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140.助太刀Ⅰ
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俺を狙った被疑者の野郎は、なんだかどうにも手馴れていた。
表向きはちゃんとした会社員をしていただけあって手回しに必要な金銭的余裕くらいはあったのだろう。早々示談に持ち込みたいのか、向こうの弁護士から即座にコンタクトがあった。
数ヶ月にわたるストーカー行為。そして最終的な暴力行為。示談の申し入れだけはやたらと迅速。
前の二件のことを警察に聞かされていたからこちらとしてもそれは想定内だった。けれども犯人による素早い手回しにキレたのは瀬名さんの方で、すでに俺の意思を知っているこの人は、敵討ちでもするみたいな目をしてプライベート用のスマホを手に取った。
しかしその表情はどこか無念そう。奥底から悔しさが滲み出ている。そしてその表情のまま、絞り出すようにして言った。
「すまない……この件に関して俺だと力不足だ」
キョトンとしている俺を前に、瀬名さんはもう一つ付け足した。
「だから俺の知っている限り、この世で最も頼もしい助っ人を呼んでもいいか」
「助っ人……?」
俺のオウム返しにうなずいたこの人。何を言っているのかはよく分からなかった。それでも瀬名さんの言うことだから、ひとまずは頷いて返した。
そうして瀬名さんが連絡したのが陽子さんだった。瀬名さんから電話するなんて普段ならあり得ない相手だ。
とは言え確かに物凄く頼もしい存在のように思える。その印象は本物で、すぐさま陽子さんの知り合いだという女性弁護士さんを紹介してもらった。
同じ大学出身の同期だそうだ。学部は違ったが昔から優秀な人で以前は検事をやっていたという。反省の色のない犯罪者を容赦なくとことん詰めるのが得意らしい。
まぎれもなく正義の味方だ。実際にお会いしてみたところ、悪とは対極にいそうな女性だった。
だからなのかその弁護士さんと初対面した瞬間の俺は、悪いことなんて何もしていないのに背筋が反射的にピンと伸びた。
「状況は把握しました。ここからは私が代理人としてあなたの利益を最大化させます」
「利益?」
お互いに挨拶と事務的な話と状況の確認などを終えてから、その人が切り出した今後の話。俺の利益を最大化する。
「……あの、折角ですが……金については別にそんな……」
民事で訴える気満々ではあるがその目的は金じゃない。
ぎこちなく言い淀んだ俺に、この人はうなずいて返してきた。
「現実的な賠償を求めることはあなたが受けた苦痛を相手に知らしめる手段の一つですが、ここで言う利益とは金銭に限った話ではありません。私たちには誰にでも個人としての尊厳があります。奪われたものは取り返すべきです」
口を開きかけ、しかしすぐに思い止まる。弁護士さんの声はすんなり入ってきた。補足されたその言葉は果たして何を意味しているのか。今だから、はっきり分かる。
俺が奪われたものは何か。何をもってして貶められたか。持ち去られた物なんてないが侵害された事実だけは確かだ。
俺があの男から取り返したいものを、この人は最初から分かってくれていた。
「あなたが守りたいものを、私が一緒に守ります」
「…………」
目には見えない。形もない。それを指し示すような言葉は、六法全書のどこを探してもおそらく載っていないだろう。法律的にどうこうするのは難しい。これが制度の限界だ。
きっと一番大事だけれど、見過ごされてしまうことは多い。それを守り、解決するための道を、この人は真っすぐ示してくれた。
「いかがでしょう」
「……はい。お願いします」
「ええ。任せて」
少々キツそうに見えた表情を、少しだけ和らげてうなずいた弁護士さん。
士業ってなんか胡散臭い。俺の中の庶民的な偏見が、払拭された瞬間だった。
同じような二回の過去を持った男だ。こちらの手には傷害を示す正式な診断書もあり、俺が示談を拒否することで起訴処分になる可能性は高いが、ストーカー規制法の罰則対象にさせるためにはいくつかの要件もある。そのために重要な意味を持つのが証拠だ。本人の自供は取れているから、その自白を物的に補強する。
はっきりした物的証拠となるのは俺に送り付けられた手紙と写真と、それぞれがポストに届いた日付の記録。あいつのパソコンに保存されていたデータ。あとはいくつか残っているはずの監視カメラの映像も。ただしカメラに映ったあいつの素顔は、おそらくほとんどが隠されているだろう。
行動は大胆なくせしてとにかく慎重な奴だった。前科はなくても前歴のある被疑者を起訴するかどうかは検察が決定し、最終的な判断は裁判所が下す。あの男が早々につけた弁護士がどう動くかにもよるだろうから、どれだけの処罰が与えられるかはまだなんとも言い切れない。
現時点で考え得るありとあらゆる可能性を弁護士さんは全て話してくれた。そのうえで約束してくれた。
犯人はすでに身柄送検されているため検察でもまた事件の話を聞かれるかもしれないが、不安なことがあればいつでも連絡してくれて構わない。相応しい裁定が下されるよう、まずは刑事裁判に向けて全面的に協力する。その結果の如何に関わらず、民訴でも必ず力になると。
利益と金とを完全なイコールで結び付けないその人は、帰る間際に手を差し出してきた。丁寧ながらも、力強い握手。信頼するのは簡単だった。
基本的に俺が今後犯人の男と直接対話することはない。この人が必要な手はずを整えてくれる。
俺はただクソ野郎を後悔させるための、証拠と証言を提出するだけだ。
「という感じで、見るからに頼りになる人でした」
「よかった。陽子さんに相談して正解だったな」
「やっぱり陽子さんてさすがですよね。友達に弁護士さんいる人初めて会いました」
「あの人の人脈の広さには俺も度々驚かされてきた。その辺にも一つくらいツテがあるだろうと踏んでみたんだが、まさか直でつながるとは」
おっかねえ人だから敵にだけは回すなよ。ひどくゲッソリして呟いた瀬名さんは過去の何がしかを思い出したのかもしれない。
人脈をひけらかさない人ほど、物凄いバックや交友関係をあちこちに持っていたりする。
表向きはちゃんとした会社員をしていただけあって手回しに必要な金銭的余裕くらいはあったのだろう。早々示談に持ち込みたいのか、向こうの弁護士から即座にコンタクトがあった。
数ヶ月にわたるストーカー行為。そして最終的な暴力行為。示談の申し入れだけはやたらと迅速。
前の二件のことを警察に聞かされていたからこちらとしてもそれは想定内だった。けれども犯人による素早い手回しにキレたのは瀬名さんの方で、すでに俺の意思を知っているこの人は、敵討ちでもするみたいな目をしてプライベート用のスマホを手に取った。
しかしその表情はどこか無念そう。奥底から悔しさが滲み出ている。そしてその表情のまま、絞り出すようにして言った。
「すまない……この件に関して俺だと力不足だ」
キョトンとしている俺を前に、瀬名さんはもう一つ付け足した。
「だから俺の知っている限り、この世で最も頼もしい助っ人を呼んでもいいか」
「助っ人……?」
俺のオウム返しにうなずいたこの人。何を言っているのかはよく分からなかった。それでも瀬名さんの言うことだから、ひとまずは頷いて返した。
そうして瀬名さんが連絡したのが陽子さんだった。瀬名さんから電話するなんて普段ならあり得ない相手だ。
とは言え確かに物凄く頼もしい存在のように思える。その印象は本物で、すぐさま陽子さんの知り合いだという女性弁護士さんを紹介してもらった。
同じ大学出身の同期だそうだ。学部は違ったが昔から優秀な人で以前は検事をやっていたという。反省の色のない犯罪者を容赦なくとことん詰めるのが得意らしい。
まぎれもなく正義の味方だ。実際にお会いしてみたところ、悪とは対極にいそうな女性だった。
だからなのかその弁護士さんと初対面した瞬間の俺は、悪いことなんて何もしていないのに背筋が反射的にピンと伸びた。
「状況は把握しました。ここからは私が代理人としてあなたの利益を最大化させます」
「利益?」
お互いに挨拶と事務的な話と状況の確認などを終えてから、その人が切り出した今後の話。俺の利益を最大化する。
「……あの、折角ですが……金については別にそんな……」
民事で訴える気満々ではあるがその目的は金じゃない。
ぎこちなく言い淀んだ俺に、この人はうなずいて返してきた。
「現実的な賠償を求めることはあなたが受けた苦痛を相手に知らしめる手段の一つですが、ここで言う利益とは金銭に限った話ではありません。私たちには誰にでも個人としての尊厳があります。奪われたものは取り返すべきです」
口を開きかけ、しかしすぐに思い止まる。弁護士さんの声はすんなり入ってきた。補足されたその言葉は果たして何を意味しているのか。今だから、はっきり分かる。
俺が奪われたものは何か。何をもってして貶められたか。持ち去られた物なんてないが侵害された事実だけは確かだ。
俺があの男から取り返したいものを、この人は最初から分かってくれていた。
「あなたが守りたいものを、私が一緒に守ります」
「…………」
目には見えない。形もない。それを指し示すような言葉は、六法全書のどこを探してもおそらく載っていないだろう。法律的にどうこうするのは難しい。これが制度の限界だ。
きっと一番大事だけれど、見過ごされてしまうことは多い。それを守り、解決するための道を、この人は真っすぐ示してくれた。
「いかがでしょう」
「……はい。お願いします」
「ええ。任せて」
少々キツそうに見えた表情を、少しだけ和らげてうなずいた弁護士さん。
士業ってなんか胡散臭い。俺の中の庶民的な偏見が、払拭された瞬間だった。
同じような二回の過去を持った男だ。こちらの手には傷害を示す正式な診断書もあり、俺が示談を拒否することで起訴処分になる可能性は高いが、ストーカー規制法の罰則対象にさせるためにはいくつかの要件もある。そのために重要な意味を持つのが証拠だ。本人の自供は取れているから、その自白を物的に補強する。
はっきりした物的証拠となるのは俺に送り付けられた手紙と写真と、それぞれがポストに届いた日付の記録。あいつのパソコンに保存されていたデータ。あとはいくつか残っているはずの監視カメラの映像も。ただしカメラに映ったあいつの素顔は、おそらくほとんどが隠されているだろう。
行動は大胆なくせしてとにかく慎重な奴だった。前科はなくても前歴のある被疑者を起訴するかどうかは検察が決定し、最終的な判断は裁判所が下す。あの男が早々につけた弁護士がどう動くかにもよるだろうから、どれだけの処罰が与えられるかはまだなんとも言い切れない。
現時点で考え得るありとあらゆる可能性を弁護士さんは全て話してくれた。そのうえで約束してくれた。
犯人はすでに身柄送検されているため検察でもまた事件の話を聞かれるかもしれないが、不安なことがあればいつでも連絡してくれて構わない。相応しい裁定が下されるよう、まずは刑事裁判に向けて全面的に協力する。その結果の如何に関わらず、民訴でも必ず力になると。
利益と金とを完全なイコールで結び付けないその人は、帰る間際に手を差し出してきた。丁寧ながらも、力強い握手。信頼するのは簡単だった。
基本的に俺が今後犯人の男と直接対話することはない。この人が必要な手はずを整えてくれる。
俺はただクソ野郎を後悔させるための、証拠と証言を提出するだけだ。
「という感じで、見るからに頼りになる人でした」
「よかった。陽子さんに相談して正解だったな」
「やっぱり陽子さんてさすがですよね。友達に弁護士さんいる人初めて会いました」
「あの人の人脈の広さには俺も度々驚かされてきた。その辺にも一つくらいツテがあるだろうと踏んでみたんだが、まさか直でつながるとは」
おっかねえ人だから敵にだけは回すなよ。ひどくゲッソリして呟いた瀬名さんは過去の何がしかを思い出したのかもしれない。
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