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  第2章 稀代の英才【厩戸王太子】誕生す!!

 〔12〕573年、【橘豊日尊】と【穴穂部間人姫御子】間に、【厩戸王太子】誕生す!

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  飛鳥川の右岸、小高い丘に【穴穂部間人姫御子】の邸宅があった。

【間人姫御子】は、【欽明大王】の王子である【橘豊日尊】の妃であった。

この時代、夫婦が同じ家に住むのは、一般庶民にはよくあることであったが、上流階級では、妻は妻の家に住み、夫は夫の家に住み、夫は妻の家に通って行くのが普通であった。

妃は二十ハタチ前の、清々しい気品アフれる絶世の美女でもある。

懐妊中ではあるが、その美貌は少しも損なわれず、落ち着きが伴って、更に美しくなっていた。


  妃は、恒例の朝の散策のため、臨月を二月フタツキも過ぎていたのだが、侍女らに助けられて、ゆっくりと庭園を廻っていた。

厩舎ウマヤの戸口の前まで来た時、にわかに産気づいて、侍女らに抱えられて、寝所に連れ戻されるや否や、ほとんど無痛分娩で、可愛い男の子を出産した!

御名を【厩戸王太子】と云う。


  〔閑話休題〕ここで、不謹慎ながら、思わず笑ってしまうのは私だけなのだろうか!?

どこの世界に、可愛い我が子に、【厩戸】とか【馬子】と名付ける親がいるのだろうか!?

しかしながら、歴然と、史実として、間違いなく、そう名付けた親は実在したのである。

この飛鳥時代では、【馬】は、歩兵十数人分以上の戦闘力があり、しかも遠出をする際の必要不可欠な乗り物である。

それに加えて、超高価な舶来品であり、高貴な身分の者にしか所有出来なかったのである。

云わば、現代人の感覚からすれば、【厩戸】は自家用【垂直離着陸機ハリヤー】格納庫とでも云えようか!?
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