ときはの代 陰陽師守護紀

naccchi

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第一章 彼誰時~かはたれとき~

第三話

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 犀破と呼ばれた男が、和泉を抱える。
 和泉は、苦痛に顔を歪ませるもののそこから逃げ出す力はないようだった。おそらくあの糸に何か細工をされているのだろう。

 距離を取り、パーカーのポケットに入っていた札を手に握って身構える。
 目の前に対する男。
 少し長い髪は灰みを帯びて色素が薄い。
 見た目だけでいえば20代~30代といったところか。若く見える。
 黒っぽいフードを目深に被り、その表情までは伺いしれない。
 何の力もない普通の人が見れば、人相を隠した程度の普通に人間にしか見えない。

 しかしこんな邪気は感じたこと無かった。逃げられるものなら逃げてしまいたいくらい、底知れない深い気。
 そこらの妖がまとう気配なんか比ではなかった。しかも、今は人間の成りをしているが、恐らくこれは人の姿に変化した状態、本性を現したら、こんなものではすまないだろう。

(こんな、阿保みてえな邪気を持つ奴が)
 自分の今持てる力で勝てる気がしない。今まであった妖の中でも、桁が違う。
 時間で言えばほんの僅かに躊躇した間を、男は見過ごさなかった。

「臆したか?人間。
 今なら、ただの通りすがりですませてやる。」
「何?」
「今なら、傷一つつけずに逃がしてやると言ってる。見たこと、すべて忘れて立ち去れ。」

「・・・逃げ、て! 早く!!!」
 むせびながら振り絞るように出した和泉のその声を聞いて、陽は不快に顔を歪めた。

「ふざけんなよどいつもこいつも。」
「何?」
「逃げろだの、助けてやるだの、調子こいてんじゃねえよ、この人外共が!!」

 陽から発せられる力が、塊となって押し寄せた。冷涼な気。あらゆる邪なものを祓う気。
 ただの術者とは思っていなかったが、改めてその力を目の当たりにする衝撃。

(何、この力)
 蜘蛛の糸だけがちぎれ、不意を打たれた男も思わず後ろにのけぞった。
 犀破には効いて、和泉には効かない。二人の間に生じた違いが距離をあけた瞬間、それを陽は逃さなかった。

「早くこっち来い!!」
「でも」
「いいから!早く!!」

 陽は、そのまま動けない和泉の腕をつかんで引き寄せた。
「走れ! 世羅、後ろ頼む!!」

 姿を消していたはずの世羅が、突如何も無かったはずの空間から出現し、怯んでいた男に無数の炎をあびせる。
 それに呼応するかのように、罠のようにしかけられた青白い火の玉が男に襲い掛かった。
 炎と煙で一体の視界が一気に悪くなったのを見計らい、陽が先導する形でその場を離れた。


 *****

「なんとか撒いたかな」
 これからどうする、と言いたそうに世羅は陽を見た。
 思案する表情のまま、世羅がなにやら手を動かしている。ざわりと空気が動いた気がしたので、結界か何かが張られたのだろう。

「とりあえず本部連れていくしかないだろ、あの蜘蛛野郎のことも、報告しなきゃなんねえし。」
「行かないよ、私は」
「お前の意見は聞いてない。」
「色々と整理したいこともあるし、聞きたいこともある。悪いね、私たちも“仕事”だからさ」

 世羅のほうが口調や表情こそ柔らかいものの、この人からも言い知れない圧力を感じる。

「仕事ってのは、妖怪退治とかってこと?」
「ううん、まあ厳密には違うんだけどだいたいはそんな感じ。私たちは…

 陽、ダメだ。またきたよ」

 世羅の表情が曇った、と認識するがいなや、またも蜘蛛の糸が視界にちらついた。

「どうゆうことだ、さっきより結界は強くした、オレらの気配は漏れてないはずだ。何かがマーキングされてても追ってこれるわけがねえ」
「けど、実際いるよね!?」
 和泉の真後ろに、男の影。先ほど撒いたはずの男が酷薄な笑みを浮かべた。

「てめえ…!」
 陽が瞬時に、拳を握って振りかぶる。
 だが男にその拳は当たらず、手ごたえはないまま、その姿は蜘蛛の糸がほどけるようになくなっていった。
 否、完全にはなくならなかった糸が束になり、陽の方へと、世羅の方へと一気に襲い掛かる。

 体をひねって躱したものの、わき腹に糸があたる。糸自体の殺傷力はないものの、触れた個所に鈍い痛みが走る。
「穢れか!」 

 陽が苦痛に表情を歪めたのを見て、和泉は青ざめた。
「待って、当たったところ、なおさないと…!」
「そんなのはあとでいい。待ってろ、今全部燃やす
"炎波"!」

 あたり一帯に炎が伝播する。熱いが、不思議とこちらが燃えるような暑さではなかった。
 おそらく、陽が自分たちの周りだけ結界を張っているのだろう。
 蜘蛛の糸だけを炎が焼き切り、自分たちを襲う脅威はなくなったかに見えた。

「どうせまた蜘蛛の糸が出てくる。
 たぶん逃げたところで無駄だろうな。お前、心当たりはないのかよ。」
「ないよそんなの。こうやっていつも、いつも、連れ戻されるから。
 何か仕掛けられてるのは分かるけど、自分じゃわからない。蜘蛛の糸が絡んできて、気づけばアイツが後ろにいる」

 調べた限り、何かがとりつけられている様子はない。が、明らかに何かの術がかけられている気配はする。
 普通に探知するよつな術であれば、力を阻害する結界が張ってあるので機能しないはずだった。

 痛む脇腹を見ると、糸に当たった個所が穢れに侵されていた。考えなければ、動かなければいかないのに、痛みで頭が回らなくなってくる。

 燃やしきったはずなのに、また。
 どこからきたのかわからない蜘蛛の糸がうねり、迫ってきた。

 蜘蛛の糸が陽を覆い隠す。
 別の糸が和泉にも絡みつき、二人の距離を引き離そうとする。

 あの糸からは犀破の妖気がでている。
 和泉は、ああまで体ごと絡みついてしまえば、人間の体では持たないと、唇を噛み締める。

 しかし陽をつつんでいた糸の塊はまるで紙切れのようにちりぢりになっていく。
 先程まで札を何枚か持っていたその手には細長い剣のようなものが握られている。
 実体がある剣ではなく、彼の力を固めた結晶のようなものに見えた。

「なるほど、近接戦闘もできるというわけか」

 突如現れる犀破の姿に臆せず、踏み込み、切りかかる。
 その姿がまたも霧散したのを確認して、和泉の腕を引いた。
 和泉の周囲にパキッと冷たい気配を感じる。陽が、結界のようなものを張ったような気配だと感じた。

「あの、世羅?ってひとは…」
 気づけば周囲には世羅の姿が見えなかった。なにかの作戦なんだろうかと陽の返答を待っていたが、その陽の体がぐらっと傾く。
 嫌な汗が流れ、思わず崩れかけた体に手を伸ばす。

「ちょっと掠っただけだって、騒ぐな」
「掠ってるんでしょ、いいから見せて、早く!」
 僅かに掠った跡のある腕や脇腹からは肉がやけるような嫌な音がして、妖気が体を蝕んでいた。

 穢れ。
 妖というのは本来この現世うつしよにいるべき存在ではない。
 常世とこよ、あの世の世界のものだ。
 しかし現世と常世の境界は曖昧で、人間が常世にいくこともあるし、妖が現世にいることは珍しいことではない。
 常世のものが放つ穢れた力は、現世のものを侵食し、常世へといざなう力。
 その力は人間の身体を蝕んでいく。

「あいつの妖気は、私がいちばん分かってる…
 ほっとくと、人間なんてひとたまりないから早い方がいい」

 和泉がその腕に触れると、すっと軽く解けるように、妖気が消える。
 出血は多少あるものの、いわゆる普通の怪我の状態になった。

「お前、治せるのかよ」
「なんでもかんでも治せるわけじゃない。私もよくわかってないから。
 後でちゃんと手当はした方がいいよ。」
「…どっちだっていい、それより。
 いつまでもわけわかんねえ追いかけっこしてんのもアホくせえと思ってた頃だ。」

 まるで、犀破の追跡を振り払うすべを見つけたような言い方だった。
 目を丸くする和泉を見据えて陽は続ける。

「今お前がオレに力を使ったことでわかった。お前の中に、奴がいる。
 さっきから追ってきてるのも本体じゃねえ、けど。
 お前の中になにか術が掛けられてる」
「じゃあ、今まで…私の居場所がバレてたんじゃなくて」
「かなり強え術だ、内側から壊した方が早い。
 けど、誰かの精神世界に入るってのはそれなりにリスクがある。
 下手に入り込めば、相手の精神を壊すどころか、自分の精神もそれに侵されて廃人になる危険がある。
 こうゆうのは世羅のほうが得意なんだけどな、正直合流できるかわかんねえし。
 今、お前の力が流れ込むことで、ある程度の道筋が見えた。
 少しの間であれば、潜れる。」
「でも、危ないんじゃ」

 不安で揺れる空色の瞳は、綺麗だなと陽は感じた。
 正直、無事な可能性は客観的に見れば五分五分だったが。
 和泉の瞳を見ていたら、なぜだかいける気がした。

「平気」
 その一言だけなのに、彼女の不安も少し落ち着いた気がした。
 陽が和泉の手を握り、目をつぶり、集中する。

 眠るような感覚、暗い水底に潜る感覚。久しぶりだが、感覚が覚えている。

 ず・・・と二人とも意識が深く沈みこんだ。
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