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  『日本書紀』によると、【山背大兄王】は生駒山に逃れ、東国に逃れるよう、家臣達は進言した。

【山背】も当初はそのつもりだったが、次のように言った、と云う。

「戦えば勝つのはわかっているが、私は戦いたくない。」と言って、妻妾・子供達は勿論、自身の弟妹とその子供達全員を引き連れ、【法隆寺】にて、全員自害して果て、火をかけた、と云う。


  『事実は小説よりも奇なり!』というが、小説でさえ、これほどの齟齬ソゴはきたさない。

戦前まで、『【国宝・日本書紀】には全て真実が書かれており、少しでも批判することは不敬である。』とされてきたが故、誰も表だって反論はしなかったのである。


  まず、第一に【山背】は【大王】に立候補しただけで、謀反を起こしたわけではない。

第二に、まともな人間ならば、自分だけ自害し、自身の家族まで殺さず、逃がすのがあってしかるべきである。

第三に、この日に、たまたま【山背】の弟妹及び、その家族全員が【斑鳩宮】に集まっていた、などとは有り得ないことである。

第四に、【山背】が自害しようとするのなら、気絶させても、東国へ逃れさせた有力な家臣達がいたはず。
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