14 / 15
14.彼氏の誘い方
しおりを挟む俺の前でセンパイって口に出すな。
あの男に飯タカるくらいなら俺に言え。
今度またアイツと二人だけで会ったら監禁するぞ。
センパイセンパイ言いながら長電話ヤメロよ男のクセに。
いっそもう仕事辞めてあいつとの繋がりは一切絶て。
ここ一週間で三上から言われたことシリーズ。三上による理不尽な精神的妨害は日々繰り返される。しかしそれには決して屈しない俺。なんて健気。
そんな訳で今日は仕事終わりにセンパイと飯に行った。職場近くで適当な店に入って夕食を終え、センパイの車で家まで送ってもらいながら唐突に思いついた一つの事柄。
折角だから言ってみた。
「センパイ、久々にどうっスか?」
「何が」
「やりません?」
***
「いーやー打った打った。超久々じゃないっすかー。明日コレ確実に筋肉痛だわ」
「俺ここ最近、必ず二日目に出るんだよな」
「え。センパイ老体? それはまだ早いですって」
送ってもらう途中、センパイを誘って行先を変えてもらった。バッティングセンターに。
「思い出しますねえ、高校時代。良く学校サボって打ちに行きましたよねー」
「お前の代わりに俺がチャリ漕がされてな。後輩のくせしてスズはいつも後ろ乗ってヘラヘラしてた」
「……記憶にございません」
「いつから政治家になったんだ」
今度こそ俺の家へと向かう車の中で、センパイとのいつも通りな会話は穏やかに続いた。どこかのツンデレ鬼畜野郎とは違ってこの人といると精神的な苦痛を一切感じなくて済む。何かと優しいし気が利くし俺が何を仕出かしても許してくれるし。正に非の打ち所がないセンパイと一緒にいるのは本当に楽だ。
三上が再三疑ってくるような関係には決して戻らないけど、それでも俺はセンパイと縁を切るつもりなんてない。昔から世話になっている先輩を後輩が慕って何が悪いんだ。全国各地見渡せば、卒業後もツルんでいる先輩後輩関係なんてごまんといるだろう。多分。
いや、ごまんは言い過ぎかもしれないけど。
けどとにかくこんな感じに、俺はセンパイとの交流は相変わらず絶っていない。ていうかそもそも絶つ気がない。
三上にここまで正直な心中を明かす事は怖くてできないものの、どっちの男に懐くかなんてそれはもう考えるまでもなかった。
「あーそうだセンパイ、帰り野菜持って行きません? なんかお袋が大量に送りつけてきたんですよ。一人暮らしの男にどう処理しろって感じの量を」
俺の部屋に着く少し手前で、昨日の夜届いた段ボール箱を思い出した。ちゃんと食べてんのとか仕事上手くやっていけてるのとか、実家のお袋からの襲撃電話は俺がいくつになろうともかかってくる。
ウチの親は特別に過保護って訳じゃないんですが。見ての通りだらしないを絵に描いたような男なもんでして。
お袋からしてみれば、デキのいい上の兄貴とは違って次男たる俺はしょうもねえガキのままだ。まあまあ大人のクセしてそうやって未だに母親に気苦労をかけている罪悪感はあるけど、若干メンドいというのもまた事実。なぜなら一度電話を取ったら最後、小一時間は説教タイムだから。
説教だけならうるせえなとか思って聞き流せば済む。ところが時には野菜だったり米だったりが送りつけられてくる事もあるからちょっと困る。食料に困らないのは助かるものの、実家から段ボールが届くとその処理に困るのが恒例だ。有り難い事とは言えいくらなんでもあの量はおかしい。
そんなお袋がいる実家。高校の時にはセンパイが来る事もあった。だからこの人もお袋の事は良く知っていて、昔からしょっちゅう怒られていたのだって度々見られてきた。
そのせいもあってかお袋のお節介にうんざり加減な言葉を口にする俺に、ハンドルを握りながらセンパイは笑みを浮かべた。
「おばさんも心配なんだろお前のコト。たまには連絡してんのか?」
「……ぼちぼち」
向こうから一方的に鳴らされる電話で。渋々受けた時に聞かされる第一声はだいたい説教口調だ。あーあ、って毎回思う。
「親孝行の一つでもしてやれよ。折角定職就いたんだから」
「そうっすねえ。でもまあ実家に兄貴いますしー。孝行担当は昔から兄貴っていうかー」
「最低だなお前、相変わらず」
センパイの苦笑。今年一番の呆れた笑いをされた気がする。
でもそりゃそうか。センパイは現在、絶賛親孝行中だ。ガキの頃に散々苦労かけたからとかなんとか言って、確かこの前の母の日には温泉旅行だかをプレゼントしていたと思う。
毎月の仕送りなんかもしてんだろうなあ、この人の事だし。どうしよう、偉すぎて眩しい。俺にはとても無理だ。
「センパイは日本人の鑑ですねー。よっ。孝行息子ッ」
「酔ってんのか」
「超シラフっす」
なんかスルーされた。最近センパイのスルースキルが上がってきている。多分俺のせい。
そんな感じで真面目に運転するセンパイの横ではしゃぎながら、車は早々にアパートへと着いた。一人では処理しきれない野菜を持って行ってもらおうと、ここで待っていて下さいと言えばセンパイは迷わず一緒に降りてくる。
重いだろ、って。さすが紳士。
近所迷惑も考えずにきゃあきゃあ浮かれる俺と、呆れながらそれを窘めるセンパイ。こんな時間じゃ辺りは当然真っ暗で、習慣的な手つきだけで鍵を手に取り自分の部屋の前に立った。隣にいるセンパイとへらへらと話しつつ、ガチャリといつも通りの音を響かせて開けるドア。
そうして目の前に広がるのは暗い室内……のはずだった。が、そんな平々凡々な空間なんて存在しない。
「…………」
普通に明るい。そしてこれは電気の消し忘れじゃなくて、
「み、……」
「よお。こんな時間まで仕事か?」
サーっと青褪めたのが分かった。人間の血液ってこんなにも重力に従えちゃうのかってくらい顔から血の気が引いた。
声も出ない恐怖。この目に映るのは玄関で仁王立ちしていた三上。思考回路はショート寸前。今すぐ会いたくなんてなかった。
「……ッ」
バタンっ!と。
思わず閉めちゃったし。気づいた時には体が勝手に動いていた。
横からセンパイが「えっ」って顔して見てくるけど構っていられない。ここで鉢合わせはマズイ。絶対にまずい。回避しないと俺が死ぬ。
「ちょ、センパイ来てッ」
「は? おい……」
ガシッとセンパイの腕を掴み、回れ右をして車に逃げ込もうと足を踏み出した。とにかく逃げなきゃ、すぐに逃げなきゃ。
しかし最初の一歩を踏み出したかどうかという所で、背後から響いた恐怖の音律。ガチャリと、なんの変哲もないはずなのに恐怖で慄きそうな扉の開閉音を耳にし、次いで聞こえてきた低い声に俺の動作は止められた。
「待てコラてめえ」
「ひッ」
こっわ!やべえ怖え!!声だけで人殺せるよこの人!!
俺の両手はセンパイの腕を掴んでいる。そんな俺の首根っこは三上によって鷲掴みにされた。
こうもおかしな構図になればセンパイだって不審がるのは当然だ。誰だお前と言う目を後ろの三上に向けたのが俺にも見えた。
「…………」
「…………」
無言で睨み合う二人。怖いから。やめてホント、チビりそう俺。
「……伊織」
「……ハイ」
「てめえ分かってんだろうな」
「…………」
分かりたくありません。
俺の首根っこを掴んで目線はセンパイに向けたまま、背後から三上の低音でお仕置き予告をされた日にはもう心臓も止まる。
この二人が面と向かって顔を合わせた事なんてないけれど、おそらく三上はこの人がセンパイだと分かっているだろう。前にもここでキス現場見られたし。あの時俺とセンパイは思いっきり車のヘッドライトに照らされていたし。
俺、終わった。ココの駐車場に外灯付いていればなあ。
絶望感に蝕まれながら泣きそうな目で駐車場を眺めた。暗がりの中でも普段は使われていない駐車スペースに車の影があるのが分かる。今さらだよね。良く見えないけど多分アレ、三上の車だ。
センパイの腕を掴んだままでいたのにふと気づき、これ以上三上の刺激要因を増やしたくなくてさりげなく離した。だけどそんな事で許してくれる男じゃない事は良く知っている。センパイから遠ざけるかのように、力任せに引っ張ってくるこいつ。
首は放して貰えても、逃げるとでも思われているのか今度は腕をがっちり掴まれた。正面切って睨み落とされると泣きたくなってくる。
「会うんじゃねえってあれほど言ったろ」
「……えっと」
「随分楽しそうにしてんじゃねえかよ、ああっ?」
三上は徐々にヒートアップ。言葉の節々に殺意を感じるのは俺だけだろうか。
つーか痛い。腕イタイ。力強いよ三上さん。
しかしこの現状下、話が見えないであろうセンパイは勿論俺の味方だった。俺を静かに責め立てる三上を、不信感満載の顔で眉間を寄せつつ睨み付けている。
「おい」
「……あ?」
こんなんでもセンパイからしてみれば俺は可愛い後輩な訳で。自分で言うのもなんですが。
とにかくとうとう痺れを切らせたらしく、いささか喧嘩モードなセンパイの声に三上もすっと顔を向けた。
またもや始まる二人の睨み合い。ここら一帯だけ異様に温度が低い。
「放してやれよ。痛がってんの見て分かんねえのか」
「うるせえな。関係ねえヤツ黙っとけよ」
「一方的にモノ言われてんの見てほっとけねえだろ。スズ、こっち来い」
「ああっ?」
センパイに手を差し伸べられ、ついつい縋る思いで見つめ返してしまった。するとそれを見てピキッと額に青筋を立てた三上。はっと気づいた所ですでに遅く、無理矢理引っ張られて足がもつれる。
ドアの横。ガンッと肩が打ち付けられた。
「ッ……」
「おい!」
若干荒い動作で俺が壁に追い込まれると、センパイが怒声に近い声を上げた。三上の手によって壁にぶつけた背中が痛いがそんな事を気にしている余裕もない。
俺の肩を掴む三上はすぐに離れていった。センパイが三上を引き剥がしたために。
「なにしてんだッ」
「うぜえなテメエ引っ込んでろっ」
自分の肩にあるセンパイの手を三上は乱雑に振り払った。その勢いのまま、俺に背を向けて掴みかかったのはセンパイの胸倉。それを目の当たりにして俺の頭に思い浮かんだのは、出会った当初に一緒になって喧嘩をした三上の姿だった。
やべえ、センパイ殴らせるとかマジない。目の前の光景に焦りを通り越した俺は、考えるよりも早く三上の腕を両手で止めていた。
「三上さん……っ!」
抱きついてんだか縋りついてんだか分からないけど、必死に三上に食らいついて次に繰り出すつもりだったであろう拳を押さえ留めた。
逆カツアゲの時だってあれだけ凶悪な拳の振るい方をした奴だ。いまだにセンパイに対して勝手な誤解を継続中なのに、その相手と喧嘩を始めでもしたらこいつはきっとヤルところまでヤル。
俺ヤだよ。こんな所で殺人の目撃者なんて。センパイがやられちゃったらこの先どうやって生きていけばいいの。
「三上さん、ちょっと……落ち着いて……」
どうどうと暴れ馬を宥める気分で、殺伐とした空気感の中で慎重に呼びかけた。するとどうやら三上も寸手の所で思いとどまってくれたらしく握りしめた拳を振り上げることはない。掴みかかったままギリッとセンパイを睨み付けている。
センパイはセンパイで逃げる様子もなくその目を見返していたものの、訝しく眉を顰めているのが見えた。
「……そうか。三上ってアンタか」
名指しにされ、三上は苛立ちと共にセンパイに睨みを利かせた。てめえに気安く呼ばれる覚えはねえと、その横顔が物語る。
だけど先輩がそう呟いた真意は、なにもこいつに対する挑発なんかじゃなかった。気づいたんだきっと。だって俺、呼んじゃってるもん。センパイとの真っ最中に。
この人に突っ込まれながら三上さんとかふざけた事をヌかしちゃったあの夜の記憶がイタイ。
あーヤダ。センパイも今ので全部理解しちゃったろうな。自分の胸ぐらを掴み上げているコイツが誰で、俺にとってどういう相手なのかって事を。
ぜってー呆れられたよ。どっからどう見たって最低野郎でしかないからねこいつ。お前何やってんのって絶対に思われた。
そして案の定、三上と火花を散らしていたセンパイはふと俺に目を向けてきた。
「スズ」
「ぇ、え? あ、ハイ」
「お前シュミ悪いな」
「え?」
そう言われた直後、宥めるために腕をホールドしていた三上の体がブレた。気づけば三上は俺の手から離れ、ズシャッと派手に地面へと倒されている。
「……え?」
はて。なんですかいこりゃ。なんで三上は倒れてんの。
まさかの出来事。センパイに頬をぶん殴られた三上は俺の目線の下にあった。センパイの中で何が起こったか知らないが、自分で転がした三上を冷たく見下げている。
ところがこの男がそれで心を折られるはずもなく、不意打ちに近い強行を受けて今度こそブチ切れたようだった。どす黒い雰囲気を纏って身を起こし、止める暇もなくセンパイに殴り掛かった。
「ちょっ……!」
鬼の形相でセンパイに拳を突きだす三上。センパイはギリギリのところでそれを避けたけど、一呼吸置く事もなく二発目に繰り出されたそれを見事に食らった。
ガツッと鈍く響いた音。身構えていたセンパイは倒れこそしなかったものの、手の甲で口元を拭った後に三上を見据えた目は殺気立っていた。
「…………」
どうすりゃいいの。超怖いよこの人達。
お互いがお互いの胸ぐらを掴み合い、眼力強い者同士の威嚇抗争がはじまった。低い声での言い合いが響きだせば、オロオロするだけの俺をよそに二人の険悪振りも増していく。
殴り合いに発展するのっも時間の問題だ。
「あ、あのちょっと……二人とも……」
ここで乱闘騒ぎになっても困るし、低姿勢で口を挟むと三上に睨まれた。
「うるせえ黙れ」
「スズ、平気だから部屋入ってろ」
「はっ、おいふざけんな。カッコつけてんじゃねえよ」
余計に悪化した。
駄目だこの人達、俺が何言おうと収まりそうにない。
でもなんか、良く聞くと会話の内容がおかしい気がするんですが。デコとデコを突き合わせ、バチバチと火花を散らしつつ睨み合う男二人の口から出てくるのはこんな事。
「分かってんだよこっちは全部。人のモンに手え付けやがってよ。てめえ消えろや。二度とこいつに近づくな」
三上さん……。何サラッとカミングアウトしてんの。
「何が人のもんだ。俺の後輩泣かせてんじゃねえよ。独占欲強いのは勝手だけどな、アンタさっきから横暴すぎんだろ」
センパイはセンパイで軽く受け止めてるし。
ていうか俺泣いてないよ。三上絡みでセンパイに縋った時には確かに精神ヤバかったけど。
三上はセンパイが俺をたぶらかしたみたいに思っていて。この言い方からするとセンパイはおそらく、三上に泣かされたせいで俺がセンパイに体を求めちゃったと思っていて。
結果的に何が悪いかって言えば、まあ俺がちゃらんぽらんな事ばっかしていたのが原因な訳で。
あ、俺か。諸悪の根源はこの俺だったか。
…………シャレんなんねえよ。
「俺がこいつに何しようが他人に口出しされる覚えはねえ。分かったらとっとと失せろ」
「それが横暴だっつってんだ。スズは物じゃねえんだよ」
「てめえにとやかく言われる筋合いねえっつってんのが分かんねえのか」
「俺にとってもこいつは大事な後輩だからな。傍にいんのがお前みたいな奴で黙ってられるかよ」
センパイかっけー。
いや、じゃなくて。感心してる場合じゃないから。
温度も低めに睨み合っている二人の前に立ち、冷や汗を流しそうになりながら無謀にも割って入った。早い所止めないと本気でこの人達は殺し合いを始めそう。
「ちょっ、と……あの……ちょーっと二人とも落ち着きません? 取りあえず胸ぐら掴むのとかやめてさあ、もっとこう和平的に? ほら今結構な時間帯ですし。あんま騒ぐと俺ココ追い出されちゃうかもー……なんちゃって」
ジロッと三上の目がこっちを向く。うるせえ黙れと無言で語られたために即行で口を閉じた。センパイも溜息交じりに俺を見返してくる。しかし両者とも互いへの威嚇を消す気配はない。
相手を牽制しつつ、先に俺に言い放ったのは三上だ。
「分かった。なら場所変えれば問題ねえな」
「スズはここにいろ。ちょっと行ってくる」
センパイはまさかの同調。そう言うや否や、二人は揃ってスタスタと。
「……え」
ちょっと……。なんでアンタらいきなり息ピッタリになってんの。変な所で気を合わせないでよ。
肩を並べて歩く二人は、静かに罵り合いながら俺から離れて行った。呆然とたたずむ俺はそんな男達の背中を見つめてポカン。
二人がアパートの敷地を出て行っても瞬きの回数は減らなかった。
「……は?」
つーか。やばくね。
あのまま二人だけで夜の路地裏に消えさせたらどうなるか。
想像するのも怖い現実が待っていそうだけど、自分で追いかけるのはもっと怖いから俺はセンパイに言われた通り部屋に戻って待っていた。
鶏もビックリなこのチキンぶり。
だって怖いじゃん、あの二人の乱闘に巻き込まれるとか。常に凶悪な三上とキレると鬼怖いセンパイの喧嘩なんて、近くで見ていたらこっちの命が危ない。
だから一人だけ安全地帯へ潜った。でも一応は俺のせいだから起きて待っていた。ところが朝を迎えても二人とも戻ってきません。
「…………」
どーしよー。なんで戻って来ねえのー。
ああ、ヤバい。心臓すげえ冷えてる。アパートの裏辺りで相打ちにでもなっていたら怖い所の話じゃすまない。
探しに行こうかなあと思いつつ、三十分が経ち一時間が経ち。辺りは完全に明るくなっているが、待てど暮らせど二人とも一向に帰ってこない。
どんだけ殴り合ってんだ。せめて話し合いを延々と続けてくれているだけなら嬉しい。無理か。
どうしようどうしようどうしよう。ここは警察でも呼ぶべきか。いやでも男ばかりの痴情のもつれに公的機関を巻き込んだらさすがに迷惑だろう。
ああやだ俺いま痴情のもつれって普通に思った。痴情って…痴情って…!!あ゛ー。
そうやってアホな事を延々と頭の中で思い浮かべていたその時。ガチャリと外から開錠される音が響いた。
ココの鍵を持っているのは俺と三上しかいない。アホな思考回路も吹っ飛んで、ベッドの横で足を立たせてぴょこっと頭を上げた。
「うわマジか。いい事ねえな、パチ屋で出世しても」
「やっぱそう思うよな。つーか今から仕事とかダルすぎる」
「そのカッコでか? クビ切られんじゃねえのサービス業」
「てめえのせいだろうがよ。まあ適当に誤魔化す」
あれ。
三上は勝手知ったる動作で、センパイはその三上に促され、呆気に取られる俺の目の前でズカズカと部屋に入ってきた男二人。その有様は思わず顔を顰めるような酷い状態だった。終戦直後かって感じにボロッボロ。
にも拘らずなんだか……。
「そっちは? いいのか仕事。整備だっけ?」
「ああ俺、今日休み。とりあえず帰って寝る」
「なんだよズリい。俺だけ損してんじゃねえか」
…………なにこの和やかな雰囲気。
「……あの」
「伊織、風呂」
「へ?」
給湯点けろって意味だろうけど、平然とそれを言われてすぐには返事もできなかった。三上の隣で聞いていたセンパイは、呆れた様子で小さく笑っている。
「流行んねえよ今時。亭主関白」
「うるせえ。こいつの扱いなんかこれで十分だ」
「へー。そのスズにあり得ねえくらい惚れてるみてえなこと言ってたの誰だよ」
「…………」
なんの話してきたの?ていうか殴り合いからどうやって話し合いに進展したの?
言われたくなかった事のようで、「うっせ」と一言吐き捨てた三上は早々に風呂場へと消えた。残された俺はいまだ呆けたままで、クスクスと笑うセンパイに声をかけられてようやく現実世界に引き戻された。
「悪いな、心配かけた。お前も今日休みだろ。あいつ出てきたら寝とけ」
「え、あ……ハイ……。あの……何が起こって……?」
こうなった?
心底疑問顔を浮かべる俺に、センパイはすっきりしたような笑みを向けてきた。
「まあ悪い奴ではなさそうだな。極端に素直じゃねえけど」
「……はい?」
「あいつお前にベタ惚れだぞ?」
なんか恥ずかしいこと言われた。柄にもなく頬なんて染めてみると、ポンポンと頭を撫でられてなぜかガキ扱い。
どうなってんだこれ。現状理解に苦しむ俺はなかなか立ち直れそうにない。何がどうしてこうなったんだか誰も説明はしてくれないのか。
俺の中には疑問しか残らないが、とは言え二人は揃って生還した。とりあえずは一件落着?
良く分かんないけどまあいいや。なんかもうめんどくさい。二人して仲良くなっちゃってるし。
微妙な顔持ちでセンパイを眺めていると、痛々しい口元に目が行って小さく呼びかけた。
「……センパイ、口切れてる」
「ん? ああ、平気。そういや喧嘩なんか久々にしたな。にしてもアイツ、ねえわ」
うん、知ってる。超知ってる。三上の喧嘩の仕方ってほんとナイと思う。でもセンパイも人のこと言えないよ。
苦笑するセンパイにそれを告げる事はせず、救急箱なんて気の利いた物を常備していない俺は玄関の方向へと足を向けた。
「ちょっと待っててください、コンビニ行ってきます。ウチ手当てできるものないんで」
「いや、いいよこのまま帰るから。アイツ差し置いて俺が手当て受けてたらまたうるせえだろうし」
確かに。センパイ、殴り合ってるうちに三上の性格見切ったんだろうな。あの男の行動パターンをしっかり把握している。
すげえ、さすが。つーか三上読まれてやんの、ダッセ。
頭の中でセンパイを崇め三上を嘲笑っている最中も、風呂場からはシャワーの音が届いていた。三上はこれから仕事だそうだが、俺はもうとっとと寝ちゃっていいだろうか。風呂上りに顔を合わせたら無駄にイイ身体を晒しながらネチネチ言われそう。
早速出て行こうとしているセンパイの背中を見送りながらそんな事をぼんやり思う。だけどキッチンの片隅に寄せてある段ボール箱をふと思い出し、駆け寄った先でセンパイを呼び止めた。
「センパイすんません、野菜……」
「え? ああ、そっかくれるんだっけ」
そもそもセンパイと三上とが鉢合わせたのも、元はと言えば野菜を取りに来てもらった事が端緒になっている。心の奥底でちょっとだけお袋を恨みつつ、段ボールの前まで行ってしゃがみ込んだ。
この中には大量の人参、ジャガイモ、玉ねぎが。カレーでも食い続けてろって意味のメッセージなのかどうかは分からない。
そしてそれと一緒にご丁寧にも三食揃ったピーマンがゴロゴロと入っていたはず。なんだけど、箱を開いてみると昨日まで目にしていた光景と中身の様子が変わっていた。
ピーマンだけビニール袋の中に入れて隔離されている。
「…………」
三上だな。ていうか三上しかいねえな。こんな事するのも、俺以外の人間でこれに触れる機会があったのも。
あの野郎、自分がピーマン嫌いだからって他の野菜と分けてんじゃねえよ。
「……センパイ、ピーマン好きですか?」
「ピーマン? 好きだけど?」
よし。お子様三上がグズる前に持って行ってもらおう。
俺のすぐ側まで来たセンパイを見上げると、すぐにセンパイも屈みこんだから目線の位置が近づいた。口痛そう。取り敢えずピーマンの入った袋を段ボールの外に出して、適当に引っ掴んだ袋に他の野菜もごそごそと詰めていく。
「ほんとに随分送ってくれたんだな。いいのか俺も貰っちゃって。お前コレ、おばさんから相当ダメだと思われてんだろ」
サラッと言ってくれるよ。否定はしないけど。
「ゼッテー当家比入ってますよ。ウチは兄貴がマジメ過ぎるんですって」
「ああ、あの人はお前の兄貴とは思えねえよなあ。しばらく会ってねえけど元気か、佳澄さん」
「いやー、俺も大分連絡取ってないんで。でも去年実家戻った時に会ったらなんか疲れきってました」
地元にいる兄貴は大学を出てからずっと教職を続けている。精神体力共になかなかのハードらしく、年々やつれていくような気もするものの根っからのマジメ気質が災いしてか辞めると言う選択肢を持てない。
クソ真面目なあの兄貴とはセンパイも面識がある。センパイは昔から兄貴の事を下の名前でカスミさんと呼んでいた。接点なんて微塵もなさそうな二人だけど、相容れないどころかむしろ結構仲が良いから不思議だ。
「次に地元帰るっつったら正月か。会社も年末から休み入るし」
「あ、じゃあセンパイ二人で一緒に帰省します? 車で行くなら乗せて下さい」
「おめーはよお」
見慣れたセンパイの呆れ顔。苦笑交じりに頭をポンポンと叩かれて俺もへらへらと笑い返した。
雰囲気的にはいつも通りのセンパイでも、やっぱりその姿は痛々しい。こんな仏みたいに温厚な表情をしているけど、つい数時間前までは一体どんな鬼の形相を浮かべていた事やら。
真夜中の、多分どこかしらの路地裏だか空き地だかで。三上とセンパイが喧嘩。冷酷狂犬バーサス鬼神。
……やめよう。考えるとチビる。
それから律儀にもおばさんによろしく伝えてくれなどと言い残し、この部屋を後にしたセンパイ。俺はそれを見送ってから早々にベッドへと戻って、ゴロンと仰向けに寝転び天井を眺めた。
その時にはすでにシャワーの音も止まっている。少しすると風呂場のドアが開く音が聞こえた。それでも知らん顔してゆっくり目を閉じると、さらに少ししてからギシッとベッドが沈んだのに気付いた。
「……なんすか」
「一人だけ寝てんなよ。誰のせいでこんな事になったと思ってんだ」
「自分で勝手にキレたんじゃん」
渋々ながらも目蓋を押し上げれば、目の前には当然のように三上の顔があった。ベッドに乗り上げ、俺の両肩の位置に手を付いてシーツに皺を作っている。そんな体勢を取られているせいで俺に逃げ道はない。
チュッと唇を重ねられ、すぐに離れると今度は肩口に顔を埋められる。邪魔だなあと思いながらも宥めすかすようにして三上の頭を撫でた。
「三上さん、とりあえず服着なよ」
「下穿いてんだろ」
「シャツ着ろっての。前に置いてったヤツ洗ってあるから」
離す口実を作っても三上は動こうとしない。触れる素肌は温かく、ゴロゴロとじゃれ付かれて内心で溜息をついた。
猫っぽい。ちょっと前まで捨て犬だったのに、最近こいつは気まぐれに猫化する。
「仕事いいの?」
「……行く」
「怒られない? その顔」
「知るか」
少なくとも三日程はホールに出られないだろう喧嘩の痕跡。パチ屋だしね。ヘタに絡まれでもしたら大惨事だ。
それでも何故だか消えることなく漂う男前オーラは一体なんなんだろう。こんな状態でも尚イイ男であることに変わりがないのが妙にムカツク。
腐ってもイケメンとはこいつの事だ。
「……伊織」
「んー?」
「ねみぃ」
どこのガキだ。
あーちくしょうカワイイ。
「朝まで喧嘩なんかしてるからでしょ」
「……うるせえな」
「そんなことしなくても俺どこも行かないよ」
「……おう」
あ、素直。珍しい。センパイとの喧嘩が効いたのかな。
つーか駄目だ。こいつこのままだと寝る。
「ほら、三上さん起きてって。その顔で行くのただでさえ印象悪いのに遅刻したらホントにクビ切られるよ」
「お前のせいだ。責任とって眠気覚ましにヤらせろ」
「意味分かんない。起きなよ早く」
今は本当に時間がないだろうから俺も結構強気に言い返せる。ムスッとしたのがなんとなく雰囲気で分かったけど、もしも三上がヒモにでもなったら自分を養うのに精一杯な俺は間違いなく破産する。
非常に困ります。
だったら最後の手段ってヤツだ。言いたくないけど仕方ねえ。
「起きてよ。今晩三上さんの部屋行って帰ってくんの待ってるから」
「……あ?」
唐突に言い出した俺を、顔を上げた三上が不審そうに見下ろしてきた。
スルッととその首に腕を回し、惚れた弱みに付け込んでやれ作戦の始動。誘い込むように小さく笑って見上げさえすればこっちのもんだ。
「俺のために体張ってくれたんだし……」
ひとっことも頼んでないけど。むしろ何してやがんだテメエって感じだけど。
「帰ってきたら、その時は好きにしていいよ。俺のカラダ三上さんに一晩預ける」
「…………」
「朝までシよう」
俺、超ビッチっぽい。こんな自分にスゲエ落ち込む。
でも三上には抜群の効果を発揮できるからどうしてもこの手は捨てられない。
「……仕事行ってくる」
「いってらっしゃい」
チョロイ。ちょろいよ三上。
三上の操作方法はしっかり修得した。心の中で分かり易い三上を指さして笑ってはいるけど、いろんな意味で泣けてくるのもまた事実。
今晩困るの俺ですけど何か。
1
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
上司に連れられていったオカマバー。唯一の可愛い子がよりにもよって性欲が強い
papporopueeee
BL
契約社員として働いている川崎 翠(かわさき あきら)。
派遣先の上司からミドリと呼ばれている彼は、ある日オカマバーへと連れていかれる。
そこで出会ったのは可憐な容姿を持つ少年ツキ。
無垢な少女然としたツキに惹かれるミドリであったが、
女性との性経験の無いままにツキに入れ込んでいいものか苦悩する。
一方、ツキは性欲の赴くままにアキラへとアプローチをかけるのだった。
平凡ハイスペックのマイペース少年!〜王道学園風〜
ミクリ21
BL
竜城 梓という平凡な見た目のハイスペック高校生の話です。
王道学園物が元ネタで、とにかくコメディに走る物語を心掛けています!
※作者の遊び心を詰め込んだ作品になります。
※現在連載中止中で、途中までしかないです。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
俺の義兄弟が凄いんだが
kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・
初投稿です。感想などお待ちしています。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる