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フォーエバーフォールインラブ
怒濤の情報過多
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「あー、きもちいいーッッ! やっぱ岩盤浴は最高だねっ 」
「いいの、朱美? こんなところで油を売ってて 」
「平気平気っ! ちょっと行き詰まってたし、スッキリしたくてさ 」
朱美はそう言いつつ 牛乳瓶をぐいっと煽ると、ぷはーと声をあげた。
朱美はお得意の完徹明けに、息吹と都内某所のスパ施設を訪れていた。
先日吉岡と派手にやり合って以来、ほぼ毎日のようにあった自宅への押し掛けは止んでいる。今までは執筆作業中に出掛けたことなどなかったが、ここ数日誰とも喋っていなかったので、少しだけ息吹に付き合ってもらったのだ。ちなみに締め切りに関しては 本当は全く平気ではないことは、問答無用に息吹には黙っていた。
「ったく。また吉岡さんに叱られても知らないよ。お尻に火が点かないと焦らないんだから 」
「そんなこともないけどさあ。鬼の居ぬ間の羽伸ばしというか。吉岡は最近は 全然うちに来ないし。多少、サボッたところで 殆どバレないんだもん 」
「いやいや。吉岡さんが来なくたって、ちゃんとやらなくちゃ駄目でしょ。読んでくれるファンがいるだから 」
「それは…… そうなんだけど…… 」
朱美は難しい顔をすると、息吹から気まずそうに目線を逸らした。
正直なところ、朱美は吉岡から冷たくされて戦意喪失気味だった。小言が多くて、しつこくてお節介で腹立たしかったはずなのに、いざ放置されると つまらなくて仕方ない。
「あのさ、朱美…… 」
「何? 」
「うちのさ、相方が人伝に聞いた話なんだけどね…… 」
「ああ、野上さん? 」
息吹の彼氏の野上は、歳は離れているが吉岡の大学の落研の後輩と聞いている。今でも繋がりがあるのか、そういう情報は ちょくちょく息吹から聞いていた。
「うん。吉岡さんね、最近会社で法律関係の本を読み漁ってるって話題なんだって 」
「はあ……? 法律? 」
「吉岡さん、いつもハードワークらしいじゃん。朱美だけじゃなくて何人も担当してるし、ろくに休みもない状態で働いているみたいなんだよね 」
「まあ、そうしちゃってる原因は 私にもあるかとは思うけど 」
朱美は気まずそうな表情を浮かべると、息吹の様子を伺った。
彼女は少しも困った目をしていたが、とても真剣な表情をしているように見えた。
「朱美…… ここから先の話は、あんまり私の口から言うようなことでもないかもしれないんだけど…… 」
息吹は前置きをすると、ふぅと一回深呼吸をした。朱美もそんな息吹の仕草を目の当たりにすると、自然と必要以上に身構えていた。
「吉岡さんなんだけど、労働組合とタッグを組んで、上層部に勤務時間の改善を求めるんじゃないかって、噂が広がってるみたいなんだよね 」
「えっ? 」
「もちろん朱美のせいだけじゃないよ。それは会社の体制の問題だと思うし 」
「…… 」
だからこの前、あんなにイライラした感じだったのか……
朱美は一人で納得すると、息を付く。それならば最近自宅に突撃してこないことも、必要以上に干渉しない理由にも合点がいく。
これからは、ちゃんと自立して漫画を描かないといけない。改めて 朱美が心を入れ換えようと一人で決心をしたとき、息吹は更に追加の情報を語りだした。
「それに最近は、よく電話をしてるって 」
「……電話? 」
「そう。相手は吉岡さんの元同期のフリーのライターで、引き抜こうとしてるんじゃないかって噂みたい。吉岡さんは、前は週刊誌の政治部のエース記者だったみたいじゃない? 」
「はあ……? 週刊誌って…… 」
ライターで引き抜き?
朱美には初耳過ぎる情報だった。
吉岡が朱美の担当になったのは、一年前くらいだ。そして吉岡の編集者歴は約三年。隔週キャンディーに異動する前の吉岡が何をしていたかは、興味もなかったし想像もしたことがなかった。吉岡が書き手だったなんて、そんな話は聞いたことがないし 考えたこともなかった……
「しかもその彼女とやらは、吉岡さんと非常に仲が良かったらしいんだよね 」
「仲が…… 良かった? 」
ちょっと待て、ちょっと待て。
新規の情報が多すぎる……
朱美の凝り固まった脳内では処理がしきれない。
確かに吉岡は暗黒の青春を過ごしていたとは言ってはいたが、別に交際経験がないとも名言はしていない。彼のスペックから考えて浮いた話のひとつや二つない方が、逆に不自然な話かもしれない。
「朱美が動揺するのはわかってる。確定してない話だし、もしかしたら嘘かもしれない。だけど私は敢えて言う。朱美にとって吉岡さんの存在ってなに? 」
「……吉岡の存在? 」
怒濤の新規情報に、朱美は混乱していた。
いや、どちらかと言うとこの感情は動揺しているというほうが近いかもしれない。
認めてくれないとツラい。
放っておかれると寂しい。
吉岡の存在が自分にとって何なのかなんて、今まで考えたこともなかった。
◆◆◆
息吹と別れてからは、ずっとぐるぐると変な思考が頭を駆け巡っていた。
帰宅したら吉岡にファックスでもして、流石にネームを通してもらわなくてはならない。
朱美は溜め息を付きながら、自宅までの道のりを歩いていた。
すると街灯の下に、見慣れた人影があることに気づいた。その影はガードレールに腰掛けながら、大量の紙袋を携えている。
朱美は恐る恐る近づいた。
彼はムスっとした表情をして、こちらを鋭く睨み付けている。
そこにいたのは朱美の今一番の悩みの種となりつつある、吉岡の姿だった。
「あー、きもちいいーッッ! やっぱ岩盤浴は最高だねっ 」
「いいの、朱美? こんなところで油を売ってて 」
「平気平気っ! ちょっと行き詰まってたし、スッキリしたくてさ 」
朱美はそう言いつつ 牛乳瓶をぐいっと煽ると、ぷはーと声をあげた。
朱美はお得意の完徹明けに、息吹と都内某所のスパ施設を訪れていた。
先日吉岡と派手にやり合って以来、ほぼ毎日のようにあった自宅への押し掛けは止んでいる。今までは執筆作業中に出掛けたことなどなかったが、ここ数日誰とも喋っていなかったので、少しだけ息吹に付き合ってもらったのだ。ちなみに締め切りに関しては 本当は全く平気ではないことは、問答無用に息吹には黙っていた。
「ったく。また吉岡さんに叱られても知らないよ。お尻に火が点かないと焦らないんだから 」
「そんなこともないけどさあ。鬼の居ぬ間の羽伸ばしというか。吉岡は最近は 全然うちに来ないし。多少、サボッたところで 殆どバレないんだもん 」
「いやいや。吉岡さんが来なくたって、ちゃんとやらなくちゃ駄目でしょ。読んでくれるファンがいるだから 」
「それは…… そうなんだけど…… 」
朱美は難しい顔をすると、息吹から気まずそうに目線を逸らした。
正直なところ、朱美は吉岡から冷たくされて戦意喪失気味だった。小言が多くて、しつこくてお節介で腹立たしかったはずなのに、いざ放置されると つまらなくて仕方ない。
「あのさ、朱美…… 」
「何? 」
「うちのさ、相方が人伝に聞いた話なんだけどね…… 」
「ああ、野上さん? 」
息吹の彼氏の野上は、歳は離れているが吉岡の大学の落研の後輩と聞いている。今でも繋がりがあるのか、そういう情報は ちょくちょく息吹から聞いていた。
「うん。吉岡さんね、最近会社で法律関係の本を読み漁ってるって話題なんだって 」
「はあ……? 法律? 」
「吉岡さん、いつもハードワークらしいじゃん。朱美だけじゃなくて何人も担当してるし、ろくに休みもない状態で働いているみたいなんだよね 」
「まあ、そうしちゃってる原因は 私にもあるかとは思うけど 」
朱美は気まずそうな表情を浮かべると、息吹の様子を伺った。
彼女は少しも困った目をしていたが、とても真剣な表情をしているように見えた。
「朱美…… ここから先の話は、あんまり私の口から言うようなことでもないかもしれないんだけど…… 」
息吹は前置きをすると、ふぅと一回深呼吸をした。朱美もそんな息吹の仕草を目の当たりにすると、自然と必要以上に身構えていた。
「吉岡さんなんだけど、労働組合とタッグを組んで、上層部に勤務時間の改善を求めるんじゃないかって、噂が広がってるみたいなんだよね 」
「えっ? 」
「もちろん朱美のせいだけじゃないよ。それは会社の体制の問題だと思うし 」
「…… 」
だからこの前、あんなにイライラした感じだったのか……
朱美は一人で納得すると、息を付く。それならば最近自宅に突撃してこないことも、必要以上に干渉しない理由にも合点がいく。
これからは、ちゃんと自立して漫画を描かないといけない。改めて 朱美が心を入れ換えようと一人で決心をしたとき、息吹は更に追加の情報を語りだした。
「それに最近は、よく電話をしてるって 」
「……電話? 」
「そう。相手は吉岡さんの元同期のフリーのライターで、引き抜こうとしてるんじゃないかって噂みたい。吉岡さんは、前は週刊誌の政治部のエース記者だったみたいじゃない? 」
「はあ……? 週刊誌って…… 」
ライターで引き抜き?
朱美には初耳過ぎる情報だった。
吉岡が朱美の担当になったのは、一年前くらいだ。そして吉岡の編集者歴は約三年。隔週キャンディーに異動する前の吉岡が何をしていたかは、興味もなかったし想像もしたことがなかった。吉岡が書き手だったなんて、そんな話は聞いたことがないし 考えたこともなかった……
「しかもその彼女とやらは、吉岡さんと非常に仲が良かったらしいんだよね 」
「仲が…… 良かった? 」
ちょっと待て、ちょっと待て。
新規の情報が多すぎる……
朱美の凝り固まった脳内では処理がしきれない。
確かに吉岡は暗黒の青春を過ごしていたとは言ってはいたが、別に交際経験がないとも名言はしていない。彼のスペックから考えて浮いた話のひとつや二つない方が、逆に不自然な話かもしれない。
「朱美が動揺するのはわかってる。確定してない話だし、もしかしたら嘘かもしれない。だけど私は敢えて言う。朱美にとって吉岡さんの存在ってなに? 」
「……吉岡の存在? 」
怒濤の新規情報に、朱美は混乱していた。
いや、どちらかと言うとこの感情は動揺しているというほうが近いかもしれない。
認めてくれないとツラい。
放っておかれると寂しい。
吉岡の存在が自分にとって何なのかなんて、今まで考えたこともなかった。
◆◆◆
息吹と別れてからは、ずっとぐるぐると変な思考が頭を駆け巡っていた。
帰宅したら吉岡にファックスでもして、流石にネームを通してもらわなくてはならない。
朱美は溜め息を付きながら、自宅までの道のりを歩いていた。
すると街灯の下に、見慣れた人影があることに気づいた。その影はガードレールに腰掛けながら、大量の紙袋を携えている。
朱美は恐る恐る近づいた。
彼はムスっとした表情をして、こちらを鋭く睨み付けている。
そこにいたのは朱美の今一番の悩みの種となりつつある、吉岡の姿だった。
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