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113.破壊者Ⅴ
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あのままあの場で溜まっていると俺たちがまとめて通報されそうだから近くのファミレスに移動した。
三人も一緒だ。五人でぞろぞろ店に入った。全員ついてこい。そう言ったのは瀬名さんだったが誰一人として逆らわなかった。
特に浩太はやや怯えている。利き腕をあっさり捻り上げられながら氷点下の眼差しと無慈悲な重低音を投げつけられたら誰でもこうなる。
向かったのは明るい店内の最奥。六人掛けの席についた。
俺の隣には瀬名さん。目の前には三人。使い捨てお手拭きを持ってきたスタッフにホットコーヒー五つと言って瀬名さんは端的に注文を述べ、それによって店員さんを追い払うとまずは俺に説明を求めた。
ここまでくればもう白状するしかない。昼間三人に見せたのと、同じ物を瀬名さんの前で広げた。
テーブルの上にとりあえず出したのはバッグから適当に掴み取った五通。どれも白い封筒であり、そこに書かれているのは宛名。裏面にも表面にもどこにも送り主の情報はない。
その封筒を瀬名さんは覚えていたようだ。中身の一文に目を通し、おそらくは全てを察した。
「……なんで黙ってた」
「ごめんなさい……巻き込みたくなくて」
「…………」
それについてそれ以上問われることはなく、瀬名さんの視線は別の封筒に落とされた。
その一通には消印が押されていない。切手を貼っていない手紙なら、本来俺の元に届くはずがない。瀬名さんはそれにもきっと気付いた。
「……いつから」
「最初に手紙が来たのは、もうだいぶ……ひと月以上前です」
「この他にも来てるのか」
「はい……。この中にもまだ一部が……」
膝の上のバッグを見下ろして答えた。
「あとは自分の部屋にも……置いてあります」
そこにあの一通も交じっている。瀬名さんの部屋番号が書かれていたあの封筒が。
俺が途中で言葉に詰まると、そこからは三人が代わりに話した。送り主がマンションまで来ていること。つけられている気配もあること。犯人の目星がつかず手紙以外の証拠もないため、現行犯でひっ捕らえるためにおとり作戦を実行していたこと。
ここまでしつこく続くとは俺も思っていなかった。最初の方は破って捨てていたくらいだ。
危機感が薄い。瀬名さんには時々そんなふうに言われてきたけど、その通りだった。軽く見ていた。ストーカー被害などというものを男である俺が受けている。その事実自体、受け入れがたかった。
状況説明があらかた終わるのと同時くらい。五人分のコーヒーが運ばれてきた。
ごゆっくりどうぞ。そんな意味の定型文を口にしたスタッフがテーブルから離れても、瀬名さんはしばし考えこむような顔をして黙っていた。
なんと言ったらいいかが分からない。テーブルには気まずい雰囲気が漂う。目の前で並んでいる三人にとってはもうこれ以上話せることはなく、当事者ではないのだからそれはもちろん当然で、何か言うべきは俺であるが言葉が何も出てこない。
情けない。何もかもが、情けない。ただギリッとこぶしを握りしめた。
しかしそこで横からスッと、膝の上の手に体温が乗った。テーブル越しの三人からは見えない。そんな位置で瀬名さんが、落ち着けるように俺の手を覆った。
「全員メシまだだろ」
短い沈黙を唐突に破ったのも瀬名さんだった。三人が顔を上げると、テーブルの上でパサッと開かれたのは備え付けのメニュー表。
「好きなの頼め。時間取らせた礼だ」
淡々と言う社会人の男と、戸惑った顔をする三人。さすがにさっきの今でもあるから遠慮するこいつらに向けて、瀬名さんはデカいメニューを無造作に押し付けた。そして自分はさっさとコーヒーに口をつけている。
三人ともぎこちなく控えめに頭を下げた。それを見ている俺も変な気分だ。どうにも不可思議な状況だ。
俺たちのために瀬名さんが再度店員さんを呼んだのは、それからすぐ後のことだった。
***
「気持ちも分かるがああいう危ない真似はよせ。相手がどんな奴かも分からねえのに素人がやるような事じゃねえ。お前らが無傷で済んだとしてもだ。相手に怪我なんか負わせちまうとこっちが罪に問われることもある。たとえそいつがクソみてえな変態ブタ野郎だったとしてもな」
食いながらでいいから適当に聞け。
そう言って始まった瀬名さんのお説教は至極まともだった。ど正論だ。ただしめちゃくちゃ口が悪い。冷静に怒っている。それを感じた。この人の怒りの矛先は、手紙の送り主に向いている。
三人は料理が運ばれてきた頃にはだいぶ吹っ切れていたようで、モリモリガツガツそれぞれ食いながら俺と一緒に瀬名さんの話をうんうんと聞いていた。
ハイとかスミマセンとか分かりましたとか合間に誰かしらが挟む。この短時間でこの社会人は男子学生をすっかり手懐けた。
「なあ、ところで」
皿の上も空になりかけた頃、目の前の浩太に呼びかけた瀬名さん。フォークを止めた浩太が顔を上げると、静かな声で改まって言った。
「さっきは悪かった。腕平気か?」
「え? あ、はい。全然。こっちこそすみません、タックルとかかましちゃって」
三人で思いっきり突っ込んでいった結果逆に捕まって捻り上げられたわけだが。
突発的にあらゆる誤解が生じた。血相を変えて飛んできた三人の姿を思い出す。押しやられた俺を驚いたように見る、瀬名さんの目を思い出す。こいつらは瀬名さんをストーカー犯だと思い、瀬名さんは俺を押しのけた三人を完全に蹴散らすべき対象としていた。
諸悪の根源が誰かと聞かれればそれはもちろん俺でしかないが、瀬名さんはとにかく大人だ。
ジャケットからは小さなケースを取り出し、そこから出てきたのは名刺だった。裏に何か書きつけていくその手元を隣からチラリと覗き見れば、プライベートの電話番号。それを浩太に向けて渡した。
「痛みなりなんなり異常があったら遠慮なく言ってほしい。治療費は持つ」
「えっ。いえいえ、そんな」
慌ててブンブン首を横に振った浩太に、この人は連絡先の入った名刺をテーブルの上で差し出した。そこまでされれば受け取らない訳にもいかないだろう。浩太も軽く頭を下げつつ、その名刺を受け取った。
真っ当な身なりに真っ当な対応。見るからにちゃんとした社会人の男と、学生の男が四人。
おかしな組み合わせにもおかしな状況にも瀬名さんだけは動じることなく、コーヒーカップに一度口をつけるとそれを静かにコトリと置いた。
「年上として一応は説教くせえこと垂れてはみたが、感謝してる」
今度は三人に向けてこの人は言った。こいつらはいささかキョトンとした。
「遥希の話を聞いてくれてありがとう」
一瞬の間。それはおそらく、誰も予想していない。
ありがとう。スーツを着た大人の男が、学生に向けてそんな事を言った。
目の前の三人は更なるキョトンだ。俺も驚いて隣を見たが、三人からはボソボソと声が上がってくる。
「いや……そんな……俺らは何も……」
「あんなキモイ手紙見ちゃったら、さすがに……」
「変態のさばらせとくのも……なんか、はい。アレですし……」
瀬名さんが放った一言のせいでみんな妙にテレテレし出した。浩太も岡崎も小宮山も揃って恥ずかしそうにしつつも順々にモゴモゴと。
あまりにも照れ臭くなっているものだから、なんでこの社会人のお兄さんが俺のことで感謝してくるんだとかそういう疑問は浮かばないようだった。
気持ち悪い雰囲気になってしまったことだし食い終えるとその後はすぐお開きに。
少し前まで俺のガードに徹していた三人は、どうにも強いらしいサラリーマンが隣にいることで安心したようだ。ファミレスを出るとそこで解散し、俺は瀬名さんとマンションに帰ってきた。
二人でうちのポストの前に立ち、瀬名さんのすぐそばで扉を開いた。中に交じっていた白い封筒。押し黙った俺の背を瀬名さんが守るように押して、やや急ぎ足に部屋へと戻った。
自宅に置いてあった手紙も全部、瀬名さんに見せた。束になっているそれらを。それぞれの日付の記録とともに。
瀬名さんの部屋番号が書かれた封筒の中身を見せた時のこの人は、少し怖い顔をした。その横顔を、間近で目にした。
「……怒ってますか」
習慣的な動作によってネクタイを緩めたこの人に聞けば、すぐに振り向き、そばに来てくれる。
煩わせている。きっとそう。今のこの質問だって。そうなってもいいはずなのに、この人はそんなことを思わない。
「ろくに話す時間すら取らずにいたのはこっちだ。気づいてやれなくて悪かった」
気づこうとしてくれるこの人に、気づかせないよう隠したのが俺だ。もっと早くに相談しておけば、あいつらにもあんなことをさせてしまう状況にはならなかった。
誰も俺を責めない。男のくせにとか、そんなことも誰一人言わない。世間の偏見が怖かったけど、一番偏っているのは誰だろう。男の自分がストーカーに遭うなんて。いまだに俺だけがそう思ってる。
「……俺がこの部屋にいるって、知ってるんです」
「そうみたいだな」
「巻き込みたくないなんて言ったけど……あなたのことをもう巻き込んでるかもしれない」
甘かった。もっと早くに対処すべきだった。大丈夫だと思い込むようにして、それで今になって急に慌てている。
巻き込まれた側の瀬名さんは迷惑そうな表情の一つさえも浮かべない。さっきのファミレスでしてくれたみたいに、落ち着けるように俺の手を取った。
「心配ない。俺は大丈夫だ」
「でも……」
「お前は自分の安全だけ考えろ」
「…………」
余計なことで気を揉ませたくない。よく言う。いい子ぶりやがって。何が巻き込みたくないだ。
黙って、隠して、重荷にならないようにして。結局はこういう事になっている。面倒なガキでしかないという本質が、露わになるようで嫌だった。
瀬名さんに付き添われながら警察署に行った。たとえ気休めにしかならなかったとしても何もしないよりはマシだろうと。
緊急性を少しでも理解してもらうため、手紙はあるだけ持って行った。そこにいたんだね。そう書かれた手紙も含めて。見られている。それを示す証拠にはなる。
届いた日の記録も俺の写真ももちろん警察の人に見せた。だが小宮山の言う通り、犯人の目星も付いていない以上は現時点で対処のしようはなかった。誰だか分からない相手に警告は出せない。たとえ目星がついたとしても、仮に接点の薄い相手だと禁止命令まで出すのは簡単ではないらしい。
それでもマンション周辺のパトロールは強化すると約束された。被害を受けている俺は男で、犯人の検討さえもつかない。もっと冷たくあしらわれるかと思っていたが実際にはそこまでではなかった。
担当者にもよるだろうし土地柄にもよるだろうからケースバイケースとしか言えないと思うが、俺はきっと運が良い方だ。状況は丁寧に聞き取られ、案内されたのは警察のシステム。緊急通報者の名前や状況を登録しておく制度があると。
事前に登録しておけば、被害に遭う可能性があるという情報の中身が共有される。都道府県単位のシステムだから都内にいる限りにおいては、万が一何かが起こったとしても通話ボタンをただ押すだけで警察が駆けつける。
本当に何かが起きたときの備えだ。電話さえかけられる状況にしておけばいい。
ただしそれはあくまで何かが起きたときの対応であって、何かをされる前の措置とは違う。
三人も一緒だ。五人でぞろぞろ店に入った。全員ついてこい。そう言ったのは瀬名さんだったが誰一人として逆らわなかった。
特に浩太はやや怯えている。利き腕をあっさり捻り上げられながら氷点下の眼差しと無慈悲な重低音を投げつけられたら誰でもこうなる。
向かったのは明るい店内の最奥。六人掛けの席についた。
俺の隣には瀬名さん。目の前には三人。使い捨てお手拭きを持ってきたスタッフにホットコーヒー五つと言って瀬名さんは端的に注文を述べ、それによって店員さんを追い払うとまずは俺に説明を求めた。
ここまでくればもう白状するしかない。昼間三人に見せたのと、同じ物を瀬名さんの前で広げた。
テーブルの上にとりあえず出したのはバッグから適当に掴み取った五通。どれも白い封筒であり、そこに書かれているのは宛名。裏面にも表面にもどこにも送り主の情報はない。
その封筒を瀬名さんは覚えていたようだ。中身の一文に目を通し、おそらくは全てを察した。
「……なんで黙ってた」
「ごめんなさい……巻き込みたくなくて」
「…………」
それについてそれ以上問われることはなく、瀬名さんの視線は別の封筒に落とされた。
その一通には消印が押されていない。切手を貼っていない手紙なら、本来俺の元に届くはずがない。瀬名さんはそれにもきっと気付いた。
「……いつから」
「最初に手紙が来たのは、もうだいぶ……ひと月以上前です」
「この他にも来てるのか」
「はい……。この中にもまだ一部が……」
膝の上のバッグを見下ろして答えた。
「あとは自分の部屋にも……置いてあります」
そこにあの一通も交じっている。瀬名さんの部屋番号が書かれていたあの封筒が。
俺が途中で言葉に詰まると、そこからは三人が代わりに話した。送り主がマンションまで来ていること。つけられている気配もあること。犯人の目星がつかず手紙以外の証拠もないため、現行犯でひっ捕らえるためにおとり作戦を実行していたこと。
ここまでしつこく続くとは俺も思っていなかった。最初の方は破って捨てていたくらいだ。
危機感が薄い。瀬名さんには時々そんなふうに言われてきたけど、その通りだった。軽く見ていた。ストーカー被害などというものを男である俺が受けている。その事実自体、受け入れがたかった。
状況説明があらかた終わるのと同時くらい。五人分のコーヒーが運ばれてきた。
ごゆっくりどうぞ。そんな意味の定型文を口にしたスタッフがテーブルから離れても、瀬名さんはしばし考えこむような顔をして黙っていた。
なんと言ったらいいかが分からない。テーブルには気まずい雰囲気が漂う。目の前で並んでいる三人にとってはもうこれ以上話せることはなく、当事者ではないのだからそれはもちろん当然で、何か言うべきは俺であるが言葉が何も出てこない。
情けない。何もかもが、情けない。ただギリッとこぶしを握りしめた。
しかしそこで横からスッと、膝の上の手に体温が乗った。テーブル越しの三人からは見えない。そんな位置で瀬名さんが、落ち着けるように俺の手を覆った。
「全員メシまだだろ」
短い沈黙を唐突に破ったのも瀬名さんだった。三人が顔を上げると、テーブルの上でパサッと開かれたのは備え付けのメニュー表。
「好きなの頼め。時間取らせた礼だ」
淡々と言う社会人の男と、戸惑った顔をする三人。さすがにさっきの今でもあるから遠慮するこいつらに向けて、瀬名さんはデカいメニューを無造作に押し付けた。そして自分はさっさとコーヒーに口をつけている。
三人ともぎこちなく控えめに頭を下げた。それを見ている俺も変な気分だ。どうにも不可思議な状況だ。
俺たちのために瀬名さんが再度店員さんを呼んだのは、それからすぐ後のことだった。
***
「気持ちも分かるがああいう危ない真似はよせ。相手がどんな奴かも分からねえのに素人がやるような事じゃねえ。お前らが無傷で済んだとしてもだ。相手に怪我なんか負わせちまうとこっちが罪に問われることもある。たとえそいつがクソみてえな変態ブタ野郎だったとしてもな」
食いながらでいいから適当に聞け。
そう言って始まった瀬名さんのお説教は至極まともだった。ど正論だ。ただしめちゃくちゃ口が悪い。冷静に怒っている。それを感じた。この人の怒りの矛先は、手紙の送り主に向いている。
三人は料理が運ばれてきた頃にはだいぶ吹っ切れていたようで、モリモリガツガツそれぞれ食いながら俺と一緒に瀬名さんの話をうんうんと聞いていた。
ハイとかスミマセンとか分かりましたとか合間に誰かしらが挟む。この短時間でこの社会人は男子学生をすっかり手懐けた。
「なあ、ところで」
皿の上も空になりかけた頃、目の前の浩太に呼びかけた瀬名さん。フォークを止めた浩太が顔を上げると、静かな声で改まって言った。
「さっきは悪かった。腕平気か?」
「え? あ、はい。全然。こっちこそすみません、タックルとかかましちゃって」
三人で思いっきり突っ込んでいった結果逆に捕まって捻り上げられたわけだが。
突発的にあらゆる誤解が生じた。血相を変えて飛んできた三人の姿を思い出す。押しやられた俺を驚いたように見る、瀬名さんの目を思い出す。こいつらは瀬名さんをストーカー犯だと思い、瀬名さんは俺を押しのけた三人を完全に蹴散らすべき対象としていた。
諸悪の根源が誰かと聞かれればそれはもちろん俺でしかないが、瀬名さんはとにかく大人だ。
ジャケットからは小さなケースを取り出し、そこから出てきたのは名刺だった。裏に何か書きつけていくその手元を隣からチラリと覗き見れば、プライベートの電話番号。それを浩太に向けて渡した。
「痛みなりなんなり異常があったら遠慮なく言ってほしい。治療費は持つ」
「えっ。いえいえ、そんな」
慌ててブンブン首を横に振った浩太に、この人は連絡先の入った名刺をテーブルの上で差し出した。そこまでされれば受け取らない訳にもいかないだろう。浩太も軽く頭を下げつつ、その名刺を受け取った。
真っ当な身なりに真っ当な対応。見るからにちゃんとした社会人の男と、学生の男が四人。
おかしな組み合わせにもおかしな状況にも瀬名さんだけは動じることなく、コーヒーカップに一度口をつけるとそれを静かにコトリと置いた。
「年上として一応は説教くせえこと垂れてはみたが、感謝してる」
今度は三人に向けてこの人は言った。こいつらはいささかキョトンとした。
「遥希の話を聞いてくれてありがとう」
一瞬の間。それはおそらく、誰も予想していない。
ありがとう。スーツを着た大人の男が、学生に向けてそんな事を言った。
目の前の三人は更なるキョトンだ。俺も驚いて隣を見たが、三人からはボソボソと声が上がってくる。
「いや……そんな……俺らは何も……」
「あんなキモイ手紙見ちゃったら、さすがに……」
「変態のさばらせとくのも……なんか、はい。アレですし……」
瀬名さんが放った一言のせいでみんな妙にテレテレし出した。浩太も岡崎も小宮山も揃って恥ずかしそうにしつつも順々にモゴモゴと。
あまりにも照れ臭くなっているものだから、なんでこの社会人のお兄さんが俺のことで感謝してくるんだとかそういう疑問は浮かばないようだった。
気持ち悪い雰囲気になってしまったことだし食い終えるとその後はすぐお開きに。
少し前まで俺のガードに徹していた三人は、どうにも強いらしいサラリーマンが隣にいることで安心したようだ。ファミレスを出るとそこで解散し、俺は瀬名さんとマンションに帰ってきた。
二人でうちのポストの前に立ち、瀬名さんのすぐそばで扉を開いた。中に交じっていた白い封筒。押し黙った俺の背を瀬名さんが守るように押して、やや急ぎ足に部屋へと戻った。
自宅に置いてあった手紙も全部、瀬名さんに見せた。束になっているそれらを。それぞれの日付の記録とともに。
瀬名さんの部屋番号が書かれた封筒の中身を見せた時のこの人は、少し怖い顔をした。その横顔を、間近で目にした。
「……怒ってますか」
習慣的な動作によってネクタイを緩めたこの人に聞けば、すぐに振り向き、そばに来てくれる。
煩わせている。きっとそう。今のこの質問だって。そうなってもいいはずなのに、この人はそんなことを思わない。
「ろくに話す時間すら取らずにいたのはこっちだ。気づいてやれなくて悪かった」
気づこうとしてくれるこの人に、気づかせないよう隠したのが俺だ。もっと早くに相談しておけば、あいつらにもあんなことをさせてしまう状況にはならなかった。
誰も俺を責めない。男のくせにとか、そんなことも誰一人言わない。世間の偏見が怖かったけど、一番偏っているのは誰だろう。男の自分がストーカーに遭うなんて。いまだに俺だけがそう思ってる。
「……俺がこの部屋にいるって、知ってるんです」
「そうみたいだな」
「巻き込みたくないなんて言ったけど……あなたのことをもう巻き込んでるかもしれない」
甘かった。もっと早くに対処すべきだった。大丈夫だと思い込むようにして、それで今になって急に慌てている。
巻き込まれた側の瀬名さんは迷惑そうな表情の一つさえも浮かべない。さっきのファミレスでしてくれたみたいに、落ち着けるように俺の手を取った。
「心配ない。俺は大丈夫だ」
「でも……」
「お前は自分の安全だけ考えろ」
「…………」
余計なことで気を揉ませたくない。よく言う。いい子ぶりやがって。何が巻き込みたくないだ。
黙って、隠して、重荷にならないようにして。結局はこういう事になっている。面倒なガキでしかないという本質が、露わになるようで嫌だった。
瀬名さんに付き添われながら警察署に行った。たとえ気休めにしかならなかったとしても何もしないよりはマシだろうと。
緊急性を少しでも理解してもらうため、手紙はあるだけ持って行った。そこにいたんだね。そう書かれた手紙も含めて。見られている。それを示す証拠にはなる。
届いた日の記録も俺の写真ももちろん警察の人に見せた。だが小宮山の言う通り、犯人の目星も付いていない以上は現時点で対処のしようはなかった。誰だか分からない相手に警告は出せない。たとえ目星がついたとしても、仮に接点の薄い相手だと禁止命令まで出すのは簡単ではないらしい。
それでもマンション周辺のパトロールは強化すると約束された。被害を受けている俺は男で、犯人の検討さえもつかない。もっと冷たくあしらわれるかと思っていたが実際にはそこまでではなかった。
担当者にもよるだろうし土地柄にもよるだろうからケースバイケースとしか言えないと思うが、俺はきっと運が良い方だ。状況は丁寧に聞き取られ、案内されたのは警察のシステム。緊急通報者の名前や状況を登録しておく制度があると。
事前に登録しておけば、被害に遭う可能性があるという情報の中身が共有される。都道府県単位のシステムだから都内にいる限りにおいては、万が一何かが起こったとしても通話ボタンをただ押すだけで警察が駆けつける。
本当に何かが起きたときの備えだ。電話さえかけられる状況にしておけばいい。
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