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  第6章 587年『衣摺の戦い』において、【物部守屋】討ち取られ、ここに【物部本宗家】滅亡す!

 〔90〕【丁未の乱(衣摺の戦い)】勃発す!【10】

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  翌日、戦が始まってからも、【鎌姫】の、各陣地の将官説得は続いた。

開戦2日目になると、【鎌姫】支持派の将官達も増加して来て、同僚説得に協力する者、【鎌姫親娘】に軍馬を提供し、数十人の護衛と共に、警護・随行を申し出る者等、増えて来た。

また、この日の午後、総帥【守屋】の援軍出兵命令を拒否する者が出て来るなど、【物部軍】は崩壊・分裂の様相を呈していた。


  その日の夜、【物部軍】に激震が走った。

総帥【物部守屋】戦死す!との報が,【物部軍】を駆け巡り、【物部一族】四分五烈の序章となったのである!

その一族の内、半数近くは【鎌姫】に従い、【朝廷】に帰順し、【馬子】との約束通り、本領安堵されたのである。

また、本宗家にも従わず、【朝廷】にも従わない一派は三々五々、全国各地へと逃げ延びて行った。

その他、身分を隠し、改名して生き延びた者ら、様々であった。


  しかしながら、【物部本宗家】と本宗家に追随する将兵達は『徹底抗戦』を叫び、戦い続けた。

いくら武芸に秀でた、といっても多勢に無勢、戦略も戦術もなしでは、生き延びる展望もなかった。

結局、大勢が戦死し、【守屋】の子や孫は島流しされ、十余年後、平民として生きるならということで、許されて戻されたのである。


  有史以来、栄華を極めた【物部本宗家】は、ここに滅びたのである

時に、587年7月。
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