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第四章 肖像に関して
第八条
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◆◆◆
銀座に日比谷、丸の内に八重洲、それから日本橋に人形町。一日で六ヶ所を回るなら、かなり欲張りなラインナップではないだろうか。
桃佳はスマホを凝視しながら、難しい顔を浮かべていた。十分弱の映像作品の予定とは聞いているが、一日で巡るにしては 近いようで時間が掛かる位置関係だ。衣装は何でもいいとは言われたけれど、ワンピースはさすがにやり過ぎだったかもしれない。桃佳は銀座四丁目のライオン像の前で溜め息を付くと 交差点を眺める。意外なことに休日朝の銀座の人通りは控え目だった。
「あっ、天沢さん! ごめんごめん。待たせたよね? 」
「いいえ。私もさっき来たところです。それに待ち合わせ時間までは、まだ十五分はありますから 」
高輪は三脚やビデオカメラやらのいつもの相棒を片手に、桃佳に駆け寄る。ハイソサエティの香りがする銀座の街では 一見悪目立ちしそうな形だが、この辺りはテレビ局の該当インタビューが盛んなので、好奇の目を向けられる様子はなかった。
「貴重な休日なのに、急な誘いを断らないでいてくれてありがとう。じゃあ、早速だけど行こうか? 」
「あの、街中で撮影をするわけではないのですか? 」
「ああ。銀座は日中は人通りが多いから、知り合いの喫茶店を営業前に貸してもらったんだ。天沢さんには朝っぱらからご足労頂いて、本当に申し訳ないんだけど 」
高輪はあまり目立たない小路を指差すと、こっちこっちと桃佳を誘導する。桃佳は銀座には殆ど用事はないし、メイン通りしか歩いたことはない。でも きらびやかで開放的な大通りから一本道を入ってみると、そこには下町とまでは言わないが、至って普通の街並みが広がっていた。
「銀座って言っても、普通の場所もあるんですね。何だか少し拍子抜けです 」
「銀座は繁華街のイメージが強いけど、一歩路地を入れば人が住んでいるみたいだよ 」
高輪は足を止めると、小路の反対側にある建物を指差す。重厚なレンガ張りで造られた外観の中は、昭和レトロを思わせるボックスシートが覗いていた。
「お洒落ですね。ここが例の喫茶店ですか? 」
「ああ。僕も来るのは二度目なんだけど。あっ、先に好きな飲み物を頼んで。もし朝飯がまだだったら、モーニングも一緒に。ギャラは払えないけど、これくらいはご馳走出来るから 」
「そうですか、すみません。ありがとうございます 」
高輪は桃佳を店に誘導すると、すぐに裏の方へと挨拶に向かう。桃佳が数多のメニューの中からモカを注文した頃には、高輪は一式の撮影機材をセッティングし終えていた。
「ねえ、天沢さん。もう今からカメラを回してもいいかな? 」
「えっ? ああ、それは構いませんけど。何か台詞を言ったり、必要な動作などはありますか? 」
「ううん。ここでは君の自然な仕草を撮りたいんだ。音声は使わないから、内容は気にせずに雑談をして貰って構わないよ 」
「はあ 」
唐突に雑談をしろと言われても……
高輪とは共通の話題もないし、何より人となりをよく知らない。取り敢えず桃佳は出されたコーヒーに口を付けていると、いつの間にか高輪のビデオカメラには赤いランプが点っていた。
「実はさ、正直なところ 天沢さんには肖像権を武器に断られないかヒヤヒヤしていたんだ 」
「別に、私は肖像権を盾にしたりなどしません。権利はあくまでも権利であって、武器にするものではありませんから。ただ高輪先輩が周りの方に配慮して撮影することを前提に私に声を掛けて下さったから、承諾した部分はありますけど 」
「あはは、なるほどね。とても天沢さんらしいものの考え方だ。まあ、僕も一応は考えるよ。自分さえ良ければいいってヤツの作った映像なんて、俺だったら観たくないし 」
「……肖像権は、二つの側面があるそうです。所謂、プライバシー権とパブリシティ権の二つになるわけですが。
プライバシー権に関しては、今回の私には当てはまりません。無断で容姿を撮影されたり公表されたりするのは不快ですが、今回の私は高輪先輩の作品に出演することを承諾しています。それに周りに配慮して撮影するなら、私も後ろめたい感情もなく堂々と出演が出来ますし 」
「まあ、そこら辺はちゃんとやるよ。一応、後ろ姿は許容範囲みたいだけど、今回は全部エフェクトをかけて消すつもりだしね 」
「それに…… 私自身は著名人ではないので、パブリシティ権は発生しません。パブリシティ権は商業的価値を持つ著名人の肖像権に備わる権利のことですが、それには財産権の側面があります。でも私は著名人ではありませんので、これは問題にはなりません 」
「そっか。天沢さんは本当にブレないよね。常に一本筋が通っているし、なんだか僕まで揺らいでしまいそうだ 」
「高輪先輩? 」
高輪はファインダーから目を外すと、窓の向こうの通行人を眺めていた。桃佳としては一本筋が通っていると言われたところで、思い当たる自覚はこれっぽっちもなかった。
「僕はいつも決意が揺らぎそうで、自分自身に困ってばかりだよ。今は気軽にインターネットに動画を投稿出来る。正直なところ、制作会社に勤めて下積みを経験しなくても、企画が嵌まれば 一気に再生数は稼げるし、人気者にもなれるかもしれない。そう思うと、就活をするのが時々馬鹿らしく感じることがあるんだよね 」
「でも高輪先輩は就職を選んだ、というわけですよね? 」
「ああ。だって、それはほんの一握りが手に出来ることなんだ。それは分かってる。物事にはタイミングと実力が噛み合わないと、結果に繋がらないからね。テレビと違ってウェブ媒体で発表されている動画は、視聴者が情報を取りに行かないと目に触れることはない。テレビみたいに電源を付けただけで見て貰える環境よりも、現実は厳しい 」
「…… 」
高輪先輩は きちんと世の中のことを俯瞰している。就職活動は大変とは聞くけど、今まで自分の目指す先を具体的に考えたことはあっただろうか。高輪とは一学年しか違わないはずだ。それなのに先輩たちの背中は遠くに有りすぎて、いつまでも追い付けない気がしていた。
「ちょっ、天沢さん。君までそんなに深刻な顔をしないでよ 」
「えっ? 」
「念のために言っておくけど、僕は手段は選ぶからね。自分はそんなに器用な人間ではないから、一人の力で何でもかんでもは出来ない。勿論、目立つためのやり方は沢山あると思う。現にごく一部の人は、数字や収益欲しさに、他人の作品や番組を違法アップロードしているからね。でも当たり前のことだけど、僕は手段は選ばないのは 映像クリエーターを目指すものとして許せない。人の努力を借用して、良心が咎めないのは、その人間が何かを頑張ったことがないからだ。そんなことをして得たものに、いったい何の価値があるんだろうっていつも思うよ 」
「作る側は常に色々な正義を持って、葛藤と戦っているんですね 」
「まあ、それはどの世界に行っても同じことだと思うけどね。僕の場合は、たまたま映像の世界で飯を食っていきたいってだけ。だから人の権利を害したり、約束を反故にして映像を作ったところで、それは僕のためにはならないんだ。多分、僕にとっては肖像権に関しても同じスタンスなんだと思う 」
「……大丈夫です 」
「えっ? 」
「私はものを作り出す人の味方であり続けます。それが私が先生から教えて貰った正義だから。長く社会の一員として働くのは、大変なことがあるかもしれないし、私たちに出来ることは微力かもしれない。だけど一部の悪い人たちに怯んで、頑張っている人たちが作り出すことを止めるのは悔しいから 」
「そうだね、ありがとう。さすが知財のスペシャリストを目指す人なだけはあるね。やっぱり、天沢さんは素敵な人だ。皆の気持ちがよく分かる気がするよ。少し…… 参っちゃうね 」
「あの、それって一体どういうことですか? 」
「まあ、細かいことは気にしない方が人生は楽しめるよ。さあ、そろそろ行こうか。まだ天沢さんと行きたい場所はあるし 」
「あっ、はい。あっ、でも撮影は? 」
「大丈夫。天沢さんの素の表情も、少し熱血な一面もバッチリ収めたから。それにもうすぐお店も開店時間だしね 」
「はあ 」
高輪はカメラの録画ボタンを解除すると、スルスルと三脚を畳み始める。映像作品の収録なのに、いつの間にか込み入った話をしてしまった。いつもの自分の悪い癖だ。
桃佳は少しばかり反省をしながら、一足足先に店の外に出る。この時期の青空は雲の流れが早くて、風にスカートが揺れてていた。
「高輪先輩、コーヒーご馳走さまでした。あの、次はどちらに向かいますか? 」
「ああ。次はこのまま有楽町駅まで歩いて、高架下を抜けて日比谷公園に。ベタだけど、噴水をバックに黄昏ている天沢さんは画になると思う…… んだけど…… 」
「ん? あの、高輪先輩? 」
高輪は急に喋るのを止めると、その場で足を止めていた。桃佳も釣られて静止するが、どうも高輪の挙動が変だった。
「あの、どうかしました? 」
「あっ、いや…… その…… 」
高輪は慌てるように踵を返すと、桃佳の肩を掴んで回れ右をさせていた。
「ちょっ、高輪先輩。そっちに行ったら、駅から離れますよ。それに急にどうしたんですか? 」
「まあ、いいからいいから。あっちにお薦めの洋菓子店があるんだ。ウィンドウショッピングをしながら向かうのも悪くはないよ 」
「なっ、高輪先輩はさっきは時間がないって言ったばかりですよね? っていうか、スマホが鳴ってますよ? 」
「ああ、電話は後で折り返すから大丈夫だよ。つーか、先ずはここから一刻も早く離脱しないと 」
「はあ? 」
一体何が起きたというのだろう。
桃佳は訳が分からないまま、高輪にグイグイと背中を押されていた。気になる。きっと自分の背中の向こうに、何かしらの不都合な事態が起きているのは間違いない。桃佳は「ちょっと、失礼」と詫びをいれると、強引に高輪の腕を振りほどく。桃佳が勢いよく後ろを振り向くと、そこにはよく知る人間の後ろ姿と知らない女性の姿があった。
「えっ? 」
あの男性の後ろ姿は、大森先生……だよね?
桃佳は事の重大さを自覚すると、今度は高輪を引っ張って無理矢理 ビルの影に隠れる。大森は何だかとても華やかで美人な女性と歩いている。服装はいつもと同じ背広姿ではあるけれど、珍しいことに今日はしっかりとネクタイまで締めていた。
「あーあ。だから、静かに離脱しようと思ったんだけど。これって、多分僕らが見たらマズイやつだと思ったから 」
「…… 」
胸が苦しい。息は普通に出来るけど、心がきゅっと締め付けられる。桃佳は呆然と大森の横顔を見つめながら、手のひらを握っていた。
「天沢さん、その、大丈夫? まあ、大丈夫な訳はないか 」
高輪はあからさまに「あちゃー」と一言本音を漏らすと、修羅場から逃げるようにスマホを取り出す。そこには複数回の着信があって、画面には田町の名前が並んでいた。
「ごめん。田町から電話だから、かけ直すね。着信回数がエグ過ぎるから。どちらにせよ、先生たちがどこかに行ってくれないと、僕らは動けないし。というか、僕らは別に見つかって悪いことなんてしてないけどさ 」
「…… 」
桃佳は高輪のことなど微塵も気にせず、柱の影から先生と女性を確認する。二人は仲睦まじそうに話をしていて、こなれた様子で手を取り合うと、すっと近くの路面店の中へと消えていった。
「えっ、あっっ 」
桃佳はバクバク心臓を押さえながら、恐る恐る歩を進める。二人が消えた店は、白い壁が目立つスタイリッシュな建物で、若者たちに人気なジュエリーショップだった。
「…… 」
桃佳は静かに店の側に近付くと、道行く人に紛れてガラス張りの店内を一瞥する。彼らは既に店の奥へと入ってしまったようだったが、辛うじて二人の影は寄り添うように親密なのが垣間見えた。
自分も高輪と一緒に撮影という名目のデート中だ。別に先生から好きだと言われたわけではないし、文化祭の日のことは深い意味などないのだろう。もう、これで確信できる。先生は多分 物凄く天然で 学生全員に対して博愛を向けてしまう体質なのだろう。そうでなければ色々なことに納得が出来ないし、素直に諦めきれないではないか。
桃佳はハアと溜め息を付くと、とぼとぼと高輪の元に戻る。あまりに悔しくて 呆れの境地が高まると、どうやら人間は涙も怒りも忘れてしまうのだと思った。
「あっ、天沢さんっ。いつの間に何処に行ってた? 」
「えっ? 私は先生の様子を観察しに…… 」
「ああ、そうだ。そう言えばそうだった、って、大変だよ! 天沢さん、凄いことが起きたんだっっ! 」
「えっ? 大変なこと? 」
高輪はさっきまでの神妙そうな表情とは一転、何やら慌ててスマホを弄くり回している。そして検索ボタンをクリック連打を繰り返すと、手を震わせながら桃佳にディスプレイを向けたのだった。
「いま田町から連絡が来たんだ。授業終わりに部室に寄ったららしいんだけど、大会本部からの書類が届いていたらしい 」
「大会? って、全国放送コンテストのですか? 」
「ああ。あのさ、驚かないで聞いて欲しい。天沢さん、君も一次審査を通過したみたいだよ 」
銀座に日比谷、丸の内に八重洲、それから日本橋に人形町。一日で六ヶ所を回るなら、かなり欲張りなラインナップではないだろうか。
桃佳はスマホを凝視しながら、難しい顔を浮かべていた。十分弱の映像作品の予定とは聞いているが、一日で巡るにしては 近いようで時間が掛かる位置関係だ。衣装は何でもいいとは言われたけれど、ワンピースはさすがにやり過ぎだったかもしれない。桃佳は銀座四丁目のライオン像の前で溜め息を付くと 交差点を眺める。意外なことに休日朝の銀座の人通りは控え目だった。
「あっ、天沢さん! ごめんごめん。待たせたよね? 」
「いいえ。私もさっき来たところです。それに待ち合わせ時間までは、まだ十五分はありますから 」
高輪は三脚やビデオカメラやらのいつもの相棒を片手に、桃佳に駆け寄る。ハイソサエティの香りがする銀座の街では 一見悪目立ちしそうな形だが、この辺りはテレビ局の該当インタビューが盛んなので、好奇の目を向けられる様子はなかった。
「貴重な休日なのに、急な誘いを断らないでいてくれてありがとう。じゃあ、早速だけど行こうか? 」
「あの、街中で撮影をするわけではないのですか? 」
「ああ。銀座は日中は人通りが多いから、知り合いの喫茶店を営業前に貸してもらったんだ。天沢さんには朝っぱらからご足労頂いて、本当に申し訳ないんだけど 」
高輪はあまり目立たない小路を指差すと、こっちこっちと桃佳を誘導する。桃佳は銀座には殆ど用事はないし、メイン通りしか歩いたことはない。でも きらびやかで開放的な大通りから一本道を入ってみると、そこには下町とまでは言わないが、至って普通の街並みが広がっていた。
「銀座って言っても、普通の場所もあるんですね。何だか少し拍子抜けです 」
「銀座は繁華街のイメージが強いけど、一歩路地を入れば人が住んでいるみたいだよ 」
高輪は足を止めると、小路の反対側にある建物を指差す。重厚なレンガ張りで造られた外観の中は、昭和レトロを思わせるボックスシートが覗いていた。
「お洒落ですね。ここが例の喫茶店ですか? 」
「ああ。僕も来るのは二度目なんだけど。あっ、先に好きな飲み物を頼んで。もし朝飯がまだだったら、モーニングも一緒に。ギャラは払えないけど、これくらいはご馳走出来るから 」
「そうですか、すみません。ありがとうございます 」
高輪は桃佳を店に誘導すると、すぐに裏の方へと挨拶に向かう。桃佳が数多のメニューの中からモカを注文した頃には、高輪は一式の撮影機材をセッティングし終えていた。
「ねえ、天沢さん。もう今からカメラを回してもいいかな? 」
「えっ? ああ、それは構いませんけど。何か台詞を言ったり、必要な動作などはありますか? 」
「ううん。ここでは君の自然な仕草を撮りたいんだ。音声は使わないから、内容は気にせずに雑談をして貰って構わないよ 」
「はあ 」
唐突に雑談をしろと言われても……
高輪とは共通の話題もないし、何より人となりをよく知らない。取り敢えず桃佳は出されたコーヒーに口を付けていると、いつの間にか高輪のビデオカメラには赤いランプが点っていた。
「実はさ、正直なところ 天沢さんには肖像権を武器に断られないかヒヤヒヤしていたんだ 」
「別に、私は肖像権を盾にしたりなどしません。権利はあくまでも権利であって、武器にするものではありませんから。ただ高輪先輩が周りの方に配慮して撮影することを前提に私に声を掛けて下さったから、承諾した部分はありますけど 」
「あはは、なるほどね。とても天沢さんらしいものの考え方だ。まあ、僕も一応は考えるよ。自分さえ良ければいいってヤツの作った映像なんて、俺だったら観たくないし 」
「……肖像権は、二つの側面があるそうです。所謂、プライバシー権とパブリシティ権の二つになるわけですが。
プライバシー権に関しては、今回の私には当てはまりません。無断で容姿を撮影されたり公表されたりするのは不快ですが、今回の私は高輪先輩の作品に出演することを承諾しています。それに周りに配慮して撮影するなら、私も後ろめたい感情もなく堂々と出演が出来ますし 」
「まあ、そこら辺はちゃんとやるよ。一応、後ろ姿は許容範囲みたいだけど、今回は全部エフェクトをかけて消すつもりだしね 」
「それに…… 私自身は著名人ではないので、パブリシティ権は発生しません。パブリシティ権は商業的価値を持つ著名人の肖像権に備わる権利のことですが、それには財産権の側面があります。でも私は著名人ではありませんので、これは問題にはなりません 」
「そっか。天沢さんは本当にブレないよね。常に一本筋が通っているし、なんだか僕まで揺らいでしまいそうだ 」
「高輪先輩? 」
高輪はファインダーから目を外すと、窓の向こうの通行人を眺めていた。桃佳としては一本筋が通っていると言われたところで、思い当たる自覚はこれっぽっちもなかった。
「僕はいつも決意が揺らぎそうで、自分自身に困ってばかりだよ。今は気軽にインターネットに動画を投稿出来る。正直なところ、制作会社に勤めて下積みを経験しなくても、企画が嵌まれば 一気に再生数は稼げるし、人気者にもなれるかもしれない。そう思うと、就活をするのが時々馬鹿らしく感じることがあるんだよね 」
「でも高輪先輩は就職を選んだ、というわけですよね? 」
「ああ。だって、それはほんの一握りが手に出来ることなんだ。それは分かってる。物事にはタイミングと実力が噛み合わないと、結果に繋がらないからね。テレビと違ってウェブ媒体で発表されている動画は、視聴者が情報を取りに行かないと目に触れることはない。テレビみたいに電源を付けただけで見て貰える環境よりも、現実は厳しい 」
「…… 」
高輪先輩は きちんと世の中のことを俯瞰している。就職活動は大変とは聞くけど、今まで自分の目指す先を具体的に考えたことはあっただろうか。高輪とは一学年しか違わないはずだ。それなのに先輩たちの背中は遠くに有りすぎて、いつまでも追い付けない気がしていた。
「ちょっ、天沢さん。君までそんなに深刻な顔をしないでよ 」
「えっ? 」
「念のために言っておくけど、僕は手段は選ぶからね。自分はそんなに器用な人間ではないから、一人の力で何でもかんでもは出来ない。勿論、目立つためのやり方は沢山あると思う。現にごく一部の人は、数字や収益欲しさに、他人の作品や番組を違法アップロードしているからね。でも当たり前のことだけど、僕は手段は選ばないのは 映像クリエーターを目指すものとして許せない。人の努力を借用して、良心が咎めないのは、その人間が何かを頑張ったことがないからだ。そんなことをして得たものに、いったい何の価値があるんだろうっていつも思うよ 」
「作る側は常に色々な正義を持って、葛藤と戦っているんですね 」
「まあ、それはどの世界に行っても同じことだと思うけどね。僕の場合は、たまたま映像の世界で飯を食っていきたいってだけ。だから人の権利を害したり、約束を反故にして映像を作ったところで、それは僕のためにはならないんだ。多分、僕にとっては肖像権に関しても同じスタンスなんだと思う 」
「……大丈夫です 」
「えっ? 」
「私はものを作り出す人の味方であり続けます。それが私が先生から教えて貰った正義だから。長く社会の一員として働くのは、大変なことがあるかもしれないし、私たちに出来ることは微力かもしれない。だけど一部の悪い人たちに怯んで、頑張っている人たちが作り出すことを止めるのは悔しいから 」
「そうだね、ありがとう。さすが知財のスペシャリストを目指す人なだけはあるね。やっぱり、天沢さんは素敵な人だ。皆の気持ちがよく分かる気がするよ。少し…… 参っちゃうね 」
「あの、それって一体どういうことですか? 」
「まあ、細かいことは気にしない方が人生は楽しめるよ。さあ、そろそろ行こうか。まだ天沢さんと行きたい場所はあるし 」
「あっ、はい。あっ、でも撮影は? 」
「大丈夫。天沢さんの素の表情も、少し熱血な一面もバッチリ収めたから。それにもうすぐお店も開店時間だしね 」
「はあ 」
高輪はカメラの録画ボタンを解除すると、スルスルと三脚を畳み始める。映像作品の収録なのに、いつの間にか込み入った話をしてしまった。いつもの自分の悪い癖だ。
桃佳は少しばかり反省をしながら、一足足先に店の外に出る。この時期の青空は雲の流れが早くて、風にスカートが揺れてていた。
「高輪先輩、コーヒーご馳走さまでした。あの、次はどちらに向かいますか? 」
「ああ。次はこのまま有楽町駅まで歩いて、高架下を抜けて日比谷公園に。ベタだけど、噴水をバックに黄昏ている天沢さんは画になると思う…… んだけど…… 」
「ん? あの、高輪先輩? 」
高輪は急に喋るのを止めると、その場で足を止めていた。桃佳も釣られて静止するが、どうも高輪の挙動が変だった。
「あの、どうかしました? 」
「あっ、いや…… その…… 」
高輪は慌てるように踵を返すと、桃佳の肩を掴んで回れ右をさせていた。
「ちょっ、高輪先輩。そっちに行ったら、駅から離れますよ。それに急にどうしたんですか? 」
「まあ、いいからいいから。あっちにお薦めの洋菓子店があるんだ。ウィンドウショッピングをしながら向かうのも悪くはないよ 」
「なっ、高輪先輩はさっきは時間がないって言ったばかりですよね? っていうか、スマホが鳴ってますよ? 」
「ああ、電話は後で折り返すから大丈夫だよ。つーか、先ずはここから一刻も早く離脱しないと 」
「はあ? 」
一体何が起きたというのだろう。
桃佳は訳が分からないまま、高輪にグイグイと背中を押されていた。気になる。きっと自分の背中の向こうに、何かしらの不都合な事態が起きているのは間違いない。桃佳は「ちょっと、失礼」と詫びをいれると、強引に高輪の腕を振りほどく。桃佳が勢いよく後ろを振り向くと、そこにはよく知る人間の後ろ姿と知らない女性の姿があった。
「えっ? 」
あの男性の後ろ姿は、大森先生……だよね?
桃佳は事の重大さを自覚すると、今度は高輪を引っ張って無理矢理 ビルの影に隠れる。大森は何だかとても華やかで美人な女性と歩いている。服装はいつもと同じ背広姿ではあるけれど、珍しいことに今日はしっかりとネクタイまで締めていた。
「あーあ。だから、静かに離脱しようと思ったんだけど。これって、多分僕らが見たらマズイやつだと思ったから 」
「…… 」
胸が苦しい。息は普通に出来るけど、心がきゅっと締め付けられる。桃佳は呆然と大森の横顔を見つめながら、手のひらを握っていた。
「天沢さん、その、大丈夫? まあ、大丈夫な訳はないか 」
高輪はあからさまに「あちゃー」と一言本音を漏らすと、修羅場から逃げるようにスマホを取り出す。そこには複数回の着信があって、画面には田町の名前が並んでいた。
「ごめん。田町から電話だから、かけ直すね。着信回数がエグ過ぎるから。どちらにせよ、先生たちがどこかに行ってくれないと、僕らは動けないし。というか、僕らは別に見つかって悪いことなんてしてないけどさ 」
「…… 」
桃佳は高輪のことなど微塵も気にせず、柱の影から先生と女性を確認する。二人は仲睦まじそうに話をしていて、こなれた様子で手を取り合うと、すっと近くの路面店の中へと消えていった。
「えっ、あっっ 」
桃佳はバクバク心臓を押さえながら、恐る恐る歩を進める。二人が消えた店は、白い壁が目立つスタイリッシュな建物で、若者たちに人気なジュエリーショップだった。
「…… 」
桃佳は静かに店の側に近付くと、道行く人に紛れてガラス張りの店内を一瞥する。彼らは既に店の奥へと入ってしまったようだったが、辛うじて二人の影は寄り添うように親密なのが垣間見えた。
自分も高輪と一緒に撮影という名目のデート中だ。別に先生から好きだと言われたわけではないし、文化祭の日のことは深い意味などないのだろう。もう、これで確信できる。先生は多分 物凄く天然で 学生全員に対して博愛を向けてしまう体質なのだろう。そうでなければ色々なことに納得が出来ないし、素直に諦めきれないではないか。
桃佳はハアと溜め息を付くと、とぼとぼと高輪の元に戻る。あまりに悔しくて 呆れの境地が高まると、どうやら人間は涙も怒りも忘れてしまうのだと思った。
「あっ、天沢さんっ。いつの間に何処に行ってた? 」
「えっ? 私は先生の様子を観察しに…… 」
「ああ、そうだ。そう言えばそうだった、って、大変だよ! 天沢さん、凄いことが起きたんだっっ! 」
「えっ? 大変なこと? 」
高輪はさっきまでの神妙そうな表情とは一転、何やら慌ててスマホを弄くり回している。そして検索ボタンをクリック連打を繰り返すと、手を震わせながら桃佳にディスプレイを向けたのだった。
「いま田町から連絡が来たんだ。授業終わりに部室に寄ったららしいんだけど、大会本部からの書類が届いていたらしい 」
「大会? って、全国放送コンテストのですか? 」
「ああ。あのさ、驚かないで聞いて欲しい。天沢さん、君も一次審査を通過したみたいだよ 」
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