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如何なるときも全力で!
この世界の不文律
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◆◆◆
その晩、茜は間引いた明かりのアナウンサールームで、一人中期面談に関する資料を作成していた。
面談は延期になった。だけど中止ではないから、いつかはまた迫田と向き合い、自己アピールをしなくてはならない。出たがりのクセに自分を売り込む作業が苦手だなんて相反する気もするが、その少しだけ奥ゆかしい部分が 茜の良さでもあるのかもしれない。
それにしても一人でパソコンに向かう仕事は、どうも性に合わない。だいたい 事務作業をする自分のイメージが浮かばなくて、技術を売るアナウンサーを志したのだ。つまり自分に向いていない作業であることは とっくの昔に確定しているのだが、そうは問屋が卸さない。
まあ、さっき年末の特番と言う大きな仕事が入ったから、後期はそれなりに台湾ネタでアピールが出来そうだ。だけど前期の自分は、身も蓋もない。なんと言っても泥酔事件で週刊誌にスッパ抜かれたし、不可抗力と言え 大切な深夜ラジオのレギュラーは強制終了となったのだ。
「あーあーあー、何かいいネタないかなー 」
茜はそう一言呟くと、倒れるようにデスクに突っ伏した。
お喋りが好きで そういう仕事がしたくて、この世界の門を叩いたハズだった。だけど現実はそんなに甘くはない。深夜三時に自分のセールスポイントを無理やり作り出すことこそが、中堅社会人の実像というものだ。
向いてないことに固執し、自分の需要がないこの世界に居場所を求め続けたところで、キラキラした未来はあるのだろうか……
茜はハアとため息をつくと、冷たくなった緑茶に口をつけた。
◆◆◆
「茜っち…… 茜っち……? 」
茜は肩を揺すられるような感覚を覚えて、目をパチリと見開いた。
目の前には見慣れたアナウンスルームの風景。そして同期の西野がニット帽にダッフルコートと重装備のままという状態で、こちらを見下ろすように立っていた。
「西くん? って、わぁっ、私もしかして寝てた? 」
「ああ、うん。起こすかどうか迷ったけど、そろそろモーニングコール組が出社するから 」
「あの……ありがとう。先輩たちに寝てるとこなんて見られたら、また変な噂立っちゃうとこだったよ 」
「いや、お礼を言わなきゃならないのはこっちの方だよ。この前はありがとう。助けてくれて。今もまだ疲れが抜けてなくて……って感じでしょ? 」
「あはは、そう言えばそうだったね。でも寝ちゃってたのは、ただの私の傲慢。っていうか西くんたち、もう復帰して大丈夫なの? 脱水が かなり酷かったって聞いたけど 」
「ああ、二日間くらいはこの世のものとは思えないくらい凄かったんだけどね。この通りもう大丈夫。本当ごめんね。迷惑かけちゃって…… 」
西野はそう言うと、茜に対して深々と頭を下げた。だけど茜は座っていて西野は立ったままだから、これでは非常にバツが悪い。茜は慌ててその場から立ち上がると、西野の肩を掴んで宥めるようにこう言った。
「大丈夫、本当に気にしないで。こういうときのための当直なんだし。私は仕事をしただけだから…… 」
「ありがとう、茜っち。そう言ってもらえると有難い。本当に申し訳なかった。他の人も僕の不注意で苦しい思いをさせちゃったし、スタッフにもスポンサーにも迷惑も負担も掛けちゃって 」
「西くん、そんなに気負いしないで。確かに きっかけは西くんの差し入れかもしれないけど、そもそも食中毒を起こしたのはお店の過失なんだから。つまりね、何が言いたいかというと、本質的な部分では食中毒が起きたのは西くんのミスではないんだよ 」
「それは、迫田部長にも言われた。でも当事者だからこそ割りきれないんだよ。だって茜っち、台湾ロケを棒に振ったでしょ? 」
「西くん…… 」
いつにない西野の力のこもった口調に、茜は思わず凄んでいた。
「あのね、本当に本当に 私は大丈夫だったから。だって私、台湾に行ってきたもん 」
「えっ? 台湾? 行ったの……? あの後? 」
「うん。だからね、大丈夫なんだ。ロケも飛ばなかったし 」
「そうだったんだ…… ありがとう。ごめん。茜っちに大変な思いをさせて 」
西野はそう言うと、目を真っ赤にして茜を見ていた。いい年齢した大人がこんなふうになるんかい? と言いたくなるが、意外なことにアナウンサーにも感情が豊かな人材は多い。
「ちょっ、西くん? 」
「ありがとう。本当にごめん 」
「ちょっ、西くん? 大丈夫だから落ち着いて。顔、真っ赤だよ? 」
茜はそう言うと、咄嗟にジャンパーの袖で西野の顔を押さえた。
このままではテレビの前に出られる状態であるとは言えやしない。だけど西野の自責は止まるどころか、どんどん加速しているような気もする。
男女問わず、感情が高ぶることはある。
そんな西野を見ると 彼もまた放送従事者なんだなと思うし、不謹慎ながらもその責任感に熱いところが同期として誇らしく感じる部分もある。
茜は他の仕事に従事したことがない。
新卒でこの関東放送に入社してから、ずっと電波を預かる仕事をしてきた。
どんな仕事でもそうだと思う。
だけど演者裏方問わず、公共の電波を生業とする人間にとって出番を飛ばしてしまうことは、とてもとても罪深いことなのだ。
放送に従事する者は、時に悲しい別れがあっても式に参列することが叶わないことがあるし、もちろん逆も然りで祝いの席も辞退せざるを得ないこともある。
自分も家族も人間関係も犠牲にする強い覚悟がないと、この世界の一線で働くことは難しい。一昔前までは それが出来ないのならばこの世界はお前は向いてない、とっとと辞めちまえと 一蹴されていた場所なのだ。
そんな厳しいところであるにも関わらず、他人を巻き込んで 不体裁スレスレまで追い込む事象を作った張本人とならば、その責任というのは さらに心に重く のし掛かかってくる。西野は相当な後悔の念を感じていたに違いない。
一つのミスが、大きな命取りになる場所。
それが自分たちが身を置く環境。
それが不服というのならば、選べる選択肢は一つ。
この職を辞することしか方法はないのだ。
その晩、茜は間引いた明かりのアナウンサールームで、一人中期面談に関する資料を作成していた。
面談は延期になった。だけど中止ではないから、いつかはまた迫田と向き合い、自己アピールをしなくてはならない。出たがりのクセに自分を売り込む作業が苦手だなんて相反する気もするが、その少しだけ奥ゆかしい部分が 茜の良さでもあるのかもしれない。
それにしても一人でパソコンに向かう仕事は、どうも性に合わない。だいたい 事務作業をする自分のイメージが浮かばなくて、技術を売るアナウンサーを志したのだ。つまり自分に向いていない作業であることは とっくの昔に確定しているのだが、そうは問屋が卸さない。
まあ、さっき年末の特番と言う大きな仕事が入ったから、後期はそれなりに台湾ネタでアピールが出来そうだ。だけど前期の自分は、身も蓋もない。なんと言っても泥酔事件で週刊誌にスッパ抜かれたし、不可抗力と言え 大切な深夜ラジオのレギュラーは強制終了となったのだ。
「あーあーあー、何かいいネタないかなー 」
茜はそう一言呟くと、倒れるようにデスクに突っ伏した。
お喋りが好きで そういう仕事がしたくて、この世界の門を叩いたハズだった。だけど現実はそんなに甘くはない。深夜三時に自分のセールスポイントを無理やり作り出すことこそが、中堅社会人の実像というものだ。
向いてないことに固執し、自分の需要がないこの世界に居場所を求め続けたところで、キラキラした未来はあるのだろうか……
茜はハアとため息をつくと、冷たくなった緑茶に口をつけた。
◆◆◆
「茜っち…… 茜っち……? 」
茜は肩を揺すられるような感覚を覚えて、目をパチリと見開いた。
目の前には見慣れたアナウンスルームの風景。そして同期の西野がニット帽にダッフルコートと重装備のままという状態で、こちらを見下ろすように立っていた。
「西くん? って、わぁっ、私もしかして寝てた? 」
「ああ、うん。起こすかどうか迷ったけど、そろそろモーニングコール組が出社するから 」
「あの……ありがとう。先輩たちに寝てるとこなんて見られたら、また変な噂立っちゃうとこだったよ 」
「いや、お礼を言わなきゃならないのはこっちの方だよ。この前はありがとう。助けてくれて。今もまだ疲れが抜けてなくて……って感じでしょ? 」
「あはは、そう言えばそうだったね。でも寝ちゃってたのは、ただの私の傲慢。っていうか西くんたち、もう復帰して大丈夫なの? 脱水が かなり酷かったって聞いたけど 」
「ああ、二日間くらいはこの世のものとは思えないくらい凄かったんだけどね。この通りもう大丈夫。本当ごめんね。迷惑かけちゃって…… 」
西野はそう言うと、茜に対して深々と頭を下げた。だけど茜は座っていて西野は立ったままだから、これでは非常にバツが悪い。茜は慌ててその場から立ち上がると、西野の肩を掴んで宥めるようにこう言った。
「大丈夫、本当に気にしないで。こういうときのための当直なんだし。私は仕事をしただけだから…… 」
「ありがとう、茜っち。そう言ってもらえると有難い。本当に申し訳なかった。他の人も僕の不注意で苦しい思いをさせちゃったし、スタッフにもスポンサーにも迷惑も負担も掛けちゃって 」
「西くん、そんなに気負いしないで。確かに きっかけは西くんの差し入れかもしれないけど、そもそも食中毒を起こしたのはお店の過失なんだから。つまりね、何が言いたいかというと、本質的な部分では食中毒が起きたのは西くんのミスではないんだよ 」
「それは、迫田部長にも言われた。でも当事者だからこそ割りきれないんだよ。だって茜っち、台湾ロケを棒に振ったでしょ? 」
「西くん…… 」
いつにない西野の力のこもった口調に、茜は思わず凄んでいた。
「あのね、本当に本当に 私は大丈夫だったから。だって私、台湾に行ってきたもん 」
「えっ? 台湾? 行ったの……? あの後? 」
「うん。だからね、大丈夫なんだ。ロケも飛ばなかったし 」
「そうだったんだ…… ありがとう。ごめん。茜っちに大変な思いをさせて 」
西野はそう言うと、目を真っ赤にして茜を見ていた。いい年齢した大人がこんなふうになるんかい? と言いたくなるが、意外なことにアナウンサーにも感情が豊かな人材は多い。
「ちょっ、西くん? 」
「ありがとう。本当にごめん 」
「ちょっ、西くん? 大丈夫だから落ち着いて。顔、真っ赤だよ? 」
茜はそう言うと、咄嗟にジャンパーの袖で西野の顔を押さえた。
このままではテレビの前に出られる状態であるとは言えやしない。だけど西野の自責は止まるどころか、どんどん加速しているような気もする。
男女問わず、感情が高ぶることはある。
そんな西野を見ると 彼もまた放送従事者なんだなと思うし、不謹慎ながらもその責任感に熱いところが同期として誇らしく感じる部分もある。
茜は他の仕事に従事したことがない。
新卒でこの関東放送に入社してから、ずっと電波を預かる仕事をしてきた。
どんな仕事でもそうだと思う。
だけど演者裏方問わず、公共の電波を生業とする人間にとって出番を飛ばしてしまうことは、とてもとても罪深いことなのだ。
放送に従事する者は、時に悲しい別れがあっても式に参列することが叶わないことがあるし、もちろん逆も然りで祝いの席も辞退せざるを得ないこともある。
自分も家族も人間関係も犠牲にする強い覚悟がないと、この世界の一線で働くことは難しい。一昔前までは それが出来ないのならばこの世界はお前は向いてない、とっとと辞めちまえと 一蹴されていた場所なのだ。
そんな厳しいところであるにも関わらず、他人を巻き込んで 不体裁スレスレまで追い込む事象を作った張本人とならば、その責任というのは さらに心に重く のし掛かかってくる。西野は相当な後悔の念を感じていたに違いない。
一つのミスが、大きな命取りになる場所。
それが自分たちが身を置く環境。
それが不服というのならば、選べる選択肢は一つ。
この職を辞することしか方法はないのだ。
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