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第三章 録音に関して

第四条

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◆◆◆


「なお、定款で書面決議による決議省略は、取締役会では可能だが、 監査役会では不可になる。それはどういうことかと言うと 」
 
 ……眠い、眠すぎる。
 何故だろう、どうしても目蓋が言うことを聞いてくれない。今は授業中だというのに、教授の話が魔法の呪文にしか聞こえないのだ。
 桃佳はポケット六法を小脇に抱えながら、必死に睡魔と戦っていた。授業中に寝てしまうなんて言語道断、本末転倒の極みなのに、これほどまでに睡魔を感じるのは初めての経験だった。
 リーン、リーン、と遠くで音がする。
 って、もしかして これってチャイムじゃない!?

「あっッ! 」

 桃佳が次に意識を取り戻したときには、授業終了の時刻だった。学生たちは一斉に席を立ち、教室後部の出口を目指して階段を昇っている。
 やってしまった、という激しい後悔とは裏腹に、身体は妙にスッキリしている。桃佳は致し方なく板書を写真に収めると、深い溜め息を付いていた。

「天沢さんが授業中にうとうとしているなんて、珍しいね 」

「えっ、もしかして 日笠くん? ちょっ、恥ずかしい姿を晒しちゃった 」

「あはは。天沢さんにも人間らしい一面はあるんだね。逆にちょっと、安心したくらいだよ 」

「なっ…… 」

 一体、私は学部内で どんなキャラ付けをされているんだ? と思うが、桃佳は寸前のところで言葉を飲み込む。過度な真面目キャラは迷惑千万だけど、否定をしたところでメリットは感じられなかった。

「先日の定期演奏会では、お世話になったね。ありがとう。お陰さまで良い舞台になったよ 」

「いや、私はただの裏方だから。いい演奏になったのは、間違いなく楽団の日頃の練習の成果の賜物だよ 」

「あはは。でも天沢さんのお陰で 僕のテンションは爆上がりだったから、本当に感謝なんだ 」

「えっ? 」

 日笠が さらりと口にする言葉の端々が、若干 口説き文句みたいになっているのは気のせいだろうか? 桃佳は何かを振りきるようにオホンと咳払いをすると、話題を切り替えるように こう続けた。

「と、ところで、日笠くんも会社法を履修してたんだね 」

「ああ、そうなんだ。選択必修だから、致し方なくね。演奏会前はちょくちょくサボったりもしてたけど、前期試験も近いから。今日は初めて顔を出した感じだよ 」

「え゛っッッ!? 」

「んっ? そんなに驚くことかな? うちの部活は過去五年は諸先輩方のレガシー過去問があるからさ、あまり身構えなくても試験の日に熱を出さなければ何とかなるんだ 」

「はあ 」

 桃佳として、過去問で単位を取るなんて自分のためにならないじゃんとツッコミかけたが、大学で勉強する理由は人それぞれなので黙っておく。正論を振りかざすことだけが、全てではない。それは この数週間で悟った進歩の一つだった。
 
「そうだ、天沢さん。もし良かったら、このあと一緒に昼飯でもどう? 」

「えっ? お誘い頂いてありがとう。でも今日はお昼は部室に用事があるの 」

「そっか、それは残念。最近の天沢さんは かなり熱心に放研で頑張っているんだね 」

「うん、まあ、そうなのかな…… 」

 確かに放研に入部してからの一ヶ月間は、部活を中心とした生活サイクルになりつつある。あんなボロな部室棟で椅子を並べて眠れるくらいには、すっかりと劣悪な環境にも馴染んでいた。

「日笠くん、あの突然なんだけど質問をしてもいい? 」

「質問? 」

「うん。あのさ、日笠くんは 何で管弦学部に入ったの? 二年生でコンマスを任される実力なら、一人でも十分に通用しそうな気がするけど 」

「えっ? 」
 
 日笠は目を丸くすると、腕を組んで うーんと考え込む。ポロシャツと真っ直ぐに伸びたスラックス姿は、どこから見ても画になるスタイルの良さだった。 

「いや、さすがに一人では難しいよ。確かに俺は幼稚園児の頃からバイオリンをやっているから、音大も進学の視野には入れてたけどね。でもそんなに甘い世界でもないんだ。プロの壁は、層が厚いから。
それに俺は絶望的にコンテストが苦手でさ。だから大学では本気寄りの趣味で音楽を続けることにしたんだ。でも何でまた急にそんな話を? 」

「それは…… 」

 桃佳は自分でも何故そんなことを言い出したのか分からないでいた。もしかして自分は抱いた疑問を、そのまま口にしているのか? 桃佳が こんな経験をしたのは 初めてのことだった。

「こんなことを私がクライアントさんに言うのは 駄目なことは分かってる。
あのね、私は自分の意思で放送研究会に入ったわけではないの。勘違いというか、アクシデントというか、色々と紆余曲折な事情があって。だから学業と両立が出来ないのがもどかしいし、放研で新しい知識を身に付けるのが大変で 」

「そっか。天沢さんが不可抗力で放研に入っただなんて、意外な話だね。でもさ、物事を始めるきっかけなんて、そんなものだよ 」

「えっ? 」

「俺なんてバイオリンは完全に親の意向で始めてるから、きっかけもクソもないよ。物心が付いたときにはバイオリンを弾いてたし、完全に受け身だったから 」

「そうなんだ 」

「でも音楽は好きなんだ。音を楽しむ、その行為自体は俺には非常に合っている。だから自分の感じたままに弾きたくて、俺は音楽は趣味としてやっていこうって決めたんだ 」

「えっ? 自分の感じたままって、一体どういうこと? 」

「……コンテストでは自分の好きなようには曲を解釈出来ないんだ。ひたすら譜面を眺めて、弾いて弾いてを繰り返す。
コンテストの演奏においては、俺は演奏者の代弁者だから、なるべく楽譜の音がお客さんに伝えることを意識するんだ。
でもさ、俺にはそれは向いてはなかった。結局、順位付けから解放された今が 一番自分の精には合ってる気がする。まあ、どちらを選ぶかは自分次第だよね。正解は人それぞれで違うからさ 」

「あっ…… 」

 桃佳は無意識に声を出すと、慌てて自分の口を塞いだ。
 この話って今朝 大森先生が言っていたことと似ている気がする。読み手は作者の代弁者であるならば、その役回りに徹する。それがアナウンサーに求められる役割なのだ。  

「そうだね。ありがとう。少しだけ、何かが腑に落ちた気がする 」

「えっ? あれ? 法学部の絶対エースでも、悩むことはあるんだね。少しだけ意外だよ 」

「なっ、私が法学部の絶対エース!? って、なにそれ? 」

「それだけ学部生たちは、天沢さんの日頃の行いに、一目置いているってことだよ 」

「はあ…… 」

 桃佳は歯切れの悪い返事をすると、腕を組んでその場で考え込む。日笠は そんな桃佳の様子を物珍しそうに凝視すると、声を殺して 必死に吹き出すのを堪えるのだった。


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