムに人生と命懸けてる本物のプロに謝れよ。ああいう偏向的な記事ってどういう人が書いてんの? 自分の意見はいつも絶対に正しいとでも思ってんの? 自分がそうだと思うことは皆もそうだと思うとでも? そいつは王様かなんかなの?」
「落ち着け。それ以上目ん玉剥き出しにすると落っことすぞ」
「すんません、つい。どうにも収まらなくて」
「あれ見てブチ切れてたもんなお前。横で突然叫び出したからあの時はビックリした」
「なんも分かってねえし分かる気もねえ奴に評論家気取りされんのってシャクじゃん。しまいにはなんの関係もねえような外野まで横から口出ししてくるし」
「人里に降りてきたクマを駆除した自治体に苦情電話殺到するのも完全にそのパターンだよな」
「あれほんとマジでムカつくんだよ聖人気取りも大概にしろクソがッ、こっちだって殺したくて殺してるわけじゃねえからな!」
「すまねえ悪かった。言うんじゃなかった」
「本当に可哀想だと思ってんならクマが真っすぐ森に帰れる誘導装置でも開発してからデカい口叩きやがれってんだ。テメエで体張る訳でもねえのに安全地帯からヤジだけ飛ばしやがって……ッ」
「そうだな。お前は間違ってない」
「あいつらクマ救いたいなんてどうせ思ってないくせに……!」
肩をポンポンと叩かれた。どうどうと宥められたくらいじゃ落ち着けない。俺の頭はクマでいっぱいだ。
「住民を守るためにクマを撃った人にケチつけて憂さ晴らしするような人間が自分の手は汚しもしねえで金払ってジビエとか食ってるとしたら俺にはマジで理解できない。自分がなんで豊かに生きられるか少しでも考えた事があんのか。クマのエサにでもされたらいいのに」
「気持ちは理解できるがエサは言い過ぎだ」
「ええ、ええ、ちゃんと分かってますよ。森のクマが人の味なんか覚えさせられちゃったらそれこそ悲劇が始まります。生贄にすらなれねえ生ゴミがっ」
「遥希がSNSやるタイプの子だったら炎上の常連になってたかもな」
「おぉ上等だオラかかってこいクソどもがコラ、あぁ゛ッ!?」
「何と戦ってんだよ、やめとけ。どこのチンピラだお前は」
めちゃくちゃ優しく肩をポンポンされた。
お茶淹れてくるからちょっと待ってろ落ち着け。そう言って瀬名さんは腰を上げた。このまま一人で座っているとローテーブルをひっくり返しそうだから俺も一緒についていく。
鍋を火にかけた瀬名さんはカモミールのティーバッグを取り出した。それカフェインレスだ。
俺を鎮静させようとしている大人の手元をジットリ見下ろす。
「エゴをエゴとも自覚できてねえような奴らになんでもかんでも地方のせいにされるのは我慢なりません」
「ああ。分かる」
「クマ殺しの苦情もそうですけど田舎の風土批判だってそうですよ。テメエの無知を棚に上げて他人の粗探しばっかしやがってクソがっ」
「そうだよな。とりあえずお前の地元は名指しされてねえから大丈夫だ」
「ごめんなさい田舎が悪く言われてるって思うとつい熱く」
横から肩に手を回されたので遠慮なく寄り掛かった。
今にも支離滅裂になりそうな言語野を落ち着かせる。いつの間にかギチギチに握りしめていた両手のグーもパーにしておく。
悪く言われているのは俺の地元じゃない。分かっているけど、なんかつい。
田舎から若者がどんどん出ていくのは田舎が劣悪なんだから当然だろうが。そんな言い方をされてしまうと胸倉に掴みかかってやりたくなってくる。誰が言ってんだか知らねえが。
「地元が好きな地方出身者だってちゃんといるのに。俺はあそこが嫌いだから出てきたわけじゃねえもん」
「理解する気のねえ奴なんか放っておけばいい。どうせ一生かかっても分かり合えねえ」
「顔と名前出して人前で喋ってたら素直に聞き入れるフリくらいはしそうじゃん。中傷行為なんか確実にしませんよ」
「匿名性の功罪だ」
急に気が大きくなった奴の暴言に眼球晒すのは耐え切れないから無害そうな動画を見る以外のSNSは未だにできない。面白いことが百個あってもたった一つのつまらないイチャモンを見ただけで気分はマイナスだ。
俺は昔のホームビデオみたいなニャンコとかが見たいだけなのに。自分の精神衛生環境を徹底して守り抜くためにはコメント欄すらも気軽には見られない。勝手に出てくるオススメにだって注意を払わなければならない。
「気にしなくて大丈夫だ。昔からどんな物事でも騒ぎ立てんのはごく一部の人間だけだろ。それ以外は案外冷静に見てるんじゃねえのか」
「だとするなら大多数はむしろ興味自体なさそう」
「かもな」
常時オンライン接続が当たり前になる以前からその辺りの割合は変わらないのかもしれない。大多数は冷静で、それ以外のほとんどは無関心で、何人かだけがやたらに喚く。ただ声がデカいだけでもガキみたいに騒げばその瞬間は目立つ。
捌け口が欲しいだけのそんな奴らに、のどかな田舎まで時代錯誤と評価されるこの現代。
「地方移住が増えるのはいいことだと思ってたけど、なんでこんな上手くいかないんだろ」
「原因は一つじゃねえんだろうが、移住の失敗は転職に失敗するときと似たような構造があると思う」
「転職?」
「これに関しちゃ俺も運が良かっただけで人のことは言えねえけどな。今の仕事が嫌だからって理由一つで何も考えずに飛び出しちまうと後悔するケースも多い。転職先選びの妥協点も下がるから」
「あぁ……そっか」
今が辛いなら違う場所はそれだけで良さそうに見えてくる。そのくせ取得できる外の情報も量だけならば膨大だ。
媒体が何であろうとメディアは無責任な事ばかり言うし、SNSでは何が本当か定かでないような情報ばかりが一方的に広まるし。
「現状に不満があればあるほど危ない。見たいもの以外は何も見えなくなる。田舎にさえ行けばいいと思ってるから想定は甘くなるしリサーチも雑だ」
「北海道移住して雪が多すぎたとか、沖縄行って台風来すぎとか?」
「出てくるのは文句ばっかりだろうよ。自分で決めた事の責任を他に投げちまえばその時は楽だ」
「思ったより首都圏へのアクセス悪かったとか平気な顔して言ってんのはいつ聞いても意味分かんないんですよ」
「ちょっと考えりゃ想像つくだろうにな」
「分かんねえなら分かんねえなりにせめてそれくらい調べてから行けって話じゃん。ヤバい田舎かどうかなんてパッと見で把握できるもんじゃねえのに、変な所だったらどうしようとか心配じゃないのかな」
行ってから後悔したくないなら自己防衛程度はすべきだ。何せ自分の人生がかかっている。
「ダメだったら戻ってこようとかそれくらい気軽に思ってるならまだ分かるけど、そこに定住する気で来といて大した下調べもしてねえとかむしろキモ据わってると思う」
「同感だ。田舎なら金銭的にゆとりが出ると思い込んでる都会っ子も見てられねえ」
「ほんとそれ」
「地方に行って東京より仕事が少ねえと嘆いてる奴は何がしたいんだか」
「車が必須だったり雪国だと暖房代が痛手だったりで意外と出費も多いですからね」
楽に生きるのは楽じゃない。外には楽園があるなどという幻想は最初から殺しておくくらいがいい。
沸々してきたお湯がボコボコ言い出してからもう少しして瀬名さんが火を止めた。
湯気の立つマグカップを二つ持って瀬名さんが向かうのはダイニングテーブル。おとなしくそれについていき、向かい合わせの定位置で着席。
鎮静作用のあるお茶を渡されたくらいじゃ田舎議論は終わらない。
「移住してみたらご近所付き合いムリだったって人が結構多いのも謎じゃありません?」
「田舎なら自分だけの自由が手に入ると信じてる。それが幻想だってことを知らねえんだよ」
「瀬名さんちもしょっちゅうお客さんが出入りしてたって言ってましたもんね。あそこは田舎じゃなくて地方都市だけど」
「ウチの場合は両親がおかしいからかなり珍しいタイプだったと思うが。お前のとこなんかアポなし訪問が通常だったんだろ?」
「なんなら勝手に引き戸開けて入ってきますよ。どこのお宅も鍵かけないので」
「距離感の性質が都会とは違ぇ」
「事あるごとに声かけられるのが余計なお世話に感じるようなら田舎にいても自分が辛いだけです」
泥棒の心配がないのは周りが皆知り合いばかりでご近所の目もあるからだ。監視と言われたらそれまでだろうが、自分だけの空間と引き換えに強力で頑丈な安心を得られる。
だからこそド田舎ではプライバシーという概念の半分くらいは諦めた方がいい。パーソナルスペースという言葉を知らずに生きてきた住民も多い。片祝いは厳禁みたいな礼儀作法にはこだわる割に、デリカシーとかは気にも留めない。それが昔ながらの集落だ。
何かあればすぐに知らせてくれるし、ヤバそうならば駆けつけてくれる。それをのどかで面白いと思える人なら自然とそこに馴染むだろう。
けれどそれは裏を返せば常に人目に晒され続けることでもある。その状態を窮屈で居心地が悪いと感じる人も当然にいる。
誰にでも向き不向きはあって、どっちが悪いという話とも違う。知らない誰かが楽しそうに暮らしているのをいくら見聞きしたところで、自分も同じような場所に行ってそうなるとは限らない。
「そっとしておいてほしいなら本物のド田舎はやめておくべきだろうな。こっちがいくらおとなしくしてても誰かしら話しかけてくる」
「小さくて不便な土地柄だからこそ住民同士の協力関係が欠かせませんからね。集会とか地域で清掃やるとかはウチの方にも普通にありますし」
「そこに自分から飛び込んだくせして不満垂れてんのはさすがに考えが甘すぎる」
「そういう人ほどよりにもよって小さい集落に憧れるんですよ。せめて地方都市くらいにすればいいのになんでそっちに行っちゃうんだろ。同じエリアでも市街地と町村とじゃ環境違うって想像つきそうだけど」
「ゼロか百か白か黒かの世界でしか生きられねえんじゃねえのか」
理想と現実の不一致はこの世の普遍なのだろう。
仕事が忙しいからお金払って部屋の中でお掃除ロボをお散歩させていた人が、スローライフに憧れを抱いてド田舎に引っ越してみたところ、地元民の活動に頻繁に繰り出されて全然気が休まらないと言って嘆くパターンはしばしば耳にする。安寧の地を見つけるのは大変だ。
「距離が近いのが苦手だからってよそよそしくされるのも嫌がるんでしょうけど」
「冷たいとかなんとか言ってな」
「初対面の人とすぐ打ち解けられるかどうかは地方も都会も関係ないよ。なのにすぐ田舎は閉鎖的だとか排他的だとか言われるんです」
「急にやってきた都会の余所者が全住民から無条件で受け入れてもらえるなんて奇跡に近い」
「文句言ってねえで菓子折り持って挨拶回りでもしてくればいいのに。お客様待遇でもてなしてもらえるとでも思ってんのかな」
「都合のいい感動ドラマの見過ぎだ」
「一回いい方に意識が向いちゃうと夢と理想だけ膨らむから怖いね」
好待遇でチヤホヤしてもらえるのは一時訪れた観光客だけだ。
旅人にはすごく優いのにここに住みますって言われた途端に冷たくなるのがド田舎のデフォだ。
そんなんだから限界集落になるんだろ。それで片づけるのはシンプルで分かりやすい。
地方創生に成功する地域と失敗する地域があるのと同じで、地方移住で満足を手に入れる人もいれば嫌気が差して出ていく人もいる。そういう人の発言だけが、拡散されてしまうことも多々ある。
変化を恐れる田舎が悪いのか、それとも楽観的で目論見の甘い移住者が悪いのか。はたまた両方に問題があるのか。もしくはもっと別の何かが複雑に絡まっているのか。
一言で片付くものではないしそこまで単純な話でもない。不幸にもこの世は現実だ。型に嵌まった勧善懲悪のフィクションみたいにはなってくれない。
二匹の名前をこちらから呼べば、キキは冷静に画面を観察し、それからチラリと目が合った。さすがカメラの存在にもきちんと気付いている辺り賢い。キキの中には人間が入っていそうだ。
ココはココでパソコンに向けて小さい鼻でクンクンしながら画面を前足でパフパフしてくる。しかしキキが自分の隣でカメラを見ているのに気付くと今度はそこをパフパフしてみる。さすがはお姉さんっ子。肉球でパフッと覆われた画面は真っ黒になるがそれすら可愛い。
ここまでが毎回パソコン越しに起こる和やかな交流のワンセットだ。猫さんたちとも現代ツールでコミュニケーションを取れるのが瀬名家だ。
「そろそろ切るぞ」
『ええ。明日は朱里とユウちゃんがいる時に電話するね』
「しなくていい。朱里が休暇終えるまでかけてくんな。つーかいつも遥希に構いすぎだ」
朱里さんは今週末には向こうに戻ってしまうそうだ。その前に一回くらいは挨拶できるチャンスがあるかもしれない。
ニャアニャア言う瀬名家の娘さん達をマユちゃんさんが膝の上に抱っこした。またね遥希くん。そう言ってバイバイされたため、こちらもペコリとして返す。
そのまま瀬名さんが通話を終えようとしたその時、しかし寸前でマユちゃんさんが思い出したように声を上げた。
『あ。そうそう恭吾、忘れるところだった。さっきウチに電話があったの。高遠くんから』
「たかと……高遠? あっ? ウチにっ?」
『ええ。それを知らせようと思って連絡したの。ごめん、ごめん。あなた達とお喋りしてたら楽しくなっちゃって忘れてた』
「……用件は」
『恭吾は最近どうしてるって』
「…………」
ふんわりした喋り方のマユちゃんさん。一方の瀬名さんは何やら急に整ったその顔をしかめていた。
「……他に何か話したか」
『ううん、何も。あなたが今どこに住んでるか知りたいみたいだったんだけどね、元気にしてるとだけ伝えておいた』
「ありがとう。助かる」
どういう話かは分からないが、親子の間で共通認識できる何がしかがあるのだろう。
マユちゃんさんはニコニコしながらキキココの前足をちょこんと持ち上げた。一人と二匹で再び俺にバイバイを送ってくれる。
『じゃあ今度こそまたね遥希くん』
「はい。また」
バイバイと振り返した俺の隣で瀬名さんが通話終了のアイコンをクリックした。
パタンと静かに閉じられた薄いパソコン。その横顔はどこかゲンナリしているように見える。すごく気になる。
「高遠くんって……?」
「……高校の時隣のクラスにいた奴」
「友達?」
「違う」
光速の否定。奇妙な昆虫を拒絶する時と同じくらいの速度感だった。
「友達じゃない人から電話なんかかかってくるの?」
「ダチじゃねえが顔見知りではある。高校では体育の授業だけ二組合同でやってたんだよ。そのせいであいつと接点ができた」
そのせいでって言った。迷惑そうな顔してる。ついでに疲れたような溜め息も。
「……実家にまで電話してくんのはマジであり得ねえ」
「よほど急ぎの用だったのでは?」
「どうせロクな話じゃねえよ。金なんかせびられてもムカつくだけだから何があっても無視しとくに限る」
「お金ない人なの?」
「言うことだけご立派な勘違い野郎が行きつく先の典型例だ」
瀬名さんが本人不在の所で他人を悪く言うのも珍しいな。チョココロネ並みに性格が捩じれ曲がっているから、信頼できる相手でもない限りあからさまな悪口は言わないはずなのに。
他人の生き方を否定するような真似など普段なら決してしない大人だ。それが今は心底苦々しそうな顔を。高校時代に何があった。
「どういう人……?」
好奇心に任せて聞いてみる。瀬名さんの顔は不愉快そうにしかめられた。
「どうもこうもねえ」
「具体的に」
「…………」
さらに不快感の高まった顔をした。
「……とにかくもう自分の事を毎日ずっと喋ってる。しかもその話がクソほどつまらねえ。誰かが自分以上に何かを知ってるのも許せねえから会話泥棒の常習だ。その上どうしようもない見栄っ張りでいつも大口叩いてた」
「大口?」
「並みの奴らとは違う世界を見にいってくるから俺。が口癖だ」
「どうしたの」
「デカい事やり遂げるんだとよ。ただ大見栄切るだけの事はあって成績はいつも上位だった。あれをキープしてたって事は努力も相当してたはずなのに、口を開けば自慢と悪口と頼まれてもいねえ余計なアドバイスで人の神経を逆撫でさせる天才でもあったために可哀想なくらい人望がなかった」
「もったいない」
「全くだ。それでも構ってやる奴らはいたんだけどな、あいつは真っ当な忠告を受けても聞き入れるどころか嘲笑うんだよ。挑戦しないで保守的なことばかり言うのは無能な人間の証拠だとかなんとか」
「おぉ……」
なかなか。
「大学も同じだったんですか?」
「いや。ただ人伝に色々聞いてはいる。大学出た後は都内のデカい商社に入ったらしい。飲みに誘われて迂闊に付いてくと、大手自慢と年収自慢とあの仕事に関わってる自慢を延々聞かされる事になったそうだ」
「口だけで中身なさそうな人なのにそんないい仕事に就けたの?」
「お前も結構ハッキリ言うよな。自己アピールに積極的な奴の方が就職活動では有利だろ」
「あぁ……」
「あいつの場合は出身大学のブランドもあった」
「成績キープの努力は無駄じゃなかったんですね」
「そうらしい。なのに何を勘違いしたんだか一年もしねえでその会社辞めて起業して結局上手くいかずに今度はなぜか地方移住だ」
なんでまた。ずいぶんとジグザグした生き方だ。チャレンジ精神旺盛というより無謀な人の気配を感じる。
「それ以降なんの接点が?」
「電話が来たんだよ、突然。七年……八年くらい前か。離島でビジネス始めるから一緒にやろうって」
「離島でビジネス……」
「ああ」
「内容は……?」
「バカになりたくなけりゃ詳細は知らない方がいい。どこかで聞いたことあるような起業家の成功事例だけを寄せ集めて継ぎ接ぎした雑なプランだった。いや、あれは計画とさえ言えねえ」
「計画にさえなってないような仕事の誘いをそんな唐突に?」
「絶対に成功するからジョインするなら今だと言われた」
「うわ……」
「断ったらお前には成長マインドセットが足りてないってなぜか説教された」
「…………」
何かの受け売りっぽい雰囲気がプンプンと漂ってくるが、日常会話でマインドセットとか言う人本当にいるんだな。
しかもそれは瀬名さんを勝手に固定マインドセットの持ち主と決めつけてそれとなくディスってる。腹立つなそいつ。瀬名恭吾を馬鹿にすんなよ。
絶対に成功というその誘い方も要注意ワードの最上位に来るやつ。投資のオススメをされた事はなくてもビジネスの勧誘はあったのか。
そこには瀬名さんが嫌いそうな要素がギュギュッと凝縮されている。やたらと明るいそのテンションも、上澄みだけ片手で掬い取ったような中途半端にウザい横文字も、根拠のない謎の自信も。高遠くんなるその人物はそんな言葉で釣れると思ったのだろうか。
「……それまでなんの交流もなかった人なんでしょう?」
「あるわけがねえ。高校でも別に仲良くなかった」
「なのに声かけてきたの?」
「推測でしかねえけどあの感じはおそらく知り合いに片っ端から連絡取ってたと思う。実際声かけられた高校時代のダチを何人も知ってる。隆仁もそうだ」
善良でにこやかな顔がポッと浮かんだ。
「でもなんで今になってまた……。しかも今度はご実家に」
「繋がらねえからだよ。俺も隆仁もその時から着信拒否してる」
「え……二条さんも?」
好き嫌いが激しい瀬名さんはともかく、あの二条さんが。温厚なあの人が。
どうにも想像つきかねる行動にキョトンとした俺を見て、瀬名さんは淡々と付け足した。
「お前が思ってるよりも隆仁は冷たい男だぞ」
「あれ以上愉快な人を俺は他に知りませんよ」
「誰にでもすんなりそう思わせるのがあいつの一番怖いところだ。どんなに嫌いな奴が目の前にいてもずっとニコニコしてられる。そういう相手から気に障るようなこと言われても全く動じねえしな」
「すげえ……。あの温厚さ俺も見習いたい」
「いや、そうじゃねえ騙されるな。あいつは温厚なわけじゃねえぞ。話し合うだけ無駄そうな奴にまで自分を理解してもらおうとはハナから思ってねえだけだ」
「……はい?」
「ゴミに群がる小バエに向かって自分が今なぜ殺虫剤持ってんのか説明しようとはお前だって思わねえだろ」
「…………」
「分かったか。あれは冷たいを通り越して冷徹な男だ」
これがもしも瀬名さんだったら、合わない相手との関わり合いを避ける様子も簡単に想像がつく。
しかしこれは二条さんの話だ。まさかあの優しい二条さんが。
「寸前まで笑いかけておきながら切るときはスッパリ切るんだよ。隆仁の許容範囲を超えた時にはすでに相手は絶縁されてる」
「……俺も気を付けよう」
「お前は大丈夫だ」
「分かんないよ、実はイライラされてたかも」
「遥希に関しては百パーセントあり得ない」
「なんでそんな言い切れるんですか」
「誰だろうと面白がって近付きに行く変人に見えるだろうが、来る者を拒むのが面倒なだけであいつはこれでもかって程に好き嫌いがハッキリしてる。ムリな相手とは視線すら合わせねえよ」
「…………」
なんで瀬名さんと二条さんがあんなに仲良しのなのかちょっと分かった気がする。
「そういやこの前店のSNS通してコンタクト取ろうとしてきたとか言ってたな」
「店に……?」
「ああ」
「迷惑」
「だよな。隆仁も即ブロックしたそうだ。ウザすぎてこの話自体忘れてた」
なんで瀬名さんと二条さんが親友なのか大体分かった。
「その人今も離島にいるんですかね……?」
「離島かどうかは知らねえがド田舎を転々としてるらしい。そのくせ田舎は閉鎖的すぎて住民とはまともな会話もできないとか言ってるそうだ」
「はぁっ?」
「この偉そうな酷評を直接聞かされた奴もお前と同じ反応してた」
「…………」
「頼むから俺を睨むな。言ったのは俺じゃない」
又聞きでもイラっと来た。
山と川と田んぼが地域面積の大部分を占める田舎で育った者としてその発言は聞き捨てならない。
「ド田舎の人間だって会話くらいはできますよ」
「分かってる」
「なんなんすかその友達」
「友達じゃねえ」
爆速の拒否。
「郷に入っては郷に従えってのが正しいかどうかはともかくとして、そんな格言は地元民の目の前で切り裂いてちぎって踏みつけて燃やして海に放り捨てるような業突く張りだ。その土地に根付いてる伝統だろうと自分にとっての理想に合わなきゃ平気な顔してぶっ壊しかねない。つーかすでにその手の事をどっかで何度かやらかしたらしい」
「侵略者じゃねえか」
「まさしくな。敬意もクソもねえあの性格じゃどうせどこ行っても追い出される」
「その人に田舎はムリだよ」
他人の家を土足で踏み荒らして怒られない人がどこにいるのか。古くから続いている土地ならなおさら。いきなりやって来てそこで変革を起こせる余所者はそれほど多くない。
ぐうの音も出ないほどのヤリ手ならば話はまた違ってくるが、傲慢で偉そうな人間は基本的に嫌われる。周りの支持を集められるのは、正論を並べ立てる人でも綺麗事を言い連ねる人でもましてや尊大な人でもない。それを成立させるだけの明確な意志と能力を持ち合わせた本物の実力者に限られる。
俺達みたいなどこにでもいる凡人が上辺だけなぞって声援を期待するのはただの思い上がりだろうに。それをその高遠くんという人は、そこかしこでやらかしていると言う。
「そんな態度しか取れねえ人がなんでやたら地方を目指すの」
「東京は俺の価値を理解しねえと本人は言ってるらしい。実際言ってんのを聞いたってダチを十三人知ってる」
「知らない人をこんなふうに言うのもあれですけど、絵に描いたような自信過剰ですね」
「漫画の主人公として生まれていたら何かの頂点に立ててたかもな」
昨今はこれと言って目立ちそうにない夢見がちなニートであっても異世界行くと突如勇敢になって都合よく大活躍するらしいからな。
「都会暮らしの人が思ってるほど田舎の生活って楽じゃないですよ。不便とかそういうの抜きにしたって」
地方なんてどこも同じように見えるのだろうが都会よりもむしろ個性は強い。内々で固まったあの独特な空気感は、良くも悪くも個人の自由を大事に考える都会から見ると異質で異様に思えるだろう。
都会より圧倒的に人は少ない。そのため広々として見えるのは本当。しかしそれは外から見た場合の表面的な光景であって、自分がその中に入ってみたときに見えてくる景色は違うかもしれない。
「俺がいた町にも移住者は来てるし、その人達はすっかり溶け込んでるんです。だから地方移住が悪いとは全然思ってないんですよ。田舎が活気づくのは俺も嬉しいんですけど……でも、こう……うーん……分かる?」
「ああ。俺もダテに田舎で育ってねえ」
瀬名さんは田舎じゃなくて地方都市のお育ちだけど。
「中にはいいとこしか見ねえ奴もいる」
「それです、それ」
「豊かな自然。綺麗な空気。広々とした情緒あふれる古民家。そこで送る気ままな自由生活」
「どれも間違いとまでは言いませんけどド田舎育ちの俺からしてみるとなんつーか……ナメすぎなんだよ」
「歯切れ悪かった割に急に直球で言ったな」
「移住失敗した人の話が出てくるとだいたい田舎のせいにされるから地方出身者としてはちょっと黙ってられないんです。ブームに乗って軽々しく来やがったくせして文句ばっか言ってる奴とか」
現実を見ろ。という上から目線のアドバイスは俺も大嫌いだが、かと言って幻想を道しるべにして突き進んでいくのも良くない。
何年もかけてしっかり調べて入念に計画を立てたうえで移住を決意した人達にとっても、そういう人が起こした失敗による移住者への警戒心は妨げになる。
地域のルールや慣習や文化を受け入れようとしてくれる移住者は多い。俺がいた町にやって来た人達は皆そうだった。
田舎に住みたい人達ではなくて、あの場所に住みたい人達だった。だからこそそこに馴染んだ。けれども、そうではない人もいる。
「極端な話しかしないメディアの罪も重いですよ。田舎をやたら褒めちぎって楽園だと思い込ませてますから」
「かと思えば田舎の闇の暴露だのなんだのをやりたがる動画投稿主とかもいる」
「それで最終的に拡散されるのは移住者の悲鳴みてえな話題でしょう?」
「否定的な見出しの方が注目されやすいのは仕方ねえ」
手の平返しが大好きな連中に扱き下ろされた土地はいくつあるだろう。とある村とか、山奥の集落とか、何県何市の某所だとか、言葉にいくらモザイクをかけても現代じゃ簡単に特定される。
「移住者に同情したくなるのも一応分かるには分かるんです。来たくもないのに転勤とかで仕方なくそこに住んでる人なんかは本当に大変だろうなって思うし」
「ああ。都会に慣れた人間から見れば田舎のローカルルールもただの脅威だ」
「暗黙の了解って結構根が深いですからね」
移住者の単なる過剰反応という話だけではないと思う。謎ルールはどこにでも存在している。可愛いものから厄介なものまで。
地元民からなんとなく愛されているお地蔵さんのお線香当番があるとか、なんのためにやってんだか分からないお祭りにも強制参加させられるとか。引っ越して来たらご近所だけではなくて地域のボスに挨拶が必須とか。たとえその慣行を知らずとも最初の挨拶をすっ飛ばしてしまうと、後々死ぬほど生きづらくなるとか。
あとはしばしば見聞きするのが意外とお金にまつわるトラブル。自治会費の徴収やなんかに驚く都会人はまあまあ多い。
極めて厳格な暗黙のルールで取り仕切っている所もあれば、割かしマイルドでちょっとミスっても笑って許されるコミュニティもある。おっとりした住民性ながらも連携と助け合いは成り立っている集落がある一方で、集団意識だけが異様に高くて相互監視が常態化している全体主義みたいな村もある。
ルールが作られていく過程は様々。そのため合理的とはとても思えない不条理がまかり通っている場所もあるだろう。
一口に田舎と言ってもその様相はピンキリだから、中には逃げ出したくなるような土地の一つや二つ存在していても不思議ではない。
「だからって田舎を全部一括りにはされたくないんですよ。地方に住んでる奴はみんな頭おかしいみたいな言いがかりまでつけてくんのは許せない」
田舎でこんな仕打ちを受けた。自治体から聞いた好条件とは全くもって話が違った。
思った移住とは異なった人達の怒りと悲しみはネット界隈で散見する。
大抵のトラブルは十ゼロでどっちが悪いと言い切れるものではない。色んな人がいるように色んな地方があるわけだから、お互いの相性というものも大なり小なり関わってくる。
そんな当たり前の前提さえもすっ飛ばし、百ゼロで田舎が悪いみたいに断言する連中が横行している。
「自分らも変わんなきゃなんねえって気づける田舎だってちゃんとありますよ。なのに地方はどこも時代遅れで常識がないとか言われてると思うと悲しくなってくる」
「地元愛強い奴には酷だろうな」
「反論する機会も与えられないもん。前に瀬名さんにも見せたあのゴミ記事覚えてるでしょう?」
「ああ」
かつて社会学のレポート課題作成のため、ネットでちょろちょろ調べ物をしていた時にそれを見つけた。
その話題が目についたのは、俺の生まれ育った県の中での出来事だったから。県内ではあるが市としてはお隣。その中でも一番小さく、ひときわ高齢化と過疎化が進んでいる村が堂々と名指しされていた。
俺の実家からはそこそこ距離があるうえ、北側を鬱蒼とした山一つが隔てている。そこまで大きな山ではないものの一人で山向こうまで行った事はなかった。そこが何やらネットニュースで取り上げられて、一部でずいぶん盛り上がっていた。
知った地域の名というのもあり、軽い気持ちで読みはじめたその記事。移住促進の過程で起きたトラブルの話題らしいことは見出しの時点で気づいてはいた。
読み進めたそこに書かれていたのは、惨憺たるド田舎の現状。夢を持って単身やって来た善良な若き移住者が受けた、甚大な被害について。
だいぶ酷い事をされたらしい。書き連ねられた地獄の毎日。度重なる陰湿な嫌がらせに、理不尽な仕打ちの数々。
それは元々ド田舎にいた俺でもゾッとした。その当事者の証言がどこまで本当なのかは知らないが、田舎という環境を実際に見て育ったからこそ実感できる部分もあった。
都会とは確実に何かが異なる、内々のあの空気感。それを知ってしまっているから、余所者イジメの構造ができ上がったとしてもおかしくはない。実際に見たわけでなくても、そうなっていく雰囲気も想像だけならできてしまった。
その記事がどうしても頭に残り、その話題をピンポイントで検索したのが悪かった。
次に見たのは検索結果の最上位に表示されたニュースメディア。ページを無駄に分割するタイプのゴミみたいなサイトだった。そしてそこの記事に書いてあった事こそ、田舎というカテゴリーに対する誹謗中傷の数々だ。
ページネーションにイライラする派なので普段は記事の質によらずその手のサイトはスルーしている。なのに見てしまった。気になったから。
続きを読むボタンが付いているサイトは即刻離脱する事にしていたというのについうっかり見てしまった。デカデカとした見出しが完全に喧嘩売っていたので。
さらにそこのネットメディアでは一般からのコメント投稿が可能な仕様になっていた。
見出しを見て本文を読んだついでについついコメントまで拾ってしまったところ、荒れに荒れていた。暴言が飛び交っていた。田舎擁護のためじゃない。むしろそれとは真逆。
だから田舎からは若者が逃げるんだ。地方なんて不便で暮らしにくいだけ。同調圧力がまかり通る地獄。ド田舎は頭悪い老害の巣窟。
野次馬どもが知ったような口を次々に。
「ああ……クソ。思い出したらまたムカムカしてきた」
「いつの記憶蒸し返してイラ立ってんだ」
「あんなゴミがいまだにネットを漂ってると思うだけでジリジリしてくるんです」
「直感でゴミだと思ったもんは見るな。他人の小競り合いなんか気にして時間を無駄にする暇があるなら俺と遊んだほうが楽しい」
「ゴミは見ねえようにしてたんですけど挑発的な煽りタイトルに釣られて」
「最後のとこだけ無視するな」
たとえ中身は大したことがなくても人間心理をこれでもかというほど利用したタイトルは巧妙だ。田舎は悪。地方民は鬼。移住促進には闇しか潜んでいない。そんな印象操作でも狙っているかのような書き出しだった。
ヤバい謎ルールでガチガチになっている地域が一部には確かにある。それは事実だ。しかし全部が全部そうではない。
「あれがメディアとして成立しちゃってんのがもう怖いよこの国は終わりですよ、ジャーナリズムに人生と命懸けてる本物のプロに謝れよ。ああいう偏向的な記事ってどういう人が書いてんの? 自分の意見はいつも絶対に正しいとでも思ってんの? 自分がそうだと思うことは皆もそうだと思うとでも? そいつは王様かなんかなの?」
「落ち着け。それ以上目ん玉剥き出しにすると落っことすぞ」
「すんません、つい。どうにも収まらなくて」
「あれ見てブチ切れてたもんなお前。横で突然叫び出したからあの時はビックリした」
「なんも分かってねえし分かる気もねえ奴に評論家気取りされんのってシャクじゃん。しまいにはなんの関係もねえような外野まで横から口出ししてくるし」
「人里に降りてきたクマを駆除した自治体に苦情電話殺到するのも完全にそのパターンだよな」
「あれほんとマジでムカつくんだよ聖人気取りも大概にしろクソがッ、こっちだって殺したくて殺してるわけじゃねえからな!」
「すまねえ悪かった。言うんじゃなかった」
「本当に可哀想だと思ってんならクマが真っすぐ森に帰れる誘導装置でも開発してからデカい口叩きやがれってんだ。テメエで体張る訳でもねえのに安全地帯からヤジだけ飛ばしやがって……ッ」
「そうだな。お前は間違ってない」
「あいつらクマ救いたいなんてどうせ思ってないくせに……!」
肩をポンポンと叩かれた。どうどうと宥められたくらいじゃ落ち着けない。俺の頭はクマでいっぱいだ。
「住民を守るためにクマを撃った人にケチつけて憂さ晴らしするような人間が自分の手は汚しもしねえで金払ってジビエとか食ってるとしたら俺にはマジで理解できない。自分がなんで豊かに生きられるか少しでも考えた事があんのか。クマのエサにでもされたらいいのに」
「気持ちは理解できるがエサは言い過ぎだ」
「ええ、ええ、ちゃんと分かってますよ。森のクマが人の味なんか覚えさせられちゃったらそれこそ悲劇が始まります。生贄にすらなれねえ生ゴミがっ」
「遥希がSNSやるタイプの子だったら炎上の常連になってたかもな」
「おぉ上等だオラかかってこいクソどもがコラ、あぁ゛ッ!?」
「何と戦ってんだよ、やめとけ。どこのチンピラだお前は」
めちゃくちゃ優しく肩をポンポンされた。
お茶淹れてくるからちょっと待ってろ落ち着け。そう言って瀬名さんは腰を上げた。このまま一人で座っているとローテーブルをひっくり返しそうだから俺も一緒についていく。
鍋を火にかけた瀬名さんはカモミールのティーバッグを取り出した。それカフェインレスだ。
俺を鎮静させようとしている大人の手元をジットリ見下ろす。
「エゴをエゴとも自覚できてねえような奴らになんでもかんでも地方のせいにされるのは我慢なりません」
「ああ。分かる」
「クマ殺しの苦情もそうですけど田舎の風土批判だってそうですよ。テメエの無知を棚に上げて他人の粗探しばっかしやがってクソがっ」
「そうだよな。とりあえずお前の地元は名指しされてねえから大丈夫だ」
「ごめんなさい田舎が悪く言われてるって思うとつい熱く」
横から肩に手を回されたので遠慮なく寄り掛かった。
今にも支離滅裂になりそうな言語野を落ち着かせる。いつの間にかギチギチに握りしめていた両手のグーもパーにしておく。
悪く言われているのは俺の地元じゃない。分かっているけど、なんかつい。
田舎から若者がどんどん出ていくのは田舎が劣悪なんだから当然だろうが。そんな言い方をされてしまうと胸倉に掴みかかってやりたくなってくる。誰が言ってんだか知らねえが。
「地元が好きな地方出身者だってちゃんといるのに。俺はあそこが嫌いだから出てきたわけじゃねえもん」
「理解する気のねえ奴なんか放っておけばいい。どうせ一生かかっても分かり合えねえ」
「顔と名前出して人前で喋ってたら素直に聞き入れるフリくらいはしそうじゃん。中傷行為なんか確実にしませんよ」
「匿名性の功罪だ」
急に気が大きくなった奴の暴言に眼球晒すのは耐え切れないから無害そうな動画を見る以外のSNSは未だにできない。面白いことが百個あってもたった一つのつまらないイチャモンを見ただけで気分はマイナスだ。
俺は昔のホームビデオみたいなニャンコとかが見たいだけなのに。自分の精神衛生環境を徹底して守り抜くためにはコメント欄すらも気軽には見られない。勝手に出てくるオススメにだって注意を払わなければならない。
「気にしなくて大丈夫だ。昔からどんな物事でも騒ぎ立てんのはごく一部の人間だけだろ。それ以外は案外冷静に見てるんじゃねえのか」
「だとするなら大多数はむしろ興味自体なさそう」
「かもな」
常時オンライン接続が当たり前になる以前からその辺りの割合は変わらないのかもしれない。大多数は冷静で、それ以外のほとんどは無関心で、何人かだけがやたらに喚く。ただ声がデカいだけでもガキみたいに騒げばその瞬間は目立つ。
捌け口が欲しいだけのそんな奴らに、のどかな田舎まで時代錯誤と評価されるこの現代。
「地方移住が増えるのはいいことだと思ってたけど、なんでこんな上手くいかないんだろ」
「原因は一つじゃねえんだろうが、移住の失敗は転職に失敗するときと似たような構造があると思う」
「転職?」
「これに関しちゃ俺も運が良かっただけで人のことは言えねえけどな。今の仕事が嫌だからって理由一つで何も考えずに飛び出しちまうと後悔するケースも多い。転職先選びの妥協点も下がるから」
「あぁ……そっか」
今が辛いなら違う場所はそれだけで良さそうに見えてくる。そのくせ取得できる外の情報も量だけならば膨大だ。
媒体が何であろうとメディアは無責任な事ばかり言うし、SNSでは何が本当か定かでないような情報ばかりが一方的に広まるし。
「現状に不満があればあるほど危ない。見たいもの以外は何も見えなくなる。田舎にさえ行けばいいと思ってるから想定は甘くなるしリサーチも雑だ」
「北海道移住して雪が多すぎたとか、沖縄行って台風来すぎとか?」
「出てくるのは文句ばっかりだろうよ。自分で決めた事の責任を他に投げちまえばその時は楽だ」
「思ったより首都圏へのアクセス悪かったとか平気な顔して言ってんのはいつ聞いても意味分かんないんですよ」
「ちょっと考えりゃ想像つくだろうにな」
「分かんねえなら分かんねえなりにせめてそれくらい調べてから行けって話じゃん。ヤバい田舎かどうかなんてパッと見で把握できるもんじゃねえのに、変な所だったらどうしようとか心配じゃないのかな」
行ってから後悔したくないなら自己防衛程度はすべきだ。何せ自分の人生がかかっている。
「ダメだったら戻ってこようとかそれくらい気軽に思ってるならまだ分かるけど、そこに定住する気で来といて大した下調べもしてねえとかむしろキモ据わってると思う」
「同感だ。田舎なら金銭的にゆとりが出ると思い込んでる都会っ子も見てられねえ」
「ほんとそれ」
「地方に行って東京より仕事が少ねえと嘆いてる奴は何がしたいんだか」
「車が必須だったり雪国だと暖房代が痛手だったりで意外と出費も多いですからね」
楽に生きるのは楽じゃない。外には楽園があるなどという幻想は最初から殺しておくくらいがいい。
沸々してきたお湯がボコボコ言い出してからもう少しして瀬名さんが火を止めた。
湯気の立つマグカップを二つ持って瀬名さんが向かうのはダイニングテーブル。おとなしくそれについていき、向かい合わせの定位置で着席。
鎮静作用のあるお茶を渡されたくらいじゃ田舎議論は終わらない。
「移住してみたらご近所付き合いムリだったって人が結構多いのも謎じゃありません?」
「田舎なら自分だけの自由が手に入ると信じてる。それが幻想だってことを知らねえんだよ」
「瀬名さんちもしょっちゅうお客さんが出入りしてたって言ってましたもんね。あそこは田舎じゃなくて地方都市だけど」
「ウチの場合は両親がおかしいからかなり珍しいタイプだったと思うが。お前のとこなんかアポなし訪問が通常だったんだろ?」
「なんなら勝手に引き戸開けて入ってきますよ。どこのお宅も鍵かけないので」
「距離感の性質が都会とは違ぇ」
「事あるごとに声かけられるのが余計なお世話に感じるようなら田舎にいても自分が辛いだけです」
泥棒の心配がないのは周りが皆知り合いばかりでご近所の目もあるからだ。監視と言われたらそれまでだろうが、自分だけの空間と引き換えに強力で頑丈な安心を得られる。
だからこそド田舎ではプライバシーという概念の半分くらいは諦めた方がいい。パーソナルスペースという言葉を知らずに生きてきた住民も多い。片祝いは厳禁みたいな礼儀作法にはこだわる割に、デリカシーとかは気にも留めない。それが昔ながらの集落だ。
何かあればすぐに知らせてくれるし、ヤバそうならば駆けつけてくれる。それをのどかで面白いと思える人なら自然とそこに馴染むだろう。
けれどそれは裏を返せば常に人目に晒され続けることでもある。その状態を窮屈で居心地が悪いと感じる人も当然にいる。
誰にでも向き不向きはあって、どっちが悪いという話とも違う。知らない誰かが楽しそうに暮らしているのをいくら見聞きしたところで、自分も同じような場所に行ってそうなるとは限らない。
「そっとしておいてほしいなら本物のド田舎はやめておくべきだろうな。こっちがいくらおとなしくしてても誰かしら話しかけてくる」
「小さくて不便な土地柄だからこそ住民同士の協力関係が欠かせませんからね。集会とか地域で清掃やるとかはウチの方にも普通にありますし」
「そこに自分から飛び込んだくせして不満垂れてんのはさすがに考えが甘すぎる」
「そういう人ほどよりにもよって小さい集落に憧れるんですよ。せめて地方都市くらいにすればいいのになんでそっちに行っちゃうんだろ。同じエリアでも市街地と町村とじゃ環境違うって想像つきそうだけど」
「ゼロか百か白か黒かの世界でしか生きられねえんじゃねえのか」
理想と現実の不一致はこの世の普遍なのだろう。
仕事が忙しいからお金払って部屋の中でお掃除ロボをお散歩させていた人が、スローライフに憧れを抱いてド田舎に引っ越してみたところ、地元民の活動に頻繁に繰り出されて全然気が休まらないと言って嘆くパターンはしばしば耳にする。安寧の地を見つけるのは大変だ。
「距離が近いのが苦手だからってよそよそしくされるのも嫌がるんでしょうけど」
「冷たいとかなんとか言ってな」
「初対面の人とすぐ打ち解けられるかどうかは地方も都会も関係ないよ。なのにすぐ田舎は閉鎖的だとか排他的だとか言われるんです」
「急にやってきた都会の余所者が全住民から無条件で受け入れてもらえるなんて奇跡に近い」
「文句言ってねえで菓子折り持って挨拶回りでもしてくればいいのに。お客様待遇でもてなしてもらえるとでも思ってんのかな」
「都合のいい感動ドラマの見過ぎだ」
「一回いい方に意識が向いちゃうと夢と理想だけ膨らむから怖いね」
好待遇でチヤホヤしてもらえるのは一時訪れた観光客だけだ。
旅人にはすごく優いのにここに住みますって言われた途端に冷たくなるのがド田舎のデフォだ。
そんなんだから限界集落になるんだろ。それで片づけるのはシンプルで分かりやすい。
地方創生に成功する地域と失敗する地域があるのと同じで、地方移住で満足を手に入れる人もいれば嫌気が差して出ていく人もいる。そういう人の発言だけが、拡散されてしまうことも多々ある。
変化を恐れる田舎が悪いのか、それとも楽観的で目論見の甘い移住者が悪いのか。はたまた両方に問題があるのか。もしくはもっと別の何かが複雑に絡まっているのか。
一言で片付くものではないしそこまで単純な話でもない。不幸にもこの世は現実だ。型に嵌まった勧善懲悪のフィクションみたいにはなってくれない。
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