36 / 123
それぞれの選択
茜の過去
しおりを挟む沈黙が続いていた。
耳を疑うような単語だった。
桜は予想外の茜の言葉に、思わず声を失った。
彼女はときに大胆だ。
だけど女子アナだから、容姿端麗で頭も切れるし声もいい。学歴だって申し分ない。たまにお酒に逃げちゃうような側面もあるけれど、それすらチャームポイントなのだ。
そんな彼女が自分と同じことをしていたなんて、にわかには信じられない事実だった。
「私はね、奥さんいる人と恋人になって、夜勤従事者になった 」
「…… 」
「ごめんね、いきなり。驚いたでしょ。だけどこれが本当の私。恥ずかしいけどね 」
茜は酔えない濃度の梅酒を片手に、さらりと話を続けた。正直いまの桜には、茜が自分に話を切り出した意図がまるで見えてこなかった。
「みんなとは違う、超後ろめたい理由だよね。夜勤してる理由が。普通は夢とかなし得たいことのために、夜働いてる訳だからさ 」
「…… 」
「あの頃の私は、どうかしてた。努力家して、一からコネクション作って、アナウンサーになって、多分、なんか勘違いしてたんだよね 」
「…… 」
「社会人になって、どんどん自信にみなぎっちゃってさ。一年目はちょっとおとなしくしてたけど、だんだん派手な交遊関係になってって。駄目なことにも、当時は気づかなかった。そうしたほうが、仕事やチャンスも回ってくるから 」
桜は頷くことも相づちを打つことも出来ずに、ただただ茜を見つめていた。茜は桜に同意を求めることも、反応を望むこともなく壁の一点を見つめながら淡々と語り続けた。
「そんなときに、お昼の情報番組のディレクターに声を掛けられてね。
その人のことは 少しは良いなーとか思ってたし、何より仕事が欲しがった。それまでの人生が、アナウンサーになりたい一心で 必死だったから。
そういうのが良くないことって、分かってなかった。でね、気づいたら不倫関係になっちゃってた。
知ってたの。妻子いるって。でもまあ イケメンだったし、何より自分もおかしくなってた。
どこまでアナウンサーとしての体裁を整えるべきなのかよくわからなくなって、普通の恋愛には消極的なくせに、人肌は恋しくて。利害が一致しちゃったの。本当にバカだよね。
そしたら あっという間に、アシスタントからメインにも抜擢されてさぁ。もちろん100%コネのパワーだったんだけど、当時は気付きもしなかった。いつの間にか、自分の実力で勝ち取ったって思い込んじゃってたんだよね。若かったから大人の男も刺激的だったし、何より設定に酔ってたの。本当、恥ずかしいよね。好きでもないのに離れられないって、変な話 」
茜は梅酒を飲みきると、カップを持ったまま桜に向かって苦笑いを浮かべた。
桜は沈黙を貫いたまま黙って苦笑いを返すと、温くなった梅酒に口をつけた。
恥ずかしい……?
本当にそうだった?
自分はどうかしてたけど、その気持ちに偽りもなくて、引き返せなかった自分が許せなかっただけじゃないの?
桜は何も言わずに黙って茜を聞き続けていた。
いつものように宥めるためではなくって、ただただ自分には知る必要がある気がしていた。
「そんなときね、仕事の対談で朱美にインタビューする機会があって。
最初は正直漫画家とか、大したことないと思ってた。でもね、あのとき私は衝撃を受けたの。
朱美ってさ、なかなかの苦労人で。私みたいに人間関係でのし上がったんじゃなくて、純粋に実力で読者に支持されてる漫画家なんだよね。
何回も何回も投稿した漫画が落選して、それでも諦めないで、仕事しながらも描き続けて。誰にも頼らない。自分だけ信じてさ。
類友なのか、同級生でこんなに真面目に生きてる人が、私の周りにはいなかったから。要領だけでショートカットの人生を送ってる人ばかりで、それが普通になってたし粋だと思ってたの。だから本当に衝撃的で。
そのとき私は、朱美のことが眩しくて眩しくて、直視したくないくらい輝いて見えて、本当に自分を心底軽蔑したの。
私がなりたかったのは、本当は何だったのって。
まあ、職種は違うけどね。私は憧れたの。
成功を勝ち取りたくて、私は周りの人間に頼る道を選んできたけど、自分で道を切り開く生き方って凄いって、純粋に感じたっていうか…… 」
茜は美しい声と滑らかな滑舌を惜しみ無く披露し、桜の同意とか反応を気にすることなく一方的に話を進めていた。
彼女はいつになく饒舌だった。
そして同時に彼女が一生懸命言葉を紡いでくれていることを理解した。
過ちを認めて、他人に惜しげもなく話す。
そんな勇者は逆を返せばあなたしかいないよ、といつもの自分ならば声をかけていたのだろう。きっと彼女はとっくに自分のことなどお見通しなのだ。
「まぁあ今となっては、朱美のだらしない部分とか、いっぱい見てるからね。美談な部分もあるんだけどね。
でもね朱美と会って暫くして、私は決めたんだ。ちゃんとしようって。
他人の力に逃げたり、誰かの大切を奪うような生き方は止めようって。
それでディレクターとは、自分から関係を終わらせることにしたんだよね。もちろん対価も凄くてさ。メインは降板させられたし、暫くはレギュラーなくなっちゃってさ。
不倫こそスクープはあがらなかったけど、一気に奈落に真っ逆さまだったから 怪しまれて週刊誌にはつけ回されるし、家には帰れなくなるし。
でも、そのときやっと気づいたんだよね。
ちゃんと、実力を認めてもらえる人間になりたいって。そこからまた少しずつやっていって、やっと掴んだレギュラーが、いまの番組なんだよね。
深夜だったし、結局打ちきりだけどね。私が初めて自分で手にした居場所だったから…… 」
茜は満足そうな顔を浮かべると、桜の飲みかけのカップを流し台へと下げた。
時刻はゆうに二時を回っていた。
「とまぁ、私のツマらない過去の話はこれでおしまい。私もまだみんなに話してないこといっぱいあるんだから。気にしないで 」
「茜…… 」
「さっ、今日はもう寝よ。桜ねぇもあんまり寝てないでしょ。私もたまには暗がりで寝たいからさ 」
茜はそう言うと、桜に寝ようかと声を掛けて、寝室に案内した。
真っ暗な寝室には、部屋のスペースの殆どを占めてしまう勢いでダブルベットが置いてあった。
茜は聡明だ。
きっと彼女は勘づいている。
彼女も壊れそうになったのを必死に堪えたことがあるのだろう。
そしてそれを理解した上で、彼女はわざわざ地雷を踏んでそれを処理してくれた。
好きじゃなかった……?
本当に?
好きでもないのに、その人と寝られるの?
その人に恋はしてなかったの?
私は割りきれなかった。
相手の顔が見えているのに、止められなかなった。
後悔はしたくなかったのに、とても無念だった。
「……茜。一つ聞いてもいい? 」
「……なに? 」
茜は加湿器のスイッチを押したりと寝支度を整えながら、ゆっくり桜のほうを振り返った。そしてその顔は少し強ばっているようにも見えた。
「茜は…… その人の腕の中で、何を考えてた? 」
「…… 」
茜は少しハッとした表情を浮かべた。そして苦しそうな笑顔を浮かべると、桜にこう返事を返した。
「いつも、この人が私のものになればいいのに、って思ってたよ。じゃなきゃ理性が勝つでしょ 」
茜はあっさり本音を吐露すると、ゆっくりと枕に顔を埋めた。
理性……か……
見えない理性と、見えている理性。
どちらの方が抗うのが大変なのかは、自分には良くはわからない。
見えてても歯止めが効かないこともあった。
勢いで片付けたくなることもあった。
けれども、そんな日はもう今日でおしまいしたい。
私は良心に背くために、生まれてきたわけではないのだ。
桜は決意を決めると茜に、
「あのね、茜…… 」
と一言切り出した。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
パラレルライン─「後悔」発、「もしも」行き─
石田空
ライト文芸
バイト先のリニューアル工事で、突然収入源を絶たれてしまった苦学生のフク。
困り果てていたところで【パラレルライン売店店員募集】という怪しいチラシが降ってきた。背に腹は変えられないと行きついた先には、後悔を抱えた人しか入ることのできない路線、パラレルラインの駅だった。駅長の晴曰く、この路線は「もしも」の世界へと行くことができるという。
こうしてフクはアルバイトに励みながら、後悔を抱えてもしもの世界に移り住むことを希望する人たちを見送ることとなる。やがてフクや晴にも、後悔と向き合うときが訪れる……。
「もしもあのとき、こうすればよかった」を本当に行えるとしたら、未来は変えられますか?
サイトより転載となります。
【全話まとめ】意味が分かると怖い話【解説付き】
松本うみ(意味怖ちゃん)
ホラー
1分で楽しめる短めの意味が分かると怖い話をたくさん作って投稿しているよ。
ヒントや補足的な役割として解説も用意しているけど、自分で想像しながら読むのがおすすめだよ。
中にはホラー寄りのものとクイズ寄りのものがあるから、お好みのお話を探してね。
【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?
おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。
『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』
※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。
純情 パッションフルーツ
坂本 光陽
ライト文芸
大学生の深水駿介は、マザコンを自覚している。幼馴染の香里にからかわれても気にしない。何といっても、女手一つで育ててくれたのだ。日頃はそっけない態度をとるものの、エリさんのことは心から尊敬している。そんな駿介に、とても気になる女性が現れた。作家であるエリさんの担当編集者,魅子さんである。彼女は7つも年上だけど、天然気味で、小動物のように可愛らしい。ただ、実は、片想いになることが運命づけられた相手だったのだ。
中年男が女性の井戸端会議の健康ネタを実践していく話☆
天仕事屋(てしごとや)
ライト文芸
「コマネチ知ってる?」〜「食品より菓子の在庫が多かったという事実」まで連載中です。
一介の家電修理業者の独身、中年男である自分に女性やオネエさんの健康ネタを生活に取り入れる事で、みるみる体調や悩みが改善されていく話。
見かけが滋味なお陰でいつの間にか空気になっている間に、女性のトークが盛りあがっているのを目の当たりにし、健康ネタを持ち帰り軽い気持ちで次々実践してみると、、、!
今までスルーしていた女性の井戸端会議をいつの間にかリスペクトするようになる話。
★中年の恋話も交えています。
★1話分短めなので1分読書にどうぞ。
※医学的にははっきりしていないけれど、何故か効果のある話いろいろ。
所謂、一個人の感想ですが、、、。
スキル【海】ってなんですか?
陰陽@2作品コミカライズと書籍化準備中
ファンタジー
スキル【海】ってなんですか?〜使えないユニークスキルを貰った筈が、海どころか他人のアイテムボックスにまでつながってたので、商人として成り上がるつもりが、勇者と聖女の鍵を握るスキルとして追われています〜
※書籍化準備中。
※情報の海が解禁してからがある意味本番です。
我が家は代々優秀な魔法使いを排出していた侯爵家。僕はそこの長男で、期待されて挑んだ鑑定。
だけど僕が貰ったスキルは、謎のユニークスキル──〈海〉だった。
期待ハズレとして、婚約も破棄され、弟が家を継ぐことになった。
家を継げる子ども以外は平民として放逐という、貴族の取り決めにより、僕は父さまの弟である、元冒険者の叔父さんの家で、平民として暮らすことになった。
……まあ、そもそも貴族なんて向いてないと思っていたし、僕が好きだったのは、幼なじみで我が家のメイドの娘のミーニャだったから、むしろ有り難いかも。
それに〈海〉があれば、食べるのには困らないよね!僕のところは近くに海がない国だから、魚を売って暮らすのもいいな。
スキルで手に入れたものは、ちゃんと説明もしてくれるから、なんの魚だとか毒があるとか、そういうことも分かるしね!
だけどこのスキル、単純に海につながってたわけじゃなかった。
生命の海は思った通りの効果だったけど。
──時空の海、って、なんだろう?
階段を降りると、光る扉と灰色の扉。
灰色の扉を開いたら、そこは最近亡くなったばかりの、僕のお祖父さまのアイテムボックスの中だった。
アイテムボックスは持ち主が死ぬと、中に入れたものが取り出せなくなると聞いていたけれど……。ここにつながってたなんて!?
灰色の扉はすべて死んだ人のアイテムボックスにつながっている。階段を降りれば降りるほど、大昔に死んだ人のアイテムボックスにつながる扉に通じる。
そうだ!この力を使って、僕は古物商を始めよう!だけど、えっと……、伝説の武器だとか、ドラゴンの素材って……。
おまけに精霊の宿るアイテムって……。
なんでこんなものまで入ってるの!?
失われし伝説の武器を手にした者が次世代の勇者って……。ムリムリムリ!
そっとしておこう……。
仲間と協力しながら、商人として成り上がってみせる!
そう思っていたんだけど……。
どうやら僕のスキルが、勇者と聖女が現れる鍵を握っているらしくて?
そんな時、スキルが新たに進化する。
──情報の海って、なんなの!?
元婚約者も追いかけてきて、いったい僕、どうなっちゃうの?
麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる