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88.瀬名家Ⅱ
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「……これはズルい」
黄色い猫目がこっちを見ていた。
「保護した翌々週くらいだったと思う。うちにもだいぶ慣れてきたようだったからその頃に親父が撮った」
「あぁ……かわいい。ヨタヨタしてそう」
「してた」
「ああぁぁぁ」
ルルさんの子猫時代をまとめたアルバムで発狂しそう。灰色の小さな子猫がカメラに向けて首をかしげている。
キャットルームにはオモチャだけでなく猫さんたちの思い出も詰まっている。大量のアルバムは棚に並べて大切に保管されていた。その中の一冊を取り出した瀬名さんに幼き日のルルを見せられた訳だが、とんでもなく可愛らしい。大人になった灰色の美猫は前にも見せてもらったけれど、手のひらサイズだったこの時代も守りたくなるような愛嬌だ。
「ちっちゃくてもちゃんと元気そう」
「ああ。ルルはこう見えて根性がある。拾った時は今にも死んじまいそうだったのに頑張って生きてくれた」
ルルの成長記録がここにはあった。弱そうだけど活発な子猫がスクスクと美しく育っていく。
そんなルルに育てられたキキは今、透明なキャットウォークの上からじっとこっちを見下ろしている。寝そべりながら時折しっぽをパタリと揺らしていたのだが、何かを思い立ったかのようにその場でむくりと体を起こした。くくっと体を伸ばしてから一段ずつステージを降りくる。床までトコッと到着すると、迷わずこっちにやって来た。
開いているアルバムの前で静かに座り込んだキキ。写真を見下ろし、鼻先を近づけ、透明なフィルムの上からルルの姿をくんくんしている。
「分かるのかな?」
「どうなんだかな。俺らがルルって言ってたから気になるのかもしれない」
猫の視力はそんなによくない。でもキキのこの様子からして、写真の中にいるルルの姿を認識しているとしか思えなかった。人間の勝手な見立てだけれど。
猫にだって感情はある。好きになった相手は忘れない。
写真をずっとクンクンしているキキの黒い頭を瀬名さんが撫で、一緒にルルを思い出すみたいにその手に顔をこすり付けたキキ。旅立った誰かを思い出すのは人間も動物もきっと同じだ。家族の灰色猫を思い出す瀬名さんとキキの繋がりは強い。
「ニャア」
若々しい鳴き声に顔を上げた。ココがいつの間にかすぐ近くまで来ている。さっきまで格闘していたトンボ型の小さなおもちゃは向こうでラグの上にブン投がっていた。
トコトコ歩いてきて通り過ぎざま俺の足にスリッとすりつき、その鼻先をキキに近づけると慰めるように顔をくっつけた若猫。キキもすぐにそれに応えた。額同士をモフッと合わせた二匹。
躾にすごく厳しいキキは、それ以上に面倒見がよくて愛情豊かなお姉さんなのだろう。お世話してくれた先輩ネコに、大人になった後輩ネコが寂しくないように寄り添っている。
人間が使うような言葉がなくても猫はこうやって気持ちを伝える。スリスリするのはマーキングだけじゃない。人と同じだ。これは親愛の証し。
「いい家族ですね」
「だろ?」
誇らしげに瀬名さんは言って、キキとココの頭を撫でた。
***
ペロペロし合っているうちに二匹の猫はゆったりしてきた。日の当たるキャットルームでキキココがお昼寝モードに入った頃、俺と瀬名さんは買い出しも兼ねてちょっとしたドライブに出発。
教習所の近くに比べると買い物できる場所もそれなりに多い。途中で小学校も見かけたし病院や診療所もちょこちょこあるらしいし生活するのに不便のない町。
田舎出身みたいなことをこの人は前に言っていたけど、本気度の高いど田舎ではなく住み心地良好な地方都市だった。
「ここは確かに地方ですけど辺鄙な田舎とは違いますよ」
「まあまあ田舎だろ。ここまで出て来ねえとウチの近所にはコンビニくらいしかない。そのコンビニだって歩いて五分強はかかる」
「ウチの実家から最寄りのコンビニまで歩いて行くならニ十分はかかります。そのコンビニができたのも今から六年くらい前です」
「すまん。田舎を分かってなかった」
不毛な田舎対決に勝利した。
地方だとか片田舎だとか、一応の定義はあってもみんななんとなく曖昧だ。でもここは少なくとも辺鄙ではない。村とか里って感じでもない。
瀬名さんのご実家の周辺はのどかで車の通りもほとんどないが、細い道をまっすぐ進めばすぐに国道に入れる立地だ。その道をしばらく車で走ってこの商業地域まで出てきた。大都会とは言えないにしてもそれなりに人は多いしそれなりの建物もある。
「いいなぁ。これくらいの賑わいがあったら俺も地元でもっと楽しい高校生活送れたと思う」
「ガーくんとドングリがあれば十分すぎるほど楽しいだろ」
「いや、楽しいですけど。そういうんじゃなくて。……ここら辺って映画館あります?」
「映画館?」
首をかしげつつもハンドルを握りながら瀬名さんはまっすぐ前を見て言った。
「このまま行くと駅があるんだが、その向こうに出て十分くらい走れば映画館も入ってるショッピングモールに着く」
「ほらぁッ! ウチそういうのなかったですもんっ。映画館行くならまず中心地出なきゃなんないからトータル二時間はかかります」
「長ぇな」
田舎の電車は待ち時間が長い。本数がないのは言うまでもないが、それに加えてウチの最寄り駅には駅員さんもいなかった。
生活するのに不便しかない。こことはまるで状況が異なる。きちんと整った商業地域は数年やそこらでできるもんじゃない。
「この辺りは昔からこんな感じなんですか?」
「そこまでガラッと変わったってことはねえと思う。ああでも、昔はあんなマンションなかった」
前方右側を軽く顎で示され、俺もそっちに目を向ける。高層と言える真新しいマンションだ。駅に近付くにつれて高さのあるこの手の建物もちょっとずつ増えてきた。取り残される田舎と取り残されない地方の差はこういうところにも出ている気がする。
「逆に昔からあったファッションビルがいつの間にかなくなってたことはあるな。商店街も年々静かになってくしデパートも昔ほどは客が入らねえ」
「デカいショッピングモールできちゃうと大体どこでもそうなりますよね」
「行こうと思ってて結局一度も行かねえままだった定食屋もいつの間にか潰れてたんだよ」
「ありがちだけどめっちゃ悲しいやつ」
そういうのは行こうと思った時にさっさと行っておくべきだ。
少し先の信号が変わって車の列がゆっくり止まった。瀬名さんはブレーキの踏み方一つまで懇切丁寧安心安全。そんな男の運転する車はこれ以上ないほど乗り心地がいい。
ゆったりとシートに凭れて呑気に乗っかっているだけの俺に、瀬名さんはチラリと目を向けてきた。
「いま腹減ってるか」
「え? うーん……いや、そうでも」
「次の信号曲がったとこにパーキングがあってな、そこから五分くらい歩いていくと小さい甘味処がある」
「腹減ってきました」
「味もメニューも悪くねえのに店の場所が微妙なせいで客の入りがそんな良くないって噂だ」
「行きましょう。いつの間にか潰れちゃう前に」
そういうのは興味を持った時にさっさと行っておくべきだ。
黄色い猫目がこっちを見ていた。
「保護した翌々週くらいだったと思う。うちにもだいぶ慣れてきたようだったからその頃に親父が撮った」
「あぁ……かわいい。ヨタヨタしてそう」
「してた」
「ああぁぁぁ」
ルルさんの子猫時代をまとめたアルバムで発狂しそう。灰色の小さな子猫がカメラに向けて首をかしげている。
キャットルームにはオモチャだけでなく猫さんたちの思い出も詰まっている。大量のアルバムは棚に並べて大切に保管されていた。その中の一冊を取り出した瀬名さんに幼き日のルルを見せられた訳だが、とんでもなく可愛らしい。大人になった灰色の美猫は前にも見せてもらったけれど、手のひらサイズだったこの時代も守りたくなるような愛嬌だ。
「ちっちゃくてもちゃんと元気そう」
「ああ。ルルはこう見えて根性がある。拾った時は今にも死んじまいそうだったのに頑張って生きてくれた」
ルルの成長記録がここにはあった。弱そうだけど活発な子猫がスクスクと美しく育っていく。
そんなルルに育てられたキキは今、透明なキャットウォークの上からじっとこっちを見下ろしている。寝そべりながら時折しっぽをパタリと揺らしていたのだが、何かを思い立ったかのようにその場でむくりと体を起こした。くくっと体を伸ばしてから一段ずつステージを降りくる。床までトコッと到着すると、迷わずこっちにやって来た。
開いているアルバムの前で静かに座り込んだキキ。写真を見下ろし、鼻先を近づけ、透明なフィルムの上からルルの姿をくんくんしている。
「分かるのかな?」
「どうなんだかな。俺らがルルって言ってたから気になるのかもしれない」
猫の視力はそんなによくない。でもキキのこの様子からして、写真の中にいるルルの姿を認識しているとしか思えなかった。人間の勝手な見立てだけれど。
猫にだって感情はある。好きになった相手は忘れない。
写真をずっとクンクンしているキキの黒い頭を瀬名さんが撫で、一緒にルルを思い出すみたいにその手に顔をこすり付けたキキ。旅立った誰かを思い出すのは人間も動物もきっと同じだ。家族の灰色猫を思い出す瀬名さんとキキの繋がりは強い。
「ニャア」
若々しい鳴き声に顔を上げた。ココがいつの間にかすぐ近くまで来ている。さっきまで格闘していたトンボ型の小さなおもちゃは向こうでラグの上にブン投がっていた。
トコトコ歩いてきて通り過ぎざま俺の足にスリッとすりつき、その鼻先をキキに近づけると慰めるように顔をくっつけた若猫。キキもすぐにそれに応えた。額同士をモフッと合わせた二匹。
躾にすごく厳しいキキは、それ以上に面倒見がよくて愛情豊かなお姉さんなのだろう。お世話してくれた先輩ネコに、大人になった後輩ネコが寂しくないように寄り添っている。
人間が使うような言葉がなくても猫はこうやって気持ちを伝える。スリスリするのはマーキングだけじゃない。人と同じだ。これは親愛の証し。
「いい家族ですね」
「だろ?」
誇らしげに瀬名さんは言って、キキとココの頭を撫でた。
***
ペロペロし合っているうちに二匹の猫はゆったりしてきた。日の当たるキャットルームでキキココがお昼寝モードに入った頃、俺と瀬名さんは買い出しも兼ねてちょっとしたドライブに出発。
教習所の近くに比べると買い物できる場所もそれなりに多い。途中で小学校も見かけたし病院や診療所もちょこちょこあるらしいし生活するのに不便のない町。
田舎出身みたいなことをこの人は前に言っていたけど、本気度の高いど田舎ではなく住み心地良好な地方都市だった。
「ここは確かに地方ですけど辺鄙な田舎とは違いますよ」
「まあまあ田舎だろ。ここまで出て来ねえとウチの近所にはコンビニくらいしかない。そのコンビニだって歩いて五分強はかかる」
「ウチの実家から最寄りのコンビニまで歩いて行くならニ十分はかかります。そのコンビニができたのも今から六年くらい前です」
「すまん。田舎を分かってなかった」
不毛な田舎対決に勝利した。
地方だとか片田舎だとか、一応の定義はあってもみんななんとなく曖昧だ。でもここは少なくとも辺鄙ではない。村とか里って感じでもない。
瀬名さんのご実家の周辺はのどかで車の通りもほとんどないが、細い道をまっすぐ進めばすぐに国道に入れる立地だ。その道をしばらく車で走ってこの商業地域まで出てきた。大都会とは言えないにしてもそれなりに人は多いしそれなりの建物もある。
「いいなぁ。これくらいの賑わいがあったら俺も地元でもっと楽しい高校生活送れたと思う」
「ガーくんとドングリがあれば十分すぎるほど楽しいだろ」
「いや、楽しいですけど。そういうんじゃなくて。……ここら辺って映画館あります?」
「映画館?」
首をかしげつつもハンドルを握りながら瀬名さんはまっすぐ前を見て言った。
「このまま行くと駅があるんだが、その向こうに出て十分くらい走れば映画館も入ってるショッピングモールに着く」
「ほらぁッ! ウチそういうのなかったですもんっ。映画館行くならまず中心地出なきゃなんないからトータル二時間はかかります」
「長ぇな」
田舎の電車は待ち時間が長い。本数がないのは言うまでもないが、それに加えてウチの最寄り駅には駅員さんもいなかった。
生活するのに不便しかない。こことはまるで状況が異なる。きちんと整った商業地域は数年やそこらでできるもんじゃない。
「この辺りは昔からこんな感じなんですか?」
「そこまでガラッと変わったってことはねえと思う。ああでも、昔はあんなマンションなかった」
前方右側を軽く顎で示され、俺もそっちに目を向ける。高層と言える真新しいマンションだ。駅に近付くにつれて高さのあるこの手の建物もちょっとずつ増えてきた。取り残される田舎と取り残されない地方の差はこういうところにも出ている気がする。
「逆に昔からあったファッションビルがいつの間にかなくなってたことはあるな。商店街も年々静かになってくしデパートも昔ほどは客が入らねえ」
「デカいショッピングモールできちゃうと大体どこでもそうなりますよね」
「行こうと思ってて結局一度も行かねえままだった定食屋もいつの間にか潰れてたんだよ」
「ありがちだけどめっちゃ悲しいやつ」
そういうのは行こうと思った時にさっさと行っておくべきだ。
少し先の信号が変わって車の列がゆっくり止まった。瀬名さんはブレーキの踏み方一つまで懇切丁寧安心安全。そんな男の運転する車はこれ以上ないほど乗り心地がいい。
ゆったりとシートに凭れて呑気に乗っかっているだけの俺に、瀬名さんはチラリと目を向けてきた。
「いま腹減ってるか」
「え? うーん……いや、そうでも」
「次の信号曲がったとこにパーキングがあってな、そこから五分くらい歩いていくと小さい甘味処がある」
「腹減ってきました」
「味もメニューも悪くねえのに店の場所が微妙なせいで客の入りがそんな良くないって噂だ」
「行きましょう。いつの間にか潰れちゃう前に」
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