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13. 残念な大人
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お茶か紅茶かコーヒー。もしくはミネラルウォーター。ウチで出せる飲料物だ。酒は買わないから一つも置いていない。買える年齢じゃないし、そもそも好きでもないし。
酒とかあった方がいいですか。瀬名さんに一度聞いてみた事がある。食事中でも食後でも、飲みたいなら俺に気を使う必要はないからと。
その時の瀬名さんからの答えはノー。基本的に飲まないらしい。飲めない訳ではないようだが、付き合いでもない限りは酒との縁が全く無いそう。煙草は吸うが酒はそうでもない。それが瀬名さんの嗜好だった。
「空き缶とかでよければ出します?」
「あ?」
「いえ、灰皿用に。吸いたいんじゃないですか?」
「……いや」
サラリーマンの日常なんて俺には分からない。けれど毎日煙草を吸うような人は一定間隔で吸いたくなっているようなイメージがある。だから訊ねてみたものの、瀬名さんはここでも首を左右に振った。
寝室に煙が漂ったところで特に気にしない。遠慮する事は何もないのに、しかしそう言えば瀬名さんが煙草を吸っている姿を俺は一度も見たことがなかった。
吸っている時の煙がゆらゆらと舞っているなと、ベランダに踏み出た時に気付いた事があっただけ。そしてそれでさえもすぐに消される。そんな事をふと振り返った。
「瀬名さんってなんで俺の前でタバコ吸わないの?」
これは単純な興味だ。スモーカーなのに俺にはその姿を見せない。
どうしてなのかと問いかけてみれば、瀬名さんは少し困った顔をした。
「最近の若い奴らは喫煙者を嫌うだろ」
「そうですか?」
「自分らが吸わねえからな」
言われてみれば確かにバイト先の先輩達にも喫煙者はいない気がする。
「お前は嫌じゃねえのか。横でタバコ吸ってるおっさんなんか鬱陶しいだけだろうよ」
「あなたは時々すっごい自虐的になりますよね」
「三十代のメンタルなめんな。ちょっとしたことですぐにズタボロだ」
こんなにも無駄に粘り強い人がそこまで脆弱なメンタルだとはとても思えない。
というか三十代なのかこの人。三十前後だろうとは思っていたが、ちゃんと年を聞いた事はなかった。
「正確にはいくつなんです?」
「三十二」
「なんだ、全然おっさんって年じゃないですよ」
「学生からしたら十分におっさんだろ。お前とは一回り以上も離れてる」
普通に計算して十四コ違い。新たに加わったこの人の情報だ。だがそれよりも。
「……気にしてたんだ」
「そりゃあな」
「意外かも」
「年寄りは若い奴に引け目を感じるもんなんだよ」
「年寄りって……」
三十二歳で年寄りになるなら本物のシニアはどうなるんだ。
「瀬名さんの見た目なら二十代でも全然通用すると思いますけど」
「若く見られてもそれはそれで男として微妙なところだ」
「なんなんですかめんどくせえな」
年寄りって卑下してみたり若く見られるのは嫌だと言ってみたり。
この大人は話せば話すほど最初の印象とは異なる顔を見せてくる。煙草の煙を気にしてくれる人であるのは分かっていた。だが俺と自分の年齢を比べて引け目に感じるとは知らなかった。
「瀬名さんはなんかちょっと、俺のイメージとは違う人だったかもしれません」
思ったより普通の人だった。瀬名さんは手にしていたマグカップをテーブルの上に戻して、興味のあるような目を向けてくる。
「どう違ったんだ」
「いえまあ、なんて言うか。最初はひたすらクソ腹立つ大人だなって感じだったんですけど」
「口悪いなお前」
「あんたも人のこと言えませんよ」
地方出身者同士その辺はお互い様だろう。
クソ腹立つ大人であるのは今だって変わらない。行動には隙がなくて捉えどころがないし、仕事が出来そうなお兄さんは驕る事を決してしないから逆にそれがイヤミだし。
人の話を聞かないようでいて実はよく聞いている。不真面目な口振りとは裏腹にその内側はどこまでも誠実。一言でまとめるなら良く分からない人だ。だから俺とは違う所で生きているような気がしていた。
「それで、今は?」
でも今は。今の、この人に対する印象は。
時々変なところで弱腰になる人。学生の俺を見下すどころか、自分の年を気にするような人。そういう人を前にして、俺がひとつ思うことは。
「……あれですね。黙ってりゃイケメン」
はっ、と瀬名さんがおかしげに笑った。
これで間違いないだろう。黙ってさえいれば文句なしにカッコイイ。黙れない人だから何かと残念だ。
「あなたは色々もったいないと思う」
「黙ってたら惚れてくれるのか」
「惚れねえし。そういうトコですよ」
呆れ気味に俺が返しても瀬名さんは挫けない。この男のどこにメンタルの弱い要素があるのか教えてほしい。
「どうしても惚れねえか」
「どうしても惚れません」
「どうすれば惚れるんだ」
「俺に聞かれても分かりません。ケーキもらったところで惚れないのは確実ですけど」
今はもう瀬名さんがくれる物なら何であっても遠慮なくもらっている。しかしこうやって話しているのは、貢ぎ物が理由ではない。
「相変わらず手強いな」
「あなたは相変わらず諦めが悪すぎます」
「俺の長所だろ」
「短所じゃないんですか」
黙ってりゃイケメンな男はやっぱりここでも黙らなかった。諦めずにグイグイ来る。短所であろうと長所であろうと俺にとっては迷惑な話だ。
「ケーキが駄目ならマカロンで総攻撃かけてみるか」
「やめてホント」
うんざりと吐き捨てても瀬名さんは満足そうなままだから、ついついこっちまでそれにつられる。並んで座るこの空間には二人分の笑い声がクスクスと混ざっていった。
瀬名さんのマグカップの中身が底をつくのはもうすぐ。完全になくなってしまえばこの人は腰を上げる。だからそうなってしまう前に、もう一杯を俺が勧める。そうやって引き止めているのだって、貢ぎ物のせいじゃない。
「おかわりいります?」
「……ああ。頼む」
黙らないこの人と、もう少しだけ話していたい。
酒とかあった方がいいですか。瀬名さんに一度聞いてみた事がある。食事中でも食後でも、飲みたいなら俺に気を使う必要はないからと。
その時の瀬名さんからの答えはノー。基本的に飲まないらしい。飲めない訳ではないようだが、付き合いでもない限りは酒との縁が全く無いそう。煙草は吸うが酒はそうでもない。それが瀬名さんの嗜好だった。
「空き缶とかでよければ出します?」
「あ?」
「いえ、灰皿用に。吸いたいんじゃないですか?」
「……いや」
サラリーマンの日常なんて俺には分からない。けれど毎日煙草を吸うような人は一定間隔で吸いたくなっているようなイメージがある。だから訊ねてみたものの、瀬名さんはここでも首を左右に振った。
寝室に煙が漂ったところで特に気にしない。遠慮する事は何もないのに、しかしそう言えば瀬名さんが煙草を吸っている姿を俺は一度も見たことがなかった。
吸っている時の煙がゆらゆらと舞っているなと、ベランダに踏み出た時に気付いた事があっただけ。そしてそれでさえもすぐに消される。そんな事をふと振り返った。
「瀬名さんってなんで俺の前でタバコ吸わないの?」
これは単純な興味だ。スモーカーなのに俺にはその姿を見せない。
どうしてなのかと問いかけてみれば、瀬名さんは少し困った顔をした。
「最近の若い奴らは喫煙者を嫌うだろ」
「そうですか?」
「自分らが吸わねえからな」
言われてみれば確かにバイト先の先輩達にも喫煙者はいない気がする。
「お前は嫌じゃねえのか。横でタバコ吸ってるおっさんなんか鬱陶しいだけだろうよ」
「あなたは時々すっごい自虐的になりますよね」
「三十代のメンタルなめんな。ちょっとしたことですぐにズタボロだ」
こんなにも無駄に粘り強い人がそこまで脆弱なメンタルだとはとても思えない。
というか三十代なのかこの人。三十前後だろうとは思っていたが、ちゃんと年を聞いた事はなかった。
「正確にはいくつなんです?」
「三十二」
「なんだ、全然おっさんって年じゃないですよ」
「学生からしたら十分におっさんだろ。お前とは一回り以上も離れてる」
普通に計算して十四コ違い。新たに加わったこの人の情報だ。だがそれよりも。
「……気にしてたんだ」
「そりゃあな」
「意外かも」
「年寄りは若い奴に引け目を感じるもんなんだよ」
「年寄りって……」
三十二歳で年寄りになるなら本物のシニアはどうなるんだ。
「瀬名さんの見た目なら二十代でも全然通用すると思いますけど」
「若く見られてもそれはそれで男として微妙なところだ」
「なんなんですかめんどくせえな」
年寄りって卑下してみたり若く見られるのは嫌だと言ってみたり。
この大人は話せば話すほど最初の印象とは異なる顔を見せてくる。煙草の煙を気にしてくれる人であるのは分かっていた。だが俺と自分の年齢を比べて引け目に感じるとは知らなかった。
「瀬名さんはなんかちょっと、俺のイメージとは違う人だったかもしれません」
思ったより普通の人だった。瀬名さんは手にしていたマグカップをテーブルの上に戻して、興味のあるような目を向けてくる。
「どう違ったんだ」
「いえまあ、なんて言うか。最初はひたすらクソ腹立つ大人だなって感じだったんですけど」
「口悪いなお前」
「あんたも人のこと言えませんよ」
地方出身者同士その辺はお互い様だろう。
クソ腹立つ大人であるのは今だって変わらない。行動には隙がなくて捉えどころがないし、仕事が出来そうなお兄さんは驕る事を決してしないから逆にそれがイヤミだし。
人の話を聞かないようでいて実はよく聞いている。不真面目な口振りとは裏腹にその内側はどこまでも誠実。一言でまとめるなら良く分からない人だ。だから俺とは違う所で生きているような気がしていた。
「それで、今は?」
でも今は。今の、この人に対する印象は。
時々変なところで弱腰になる人。学生の俺を見下すどころか、自分の年を気にするような人。そういう人を前にして、俺がひとつ思うことは。
「……あれですね。黙ってりゃイケメン」
はっ、と瀬名さんがおかしげに笑った。
これで間違いないだろう。黙ってさえいれば文句なしにカッコイイ。黙れない人だから何かと残念だ。
「あなたは色々もったいないと思う」
「黙ってたら惚れてくれるのか」
「惚れねえし。そういうトコですよ」
呆れ気味に俺が返しても瀬名さんは挫けない。この男のどこにメンタルの弱い要素があるのか教えてほしい。
「どうしても惚れねえか」
「どうしても惚れません」
「どうすれば惚れるんだ」
「俺に聞かれても分かりません。ケーキもらったところで惚れないのは確実ですけど」
今はもう瀬名さんがくれる物なら何であっても遠慮なくもらっている。しかしこうやって話しているのは、貢ぎ物が理由ではない。
「相変わらず手強いな」
「あなたは相変わらず諦めが悪すぎます」
「俺の長所だろ」
「短所じゃないんですか」
黙ってりゃイケメンな男はやっぱりここでも黙らなかった。諦めずにグイグイ来る。短所であろうと長所であろうと俺にとっては迷惑な話だ。
「ケーキが駄目ならマカロンで総攻撃かけてみるか」
「やめてホント」
うんざりと吐き捨てても瀬名さんは満足そうなままだから、ついついこっちまでそれにつられる。並んで座るこの空間には二人分の笑い声がクスクスと混ざっていった。
瀬名さんのマグカップの中身が底をつくのはもうすぐ。完全になくなってしまえばこの人は腰を上げる。だからそうなってしまう前に、もう一杯を俺が勧める。そうやって引き止めているのだって、貢ぎ物のせいじゃない。
「おかわりいります?」
「……ああ。頼む」
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