このうえなく純粋な悪意

わこ

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「そこまで酷いの? 真人がグチるのって珍しいよね」

 仲間内五人で集まった飲み会でとうとう自分の苦境を吐露した。みんな大学時代からよくつるんでいて、卒業後も定期的に顔を合わせている間柄だ。
 子供嫌いを思わせる発言は嫌われる。それをする人間をこの社会は徹底的に軽蔑したがるが、こいつらなら分かってくれるかもしれない。

「本当に顔色悪そうだけど……大丈夫?」

 泣きそう。ナオは昔からこうだった。面倒見がよくて誰にでも親切。ほんのささやかな優しい言葉を右隣りからかけられて、今にもしゃくり上げそうだ。
 良かった。俺だけが悪いんじゃなかった。俺の性格がひん曲がっているからこうもイライラするのかと思った。胸を撫で下ろしたのも束の間、

「えーでもウチのマンションも近くに保育園あるけど音とか全然気になった事ないよ」

 目の前で唐揚げに手を伸ばした女が呑気な顔して口を出してきた。ウチの隣保育園だけど大丈夫だよーがここにもいた。近くというその距離感も怪しい。

「……リサは日中家空けてるからだよ。俺も前まではそうだった」
「夜も静かだし」
「保育園は深夜に開けてねえだろボランティアじゃねえんだから」
「土日だって部屋いても気になんないもん」
「ウチの方も土曜はそこまでじゃない。日祝は休み」
「じゃあいいじゃん。週に二日は静かなんでしょ? 毎日だったらあれかもしんないけどさあ」
「…………」

 だから平日毎日だっつってんだろうが。

「子供の声くらいで心狭すぎじゃない? 真人ちょっと疲れてるんだよ。ずっと仕事も忙しそうだし、余裕ないんでしょ」
「だよなあ、お前昔からマジメだから。今はただ少し神経質になっちゃってんじゃねえの?」
「真人の気持ちも分かるけど俺も正直そう思うかな。つーか子供がいなかったら日本が衰退するだけだからね」

 リサの意見に同調した男友達二人にまで立て続けに諭される。なんだこれ。
 日本の活性のために俺の生活環境は犠牲にされなきゃならねえのか。子供は歌ってピアニカ弾いて奇声上げないと死んじまうのか。

「つーか俺は仲間からクレーマーが出ちゃったことが悲しい」

 一族からタタリ神が出たみたいな口振りで、左隣から肩をポンと叩いてきたのは一児の父でもあるユウマだ。

「……は?」
「保育園に苦情入れるのはさすがに引くわ」
「別にそんな……怒鳴りつけた訳じゃねえよ」
「だとしてもさ、もうちょっと寛容になれって。俺はお前の味方だけどな、子供相手にちょーっとワガママすぎるだろ。世界はお前を中心に回ってるわけじゃないんだよ」
「…………」
「保育園の先生は偉いんだぞ。ああいう仕事はもっと社会から認められるべきだと思う。最低賃金レベルで毎日子供の面倒見ててさ、俺はあの人たちをマジで尊敬するわ」

 それとない上から目線はともかくとして、ここまで言われなければならないような愚痴を俺は零したのだろうか。
 なにもSNSで個人的な不満を世界中に発信したわけじゃない。仲間内だから悩みを零した。現実では誰にも相手にされない暇人ばかりが集まってくるゴミみたいな質問サイトでしょうもない回答を募ったわけでもない。身内だからと思って相談した。すると俺が悪者になった。

「あのな真人。子供というのは社会で育てるものなんだよ。親だけが一人で頑張るんじゃなくて周りにいるみんなが協力して小さな命を育てていくんだ」

 さっきからなぜか偉そうなユウマはタコワサ食いながら胸を張っている。

 子供は社会で育てる。そうだな。ああ、そうだとも。とても感動的な演説をありがとう。誰かがどこかで言ったような言葉を自分の意見みてえな顔して得意げにコピペしてんじゃねえ。
 子供は社会で育てるものだ。これは社会や地域の側が親切心で言う事であって親の側が当然の権利として堂々と偉そうに要求することではない。と俺は思う。いや、絶対にそうだ。

 お互い様。持ちつ持たれつ。この辺の都合のいい言葉を使っていいのは迷惑をかけられている側だけであるのと同じだ。現に今迷惑をかけている側が厚かましく言っていい事とは違う。
 みんなで頑張るだの叱らずに育てるだの、無責任に字面だけ優しい事ばかり言っているから勘違いして調子に乗った一部のアホがテメエのガキの躾を幼稚園保育園に平気で丸投げするんだろうが。



 そこからはもうこいつらに何を言われたかウロ覚えでしかない。聞いているだけ無駄だった。反論するだけの気力もないからただ頷くことに徹していたため、ビールの減りは異様に早い。

「まあ結局さあ、子供が嫌いとか言っちゃう奴って自分がまだ子供ってことなんだよな。お前もマミちゃんとさっさと結婚して子供作れよ。自分に子供できれば可愛い守ろうって思うようになるから」
「おぉ。さっすが。ゆうまパパは言うこと違うね」
「おいタクヤ、やめろよバカ。お前がパパって呼ぶな」
「ぱーぱ!」
「やめろっての!」
「今どのくらいだっけ? 半年くらい?」
「七ヵ月と三週間。かわいくってさあ」
「喋る?」
「ふはっ、喋んねえよ七ヵ月と三週間だぞ」

 こいつらは楽しい奴らだ。親切だし子供にも優しい。だから俺以外の四人は大いに盛り上がっている。最初だけ俺の味方っぽかったナオも大変だねなんてもう言ってくれない。
 そこからはユウマの我が子自慢が和やかに始まっていった。

「…………」

 自分の子がそんなに可愛いのならばそのガキをテメエの女に押しつけてこんな所で陽気に飲んだくれてねえで家帰って育児でもしたらどうか。
 ユウマがスマホを手に取ってガキの写真を見せびらかし始めたところで、金だけ置いて一人席を立った。





 好きで神経質やってるわけじゃない。俺だってお前ら並みの鈍感で無神経な人間になれるもんならなりたいよ今すぐ。

 子供は社会で育てるものだ。そうだな。分かっている。その方が結局のところ社会の方も上手くいく。
 だが俺にだって平和な生活を個人として営む権利はあるはず。仕事もしているし納税もしているし投票にだって毎回行っている。健康で文化的な最低限度の暮らしを守るために、物申す権利くらいはあるはずだ。

 仲間だと思っていた奴らは仲間じゃなかった。そうじゃない。仲間内に子持ちがいることを忘れていた俺が悪い。
 善良で親切で子供好きな奴らの前で保育園への苦情を訴えたところで、分かってもらえないに決まっている。
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