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142.ジェントルⅠ
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「贈り物としてマカロンってどう思います?」
「マカロン? 食いたいのか? 分かった買ってくる」
「なんでそんな嬉しそうなの」
マグカップをローテーブルに置いて腰を上げようとしたこの人の腕を即座にガシッと掴んで止めた。
隙あらば貢ごうとする瀬名恭吾の習性を確認したくて聞いたわけじゃない。メシ食って一息ついてる社会人を閉店間際の洋菓子店に走らせるような真似だってするつもりはない。
「マカロン寄越せって言いたいんじゃなくてですね、とんでもなくお世話になった人へのお礼としてどうかなって迷ってるんですよ」
「お礼?」
「ええ。工藤さんと榊さんに」
「……あの時の二人?」
「うん。たんぽぽのマカロンが工藤さんもお気に入りらしいので」
二人が行くはずだった洋菓子店。その名もたんぽぽ。看板にはローマ字でもカタカナでもなくひらがなのふんわりした丸っこいフォントでたんぽぽと書いてある。
そこの店のマカロンが二人の目当てだったというのは聞いていた。わざわざ買いに行くことがあるだけの可愛くて美味しい逸品だ。
たんぽぽはケーキでも焼き菓子でもどれだろうとみんな綺麗で美味いが、マカロンだけに限って言うなら一番人気はカラフルな五個セット。
春夏秋冬のイメージに合わせた計四種のシーズンボックスなんかもある。箱の色が季節ごとに変えてあり、春ボックスは小さい花がポンポン咲いている桃色で、夏ボックスは活気づいた森にでもいるみたいな明るいグリーン。秋ボックスは山吹色を背景にしてモミジらしき葉っぱがヒラヒラ舞っている。冬ボックスは雪の結晶マークがワンポイント入ったホワイトカラーだ。
秋ボックスに入っている薄茶色のキャラメル味と、春ボックスに入っている濃いピンクのフランボワーズ味が俺のお気に入りツートップ。
たんぽぽだけでもすでに散々瀬名さんに貢がれてきた。ケーキ買いに行ってレジ横のカゴの中のバラ売りマカロンを三秒見ていると、キャラメル味とフランボワーズ味を瀬名さんがさり気なく手に取ってこれもお願いしますと言いながら店員さんの前に出している。
そんなことばっか積み重ねてきたから、俺は良く知っている。味も見栄えも満点だと思う。プレゼントにするとしても文句のない品だろう。
しかしここで問題なのは、これがただの贈り物じゃないこと。差し迫った危機から救ってもらったデカすぎる恩へのお返しだ。
「ちょっとくらいはお礼もしたいんですけど、あんな状況で助けてもらったにしてはさすがに場違いな感じかなあとも……」
あれだけの恩を受けておいてそのままというのも申し訳ないが、かと言ってそのお礼がお菓子というのも果たして相応しいのか否か。
デートを邪魔してしまったお詫びも兼ねて。そんなことも頭に浮かんだのだが、状況が状況だっただけにやはりマカロンは軽すぎるだろうか。いくらなんでもフワッとしすぎか。何せ主原料はメレンゲだ。卵白だ。
そんなことを一人で考えていた。ところが俺の考えを聞いた瀬名さんは、全く別のところに焦点を当てたようだ。少しばかり難しい顔をした。
「……詳しいことは俺も知らねえが、なんにせよ物贈るのはよした方がいいんじゃねえのか。たぶん困らせる」
「え。困るかな」
「公務員だろ。二人とも」
指摘されてようやく、ハッとした。完全に失念していた。
そうだ。あの二人は公務員。職務規定やらなんやらかんやらが色々と厳しそうな立ち位置にある。身近な公務員と言うと県立高校勤務の親父しかいないからほとんど気にしたことがなかったが、でもそうだよな。そういうのあるよな。公務員の人ってその辺シビアだよな。
可否の線引きはきわめて微妙。正確なボーダーラインの把握は一般人には結構難しい。これがもし国会議員だとちょっと浮かれて油断した瞬間に政治生命終わったりもする。あげても貰っても同様に。
そのため賢明な公務員ならば、誰からのどんな贈り物でも例外なく遠慮して備えるだろう。たとえ俺みたいな利害関係もクソもないような一般市民が相手だとしても。そしておそらくあのお二人は、賢明な部類の人たちだ。
そもそも榊さんと工藤さんはどう見たって親切ないい人。公務員の服務規程がどうのこうのとかいう以前に、気持ちの面で単純に困らせそう。
「……そっか」
「ああ。やめとけ」
「……そうします」
まともな社会人に相談して正解だった。危うく恩人を困らせるところだ。
俺に答えを与えてくれた常識的な大人の瀬名さんは、今度こそマグカップをテーブルに置くとその場でスクッと腰を上げた。
「そういうわけでマカロン買ってくる」
「はっ? ちょっと待って、どういうわけで?」
「十二分で戻るから留守番は頼んだ」
「ダッシュする気満々じゃないですか」
俺が食いてえって話じゃねえって言ってんのになぜかこうなる。なんでだ。謎だ。意味が分からない。鍵と財布だけを手に取り、瀬名さんは本当に行ってしまった。
ポツンと置いてきぼりを食らった寝室のベッド前。玄関ではパタンと静かにドアが閉められたのを聞いた。
「…………」
なんだってあれをまともな社会人などと思ったのだろうか俺は。
そうして隙あらば貢ごうとする男は、閉店間際の洋菓子店に駆け込み冬ボックスのマカロンを仕留めてきた。
ホワイトカラーの可愛らしい箱。雪の結晶のワンポイント。中に入っているのは白っぽいのと、薄い水色のマカロン計五つ。
白が三つで、青が二つで、シマシマになるよう美しく配置してある。しつこくない甘さのホワイトチョコレート味が俺のお気に入りナンバースリーだ。
ちなみにお気に入り四番目はというと、夏ボックスに入っているサッパリ系のシャインマスカット。香りもいいしパステルカラーのグリーンも可愛いしでとても好き。春ボックスの中の薄ピンク色のピーチ味も同率四位くらいだと思う。
洋菓子店たんぽぽの商品ラインナップに俺がここまで詳しくなったのは、言うまでもなくカモられおじさんのせいだ。
「マカロン? 食いたいのか? 分かった買ってくる」
「なんでそんな嬉しそうなの」
マグカップをローテーブルに置いて腰を上げようとしたこの人の腕を即座にガシッと掴んで止めた。
隙あらば貢ごうとする瀬名恭吾の習性を確認したくて聞いたわけじゃない。メシ食って一息ついてる社会人を閉店間際の洋菓子店に走らせるような真似だってするつもりはない。
「マカロン寄越せって言いたいんじゃなくてですね、とんでもなくお世話になった人へのお礼としてどうかなって迷ってるんですよ」
「お礼?」
「ええ。工藤さんと榊さんに」
「……あの時の二人?」
「うん。たんぽぽのマカロンが工藤さんもお気に入りらしいので」
二人が行くはずだった洋菓子店。その名もたんぽぽ。看板にはローマ字でもカタカナでもなくひらがなのふんわりした丸っこいフォントでたんぽぽと書いてある。
そこの店のマカロンが二人の目当てだったというのは聞いていた。わざわざ買いに行くことがあるだけの可愛くて美味しい逸品だ。
たんぽぽはケーキでも焼き菓子でもどれだろうとみんな綺麗で美味いが、マカロンだけに限って言うなら一番人気はカラフルな五個セット。
春夏秋冬のイメージに合わせた計四種のシーズンボックスなんかもある。箱の色が季節ごとに変えてあり、春ボックスは小さい花がポンポン咲いている桃色で、夏ボックスは活気づいた森にでもいるみたいな明るいグリーン。秋ボックスは山吹色を背景にしてモミジらしき葉っぱがヒラヒラ舞っている。冬ボックスは雪の結晶マークがワンポイント入ったホワイトカラーだ。
秋ボックスに入っている薄茶色のキャラメル味と、春ボックスに入っている濃いピンクのフランボワーズ味が俺のお気に入りツートップ。
たんぽぽだけでもすでに散々瀬名さんに貢がれてきた。ケーキ買いに行ってレジ横のカゴの中のバラ売りマカロンを三秒見ていると、キャラメル味とフランボワーズ味を瀬名さんがさり気なく手に取ってこれもお願いしますと言いながら店員さんの前に出している。
そんなことばっか積み重ねてきたから、俺は良く知っている。味も見栄えも満点だと思う。プレゼントにするとしても文句のない品だろう。
しかしここで問題なのは、これがただの贈り物じゃないこと。差し迫った危機から救ってもらったデカすぎる恩へのお返しだ。
「ちょっとくらいはお礼もしたいんですけど、あんな状況で助けてもらったにしてはさすがに場違いな感じかなあとも……」
あれだけの恩を受けておいてそのままというのも申し訳ないが、かと言ってそのお礼がお菓子というのも果たして相応しいのか否か。
デートを邪魔してしまったお詫びも兼ねて。そんなことも頭に浮かんだのだが、状況が状況だっただけにやはりマカロンは軽すぎるだろうか。いくらなんでもフワッとしすぎか。何せ主原料はメレンゲだ。卵白だ。
そんなことを一人で考えていた。ところが俺の考えを聞いた瀬名さんは、全く別のところに焦点を当てたようだ。少しばかり難しい顔をした。
「……詳しいことは俺も知らねえが、なんにせよ物贈るのはよした方がいいんじゃねえのか。たぶん困らせる」
「え。困るかな」
「公務員だろ。二人とも」
指摘されてようやく、ハッとした。完全に失念していた。
そうだ。あの二人は公務員。職務規定やらなんやらかんやらが色々と厳しそうな立ち位置にある。身近な公務員と言うと県立高校勤務の親父しかいないからほとんど気にしたことがなかったが、でもそうだよな。そういうのあるよな。公務員の人ってその辺シビアだよな。
可否の線引きはきわめて微妙。正確なボーダーラインの把握は一般人には結構難しい。これがもし国会議員だとちょっと浮かれて油断した瞬間に政治生命終わったりもする。あげても貰っても同様に。
そのため賢明な公務員ならば、誰からのどんな贈り物でも例外なく遠慮して備えるだろう。たとえ俺みたいな利害関係もクソもないような一般市民が相手だとしても。そしておそらくあのお二人は、賢明な部類の人たちだ。
そもそも榊さんと工藤さんはどう見たって親切ないい人。公務員の服務規程がどうのこうのとかいう以前に、気持ちの面で単純に困らせそう。
「……そっか」
「ああ。やめとけ」
「……そうします」
まともな社会人に相談して正解だった。危うく恩人を困らせるところだ。
俺に答えを与えてくれた常識的な大人の瀬名さんは、今度こそマグカップをテーブルに置くとその場でスクッと腰を上げた。
「そういうわけでマカロン買ってくる」
「はっ? ちょっと待って、どういうわけで?」
「十二分で戻るから留守番は頼んだ」
「ダッシュする気満々じゃないですか」
俺が食いてえって話じゃねえって言ってんのになぜかこうなる。なんでだ。謎だ。意味が分からない。鍵と財布だけを手に取り、瀬名さんは本当に行ってしまった。
ポツンと置いてきぼりを食らった寝室のベッド前。玄関ではパタンと静かにドアが閉められたのを聞いた。
「…………」
なんだってあれをまともな社会人などと思ったのだろうか俺は。
そうして隙あらば貢ごうとする男は、閉店間際の洋菓子店に駆け込み冬ボックスのマカロンを仕留めてきた。
ホワイトカラーの可愛らしい箱。雪の結晶のワンポイント。中に入っているのは白っぽいのと、薄い水色のマカロン計五つ。
白が三つで、青が二つで、シマシマになるよう美しく配置してある。しつこくない甘さのホワイトチョコレート味が俺のお気に入りナンバースリーだ。
ちなみにお気に入り四番目はというと、夏ボックスに入っているサッパリ系のシャインマスカット。香りもいいしパステルカラーのグリーンも可愛いしでとても好き。春ボックスの中の薄ピンク色のピーチ味も同率四位くらいだと思う。
洋菓子店たんぽぽの商品ラインナップに俺がここまで詳しくなったのは、言うまでもなくカモられおじさんのせいだ。
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