30 / 32
最終章 発表に関して
第六条
しおりを挟む
◆◆◆
私は昨晩のキスの続きが知りたい。
だからかぐや姫のように月には帰らないし、その場でずっとずっと待ち続ける。
逃げ出さないって、簡単なようで難しい。でも答えを見つけるためには、私は前に進むしかないのだ。
凄い。お客さん全員と視線が合う。
そうか。これが、人前で物事を伝える者の宿命なのか。
何故、私はその言葉を伝えたいのだろう。
何故、私が私を表現する手段はアナウンスだったのだろう。
私は誰かの味方でありたい。私は誰かの正義に寄り添いたい。私は誰かの素敵な作品を、他の人にも知ってほしい。
ホールの一番後ろには、田町先輩と高輪先輩。それに大森先生が腕を組んでいる姿が見える。あの日の大森先生は、どんな気持ちで教壇に立って、学部生に正義を説こうと思ったのだろうか。
もう、この際「噛んだらどうしよう」とか「イントネーションを間違えたらどうしよう」とか考えるのは止めてしまおう。
私が私を表現するのは自分の声。
今だけは、私は世界で一番上手なアナウンサーだと、心のなかで唱えるのだ……
そう。人生で、最も短く感じられた六分間の先には、自分だけに向けられた拍手が待っていた。
◆◆◆
身体が自分の物ではないようだ。緊張と動悸の中に、どこか冷静な自分がいる。この形容しがたい余韻を、お酒の力で曖昧にしたくない。でも、もしも多幸感が酔いで増幅するなら、それはそれで悪くはないかも……
S大学放送研究会一同は 梅田の繁華街から少し外れた居酒屋で、ささやかながら打ち上げを開いていた。
桃佳は温くなったジョッキの向こうに一同を眺めると、ふっと溜め息を付く。男性陣はパソコンを取り囲み、会話も控えめに動画に釘付けになっている。大森と自分たちは一回り近く年齢が離れているはずなのに、その後ろ姿は 今だけはまるで同年代かのように若く見えた。
「天沢さん、どう? 僕の作った『ロンググッドバイ』の内容は。君の精神状態と相まって、かなり叙情性に溢れた作品になったとは思うのだけど 」
「はあ。まあ、何と言いますか。大会の打ち上げの後に自分の出演作を観るのは、恥ずかしいと言うか、精神的に堪えますね…… 」
「そうかな。天沢さんはアナウンスの才能も素晴らしいけど、演者としてもかなり魅力的な存在だと思うよ。間の取り方が上手いよね 」
「いや、それは…… ちょっと誉めすぎです 」
桃佳は正直に自分の気持ちを告げると、チラリとパソコンの中にいる自分の姿を見る。撮影したのは遠いい昔のことのようだが、桃佳をヒロインとした高輪の個人作品が完成を迎えたらしい。それを何故か 飲み屋で披露される形となり、皆が雁首揃えて眺めている。ガヤガヤした店内では音声はろくに聞こえなさそうだが、彼らが気にする素振りはまるでない。
全国大会の結果としては、桃佳は朗読部門の五位に入賞した。田町は下馬評通りに優勝を果たし、高輪の映像作品は明日に順位発表が行われる。でもこちらも高輪の初制覇は目前だろうと専らの噂で、本人もその気に満ちた様子だった。
「そう言えば、大森先生。天沢さんがコンテストで結果を出したら、試験勉強の個人レッスンをするとかしないとか言ってましたよね? 」
「えっ? ああ、そういえばそんなことを約束してましたね 」
大森は一瞬たじろぐと、オホンと一瞬咳払いをする。大森の顔が少しだけ赤く見えるのは、気のせいには思えなかった。
「君は今でも僕の個人指導を受けたいと思っているかい? 」
「えっ? 」
「君は約束通りしっかりと結果を出し切った。信義則は守らないといけないから、もし君が望むなら個人レッスンをすることに異論はないよ 」
「それは…… 」
そう言えば、自分は元々は 大森先生に近付きたいという淡い気持ちで放研に入部した。でも最近は色々あったし、自分もアナウンスにのめり込んでいたから、そんなことはすっかり重要ではなくなっていた。
桃佳は思わず言葉に詰まると、ゆっくりと大森を見つめる。昨日の今日の出来事だ。この先の選択肢に何が待ち受けているのか、桃佳には少しだけ考えるのが怖くなっていた。
「…… 」
桃佳は思わず黙り込むが、だからと言って大森は何かを口に出そうとはしない。そんな二人のただならぬ様子を見てか、高輪と田町は目を丸くしていた。
「あのさ、田町 」
「何だよ 」
「僕の想いは、カメラ越しには昇華されたよ。映像の中の彼女は僕のものだ。まあ、僕の気持ちが傾いたのは一瞬だったけどな。なあ、それは田町も同じ気持ちだろ? 」
「はあ? 馬鹿言え。俺には何のことか、さっぱり分からない 」
「またまた、強がっちゃって。まあ、今日は飲もうぜ。でなきゃ、僕もやってられない 」
「ハア? ちょっ、待て。お前の事情に俺を巻き込むなっっ 」
「「……? 」」
高輪は大きな声で店員を呼び止めると、追加の酒をオーダーする。事情が飲み込めない桃佳は その様子を黙って見ていることしか出来なかった。
◆◆◆
「ったく、若いっていいですね。学生のうちだけですよ、こんな飲み方が出来るのは 」
「先生、すみません。こちらのホテルまでご足労頂き、ありがとうございました。私一人では 二人の面倒は見きれなかったので、助かりました 」
「まあ、彼らは夜行バスで来たら熟睡は出来ていなかったでしょうし、二人とも疲れていたのかもしれないけどね 」
大森は呆れた表情で、学生二名をビジネスホテルに突っ込むと、やれやれと溜め息を付く。結局、あれからジョッキ複数杯の生ビールが消化され、若人二名はあっさりと潰れてしまった。特に田町は大会前で摂生していたようで、酔いが早く回ってしまったらしい。
「すみません。先生は明日は朝は早かったりはしませんか? 」
「いいえ。僕は明日も一応大会に顔を出してから、帰京するつもりですよ。まあ、高輪くんの映像作品は順位は決まっているでしょうけど、コンテスト会場で見届けたいところですから 」
「そうですか。先生は熱心ですね。やっぱりそれもロビー活動の一環ですか? 」
「えっ? まあ、そうだね。でも、明日も君たちの様子を確認したいのは、それだけが理由ではないかもしれない 」
「……? 」
桃佳は大森の意図することが分からなくて、訝しげな表情を浮かべる。すると大森は少しだけ息をついて、こう話を続けた。
「どうですか。せっかくだから、大阪駅を散歩しませんか? 」
「えっ? 」
「僕はまだ少しだけ話足りないと思ってましてね 」
私は昨晩のキスの続きが知りたい。
だからかぐや姫のように月には帰らないし、その場でずっとずっと待ち続ける。
逃げ出さないって、簡単なようで難しい。でも答えを見つけるためには、私は前に進むしかないのだ。
凄い。お客さん全員と視線が合う。
そうか。これが、人前で物事を伝える者の宿命なのか。
何故、私はその言葉を伝えたいのだろう。
何故、私が私を表現する手段はアナウンスだったのだろう。
私は誰かの味方でありたい。私は誰かの正義に寄り添いたい。私は誰かの素敵な作品を、他の人にも知ってほしい。
ホールの一番後ろには、田町先輩と高輪先輩。それに大森先生が腕を組んでいる姿が見える。あの日の大森先生は、どんな気持ちで教壇に立って、学部生に正義を説こうと思ったのだろうか。
もう、この際「噛んだらどうしよう」とか「イントネーションを間違えたらどうしよう」とか考えるのは止めてしまおう。
私が私を表現するのは自分の声。
今だけは、私は世界で一番上手なアナウンサーだと、心のなかで唱えるのだ……
そう。人生で、最も短く感じられた六分間の先には、自分だけに向けられた拍手が待っていた。
◆◆◆
身体が自分の物ではないようだ。緊張と動悸の中に、どこか冷静な自分がいる。この形容しがたい余韻を、お酒の力で曖昧にしたくない。でも、もしも多幸感が酔いで増幅するなら、それはそれで悪くはないかも……
S大学放送研究会一同は 梅田の繁華街から少し外れた居酒屋で、ささやかながら打ち上げを開いていた。
桃佳は温くなったジョッキの向こうに一同を眺めると、ふっと溜め息を付く。男性陣はパソコンを取り囲み、会話も控えめに動画に釘付けになっている。大森と自分たちは一回り近く年齢が離れているはずなのに、その後ろ姿は 今だけはまるで同年代かのように若く見えた。
「天沢さん、どう? 僕の作った『ロンググッドバイ』の内容は。君の精神状態と相まって、かなり叙情性に溢れた作品になったとは思うのだけど 」
「はあ。まあ、何と言いますか。大会の打ち上げの後に自分の出演作を観るのは、恥ずかしいと言うか、精神的に堪えますね…… 」
「そうかな。天沢さんはアナウンスの才能も素晴らしいけど、演者としてもかなり魅力的な存在だと思うよ。間の取り方が上手いよね 」
「いや、それは…… ちょっと誉めすぎです 」
桃佳は正直に自分の気持ちを告げると、チラリとパソコンの中にいる自分の姿を見る。撮影したのは遠いい昔のことのようだが、桃佳をヒロインとした高輪の個人作品が完成を迎えたらしい。それを何故か 飲み屋で披露される形となり、皆が雁首揃えて眺めている。ガヤガヤした店内では音声はろくに聞こえなさそうだが、彼らが気にする素振りはまるでない。
全国大会の結果としては、桃佳は朗読部門の五位に入賞した。田町は下馬評通りに優勝を果たし、高輪の映像作品は明日に順位発表が行われる。でもこちらも高輪の初制覇は目前だろうと専らの噂で、本人もその気に満ちた様子だった。
「そう言えば、大森先生。天沢さんがコンテストで結果を出したら、試験勉強の個人レッスンをするとかしないとか言ってましたよね? 」
「えっ? ああ、そういえばそんなことを約束してましたね 」
大森は一瞬たじろぐと、オホンと一瞬咳払いをする。大森の顔が少しだけ赤く見えるのは、気のせいには思えなかった。
「君は今でも僕の個人指導を受けたいと思っているかい? 」
「えっ? 」
「君は約束通りしっかりと結果を出し切った。信義則は守らないといけないから、もし君が望むなら個人レッスンをすることに異論はないよ 」
「それは…… 」
そう言えば、自分は元々は 大森先生に近付きたいという淡い気持ちで放研に入部した。でも最近は色々あったし、自分もアナウンスにのめり込んでいたから、そんなことはすっかり重要ではなくなっていた。
桃佳は思わず言葉に詰まると、ゆっくりと大森を見つめる。昨日の今日の出来事だ。この先の選択肢に何が待ち受けているのか、桃佳には少しだけ考えるのが怖くなっていた。
「…… 」
桃佳は思わず黙り込むが、だからと言って大森は何かを口に出そうとはしない。そんな二人のただならぬ様子を見てか、高輪と田町は目を丸くしていた。
「あのさ、田町 」
「何だよ 」
「僕の想いは、カメラ越しには昇華されたよ。映像の中の彼女は僕のものだ。まあ、僕の気持ちが傾いたのは一瞬だったけどな。なあ、それは田町も同じ気持ちだろ? 」
「はあ? 馬鹿言え。俺には何のことか、さっぱり分からない 」
「またまた、強がっちゃって。まあ、今日は飲もうぜ。でなきゃ、僕もやってられない 」
「ハア? ちょっ、待て。お前の事情に俺を巻き込むなっっ 」
「「……? 」」
高輪は大きな声で店員を呼び止めると、追加の酒をオーダーする。事情が飲み込めない桃佳は その様子を黙って見ていることしか出来なかった。
◆◆◆
「ったく、若いっていいですね。学生のうちだけですよ、こんな飲み方が出来るのは 」
「先生、すみません。こちらのホテルまでご足労頂き、ありがとうございました。私一人では 二人の面倒は見きれなかったので、助かりました 」
「まあ、彼らは夜行バスで来たら熟睡は出来ていなかったでしょうし、二人とも疲れていたのかもしれないけどね 」
大森は呆れた表情で、学生二名をビジネスホテルに突っ込むと、やれやれと溜め息を付く。結局、あれからジョッキ複数杯の生ビールが消化され、若人二名はあっさりと潰れてしまった。特に田町は大会前で摂生していたようで、酔いが早く回ってしまったらしい。
「すみません。先生は明日は朝は早かったりはしませんか? 」
「いいえ。僕は明日も一応大会に顔を出してから、帰京するつもりですよ。まあ、高輪くんの映像作品は順位は決まっているでしょうけど、コンテスト会場で見届けたいところですから 」
「そうですか。先生は熱心ですね。やっぱりそれもロビー活動の一環ですか? 」
「えっ? まあ、そうだね。でも、明日も君たちの様子を確認したいのは、それだけが理由ではないかもしれない 」
「……? 」
桃佳は大森の意図することが分からなくて、訝しげな表情を浮かべる。すると大森は少しだけ息をついて、こう話を続けた。
「どうですか。せっかくだから、大阪駅を散歩しませんか? 」
「えっ? 」
「僕はまだ少しだけ話足りないと思ってましてね 」
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
昨日屋 本当の過去
なべのすけ
青春
あの時に戻ってやり直したい、そんな過去はありませんか?
そんなあなたは昨日屋に行って、過去に戻りましょう。お代はいただきません。ただし対価として今日を払っていただきます。さぁやり直したい過去に帰りましょう。
昨日を売って、今日を支払う。その先に待っているのはバラ色の過去か?それとも……。
俺に婚約者?!
ながしょー
青春
今年の春、高校生になった優希はある一人の美少女に出会う。その娘はなんと自分の婚約者といった。だが、優希には今好きな子がいるため、婚約は無効だ!そんなの子どものころの口約束だろ!というが彼女が差し出してきたのは自分の名前が書かれた婚姻届。よくよく見ると、筆跡が自分のとそっくり!このことがきっかけに、次々と自分の婚約者という女の子が出てくるハーレム系ラブコメ!…になるかも?
彼女は終着駅の向こう側から
シュウ
青春
ぼっちの中学生トヨジ。
彼の唯一の趣味は、ひそかに演劇の台本を書くことだった。
そんなトヨジの前に突如現れた美少女ライト。
ライトをみたトヨジは絶句する。
「ライトはぼくの演劇のキャラクターのはず!」
本来で会うことのないはずの二人の出会いから、物語ははじまる。
一度きりの青春を駆け抜ける二人の話です。
【完結】箱根戦士にラブコメ要素はいらない ~こんな大学、入るんじゃなかったぁ!~
テツみン
青春
高校陸上長距離部門で輝かしい成績を残してきた米原ハルトは、有力大学で箱根駅伝を走ると確信していた。
なのに、志望校の推薦入試が不合格となってしまう。疑心暗鬼になるハルトのもとに届いた一通の受験票。それは超エリート校、『ルドルフ学園大学』のモノだった――
学園理事長でもある学生会長の『思い付き』で箱根駅伝を目指すことになった寄せ集めの駅伝部員。『葛藤』、『反発』、『挫折』、『友情』、そして、ほのかな『恋心』を経験しながら、彼らが成長していく青春コメディ!
*この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・他の作品も含めて、一切、全く、これっぽっちも関係ありません。
真夏のサイレン
平木明日香
青春
戦地へ向かう1人の青年は、18歳の歳に空軍に入隊したばかりの若者だった。
彼には「夢」があった。
真夏のグラウンドに鳴いたサイレン。
飛行機雲の彼方に見た、青の群像。
空に飛び立った彼は、靄に沈む世界の岸辺で、1人の少女と出会う。
彼女は彼が出会うべき「運命の人」だった。
水平線の海の向こうに、「霧の世界」と呼ばれる場所がある。
未来と過去を結ぶその時空の揺らぎの彼方に、2人が見たものとは——?
#星色卒業式 〜きみは明日、あの星に行く〜
嶌田あき
青春
2050年、地球の自転が止まってしまった。地球の半分は永遠の昼、もう半分は永遠の夜だ。
高校1年の蛍(ケイ)は、永遠の夜の街で暮らしている。不眠症に悩む蛍が密かに想いを寄せているのは、星のように輝く先輩のひかりだった。
ある日、ひかりに誘われて寝台列車に乗った蛍。二人で見た朝焼けは息をのむほど美しかった。そこで蛍は、ひかりの悩みを知る。卒業したら皆が行く「永遠の眠り」という星に、ひかりは行きたくないと言うのだ。
蛍は、ひかりを助けたいと思った。天文部の仲間と一緒に、文化祭でプラネタリウムを作ったり、星空の下でキャンプをしたり。ひかりには行ってほしいけれど、行ってほしくない。楽しい思い出が増えるたび、蛍の胸は揺れ動いた。
でも、卒業式の日はどんどん近づいてくる。蛍は、ひかりに想いを伝えられるだろうか。そして、ひかりは眠れるようになるだろうか。
永遠の夜空に輝くひとつの星が一番明るく光るとき。蛍は、ひかりの驚くべき秘密を知ることになる――。
私だけの王子様。
朱宮あめ
青春
高校三年生の珠生は、美しく心優しい女の子。学校でも一番の人気者の珠生だったが、それは、偽りの姿だった。
まるでなにかの呪いのように自分を偽り続け、必死に自分の居場所を守り続ける珠生。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは王子様ではなく……
きらわれ者のお姫様とその家臣?
呪いを解いたのは、だいきらいなあの子と幼なじみの男の子だった。
お姫様を救えるのは王子様とは限らない。
もしかしたら、ひとりとも限らない……かも?
「あらすじ」
人気者として完璧な姿で卒業したかった珠生と、卒業することにすら意味を感じていなかったひなた。
高校三年生ではじめて同じクラスになった珠生とひなたは、似ているようで似ていない者同士。
そんなふたりが、お互いに共鳴し合い、季節の移ろいのように、少しづつ成長していく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる