貢がせて、ハニー!

わこ

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31.事故かもしれない物件Ⅲ

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 リクエストされたチーズドリアを瀬名さんの部屋で作って待った。
 八時前後には帰れる。瀬名さんからそんなメッセージが入っていたのは夕方ごろだ。あの人が朝に予告していった通り今夜は一緒に晩飯を食えそう。

 大学からの帰り道で必要な食材を調達したあと、もらった鍵をさっそく使った。だがこの部屋の主は不在。瀬名さんの家に一人で入るのはさすがに少し緊張した。玄関の前で数分の間挙動不審にキョロキョロしていて、はたから見れば空き巣か何かに間違われてもおかしくなかっただろう。うっかり通報されてしまう前に意を決して踏み込んだ部屋は、当然ながら今朝俺がここを出ていった時のままだった。
 とっくに見慣れてしまった部屋なのに一人でいるのはそわそわする。そわそわしながらキッチンに立った。何をやっているんだか俺は。
 瀬名さんは会社から帰ってくるとまずは自宅のドアを開ける。荷物を置いてコートを脱いでから俺の部屋のインターフォンを押す。
 今夜帰ってきたあの人は、ドアを開けて俺がいるのに気づいたらどんな顔をするだろう。驚くか。笑われるか。想像すればする程そわそわした。

 落ち着かない時はじっとしているより体を動かした方がいい。夕食のリクエストは久々だからちゃんとしたものをテーブルに並べたい。
 瀬名さんが食いたがったチーズドリアと、この前実家から送られてきた人参と玉ねぎを入れたスープと。安売りしていた濃い色のサーモンはマリネにして冷蔵庫にぶち込んである。ドリアが焼き上がりそうな頃にサラダの上に乗せれば完成だ。
 雑念を払うために手を動かすけど、結局頭の中を占めるのは帰ってきた瀬名さんの反応だった。





「お帰りなさい」
「……ただいま」

 その答えを知ることになったのは八時を少々過ぎた頃。帰ってきた瀬名さんはいつも通り自宅のドアの鍵を開けた。ガチャリと音がした数秒後、向こうから開かれたダイニングのドア。
 瀬名さんの最初の反応はプチびっくりってところだった。しかしドアノブに手をかけたまま突っ立っていたのはほんの僅か。こっちへやって来るのを見て体の向きを鍋の方に戻した。

「カギ使ったのか」

 背後に立つと同時に言って、両腕を俺の腹の前に回した。この人はすぐにこういう事をする。
 手慣れた様子がちょっとムカつく。だから俺も余裕ですけどって風を装って言い返す。

「これからはあんたの財産盗み出し放題です」
「わざわざ盗み出すまでもない。お前になら全部くれてやる」

 ああもう。

「ちなみに通帳と銀行印は向こうの棚の二段目の引き出しだ」
「やめて生々しい」
「クレジットカードは財布に入ってる。暗証番号知りたいか」
「間違っても言わないでくださいよ」

 怖ぇよこの人。いいよ、負けたよ。俺を惨敗させた瀬名さんはぎゅうっと後ろから抱きついてくる。
 首の後ろに感じたのはやわらかい唇の感触。最近よくここを狙われる。撫でるように口付けてきたかと思えば、チュッと軽く吸い付かれた。

「いいにおい」
「……うん」

 ホワイトソースの濃厚なミルクと、チーズが焼ける香ばしい匂い。それが部屋の中を満たしている。可愛い子ぶったリクエストだろうとこの人にお願いされてしまったら作らない訳にはいかない。

「ちょっと、いいチーズ買ってきました」

 ドリアではなくチーズドリアと言われたからにはチーズに主眼を置くべきだ。実際にこの人がそこまでチーズにこだわっているかは分からないけどとりあえずちゃんとしたチーズを選んだ。それをオーブンに入れたのはついさっき。耐熱皿の中に収まって香ばしくあっためられている。
 首の後ろに執拗にキスされ、時折思い出したような甘噛みも。唇の位置はどんどん下がって、肩の辺りまでおりてくる。

「一気に腹が減ってきた」
「……あともう少しでできあがります」
「新妻かよ」
「なんでだよ」

 グイッと後ろに肘を引いた。背後の体を押しのける。調子に乗るな。誰が新妻だ。腹に回された腕も引き剥がして冷蔵庫の前に避難した。
 冷やしてあったサーモンと野菜を取り出して再び調理台の前へ。玉ねぎとパプリカを薄切りにして、レタスをちぎって豆苗をぶった切って、あとはサーモンを野菜の上に適当にばんばん散らしていればオーブンの中のドリアも焼き上がる。

「なあ。どうしてこっちで待ってた」

 急に聞かれて手が止まる。妥当な言い訳は浮かばないから、可愛くない答えを言うことにした。

「俺にカギ渡したのあなたじゃないですか」
「そうだな」
「……ヤモリが出そうな予感がしたんです」
「そうか。なら仕方ない」
「…………」

 仕方ないともなんとも思ってない。俺の頭の中なんてどうせこの人には筒抜けだ。瀬名さんが俺に見せるのはいつも余裕の表情だ。
 一日中、ほんとアホみたいに丸一日、もらった銀色が気になって気になってそわそわしっぱなしでどうしようもなかった。壁一枚挟んだ真隣でもドアの存在はずっとデカかくて、だけど俺は鍵をもらった。それは好きな時ここに来ていいと許しをもらった事の証拠だ。実際にこの人はそう言った。いつでも来い。その言葉に甘えた。
 お化けはいい口実だった。薄気味悪いのは本当だけど。もらった合鍵が嬉しくて、朝に閉めてきたここのドアをまた開けずにはいられなかった。

 二つの皿それぞれに盛りつけたサラダにサーモンの赤が鮮やかに乗っかる。完成したタイミングを待ちかねていたかのように、そっと後ろから肩を引かれた。
 床に置かれていたカバンの中から取り出された小ぶりな何か。クリーム色の包装紙にはさらにピンクのリボンが巻いてある。長方形のそれをこっちに差し出され、咄嗟に両手で受け取った。

「マカロン」

 小さくて可愛いお菓子の名前だ。マカロンをもらうのは確か、ミキちゃん事件の時以来。

「……好きです」
「知ってる」

 腹立つなチクショウ。今に見てろよ。必ずぎゃふんと言わせてやるからな。
 ドリアをこんがりさせていたオーブンは、ちょうどよく焼き上がりの音を鳴らせた。
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