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第三章 録音に関して

第二条

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◆◆◆

 まじないや迷信、占いに予言……
 直感だとか自分の勘は、絶対に信じない。自分は特別な存在であり、ランダムなことですら支配できるという油断が、物事を破滅に導きかねない。それが非科学的ものに傾倒する、ある種のトリガーになるからだ。

「とは言うものの、やっぱりこればっかりは怖いかもっっッッーー!! 」

 桃佳は廊下の壁を伝いながら、恐る恐る部室を目指していた。節電というお題目に習い、下校時間を過ぎた部室棟は どこもかしこも真っ暗だ。そんな視界的な悪条件に上乗せして、ボロな構内(かつ人がいない)となれば、さすがに怖いという感情が殺しきれなかった。
 トイレに行くだけなのに、こんなに冷や汗をかく羽目になろうとは…… 確かに 泊まり込みで録音をすることがあるとは聞いていたけど、こんなボロな部室棟で夜を明かすなんて、お化けが出そうじゃない? 

 桃佳は深いため息を付くと、部室のドアノブに手を掛ける。
 今更だけど、何故 自分は学業を逼迫するような部活に本入部をしてしまったのだろうか? これでは本末転倒だし、あの日の勢いとテンションが恨めしくも感じる。今日は朝から授業をこなし、基礎練習も九時までして、正直なところ身体はクタクタだ。それでもまだまだ夜は終わらないかと思うと、気が遠くなるような気がしていた。

「只今、戻りました 」
 
「遅かったな。もしかして腹でも下してたのか? 」

「なっっッ、そんな訳があるわけないでしょ? 廊下が暗くて、慎重に移動してただけですっッ。 っていうか、田町先輩は本当にデリカシーが無さすぎっっ 」

「そうだよ、田町。お前は思ったことを 直ぐに口に出す癖を止めた方がいいんじゃないか? 」

 桃佳が部室へと戻ると、田町と高輪が各々作業に勤しんでいた。今夜は本来ならばアナウンスユニットだけが合宿をする予定だったのだが、有紗がコンテスト不参加で不在なのが痛かった。さすがに男女一名づつはアカンとなり、高輪が急遽 参戦したという成り行きだった。

「でも やっぱり夜中の学校はいいね。静かだし、作業も捗る。それに深夜なら電気消費が少ない分、ブレーカーが落ちる危険性もないしね。アナユニの二人は 今日からさっそく録音を始めるの? 」

「いや、今夜はこいつ桃佳を どの部門でエントリーさせるかを考えるだけだ 」

「じゃあ別に学校に泊まり込まなくてもよかったんじゃないのか? 」

「いや…… 録音はする。勿論、コンテストには出せないけど、まずは周りが静かな状況で録音をして、客観的に自分の実力を知らないとな。昼間はどうしても他団体の楽器の音がするから、イマイチ自分の声に集中が出来ない 」

 田町はそう言うと、開いていたパソコンのディスプレイを桃佳に向ける。そこには全国大学放送コンテストの概要が並んでいた。

「全国大学放送コンテストで募集しているのは、
アナウンス部門 、朗読部門、音声CM部門 、ラジオ番組部門 、映像CM部門、それに映像番組部門の六つだ 」

「はあ…… 」

「ちなみに 各大学で同じ部門には二名までしかエントリーは出来ない。だから映像ユニットが参戦する映像CM部門と映像番組部門に関しては、俺たちアナユニは除外になる。つまり俺らが出場できるのはアナウンス、朗読、音声CM、それにラジオ番組部門の四つだ 」

「アナウンスに関しては、たくさんのチャンスがあるんですね。でも映像ユニットの人は、数が少なくて大変そうですね 」

「そうなんだよー。僕ら映像ユニットは最大でも四つしか応募できないから、毎年 誰が出すかで争奪戦なんだよなー 」

「やっぱり皆さんもコンテストには出たいものですか? 」

「まあ、それは勿論だよ。僕らは体育会と違って放送系の大会は少ないし、数字で示せる大会記録は就活でもアピールポイントになるだろ? 」

「就活…… ですか? 」

「ああ、そうだよ。自己PRのネタは一つでも多い方がいいからね。僕は将来は出来るならば局の子会社の制作会社に入りたい。即戦力の専門卒のやつらと同じ土俵で就活を勝ち抜くには、それなりの準備が必要なんだよ。
でも アナウンスの方が部門が多いのは、高校生コンテストでも同じだから どうしようも出来ないんだけどさ 」

 高輪は アハハと苦笑いを浮かべると、再びパソコンの画面に視線を落とす。ディスプレイには映像の編集画面が映されていて、同じようなシーンのキャプチャーがズラリと並んでいた。

「それでここからが本題だ。お前はまだ放送部の人間としては、まだまだ新人だ。だから音声CMとラジオ番組部門は、少しハードルが高いかもしれない 」

「えっ? 」

「募集要項を見てみろ 」

「はあ…… 」

 正直なところ、桃佳としては右も左も分からないから、エントリーする部門に拘るつもりはない。でも止めた方がいいと言われると、理由が気になる。桃佳はパソコンをスクロールすると、概要欄に目を通していた。

「あっ、これって編集も自分でやらなくてはいけないんですか? 」

「ああ。ラジオ番組部門とラジオCM部門はBGMやSE効果音を入れないと、番組に締まらないからな。まあ、無理をすれば一発通しでミキサーを通して録音は出来るけど、あまり現実的ではないな。数秒単位の尺調整をしないと、制限時間内に収まらないのに、それを最初から完パケ編集なしでやりきるのは難しいと思う。それに使用音源は著作権処理が必要だから、手続きや やり取りもあって負担がデカいし 」

「なるほど 」

 桃佳としては著作権処理という響きに、かなりの興味が湧いていたが、今日の本題はそこではない。何より一番大事なのは 本選に進むことなのだから、その可能性が少しでも高い方法を考えなくてはならないのだ。

「だから初心者のお前は 自分の声一本で戦える部門がいいと思う。基礎固めにもなるし、自分の技術を磨くことだけに集中出来る。挑戦するのは来年以降でもいいだろ? 」

「ちょっ、私は…… 今こんなことをいうのは申し訳ないのですが、私はあくまでも期間限定の在籍です。来年は勉学に集中したいので、先のことは分かりません 」

「お前は本当に頑なだよな。まあ、来年はアナウンサー志望有紗も戦力になるだろうから、こちらとしても お前に固執するつもりはないけど 」

「なっ 」

 桃佳は田町の言葉に 一瞬胸がざわついたが、それは本当のことだし、何より先にけしかけたのは自分の方だ。桃佳は自分の発言を後悔し掛けたが、完全に後の祭りになっていた。

「取り敢えず、私はアナウンス部門か朗読部門がいいことは分かりました。でも、どっちが私に合っているんだか…… 」

「そうだな。まあ、アナウンス部門だと原稿を自分で作らないといけないから、今までの傾向を研究する必要があるだろうな 」

「えっ? 自分で原稿を? 」

「ああ。アナウンサーってのは、ただ与えられた原稿を読むだけが仕事ではないからな。必要があれば自ら原稿を書くし、有事の時は台本なんてないから、頭のなかで話を組み立てながら喋らなくてならない。あと何より一番のネックになるのは、シビアなアナウンス技術が要求されることだろうな 」

「うーん。それだと初心者の私にはハードルが高そうですね 」

「まあな。ただ朗読部門は発表時間が長いのがネックなんだよな。六分以内って決まっているから、最初はミスなく録音するだけで大変かもしれない 」

「……朗読に関しては、課題作品があるんですか 」

「ああ。今年は新鋭作家の河相晴臣の作品が選ばれているな。純文学では国木田独歩に泉鏡花、それから夏目漱石の夢十夜もある 」

「夏目漱石? 」

「そう。夢十夜は短編集だから、他の作品と違って、どこを抜粋するかを考えなくていい。どうしても作品の一部分だけを選ぶとなると、時間をかけて読み込まないと厳しいから 」

「夢十夜って…… 」

 夢十夜という単語は、どこかで聞いたことがある。でも何故自分がその単語を知っているかが分からない。桃佳が顔をしかめていると、田町は見兼ねたのだろう。鞄の中から幾つかの文庫本を取り出した。

「『こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う』」

「あっ 」

「おっ、もしかして知っているのか? 今、俺が読んだのは夢十夜の第一夜の冒頭部分だよ。夢十夜は十編の物語から構成されているんだ。短編だと起承転結が一編の中で完結しているから、初心者には緩急や山場の付け方がスムーズだとは思う 」

「ええ、それは確かに…… 」

 桃佳は言葉に詰まりながらも、田町から文庫本を受け取った。
 もしかしたら大森は今年の課題を知っていて、桃佳に先に作品を提示したのかもしれない。それに電子書籍のお手本の存在を教えられたということは、もはや夢十夜を選べという無言のメッセージにも感じられた。

「まあ、短編の方が取っ付きやすいとは思うけど、今すぐに決めなくて構わない。大事なのは、自分が作品をどうかの一点だ。もしかしたら他の作品に、お前がシンパシーを感じるものがあるかもしれないし、課題の選定は慎重であってもいいとは思う 」

「…… 」

 桃佳は文庫本に視線を落とすと、パラパラと頁を捲って中身を確認する。

 そもそもだけど 朗読の定義は曖昧で、今の桃佳には音読との違いすら分からない。それに「そのまま読む」と言われても、その意図するところに明確さがないではないか。そんな中で自分に合った作品を見つけるのは、かなり難しい作業なように思えた。

「あの、田町先輩。私、決めました 」

「えっ? もう決めたのか? 」

「はい。私は夢十夜の第一夜を読もうと思います 」



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