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61.ラブコメみたいなⅡ
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「ていう事がありまして」
「そうか。相変わらずお前からはミキちゃんの話が絶えねえな」
だって活動範囲が狭い。必要に応じて海外に行くこともあるような働く大人とは異なり、大学とバイト先とこの家を中心に俺の世界は回っている。と言うことをこの人は分かっていない。
「よその女を可愛いと思ったなんていうクソみてえにクソな話を恋人に聞かされる俺の身にもなってみろ。可哀想だろうが」
「あーはいはい」
「謝れ」
「はいはい。ごめんなさい」
「心がこもってねえ」
注文が多い。
「いつまでもお前がそんなんだから離れてる間中心配でならねえよ」
「何を心配する必要があるんですか。自分じゃ気づかねえ本心ってやつもあるんだなって思っただけですよ」
「それを俺に聞かせてなんになる」
「いっそ二人をくっつけろって俺に言ったのあなたじゃないですか」
そんなつもりではなかったもののそういう感じになってきたから発案者である瀬名さんにもわざわざ報告してあげた。褒められるってんならまだしも責められる意味が分からない。
そこまで言ったら瀬名さんはため息。真上から俺を見下ろし、げんなりした顔を見せてくる。
「なにもこの状況で報告してくることねえだろ」
キシッと、微かにベッドが軋んだ。毎晩男二人を乗っけて耐えねばならないこのベッドは不憫だ。瀬名さんに乗っかられている俺は、不憫ではないけど逃げ場もない。
四割五分くらいは強引に俺のことを組み敷いた割には無駄話に付き合ってくれる。バイト先に向かう途中で擦れ違った黒猫が可愛かったという話は平和な態度で聞いてもらえた。ミキちゃんがやって来たくだりからは分かりやすく顔をしかめ、今も不満そうに俺を見下ろしている。髪に長い指を絡ませて、撫でてくる動作は優しいけれど。
「こういうときに女の話なんてするな」
「男の話ならいいんですか」
「ダメに決まってんだろ、何言ってんだ」
元々近かった顔の距離が、触れる寸前まで近づいた。
「俺のことだけ考えとけよ」
イケメンにしか許されないセリフを堂々と言い放ち、そろそろ黙っとけとでも言いたげに唇をそっと押し付けてきた。甘ったるくて長ったらしくてちょっとしつこいキスの最中、右手ひとつでプチプチ器用にシャツのボタンを外されていく。
余計なことでも考えていないと恥ずかしくてどうにかなりそうだから、気を紛らわせるためにベラベラ喋り、それを黙らせるのがこの人だ。自分はなかなか脱がないくせして人の服を脱がすのは早い。はだけた服の隙間からスルッと直に触れてくる。
この人の指先が肌の上を撫でる感覚はいまだに慣れない。心臓の上にその手が来たら、無様な程に鳴り響いている速い鼓動にも気づかれるだろう。
そんな不安ごと覆い込むように、大きな手が心臓の上に置かれた。見上げる。もう一度キスされる。そっと触れただけですぐに離れた。
「…………」
「何を考えてる」
「……聞かないで」
ふっと聞こえた瀬名さんの笑い声はすでに耳元。頬には唇がやわらかく触れた。しかしそんな時、ピンポンと。隣。うちからだ。この部屋じゃない。
俺の部屋に誰かが来たことは確かで瀬名さんにも聞こえているはずだがこの男は無視を決め込むっぽい。そして俺にも無視させようとする。
左頬を手のひらで包まれ、唇がまた重なる寸前、一回二回と鳴るだけだった呼び鈴が急に連打された。
「…………」
「…………」
ピンポンピンポンピンポンとしつこい。瀬名さんもそこで動きを止めて、ややイラついたように後方へと顔を向けた。ここからでは見えるはずもないけど、その視線の方向は玄関。外だ。
「ハルーッ、いるんだろっ。ハルーッ!」
音という環境要素に十分配慮したマンションではないため、廊下で大きめの声を出されるとたとえ扉越しであってもほとんどはっきり丸聞こえになる。ついでに強めのノックも響いた。ノックと言うか、扉をぶっ叩くような音。
ようななどと悠長にのほほんと例示している場合ではなく実際ぶっ叩かれている。ダンダンダンと絶え間なく。
「ハルーッ!!」
瀬名さんと顔見合わせた。
「…………」
「…………」
「……なんだってんだ」
「すみません……」
低い声で呟いた瀬名さんを残してやむを得ずベッドからおりた。これ以上叫ばれたらウチに苦情が来る。シャツのボタンを留め直しながら早足で玄関へ。
できる限りそろっと開けたつもりだったが重い扉はガチャッと音を立てている。隣のドアの隙間から顔を覗かせる俺に気づいたそいつ。浩太。
「え……あれ、そっち? え、ごめん、部屋……」
「……合ってるよ」
俺も瀬名さんも表札は出してある。ネームプレートを見返しながら混乱した表情を浮かべる浩太に間違っていないことを告げ、帰れと言って帰りそうな様子ではないためこっちからドアの外に出た。そんな俺を不思議そうに見てくる。
「なんでそっちにいんの……?」
「……ちょっと、給湯の調子悪くて……風呂借りようかと」
「ああ、そっか。お隣さんと仲いいんだったな」
「うん……」
いいも悪いもない。
「……とりあえず人んちの前で叫ぶのはよせよ。苦情来る」
「仕方ねえだろ、さっきからお前全然既読つかねえんだもん。電話しても出ねえし」
やたらバイブ鳴ってたのこいつか。あともう一回くらい鳴らされていたら瀬名さんがキレて人のスマホの電源を勝手に落としたと思う。
夜分に迷惑な突撃とは言えここでこのまま立ち話もなんだが、部屋に上げて給湯が壊れていない事に気づかれたら面倒だ。もちろん瀬名さんの部屋に上げるのも論外。
そのため公園まで連れだしてきた。いったん俺だけ部屋に引っ込んでその旨伝えた時の瀬名さんは激烈に不服そうだった。大人げない大人にも困るがひとまずはこいつをなんとかしないと。
いつもへらっとしている浩太が今はどことなく口数が少ない。深刻な顔つきも珍しかった。何かがあった事だけは分かる。
人のいない公園のベンチに並んで腰かけた。今は暗いから色まで見えないが、園内をぐるりと囲んでいる桜はすっかり緑色になっている。
「で……なに。あんな騒いだからにはそれなりの用件なんだろ?」
明るく楽しそうな用件とは思えないからさっさと聞いてさっさと帰りたい。
「どした」
「……ミキの様子がおかしいんだけどさ」
「あ?」
「お前、あいつになんか言った?」
単刀直入なその問いを受け、思わず口を閉じていた。答えずに黙った俺にかわって経緯を語り出したこいつ。
ミキちゃんがあの花屋に行くことは浩太も知っていたそうだ。買い物をして花屋に行ってバイト中の俺をおちょくり、浩太の家には夕方過ぎに向かう予定になっていた。昨日の夜まではいつもと変わらない様子でお菓子持ってくねと言っていたらしい。
それをミキちゃんは急遽キャンセル。なんだかちょっと熱っぽいから今日はやめておくと言いだし、電話越しに小さな声でごめんと謝ってきたそうだ。
「……それで? お前は?」
「ミキんち行ったよ、スポーツドリンク持って。その時点ではほんとに風邪ひいたんだと思ってたから」
熱っぽいというミキちゃんのために必要になりそうな物を入手し、アパートのチャイムを鳴らしたはいいが出てきたミキちゃんはなんだかおかしい。
浩太曰く、よそよそしい。そのうえ目も合わせてくれない。視線が交わるとパッと逸らされ、挙動不審にキョロキョロしだしてどんどん顔を俯かせていく。
そしてやっぱり風邪気味だと言う。うつしたら悪いから今日は帰って。ミキちゃんはそれだけ言うと、逃げるように扉を閉めたそうだ。
「高校からずっと一緒にいるけど帰ってなんてはじめて言われた……」
「…………」
深刻そうだ。それに確信もした。タイミング的にもおそらく間違いない。原因は俺のあの一言だ。
思い当ってそろっと気まずく顔の向きを逸らした俺を、浩太は一ミリも見逃さなかった。
「ミキが今日会った友達ってハルくらいしかいないと思うんだけど」
「…………」
「……なんか言ったろ」
「……たぶん」
「たぶんじゃねえよっ。なんだよ多分ってッ?」
「や……心当たりがあるって言うか。俺もつい、ポロッと……」
「ポロッと何を言えばああなるんだよ!?」
泣きそうな顔で叫ばれた。必死なときの人間ってこうなるのか。
マンションのドアを半狂乱でこいつに叩かせたのは俺だから、さすがにここで知らん顔して放り出すのは良心が痛む。そのためプレゼントのことは伏せて今日あった出来事を話して聞かせた。浩太の言う通りミキちゃんが来たこと。店先でちょっとだけ話をしたこと。その話の中に浩太が出てきて、いや実際のところあの時の俺達はほぼ浩太の話しかしなかったのだが、とにかく浩太の事を話しているミキちゃんの顔を見ていてつい。口を突いて出てしまったこと。ミキちゃんは浩太が好きなんじゃないのかと言ってしまったと白状した。
白状したら白状したで恨みを込めて睨まれただけだが。
「ハルくん……」
「ごめん」
「何してくれてんのもう……っ」
「ごめん」
「ごめんじゃねえってのっ、しかも軽いんだよなんかッ。謝罪がっ!」
「いや、うん、まあ……ごめん」
「だからごめんじゃ済まねえんだよお……ッ」
「あー……うん。でもさ、考えようによっちゃ逆にこれでいいんじゃねえの。ミキちゃんもそれっぽい反応だったしお前このまま付き合えそうじゃん」
「だからぁッ……!」
そんなガックリ項垂れるところか。ミキちゃんは俺の言葉を否定しようとしてできなかった。それどころか顔を真っ赤にさせていた。浩太にはその後よそよそしくなり目も合わせられなくなった。
それってつまりそういう事だろ。問題なんて何もない。
「あぁ……ったく、これだからデリカシー欠如男は」
問題あるようだ。デリカシー欠如してて悪かったな。
「ミキは違うんだって……」
「何が」
「前にも話したろ、友達だからこれまで一緒にいられたんだよ。それを今さら……」
俺から見ればこの状態こそ今さらだグズグズしやがって。
休みには二人でサッカー観戦に行き、誕生日プレゼントも贈り合い、一人暮らしの部屋だろうと当たり前のように行き来する。そんな関係を続けておきながら今さら何を尻込みしてんだ。
「……ミキの気持ちだってちゃんと聞いたわけじゃねえし、今の関係は壊したくない」
「はあ? 暇さえあれば手近な女子と遊んでる奴が何言ってんだよ」
「そこまでチャランポランしてねえよッ」
「合コンばっかしてるくせに」
「だからそれはっ……」
「つーかミキちゃんそういうのも知ってんだろ?」
「…………」
問題があるとするならそっちだろう。ミキちゃんは浩太の素行を知っている。
「男の子は大変だな」
「…………ハルくん性格悪いよ」
それだって今さらだ。
「その辺の女の子に調子いいこと言ってる暇があるならさっさとミキちゃんに言えばよかったんだ」
「ミキだから無理なんだっての……」
「部屋まで来る女子がどうのこうのとか小宮山のことからかってたの誰だよ。お前もやっぱ人のこと言えねえじゃん」
「なんだよもう、そんな……自分は彼女と順調だからって」
彼女と言うか彼氏であるおっさんは今頃ご機嫌斜めだろう。こいつが思いっきり邪魔に入ったから。それだけミキちゃんのぎこちない反応に焦っていたというのも分かる。
いつでも遠慮がなさそうに見えて、浩太は程々のラインを弁える。そういうのが上手い。とても器用な奴だ。けれど肝心なところでそうじゃない。
常に合理的に動ければ人類はもっと楽になるだろうが心に邪魔をされるのが人間で、死ぬほど非合理的にできている。こんな所で俺と話していたって浩太にとってはなんにもならない。それくらい分かっているだろうに。
「なあ浩太」
「……うん」
「とりあえずこれ解決しただろ。したよな。俺は帰るからな。お前も帰れ」
「待って、なにそれ。どこが解決したの」
「ミキちゃんはお前に気がある、たぶん。大丈夫だ。自信持て。応援してる」
「……めんどくさくなってきてない?」
そんなまさか。
「元はと言えば誰のせいだと思って……」
「クズでグズなお前のせいだと思う」
「なんて友達甲斐のないヤツ」
「俺も暇じゃねえんだよ」
本当はとても暇だが暇じゃないって言葉は便利だ。
薄情にもさっさと腰を上げた俺をじっとりした目で見上げてくる浩太。構わずに歩き出すとこいつも渋々腰を上げた。隣を歩くこいつはどう見ても納得していない。
「……ハル。一個だけ言っていい?」
「だめ」
「拒否が早いんだってばいつも。お前のその微妙な格好さっきから気になってんだよ」
そう言って指をさされ、つられて自分のシャツを見下ろした。ハッとした。掛け違えていた。シャツのボタンを一段ずつ。
咄嗟にクシャッと握りしめたボタン部分。俺の心臓が一瞬だけ止まりかけたことも知らず、浩太はたいして気にするような様子もなく言葉を続けた。
「風呂ってそんな急に壊れる?」
「あ……うん、なんか……そうっぽい。びっくりした」
「ふーん。色々ダサいねハルくん」
「……ほっとけよ」
風呂を借りるためにお隣さんの部屋にいた設定にしておいて良かった。勘違いに救われたおかげで無事に公園の外に出られる。男同士でお見送りするのは気色悪い以外のなんでもないから、公園を出たところで進行方向も別れた。
「じゃあなハル。悪かったよ、風呂入るとこに突然」
「んー別に。帰ったら告んの?」
「なんでだよ」
「じゃあ明日?」
「なんなの。話聞いてた?」
今日は土曜日。あと数時間で日曜になる。浩太の誕生日は今度の水曜だ。
それまでにこの二人がどうなっているか、小宮山と岡崎に賭けを挑んだらちょっと儲かる自信がある。
「そうか。相変わらずお前からはミキちゃんの話が絶えねえな」
だって活動範囲が狭い。必要に応じて海外に行くこともあるような働く大人とは異なり、大学とバイト先とこの家を中心に俺の世界は回っている。と言うことをこの人は分かっていない。
「よその女を可愛いと思ったなんていうクソみてえにクソな話を恋人に聞かされる俺の身にもなってみろ。可哀想だろうが」
「あーはいはい」
「謝れ」
「はいはい。ごめんなさい」
「心がこもってねえ」
注文が多い。
「いつまでもお前がそんなんだから離れてる間中心配でならねえよ」
「何を心配する必要があるんですか。自分じゃ気づかねえ本心ってやつもあるんだなって思っただけですよ」
「それを俺に聞かせてなんになる」
「いっそ二人をくっつけろって俺に言ったのあなたじゃないですか」
そんなつもりではなかったもののそういう感じになってきたから発案者である瀬名さんにもわざわざ報告してあげた。褒められるってんならまだしも責められる意味が分からない。
そこまで言ったら瀬名さんはため息。真上から俺を見下ろし、げんなりした顔を見せてくる。
「なにもこの状況で報告してくることねえだろ」
キシッと、微かにベッドが軋んだ。毎晩男二人を乗っけて耐えねばならないこのベッドは不憫だ。瀬名さんに乗っかられている俺は、不憫ではないけど逃げ場もない。
四割五分くらいは強引に俺のことを組み敷いた割には無駄話に付き合ってくれる。バイト先に向かう途中で擦れ違った黒猫が可愛かったという話は平和な態度で聞いてもらえた。ミキちゃんがやって来たくだりからは分かりやすく顔をしかめ、今も不満そうに俺を見下ろしている。髪に長い指を絡ませて、撫でてくる動作は優しいけれど。
「こういうときに女の話なんてするな」
「男の話ならいいんですか」
「ダメに決まってんだろ、何言ってんだ」
元々近かった顔の距離が、触れる寸前まで近づいた。
「俺のことだけ考えとけよ」
イケメンにしか許されないセリフを堂々と言い放ち、そろそろ黙っとけとでも言いたげに唇をそっと押し付けてきた。甘ったるくて長ったらしくてちょっとしつこいキスの最中、右手ひとつでプチプチ器用にシャツのボタンを外されていく。
余計なことでも考えていないと恥ずかしくてどうにかなりそうだから、気を紛らわせるためにベラベラ喋り、それを黙らせるのがこの人だ。自分はなかなか脱がないくせして人の服を脱がすのは早い。はだけた服の隙間からスルッと直に触れてくる。
この人の指先が肌の上を撫でる感覚はいまだに慣れない。心臓の上にその手が来たら、無様な程に鳴り響いている速い鼓動にも気づかれるだろう。
そんな不安ごと覆い込むように、大きな手が心臓の上に置かれた。見上げる。もう一度キスされる。そっと触れただけですぐに離れた。
「…………」
「何を考えてる」
「……聞かないで」
ふっと聞こえた瀬名さんの笑い声はすでに耳元。頬には唇がやわらかく触れた。しかしそんな時、ピンポンと。隣。うちからだ。この部屋じゃない。
俺の部屋に誰かが来たことは確かで瀬名さんにも聞こえているはずだがこの男は無視を決め込むっぽい。そして俺にも無視させようとする。
左頬を手のひらで包まれ、唇がまた重なる寸前、一回二回と鳴るだけだった呼び鈴が急に連打された。
「…………」
「…………」
ピンポンピンポンピンポンとしつこい。瀬名さんもそこで動きを止めて、ややイラついたように後方へと顔を向けた。ここからでは見えるはずもないけど、その視線の方向は玄関。外だ。
「ハルーッ、いるんだろっ。ハルーッ!」
音という環境要素に十分配慮したマンションではないため、廊下で大きめの声を出されるとたとえ扉越しであってもほとんどはっきり丸聞こえになる。ついでに強めのノックも響いた。ノックと言うか、扉をぶっ叩くような音。
ようななどと悠長にのほほんと例示している場合ではなく実際ぶっ叩かれている。ダンダンダンと絶え間なく。
「ハルーッ!!」
瀬名さんと顔見合わせた。
「…………」
「…………」
「……なんだってんだ」
「すみません……」
低い声で呟いた瀬名さんを残してやむを得ずベッドからおりた。これ以上叫ばれたらウチに苦情が来る。シャツのボタンを留め直しながら早足で玄関へ。
できる限りそろっと開けたつもりだったが重い扉はガチャッと音を立てている。隣のドアの隙間から顔を覗かせる俺に気づいたそいつ。浩太。
「え……あれ、そっち? え、ごめん、部屋……」
「……合ってるよ」
俺も瀬名さんも表札は出してある。ネームプレートを見返しながら混乱した表情を浮かべる浩太に間違っていないことを告げ、帰れと言って帰りそうな様子ではないためこっちからドアの外に出た。そんな俺を不思議そうに見てくる。
「なんでそっちにいんの……?」
「……ちょっと、給湯の調子悪くて……風呂借りようかと」
「ああ、そっか。お隣さんと仲いいんだったな」
「うん……」
いいも悪いもない。
「……とりあえず人んちの前で叫ぶのはよせよ。苦情来る」
「仕方ねえだろ、さっきからお前全然既読つかねえんだもん。電話しても出ねえし」
やたらバイブ鳴ってたのこいつか。あともう一回くらい鳴らされていたら瀬名さんがキレて人のスマホの電源を勝手に落としたと思う。
夜分に迷惑な突撃とは言えここでこのまま立ち話もなんだが、部屋に上げて給湯が壊れていない事に気づかれたら面倒だ。もちろん瀬名さんの部屋に上げるのも論外。
そのため公園まで連れだしてきた。いったん俺だけ部屋に引っ込んでその旨伝えた時の瀬名さんは激烈に不服そうだった。大人げない大人にも困るがひとまずはこいつをなんとかしないと。
いつもへらっとしている浩太が今はどことなく口数が少ない。深刻な顔つきも珍しかった。何かがあった事だけは分かる。
人のいない公園のベンチに並んで腰かけた。今は暗いから色まで見えないが、園内をぐるりと囲んでいる桜はすっかり緑色になっている。
「で……なに。あんな騒いだからにはそれなりの用件なんだろ?」
明るく楽しそうな用件とは思えないからさっさと聞いてさっさと帰りたい。
「どした」
「……ミキの様子がおかしいんだけどさ」
「あ?」
「お前、あいつになんか言った?」
単刀直入なその問いを受け、思わず口を閉じていた。答えずに黙った俺にかわって経緯を語り出したこいつ。
ミキちゃんがあの花屋に行くことは浩太も知っていたそうだ。買い物をして花屋に行ってバイト中の俺をおちょくり、浩太の家には夕方過ぎに向かう予定になっていた。昨日の夜まではいつもと変わらない様子でお菓子持ってくねと言っていたらしい。
それをミキちゃんは急遽キャンセル。なんだかちょっと熱っぽいから今日はやめておくと言いだし、電話越しに小さな声でごめんと謝ってきたそうだ。
「……それで? お前は?」
「ミキんち行ったよ、スポーツドリンク持って。その時点ではほんとに風邪ひいたんだと思ってたから」
熱っぽいというミキちゃんのために必要になりそうな物を入手し、アパートのチャイムを鳴らしたはいいが出てきたミキちゃんはなんだかおかしい。
浩太曰く、よそよそしい。そのうえ目も合わせてくれない。視線が交わるとパッと逸らされ、挙動不審にキョロキョロしだしてどんどん顔を俯かせていく。
そしてやっぱり風邪気味だと言う。うつしたら悪いから今日は帰って。ミキちゃんはそれだけ言うと、逃げるように扉を閉めたそうだ。
「高校からずっと一緒にいるけど帰ってなんてはじめて言われた……」
「…………」
深刻そうだ。それに確信もした。タイミング的にもおそらく間違いない。原因は俺のあの一言だ。
思い当ってそろっと気まずく顔の向きを逸らした俺を、浩太は一ミリも見逃さなかった。
「ミキが今日会った友達ってハルくらいしかいないと思うんだけど」
「…………」
「……なんか言ったろ」
「……たぶん」
「たぶんじゃねえよっ。なんだよ多分ってッ?」
「や……心当たりがあるって言うか。俺もつい、ポロッと……」
「ポロッと何を言えばああなるんだよ!?」
泣きそうな顔で叫ばれた。必死なときの人間ってこうなるのか。
マンションのドアを半狂乱でこいつに叩かせたのは俺だから、さすがにここで知らん顔して放り出すのは良心が痛む。そのためプレゼントのことは伏せて今日あった出来事を話して聞かせた。浩太の言う通りミキちゃんが来たこと。店先でちょっとだけ話をしたこと。その話の中に浩太が出てきて、いや実際のところあの時の俺達はほぼ浩太の話しかしなかったのだが、とにかく浩太の事を話しているミキちゃんの顔を見ていてつい。口を突いて出てしまったこと。ミキちゃんは浩太が好きなんじゃないのかと言ってしまったと白状した。
白状したら白状したで恨みを込めて睨まれただけだが。
「ハルくん……」
「ごめん」
「何してくれてんのもう……っ」
「ごめん」
「ごめんじゃねえってのっ、しかも軽いんだよなんかッ。謝罪がっ!」
「いや、うん、まあ……ごめん」
「だからごめんじゃ済まねえんだよお……ッ」
「あー……うん。でもさ、考えようによっちゃ逆にこれでいいんじゃねえの。ミキちゃんもそれっぽい反応だったしお前このまま付き合えそうじゃん」
「だからぁッ……!」
そんなガックリ項垂れるところか。ミキちゃんは俺の言葉を否定しようとしてできなかった。それどころか顔を真っ赤にさせていた。浩太にはその後よそよそしくなり目も合わせられなくなった。
それってつまりそういう事だろ。問題なんて何もない。
「あぁ……ったく、これだからデリカシー欠如男は」
問題あるようだ。デリカシー欠如してて悪かったな。
「ミキは違うんだって……」
「何が」
「前にも話したろ、友達だからこれまで一緒にいられたんだよ。それを今さら……」
俺から見ればこの状態こそ今さらだグズグズしやがって。
休みには二人でサッカー観戦に行き、誕生日プレゼントも贈り合い、一人暮らしの部屋だろうと当たり前のように行き来する。そんな関係を続けておきながら今さら何を尻込みしてんだ。
「……ミキの気持ちだってちゃんと聞いたわけじゃねえし、今の関係は壊したくない」
「はあ? 暇さえあれば手近な女子と遊んでる奴が何言ってんだよ」
「そこまでチャランポランしてねえよッ」
「合コンばっかしてるくせに」
「だからそれはっ……」
「つーかミキちゃんそういうのも知ってんだろ?」
「…………」
問題があるとするならそっちだろう。ミキちゃんは浩太の素行を知っている。
「男の子は大変だな」
「…………ハルくん性格悪いよ」
それだって今さらだ。
「その辺の女の子に調子いいこと言ってる暇があるならさっさとミキちゃんに言えばよかったんだ」
「ミキだから無理なんだっての……」
「部屋まで来る女子がどうのこうのとか小宮山のことからかってたの誰だよ。お前もやっぱ人のこと言えねえじゃん」
「なんだよもう、そんな……自分は彼女と順調だからって」
彼女と言うか彼氏であるおっさんは今頃ご機嫌斜めだろう。こいつが思いっきり邪魔に入ったから。それだけミキちゃんのぎこちない反応に焦っていたというのも分かる。
いつでも遠慮がなさそうに見えて、浩太は程々のラインを弁える。そういうのが上手い。とても器用な奴だ。けれど肝心なところでそうじゃない。
常に合理的に動ければ人類はもっと楽になるだろうが心に邪魔をされるのが人間で、死ぬほど非合理的にできている。こんな所で俺と話していたって浩太にとってはなんにもならない。それくらい分かっているだろうに。
「なあ浩太」
「……うん」
「とりあえずこれ解決しただろ。したよな。俺は帰るからな。お前も帰れ」
「待って、なにそれ。どこが解決したの」
「ミキちゃんはお前に気がある、たぶん。大丈夫だ。自信持て。応援してる」
「……めんどくさくなってきてない?」
そんなまさか。
「元はと言えば誰のせいだと思って……」
「クズでグズなお前のせいだと思う」
「なんて友達甲斐のないヤツ」
「俺も暇じゃねえんだよ」
本当はとても暇だが暇じゃないって言葉は便利だ。
薄情にもさっさと腰を上げた俺をじっとりした目で見上げてくる浩太。構わずに歩き出すとこいつも渋々腰を上げた。隣を歩くこいつはどう見ても納得していない。
「……ハル。一個だけ言っていい?」
「だめ」
「拒否が早いんだってばいつも。お前のその微妙な格好さっきから気になってんだよ」
そう言って指をさされ、つられて自分のシャツを見下ろした。ハッとした。掛け違えていた。シャツのボタンを一段ずつ。
咄嗟にクシャッと握りしめたボタン部分。俺の心臓が一瞬だけ止まりかけたことも知らず、浩太はたいして気にするような様子もなく言葉を続けた。
「風呂ってそんな急に壊れる?」
「あ……うん、なんか……そうっぽい。びっくりした」
「ふーん。色々ダサいねハルくん」
「……ほっとけよ」
風呂を借りるためにお隣さんの部屋にいた設定にしておいて良かった。勘違いに救われたおかげで無事に公園の外に出られる。男同士でお見送りするのは気色悪い以外のなんでもないから、公園を出たところで進行方向も別れた。
「じゃあなハル。悪かったよ、風呂入るとこに突然」
「んー別に。帰ったら告んの?」
「なんでだよ」
「じゃあ明日?」
「なんなの。話聞いてた?」
今日は土曜日。あと数時間で日曜になる。浩太の誕生日は今度の水曜だ。
それまでにこの二人がどうなっているか、小宮山と岡崎に賭けを挑んだらちょっと儲かる自信がある。
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