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sideウィステリア・怖れ

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 父とジュード様の手合わせは、我が家の敷地内にある鍛練場で行うこととなった。
 
 この先からは我がクリス家の敷地であると示す門を潜り、暫く歩くと...ひらけた場所に大きな建物──鍛練場が、姿を現す。栄えている町の宿屋くらいの大きさがある鍛練場を目にし、ジュード様は感嘆の声をあげた。

「これは、立派な鍛練場ですね」
「ありがとう。代々受け継いできた鍛練場だ。広さだけはあるが、手入れを続けても老朽化は避けらん。あちこちガタがきている箇所もある。新しい建物に比べれば、見劣りするだろう」
「とんでもない。歴史的な建物を維持されていて、素晴らしいです」
「そのような言葉を頂けるとは。手入れを続けてきた日々も報われるというものだ。なぁ、ウィステリア」
「はい、お父さま...」

 東国の王族教育の賜物なのか天然か、ジュード様は人好きされる態度や言葉を、要所要所で効果的に使ってくる。
 元来真っ直ぐな性格の父は、もう随分とジュード様のことを好ましく思っているようだ。会話の合間にこぼれる笑みの柔和さが、それを示している。

(きっと彼を知る誰もが、好印象を持っているのでしょうね......)

 外見・態度・仕草・声・話し方....。ジュード様が好かれる理由は、十分に理解できる。

(では何故、私は....こんなにも、彼が......怖いの.......?)

 ジュード様との間に立つ父を見上げて彼と視線が合う度、優しく微笑まれて寒気がした。こんな嫌悪感を覚えたのは初めてで理由も解らないため、私自身の感情なのにどうすることもできない。
 申し訳なく思いながらもジュード様に笑みは返さず視線を逸らし、ピタリと父の背にくっついて、後に続く。

 父は鍛練場の鍵をふところから取り出し、重厚な扉を開放する。正面天井近くに位置する神棚に一礼してから履き物を脱ぎ、建物内部へ進むその動作を、同じく繰り返して鍛練場の中に入った。

 後ろを確認すると、ジュード様も戸惑う様子一つ見せず、父の所作を再現し、鍛練場へ入ってくる。
 その仕草は完璧で、人好きされる雰囲気とは異なり、近づきがたい、尊い方の様にも見えた。

(王族の気高い血統が、彼の印象を恐ろしく思わせるのかしら...)

「では、準備を終えたら手合わせ願おう」
「はい」

 父の言葉に頷き壁際に移動したジュード様は、荷物を置いてマントや鎧も脱ぎ、動きやすい旅装束に手早く着替えられた。
 私は父と共に逆側の壁際へ移動し、設置されている収納棚から父が鍛練の際いつも身に付ける修練着を取り出して、着替えを手伝う。

「ウィステリア。お前はあの青年の実力を、どう見る?」
「東国からこの町までお一人で旅して来られたのなら、相当お強いと思います」
「ハハハ! やはりそう見るか。楽しみだ!」

 気持ち良く笑った父は、白い修練着に袖を通すと帯をキツく締め、気合いを入れた。

「ジュードくん、準備は良いかね?」
「はい」
「よし! では行くか、ウィステリア」
「ええ、お父さま」

 試合は鍛練場の中央、白線で囲まれた枠内で行われる。
 ジュード様がいらした東国とは作法が異なる筈なのに、彼は既に白線の中央、一対一の対戦の際に相手が向かい合う位置で、父を待っていた。
 白線の外から内へ、ジュード様が立つ場所に向かう父の大きい背中を見送りながら、私はつい.....願ってしまった。
 
(勝ってください、お父さま.....)

 託宣を受け、この町まで旅をして来られたジュード様には悪いと思うが、例えジュード様が敗れたとしても、これだけ父が彼を気に入っているのだ。父の性格上、旅の支援は必ず申し出る。勿論、勇者の武具を渡さないということも、ないだろう。
 どう転んでも、ジュード様の望んだ通りに事が運ぶ筈だ。

(だからお願い.....!!)

 胸の前で手を組み、父の勝利を祈る。

(お父さまが誰かに敗れる姿なんて、見たくないの...)

 幼い頃から今まで、ずっと変わらず...父の背中は大きくて。
いつだって、どんな強靭なモンスターが町に攻めこんできた時だって。...私の不安を、恐れを、払拭してくれた。

 遠く離れた神殿で町がモンスターに襲われたと聞き、無事を祈るしかできない私の心配を他所に、通信魔法で入ってくる報告の画像はいつも、父の満面の笑顔だった。
 『撃ち取ったぞ! 見よ、大物だ!!』と、一緒に神殿で花嫁修業をしている名家の淑女達が驚いて集まって来るくらい大声で宣言した父のあの笑顔を...強さを、信じたい。

 ジュード様に対する、得体の知れない恐れ。それを、父の強さが消し去ってくれると......信じたかった。
 父は、先祖が伝説の勇者の仲間であることを、誇らしく思っている。だからこそ、鍛練を怠ったことはない。


(お父さまが負けるわけがないわ。何を怖れているの、私は....)


 自らを奮い立たせ、目前で始まった手合わせに、目を凝らす。そんな私の目に映ったのは、怖れていた絶望だった。


(────あぁ。これが....神の祝福を受けた者の、力......)


 勝負は正に、一瞬だった。
互いに練習用の模擬刀を構え、私が出した開始の合図と共に振りかぶったジュード様が父に向かって歩を進めた...その瞬間。
 避けることも出来ないまま、父は模擬刀を眉間に突きつけられ、一歩も動けなくなった。

「お父さま......」
「...何をしているウィステリア。早く勝者の宣言をせんか」
「.....はい。勝者、ジュード様。勝負、これまで。お疲れさまでした」

 私の宣言で模擬刀を引いたジュード様は、優しい眼差しで私を見つめた後、所定の位置に戻って、キチンと礼をした。
 父も正面と神棚に礼をし、ジュード様に向き直る。

「素晴らしい。あれだけの動きだ、認めざるを得まい。ジュードくん、君は伝説の勇者の武具を預けるに相応しい猛者だと、わたしが認めよう」
「ありがとうございます!」

「うんうん。強く、気持ちの良い若者だ。そうは思わないか、ウィステリア」
「....ええ。私もそう思いますわ、お父さま」

 父に促されて答えた私の社交辞令に、ジュード様は目を輝かせて熱い視線を送ってきた。
 彼が私を見つめる度、背筋の悪寒が強くなって、全身の鳥肌が大変なことになっている。

「さて、この後だが...」
「お父さま、ジュード様を宿屋までお送りされてはいかがかしら」
「いや、勇者の武具をお渡しするのだ。一度家に...」

 父が『家で食事などおもてなしを』と言い出すのは、解りきっていた。でも、家にジュード様を招くのは、避けたい。

(食事を家で、となれば...面倒見の良い父母のことですもの。『お風呂もどうぞ』、『外はもう暗いから泊まっていってはどうだ』と....一連の流れが目に浮かぶようだわ。...できればこれ以上、ジュード様とは関わりたくない...)

 その一心で父が喜びそうな“おもてなし”を考え、提案した。

「勇者の武具はジュード様にお渡しする前に私が磨いておきます。今夜は、我が町の名産、火酒でおもてなしされてはいかがでしょう。お母さまには私から伝えておきますわ」

 私の出した“火酒”という言葉に、父は目を輝かせる。

「おお、火酒か。それは良い! では、一緒に行くとしようか。ジュードくん」
「え、あの。何処へ?」
「酒場だ。飲めないわけではないだろう? あそこは食事もうまいからなぁ。食べながら道中の話でも、しようじゃないか」
「....はい」

 強引な父の誘いを無下にすることもできず、ジュード様は私に向けていた視線をはずし、自身の荷物と装備を回収しに、壁際へ向かう。
 それを見て父も、弾む足取りで収納棚へ向かい、修練着を脱いで仕事着に着替えた。

「私は鍛練場を掃除してから家に戻りますわ」
「解った。では戸締まりを頼むぞ」
「はい、お父さま」
「ウィステリアさんだけに掃除を任せては行けません。僕も...」
「ジュード様、お心遣い痛み入ります。ですが、今は父のお相手を頂けると嬉しいですわ。私はお酒を嗜みませんので...」
「共に酒を酌み交わす相手が少なくてなぁ。是非、お付き合い願いたい」
「....解りました」

 鍛練場の鍵と勇者の武具をしまってある倉庫の鍵を父から受け取り、父とジュード様を見送る。
未だ何か言いたそうなジュード様の腕を引いて、父は楽しそうに宿屋の方向へと進んで行った。

(はぁ、良かった...)

 一先ずは誘導が上手く行き、ジュード様と離れることができてホッとする。

 町の宿屋の2階には、酒場がある。お父さまがボトルキープしている、お気に入りの場所だ。
 お酒が強くないのに好んで酒場へ通うため、酔い潰れる度に母が迎えに行く羽目になって、最近は「酒場へ行くのを控えるように!」と、母から制限が出されていた。
 その酒場へ向かう大義名分を与えられたのだから、父が断るはずがない。

(これで後は、勇者の武具を渡してしまえば、ジュード様と顔を会わせなくても済むのね)

 心を落ち着けながら鍛練場を掃除し、父の修練着を回収して鍛練場の鍵を閉め、家に帰る。

「ただいま戻りました...」
「あらウィステリア、お帰りなさい。今日は随分と遅かったのねぇ。お父さまも、まだお戻りじゃないのよ」
「お母さま、実は...」

 父の帰りが普段より遅いことを心配して、玄関先で待っていた母に、事情を説明した。
 父が当代の勇者と手合わせし、伝説の勇者の武具を彼に渡すと決まったこと。その彼に食事とお酒を振る舞うため、父が彼と共に酒場へ向かったこと。また、酒場に向かうのを勧めたのは私だと、念を押して伝えた。

(私のせいでお父さまがお母さまに怒られるのは、嫌だもの)

「まぁ...そんなことが。なら、今日くらいはお小言無しでお迎えに行ってあげましょうね」
「はい、お母さま」

 冗談ぽく笑って私の話を受け入れてくれた母の言葉が、無性に嬉しかった。数時間後、酔い潰れるであろう父のお迎えには、私も一緒に行くつもりだ。

 きっと父を迎えに行った先の酒場か、勇者の武具を渡す時が、ジュード様と遭う最後になるだろう。

(もう会わない人だもの。怯える必要なんてないわ...。でも、どうして...誰が見ても好青年に映るであろうジュード様が、あんなにも恐ろしく感じてしまうのか....理由は解らず仕舞いね.....)

       *****

 同時刻。酒場に着いたメルベムとジュードは、窓際の席に向かい合って腰掛け、なみなみと火酒を湛える木製のジョッキを掲げていた。

「さぁさ、乾杯しようじゃないか!」
「はい」

 小気味良くジョッキ同士がぶつかる音が店内に響き、雇われ音楽家が奏でる弦楽器の軽快な音が、酒場の雰囲気を高調させていく。

「うん、やはり火酒はうまい! どうだ、ジュードくん」
「ええ、おいしいです」
「そうだろう、そうだろう! ジュードくんはイケる口だな。どんどん飲みたまえ」
「ありがとうございます」

 火酒はこの土地特有の度数が高い酒だが、深みと共にあっさりとした飲み口が好評で、他大陸への輸出品としても人気が高い。
 しかし軽い飲み口のせいで限界に気付かず杯を空かし、酔い潰れる者が多い酒でもある。
 それを勧められるまま顔色も変えず大ジョッキで飲む見慣れぬ旅人がいて、ましてや滅多にお目にかかれない美男とくれば、周囲で酒を飲む町の面々も、気になって仕方ない。

 口火を切って話し掛けたのは、この酒場で勤め始めて3年の、年若く赤毛が愛らしいウェイトレスだった。

「あらメルベムさん、お久しぶり。奥さんから酒場に来ても良いってOK出たの?」
「今日は祝いだからな。ウィステリアが妻に承諾を貰ってくれるそうだ」
「お祝い? ...あら、こちら、凄く良い男ね。旅の方?」
「勇者さまだぞ。失礼は許さん」

 【勇者】。その名称がメルベムの口から出て、周囲で聞き耳を立てていた全員が、得心する。

 町をモンスターの襲撃から守護する自警団の団長メルベムが、酒場ここで酔い潰れた時に話す定番の内容。それが『伝説の勇者』についてと、『勇者の武具一式を預かっている』というものだった。
 この場所で、その話を聞いたことがない者は、誰もいない。

「あー、メルベムさんがいつも言ってた、勇者の武具。この人に上げるんだ?」
「そうだ」
「それはおめでたいわね! ウィステリアさんも神殿の花嫁修行から戻ってきてお見合いが決まっているし。メルベムさん家はお祝い事だらけね。羨ましいわァ」

 目線をジュードに向けながら、しなをつくるウェイトレスは誘うように溜め息を吐く。
 そんなウェイトレスの態度など微塵も気にかけず、ジュードは既に微酔い状態のメルベムの前に身を乗り出し、真剣な表情で言った。

「クリスさま、そのことですが...」
「なんだね、ジュードくん」
「ウィステリアさんの婚約者候補に、僕も是非、入れて頂きたいのです」
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