貢がせて、ハニー!

わこ

文字の大きさ
上 下
178 / 250

178.後悔Ⅱ

しおりを挟む
 バカみたいに誠実な人を疑うなんて、それこそが馬鹿げている。適当な事などできないはずだ。何があってもそれだけは確信がある。
 だからもしも瀬名さんが、俺ではない別の誰かを選んだとするなら。それはもう、本気だ。浮気とは違う。適当にはできない相手だ。

 本気の誰かが俺以外にできたのかもしれない。
 いつからだろう。それが事実なら俺はどうなる。捨てられるのか。ここにいちゃいけないのか。あの日見た女を思い起こせば、勝負なんてものはするまでもないこと。
 もういらないなんて言う人じゃない。邪魔だからどっか行けなんて言わない。そんな事を言える人ではないけど、気持ちがそこにないなら、何も変わらない。

 俺のところに留めておくにはどうしたらいい。泣けばいいのか。縋りでもすればいいのか。行かないでって、言えばいいのか。
 そんな事をして困った顔をされでもしたら虚しいだけだ。瀬名さんを困らせたくはないけど、どこかに行ってしまうのも嫌だ。

 置いていかれたらどうしよう。あの時見たマンションは、なんだったんだろう。
 恋人と、お隣さんと、この世で一番安心できる場所を、俺は一度に失うかもしれない。手を離してしまったらきっと、二度と戻らない。帰ってこない。


「瀬名さん……」

 取られる。そう思ったら、腕は勝手に伸びていた。まさか自分がこんなふうに、手を伸ばすとは思っていなかった。

 ベッドの中で、真隣にいてもその顔は見ない。目を合わせる事さえできないくせに、軽々しく、ふしだらに、いかがわしい理由でこの人の服を掴んだ。
 どんな理由だろうと瀬名さんは俺を否定しない。それだけは自信があった。その自信もいよいよ揺らいでいたが、この人は手を握り返してくれる。落ち着けるみたいに腰を抱かれた。

「……どうした」

 伝わっているはずなのに、そう言ってくる。拒否ではないけど。やんわりと、俺を落ち着けようとしてくる。

「疲れてる……?」

 疲れるようなこと、してきたんですか。俺じゃない誰かと、どこかで。
 俺の腰を抱きとめるその手は、そういう意味じゃない。その意図を感じない。だけどもういらないなんてことを、この人なら言わない。言えないだろう。

「遥希……」
「ダメですか」
「…………」

 いいとも悪いとも答えてくれなかった。どこか困ったようなその気配が、優しい以外のなんでもないのは俺が一番よく知っている。

「……なあお前、ここんとこずっと…」

 知ってるから、キスして、それ以上は言わせなかった。聞きたくないし、聞かれたくない。
 瀬名さんはすぐ気づく人だ。こんなの自分でだっておかしいと思う。いつも通りにできない。ずっと落ち着かない。それをこの人が、気付かないはずがない。

 気付かれている事に気付いている。怖くて、どうにかなりそうになってる。この人ともう目を合わせられない。目を見て話したら、切り出されるかもしれない。
 ごめんって。申し訳なさそうな顔をしながら、捨てる意味の何かを言われるかもしれない。





***





 ベッドの上で全部を晒すのはとっくに慣れたつもりだったが、今夜ほど滑稽だった日はないだろう。
 情けない泣き声はみっともないだけの喘ぎ声に代えた。間違っても涙なんて出てこないように、痛いくらいにシーツを握りしめていた。

 無様でどうしようもない人間が相手でも瀬名さんはずっと優しい。終わってもなお大事にされるのは今に始まった事じゃなくて、今夜もまた後ろから労わるように抱きしめられた。
 耳の下を唇がかすめる。大切だって、言わずに言われる。終わったらさっさと放り出して寝てしまうような男だったら、きっともっと楽だったのに。

 瀬名さんが優しくなかったことはない。優しい人に、最低なことをした。
 裏切っているのは俺の方だ。こんなふうに抱かれた。抱かせてしまった。綺麗な人に、穢らわしいことをさせた。

「瀬名さん……」
「うん?」
「…………」

 なんでこんなに優しいんだろう。そこまで丁寧である必要はないのに。
 女の子じゃない。所詮は男だ。少しくらい手荒に扱ったって、どうこうなるような体ではないのに。

 本当に俺で大丈夫か。面白味のない男の体なんかで、ちゃんと満足できているか。
 聞けるはずがないから黙った。こんな事まで疑うようになった。呼びかけただけでそれ以上何も喋らなくなった俺を、瀬名さんはやわらかく抱きしめてきた。

 いきすぎなくらい大事にされる。この人が第一に考えるのは俺。酷いことなんて絶対にしない。いつだって尊重されてきたのに、たった一度おかしな光景を目の当たりにしただけで簡単に疑う。俺はそんな程度だ。疑っている。
 約束をキャンセルした恋人が、女の人と会っていた。それだけのつまらない出来事で、そんな些細な事実一つで、こうなるらしい。知らなかった。とられる。その考えばかり、頭を占める。

 繋ぎ留めておける物があるとしたらなんだろうか。男同士で年も離れている。趣味も好みも、社会的な立場も違う。最初に俺がこの人を拒否し続けてきた理由がそっくりそのまま、今の俺に跳ね返ってきた。
 繋ぎ留めておける物なんてない。気持ち一つで繋がっているのに、それがなくなったら、おしまいだ。

 いつも優しい。必ずそうだ。優しい触れ方だけをするこの人を、試すような真似をした。
 なんて酷い事をしてしまったのだろう。こんな事をして何になる。好きな人を心底疑っている。そんな事実だけが残った。
しおりを挟む
感想 42

あなたにおすすめの小説

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください

わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

風紀“副”委員長はギリギリモブです

柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。 俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。 そう、“副”だ。あくまでも“副”。 だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに! BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

迷子の僕の異世界生活

クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。 通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。 その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。 冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。 神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。 2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

処理中です...