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178.後悔Ⅱ
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バカみたいに誠実な人を疑うなんて、それこそが馬鹿げている。適当な事などできないはずだ。何があってもそれだけは確信がある。
だからもしも瀬名さんが、俺ではない別の誰かを選んだとするなら。それはもう、本気だ。浮気とは違う。適当にはできない相手だ。
本気の誰かが俺以外にできたのかもしれない。
いつからだろう。それが事実なら俺はどうなる。捨てられるのか。ここにいちゃいけないのか。あの日見た女を思い起こせば、勝負なんてものはするまでもないこと。
もういらないなんて言う人じゃない。邪魔だからどっか行けなんて言わない。そんな事を言える人ではないけど、気持ちがそこにないなら、何も変わらない。
俺のところに留めておくにはどうしたらいい。泣けばいいのか。縋りでもすればいいのか。行かないでって、言えばいいのか。
そんな事をして困った顔をされでもしたら虚しいだけだ。瀬名さんを困らせたくはないけど、どこかに行ってしまうのも嫌だ。
置いていかれたらどうしよう。あの時見たマンションは、なんだったんだろう。
恋人と、お隣さんと、この世で一番安心できる場所を、俺は一度に失うかもしれない。手を離してしまったらきっと、二度と戻らない。帰ってこない。
「瀬名さん……」
取られる。そう思ったら、腕は勝手に伸びていた。まさか自分がこんなふうに、手を伸ばすとは思っていなかった。
ベッドの中で、真隣にいてもその顔は見ない。目を合わせる事さえできないくせに、軽々しく、ふしだらに、いかがわしい理由でこの人の服を掴んだ。
どんな理由だろうと瀬名さんは俺を否定しない。それだけは自信があった。その自信もいよいよ揺らいでいたが、この人は手を握り返してくれる。落ち着けるみたいに腰を抱かれた。
「……どうした」
伝わっているはずなのに、そう言ってくる。拒否ではないけど。やんわりと、俺を落ち着けようとしてくる。
「疲れてる……?」
疲れるようなこと、してきたんですか。俺じゃない誰かと、どこかで。
俺の腰を抱きとめるその手は、そういう意味じゃない。その意図を感じない。だけどもういらないなんてことを、この人なら言わない。言えないだろう。
「遥希……」
「ダメですか」
「…………」
いいとも悪いとも答えてくれなかった。どこか困ったようなその気配が、優しい以外のなんでもないのは俺が一番よく知っている。
「……なあお前、ここんとこずっと…」
知ってるから、キスして、それ以上は言わせなかった。聞きたくないし、聞かれたくない。
瀬名さんはすぐ気づく人だ。こんなの自分でだっておかしいと思う。いつも通りにできない。ずっと落ち着かない。それをこの人が、気付かないはずがない。
気付かれている事に気付いている。怖くて、どうにかなりそうになってる。この人ともう目を合わせられない。目を見て話したら、切り出されるかもしれない。
ごめんって。申し訳なさそうな顔をしながら、捨てる意味の何かを言われるかもしれない。
***
ベッドの上で全部を晒すのはとっくに慣れたつもりだったが、今夜ほど滑稽だった日はないだろう。
情けない泣き声はみっともないだけの喘ぎ声に代えた。間違っても涙なんて出てこないように、痛いくらいにシーツを握りしめていた。
無様でどうしようもない人間が相手でも瀬名さんはずっと優しい。終わってもなお大事にされるのは今に始まった事じゃなくて、今夜もまた後ろから労わるように抱きしめられた。
耳の下を唇がかすめる。大切だって、言わずに言われる。終わったらさっさと放り出して寝てしまうような男だったら、きっともっと楽だったのに。
瀬名さんが優しくなかったことはない。優しい人に、最低なことをした。
裏切っているのは俺の方だ。こんなふうに抱かれた。抱かせてしまった。綺麗な人に、穢らわしいことをさせた。
「瀬名さん……」
「うん?」
「…………」
なんでこんなに優しいんだろう。そこまで丁寧である必要はないのに。
女の子じゃない。所詮は男だ。少しくらい手荒に扱ったって、どうこうなるような体ではないのに。
本当に俺で大丈夫か。面白味のない男の体なんかで、ちゃんと満足できているか。
聞けるはずがないから黙った。こんな事まで疑うようになった。呼びかけただけでそれ以上何も喋らなくなった俺を、瀬名さんはやわらかく抱きしめてきた。
いきすぎなくらい大事にされる。この人が第一に考えるのは俺。酷いことなんて絶対にしない。いつだって尊重されてきたのに、たった一度おかしな光景を目の当たりにしただけで簡単に疑う。俺はそんな程度だ。疑っている。
約束をキャンセルした恋人が、女の人と会っていた。それだけのつまらない出来事で、そんな些細な事実一つで、こうなるらしい。知らなかった。とられる。その考えばかり、頭を占める。
繋ぎ留めておける物があるとしたらなんだろうか。男同士で年も離れている。趣味も好みも、社会的な立場も違う。最初に俺がこの人を拒否し続けてきた理由がそっくりそのまま、今の俺に跳ね返ってきた。
繋ぎ留めておける物なんてない。気持ち一つで繋がっているのに、それがなくなったら、おしまいだ。
いつも優しい。必ずそうだ。優しい触れ方だけをするこの人を、試すような真似をした。
なんて酷い事をしてしまったのだろう。こんな事をして何になる。好きな人を心底疑っている。そんな事実だけが残った。
だからもしも瀬名さんが、俺ではない別の誰かを選んだとするなら。それはもう、本気だ。浮気とは違う。適当にはできない相手だ。
本気の誰かが俺以外にできたのかもしれない。
いつからだろう。それが事実なら俺はどうなる。捨てられるのか。ここにいちゃいけないのか。あの日見た女を思い起こせば、勝負なんてものはするまでもないこと。
もういらないなんて言う人じゃない。邪魔だからどっか行けなんて言わない。そんな事を言える人ではないけど、気持ちがそこにないなら、何も変わらない。
俺のところに留めておくにはどうしたらいい。泣けばいいのか。縋りでもすればいいのか。行かないでって、言えばいいのか。
そんな事をして困った顔をされでもしたら虚しいだけだ。瀬名さんを困らせたくはないけど、どこかに行ってしまうのも嫌だ。
置いていかれたらどうしよう。あの時見たマンションは、なんだったんだろう。
恋人と、お隣さんと、この世で一番安心できる場所を、俺は一度に失うかもしれない。手を離してしまったらきっと、二度と戻らない。帰ってこない。
「瀬名さん……」
取られる。そう思ったら、腕は勝手に伸びていた。まさか自分がこんなふうに、手を伸ばすとは思っていなかった。
ベッドの中で、真隣にいてもその顔は見ない。目を合わせる事さえできないくせに、軽々しく、ふしだらに、いかがわしい理由でこの人の服を掴んだ。
どんな理由だろうと瀬名さんは俺を否定しない。それだけは自信があった。その自信もいよいよ揺らいでいたが、この人は手を握り返してくれる。落ち着けるみたいに腰を抱かれた。
「……どうした」
伝わっているはずなのに、そう言ってくる。拒否ではないけど。やんわりと、俺を落ち着けようとしてくる。
「疲れてる……?」
疲れるようなこと、してきたんですか。俺じゃない誰かと、どこかで。
俺の腰を抱きとめるその手は、そういう意味じゃない。その意図を感じない。だけどもういらないなんてことを、この人なら言わない。言えないだろう。
「遥希……」
「ダメですか」
「…………」
いいとも悪いとも答えてくれなかった。どこか困ったようなその気配が、優しい以外のなんでもないのは俺が一番よく知っている。
「……なあお前、ここんとこずっと…」
知ってるから、キスして、それ以上は言わせなかった。聞きたくないし、聞かれたくない。
瀬名さんはすぐ気づく人だ。こんなの自分でだっておかしいと思う。いつも通りにできない。ずっと落ち着かない。それをこの人が、気付かないはずがない。
気付かれている事に気付いている。怖くて、どうにかなりそうになってる。この人ともう目を合わせられない。目を見て話したら、切り出されるかもしれない。
ごめんって。申し訳なさそうな顔をしながら、捨てる意味の何かを言われるかもしれない。
***
ベッドの上で全部を晒すのはとっくに慣れたつもりだったが、今夜ほど滑稽だった日はないだろう。
情けない泣き声はみっともないだけの喘ぎ声に代えた。間違っても涙なんて出てこないように、痛いくらいにシーツを握りしめていた。
無様でどうしようもない人間が相手でも瀬名さんはずっと優しい。終わってもなお大事にされるのは今に始まった事じゃなくて、今夜もまた後ろから労わるように抱きしめられた。
耳の下を唇がかすめる。大切だって、言わずに言われる。終わったらさっさと放り出して寝てしまうような男だったら、きっともっと楽だったのに。
瀬名さんが優しくなかったことはない。優しい人に、最低なことをした。
裏切っているのは俺の方だ。こんなふうに抱かれた。抱かせてしまった。綺麗な人に、穢らわしいことをさせた。
「瀬名さん……」
「うん?」
「…………」
なんでこんなに優しいんだろう。そこまで丁寧である必要はないのに。
女の子じゃない。所詮は男だ。少しくらい手荒に扱ったって、どうこうなるような体ではないのに。
本当に俺で大丈夫か。面白味のない男の体なんかで、ちゃんと満足できているか。
聞けるはずがないから黙った。こんな事まで疑うようになった。呼びかけただけでそれ以上何も喋らなくなった俺を、瀬名さんはやわらかく抱きしめてきた。
いきすぎなくらい大事にされる。この人が第一に考えるのは俺。酷いことなんて絶対にしない。いつだって尊重されてきたのに、たった一度おかしな光景を目の当たりにしただけで簡単に疑う。俺はそんな程度だ。疑っている。
約束をキャンセルした恋人が、女の人と会っていた。それだけのつまらない出来事で、そんな些細な事実一つで、こうなるらしい。知らなかった。とられる。その考えばかり、頭を占める。
繋ぎ留めておける物があるとしたらなんだろうか。男同士で年も離れている。趣味も好みも、社会的な立場も違う。最初に俺がこの人を拒否し続けてきた理由がそっくりそのまま、今の俺に跳ね返ってきた。
繋ぎ留めておける物なんてない。気持ち一つで繋がっているのに、それがなくなったら、おしまいだ。
いつも優しい。必ずそうだ。優しい触れ方だけをするこの人を、試すような真似をした。
なんて酷い事をしてしまったのだろう。こんな事をして何になる。好きな人を心底疑っている。そんな事実だけが残った。
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