上 下
10 / 32
第三章 録音に関して

第一条

しおりを挟む
◆◆◆


 知的財産権とは 人間の幅広い知的創造活動の成果について、その創作者に一定期間の権利保護を与えるようにした制度のことを言う。
 知的創造活動によって生み出されたものを、創作した人の財産として保護し、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物、その他の人間の創造的活動により生み出されるもの、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報と、その範疇は多岐にわたる。
 具体的には「知的財産権」とは、特許権、実用新案権、育成者権、意匠権、著作権、商標権、その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利をいう。そして 知的財産の特徴の一つとして挙げられるのは、「もの」とは異なり「財産的価値を有する情報」であるということなのだ。
 

◆◆◆



「というわけで、彼女の影ナレは無事に成功といえるんじゃないかな? 一応、ナレーションは録音したけど、興味はあるかい? 」

「そうでしたか。ありがとうございます。有り難く拝聴します。先方管弦楽部からも好評の連絡が入ってはいたので、取り敢えずは良かったです 」

 それは斜陽が眩しく教室に差し込む、夕方のことだった。四限終了のチャイムが鳴り響き渡ると同時に、ゼミ生はそそくさと教室を後にする。その場に取り残されたのは大森と田町で、二人とも片手には知的財産権六法を携えていた。

「田町くん、僕は君に一つ 確認をしておきたいことがあるんだけど 」

「はい? 」

「君は本音では、万一のときの尻拭いを僕にさせようとしていただろ? 」

「いや、まさか。そんなことはありませんよ。幾ら何でも知的財産権のゼミ生が、そんな無責任場を壊すな選択はしません。アイツは大丈夫だという確信はありました。ただ強いて言うならば、褒めてやれる人間が側にいないと、モチベーションとか手応えが分かりづらいと思っただけです 」

「……ったく、君は相変わらず人使いが荒いんじゃないか? 僕はそんなにフットワークは軽い方ではないんだけどねえ 」

 大森はポケットからUSBを取り出すと、田町へと差し出す。そして一瞬だけ呆れたような表情を浮かべると、深い溜め息を漏らした。

「まあ、いい。僕も放研の顧問として、できる限りの協力はしようとは思ってはいるから。ところで田町くん、今期の履修は順調かい? 」

「えっ? ああ…… 出席カードを逃さないくらいには、授業には出てますよ。試験をクリア出来るかは 僕の頭脳の問題なので 確証はありませんが 」

「はあ、何だか歯切れの悪い返事だな。本当に大丈夫なんだろうな? 僕は自分のゼミから留年を出すのだけは、絶対に避けたい。最低限、やることだけは しっかりやってもらわないと 」

「はい。大森先生には助けて頂いたご恩があるので、無下にはしません。四年でキチンと卒業してみせます。それに親にも卒業に関しては、口煩く言われてますし 」

 法学部においては、大半の大学においてゼミナールに入ることは任意の場合が多い。ついでに言えば、卒業論文に関しても必修ではないのが大多数だ。法律に対しては、独自の法解釈を学部生が研究し示すのはとても難しく、研究として一定の水準以上の論文を生み出すのが、困難を極めるからだ。
 そんな環境も手伝ってか、法学部において成績不振の学生は、教授陣たちに嫌煙されて ゼミナールに所属すること自体が難しい。自分の研究室から留年者を出したくはないからだ。そんな厳しい条件下で、田町は大森のゼミに拾って貰った経緯があるのだった。

「つーか、田町くん。君は物事を起こす計画性が、壊滅的に破綻していないかい? これは僕の推論だけど、小学生の頃の夏休みの宿題は 好きな教科を先にやって、嫌いなものは最終日にまとめて片付けるタイプだろ? 」

「ははは。大森先生、ご明察です。その通りですよ。僕は苦手なことは、なるべく避けたいタイプです。だから学部の授業はヤル気が起きません 


「オイオイ、じゃあ何で法学部を選んだんだ? 大学なんて大半の人間が一校しか行けないのだから、好きなことを学びたいとは思わなかったのかい 」

「まあ、成り行きですかね。計算が嫌いなんで、商学部や経済学部は論外だったし。純粋に文学を愛せる性格でもないもんで。勿論、理系科目は最初から対象外でした 」

 田町は本当にちゃらんぽらんな言い分を並べると、クリアファイルの中から一通の紙を取り出す。そして大森の目の前に突き出すと「これ、お願いします 」と急に事務的な態度を示した。

「ん? これは合宿届かい? 」

「はい。そろそろ全国大会の録音を始めなくてはならないので、学内合宿を所望します。まずは一次のテープ審査をクリアしないと。それに俺にはあの素人桃佳を何とかしなくてはいけない義務もありますし 」

「へえ。田町くんが そんな物言いをするなんて珍しい。少なくとも彼女はド素人からは、素人まで立場が昇格したという解釈でいいのかい? 」

「まあ、そうですね。アイツはアナウンスで報酬を貰いましたからね。それに俺もけっこう厳しく指導したのに、めげずに食らいついてきた。ガッツだけは認めてやらないと、管弦楽部さんにも顔向け出来ませんし 」

「……君は部活に関しては抜かりはないね。ただ僕は放研のOBでもあるから、一つだけ人生の先輩として君にアドバイスをしておくよ 」

「アドバイス? 」

「ああ。情報は簡単に模倣されるという特質がある。でも情報自体は利用されても、その事自体が消費されて消えてしまうことがないから、多くの者が同時に使用することが出来てしまう。
だから知的財産権制度は、創作者の権利を保護するために、元来自由利用できる情報を、社会が必要とする限度で自由を制限することが出来るんだ  」

「はあ? あの、知的財産権基本原理が、合宿とどう関係があるのですか? 」

「まあ、それは追い追い分かることだよ。あの子の思考回路は、純粋で真面目で繊細な匂いがするってことだ。まあ、田町くん自体も無意識に合わせているみたいではあるけど。だから合宿は授業には支障がない範囲にしとけよ 」

「……? 」

 大森は致し方なく顧問欄に捺印を施すと、してやったりといった表情で田町を眺めるのだった。




しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

ある物語

しんたろう
青春
安保法で揺れる日本、芸能人の結衣と知り合った警察の主人公。 結衣は薬により人生を侵されていくが、その中で主人公は結衣を愛して立ち直らせようと努力する。 安保法時代の小さな恋物語。だいぶん前におためし投稿版でも載せていましたが、個人の作品の保存のために載せました。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

処理中です...