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フォーエバーフォールインラブ

送別会の憂鬱

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 あの日から、織原とは殆ど会話をしなかった。
 正確に言えば業務に関するやりとりのみで、世間話だとか普通の話をしなくなった。そんなぎこちない日々を送っているうちに 一ヶ月はあっという間に過ぎてしまい、微妙な距離感のまま 彼はバイトを辞めていった。その影響もあり 深夜にシフトには入れるのは社員ばかりとなり、毎日の仕事がより窮屈になったような気もする。

 この一ヶ月は、桜にとって人生で一番濃密な時間だったかもしれない。
 ずっと引きずっていた叶わぬ恋は、やっと終わった。 自分で思っていた以上に、なかなか気持ち整理は付かなかった。彼の優柔不断な態度も、流されて押しに負けそうになる自分も、何もかもが悔しかった。
 万由利にも会いに行けたのは、自分としては成長だった。綺麗には纏まらなかったけれど、これはこれで納得できたと思う。浴衣に関しては決意も込めて、万由利に直接返却した。愛郁と美羽にさよならと言えなかったのは心残りではあるが、手紙と細やかなプレゼントを送った。

 これでいい。
 彼らには、もう会わない……
 それで何もかも、終わったはずだった。


 でも違った。
 あんなに悩んでいたはずなのに、いつのまにか今の自分を占める要素は彼らではなくなった。
 青天の霹靂だった。
 あれから桜の一番の悩みの種は……
 織原究だった。


◆◆◆


 桜はスマホのバイブで目を覚ますと、重い瞼を擦った。日の入りはだんだん早まってきてはいるが、まだこの時期は西日が部屋にガッツリと差し込んでくる。時計を見ると、さすがに起きなくてはいけない頃合いを指していた。
 桜はゆっくりと布団から這い上がると、ゆっくりとカーテンを開けた。朱く染まる空は目を突き刺すように眩しくて、時折 目下がブラックアウトするような感覚に陥った。
 桜はボーッとしながらも、ほぼ手探り状態でタバコを手に取った。
 口に含み、少しづつ煙を吐く。
 起き抜けに吸う煙は、頭にガツンと響き渡たる。いつもならばこんな強行手段には出ないのだが、今日に限ってはそうでもしないと心が落ち着かなかった。
 桜は簡単に身支度を整えると、小ぶりの鞄を手に取った。意識しないようにすればするほど、どうも調子が上がらない。いつもイライラする最寄り駅までの道のりが、とにかく近く感じる。

 顔を出すだけだから…… 
 桜は自分自身に言い聞かせ、ただただ無心になることを意識して 職場に向かっていた。だけどこの一ヶ月の悩みの種は、そう簡単に桜の脳裏からは離れない。

 彼とは一週間ぶりの会う。
 けれど、もう会うこともない。

 私は流されやすい。
 そもそも優しくされることに慣れていない。あの晩は完全に酔いと甘い言葉で押されてしまった。どうかしていたのだ。
 自分は彼の気持ちに答えられる人間ではないし、人を幸せにできる素質も持ち合わせてはいない。
 人に好いてもらったという気持ちは素直に嬉かった。だからこそ甘えられない。

 どのような言葉を選べば、彼を傷つけずに離れることができるだろうか。
 桜はずっとそのことばかりを考えていた。



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