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如何なるときも全力で!

伏せ字だらけの女子バナ②

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「あの…… 」

「何かしら? 」

「管理人さん、巴さんは…… どれくらい知ってるんですか? 」

「夏樹のこと? 」

「はい…… 」

 朱美は無意識だった。
 気づいたときには、ずっと引っ掛かっていた疑問を巴さんにぶつけていた。

「そうね…… 表向きに私が知ってることは、あんまりないかな。実家が福井ってことは知ってるよ。三国って場所 」

「そうですか…… 三国…… 」

 朱美は地理には詳しくないけど、三国は確かカニが有名なことは知っている。総菜屋で働いていたときにコラボレーションフェアがあって、そのときに地名を知った。どんな場所かが気になって調べたから、サスペンスドラマで有名な東尋坊はあの辺りにあることも覚えた。三国と言われてもそれ以上の知識はないけど、それなら吉岡が雪国育ちと聞いても合点がいく。

「それで? あけみちゃんは、どうなの? 」

「私は…… 二年も一緒にいるのに、夏樹さんのことはあまりよく知らないんです。正直、出身が福井ってことも今はじめて知りました 」

「そう。興味はないの? 」

「本人があまり話したがらないので、聞くのも微妙だなと思って 」

「そっか…… あけみちゃんは夏樹に嫌われたくないんだ 」

「多分、そうなんだと思います 」

 朱美は頭を下げると、難しい表情を浮かべる。巴はそんな朱美を見かねたのか「あらまあ 」と言うと、よっこらしょと立ち上がり、部屋の隅に積み上げられた雑誌の山を漁って一冊持ってきてくれた。

「じゃあ、今夜は特別大サービスね 」

「これって…… 」

 巴が朱美に差し出したのは、S出版が発行している有名な週刊誌だった。

「夏樹が 記者やってたときに 最初にあげたスクープよ。夏樹が昔、記者をしてたのは知ってる? 」

「ええ、それは一応…… とても有能だったとは 人伝に聞いてます 」

「そうね。あの頃はしょっちゅうスクープあげてたよね。お陰さまで私の部屋は週刊誌と漫画だらけ。どうする、あけみちゃん? 読んでみる? 」

「私が読んでも いいんですかね…… 」

「夏樹が知ったら抵抗してきそうだけど、バレなきゃ平気じゃない? 」

「…… 」

 巴はここだよ、と言うと該当のページを開いてくれた。朱美は少しだけ悩んだが、恐る恐るその雑誌に手を伸ばす。週刊誌はだいぶ湿気を吸っているようで、全体的に波を打っている。巴は何度も目を通したのだろう、該当の記事のページにはクセがついていた。

「ああ、こんなこともありましたね。書道家の杉瀬早雲と女優の松田直美のデキ婚。
この二人って噂がなかったから、かなりビックリしました。これを彼が? 」

「そうよ。一番最初のときだけ管理人室に持ってきたから。あれは夏樹が新卒一年目の冬前くらいだったかな。他のは私が毎週買って、記念にとってあるって感じなんだけど 」

「新卒一年目!? 」

 朱美が新卒一年目だったのは だいぶ昔の話だけど、当時は美味しい総菜を作るので手一杯で自分で 何かを考えて生み出すというサイクルには到底至らなかった。新卒一年目でこんなスクープをあげることが どれだけ難しいことか、これは素人の朱美にもわかる。

「他のも見る? 」

「いえ、あの…… 」

 朱美は巴の申し出を一瞬戸惑い躊躇した。
 心臓がチクチクするような気がする。
 これは自分がまだ踏み込んではいけない過去の話で、勝手に吉岡の心の内を覗き見しているような罪の意識を感じていた。
 巴はそんな朱美の様子の察したのか パッと手を叩くと、また立ち上がって奥にあるタンスへと向かった。 

「そう言えば、夏樹が落研時代のパンフレットもあるのよ。ちょっと待ってて 」

「あっ、落研? って 吉……夏樹さんって、高座に上がってたんですか? 」

「そうよ、落研だからね。上手なのか下手だったのかは私にはわからなかったけど、一生懸命頑張ってたよ 」

 巴はそう言うと、タンスの奥の方から引っ張り出してきた一枚のペラ紙を朱美に手渡した。
 吉岡の演目は死神と書いてある。落語に疎い朱美でもこれなら知っている。とても有名な古典落語だ。

「……死神 」

「私もチケット無理矢理渡されて、何回か見に行ったのよ。これは夏樹が一年か二年くらいのやつかな。まだ勉強が忙しくなかったから、よく部屋で毛布被って練習してたみたいなんだけど、他の学生からはうるさいって私のところに苦情もきてたんだよね。あれは参ったわ」

「へー 」

 朱美は相槌を打ちながら、チラシを舐めるように見ていた。数人いるメンバーの中で吉岡の名前は後ろの方にあるから、腕前はまあまあだったのかなとも思ってしまう。

「死神ってオチわかってるのに、何回見ても面白いのよね。神楽坂この辺りはね、意外と高座があるのよ。まさかあの頃、夏樹が出版社に勤めて記者になるなんて思ってもみなかったけど 」

「…… 」

「あけみちゃんって、もしかして…… 」

「はい? 」

「夏樹が難しい過去を抱えてるのは知ってるの? 」

「……それは 」

 吉岡本人からは記者をしていたとは言われたけれど、詳しいことは何も聞いていない。初めて息吹からそのことを聞いたとき、恐る恐る吉岡の名前をインターネットで検索してみたことがある。そしたらビックリするぐらい名前がヒットして、そっとバッテンマークをクリックするしかなかった。そもそも朱美は吉岡からは元々編集者を希望していて出版社を受けたと聞いていたから、記者をしていたなんて話は寝耳に水だった。

「答えづらいよね。ごめんね、不躾な質問して。あけみちゃんはいろいろ承知で夏樹と付き合ってるんだね 」

 さっきまでオブラートにも包まずに 下ネタを連発していた人とは思えないくらい、巴は急に優しい口調で朱美に声をかけてくれた。

「ええ。まあ、承知というか、一応…… わかってはいます 」

「あらまあ、夏樹は幸せ者ね。あはは、私からもこんな良い子を一生手放しちゃ駄目よって 念を押してやりたいわ 」

「そんな、オーバーな 」

「ううん。いま夏樹に必要なのは、無言で自分のことを受け止めてくれる存在なんだと思うよ 」

「えっ……? 」

「物事を受け止めることは、受け入れるよりも難しいことだと私は思うよ。受け入れる方が、よっぽど楽だもん。あけみちゃんは凄いと思う。だから夏樹も居心地がいいんだろうね 」

 受け止めると受け入れるって、どう違うんだ?
 朱美は巴が発した言葉の意味が 良くわからないでいた。
 秘密とか気持ちを共有すると、絆が生まれる。 結束力も高まるし、受け入れてしまえるなら自分の心は満たされて安心もするんだろう。
 正直いまだって、本当は吉岡の口から聞いてみたいことが沢山ある。
 だけど吉岡は どうなんだろう?
 言いたくない昔の自分を恋人に知られたって心が穏やかになったりはしない。むしろ余計なプレッシャーがかかるだけではないだろう。

「私には、難しいことはよくわかりません 」

「……教えて欲しいとは思わないの? 」

「不謹慎ですけど、どうせなら…… このまま墓場まで持っていってくれてもいいと私は思ってます。そもそもは法に触れるようなことをした人が駄目なんです。犯罪なんですから。それを暴いたことが悪ならば、警察は常に悪ということになります 」

「そうなんだけどね…… 本人的にはそうもいかないんだろうね 」

「私も夏樹さんの立場なら、きっとそう思います。だから私は彼が話してくれるまでは、知らなくていいんです。
恥ずかしいんですけど、今の私は彼がいないと公私ともに生活が成り立たないので。私も手放すわけにはいかないんです。
気にならないっていうのは嘘になりますけど、今はその時じゃないって思ってます 」

 朱美はあっさりと本音を吐露すると、顔を真っ赤にしてタオルを被った。
 自分でも何でこんなに馬鹿正直に答えているのだろうとは思うが、口を開いたら気持ちが先行して声になっていた。それに何より、この巴さんの前では不思議と何でも話してしまう。いや、この感覚を正確に表現するならば、何でも話せてしまうといった方がいいのかもしれない。

「まあ、そんな風に言っちゃって。妬けちゃうねー 」

 巴はいいねいいねーと朱美を盛り上がると、お茶のおかわりを注いでくれた。

「夏樹がまた笑うようになったのは、ここ最近のことなのよ。それまでは生きてるのか死んでるのかもわからないし、殆どここにも帰ってこない廃人のように生活してたもの。世の中を動かしまくった代償ってヤツなんだろうけど。
だからね本当に親としては嬉しいものよ。ありがとうね、 」

「えっ? あの…… 」

 唐突にその名を呼ばれて、朱美は思わず硬直する。
 あれ? 私、自分が神宮寺アケミだって巴さんに言ったっけ?
 朱美は言葉に詰まりながらタジタジしたが、巴はそんなリアクションも折り込み済みなのだろう。特に気にする様子もなくそのままこう話を続けた。

「まさか、漫画だけじゃなくて 本人がこんなに可愛い子だとは思わなかったけど。夏樹も自分の先生に手を出すなんて、変なところは度胸があるのね。さてと、あんまり長居をしてると夏樹がまた殴り込んでくるわね。ほらほら、もう帰りなさい 」

「えっ、あの…… 」

「ほら、足音が聞こえてきた。この歩き方は、多分夏樹だよ 」

「…… 」

 言われてみれば……
 遠くの方でミシミシと木が鳴る音がした。

「夏樹のこと、宜しくね 」

「……宜しくされてるのは、こっちの方なんですけどね 」

「あらまあ、相思相愛なんて妬けちゃうわね。じゃあね、アケミちゃん。おやすみ 」

「いろいろ、ありがとうございました。あの、巴さん、おやすみなさい 」


 朱美は深くお辞儀をすると、静かに管理人室のドアを閉めた。




 吉岡のこと……
 まだ知らないことが 沢山ある。
 新しいことを知るたびに、切なくなって苦しくなって何とも言えない気持ちになることもある。 強がりみたいなことを言ってしまったけど、教えてもらえないから不安にだってなるのだ。

 だけど今日、一つだけ吉岡のことでハッキリとわかったことがある。
 吉岡はここでの生活が気に入っていて、手離したくない繋がりがあるということ。そしてその気持ちは 自分にも凄くよくわかるような気がすることだった。
 大人になると、自分のフィールドが広くなる。ときには自分でも手に負えないくらいどんどん増殖してしまうことがあって、吉岡の場合はその振り幅が突き抜けたのだろう。
 
 自分が自分でなくなりそうなとき、戻れる場所があること。
 それは一人で都会で暮らしていく上で、吉岡にとっては無意識な部分で支えになっていたのだろう。



「妬いちゃうのは私のほうですよ…… 」

 朱美は冷えきった廊下の真ん中で、誰にも聞こえないくらいの声でそっとそう呟く。
 そして一息つくと、階段の踊り場でムスっとして腕組みをする吉岡の元へと小走りで駆け寄るのだった。



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