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第二章:三好八助

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「あの……楼主様」

 僕を助けようとしてくれたのか幸十郎さんがその沈黙を破るが透かさず秋生さんの手が彼を黙らせた。

「客が急遽、帰りアイツは今手が空いてる。だが新規の客ももういなければ他の廻し客の相手をさせる訳にもいかない」

 秋生さんは独り言のようにそう言うと確認するように巾着袋の中を見た。
 そして何度向けられても心臓が反応してしまう目つきが再び僕を射貫く。

「お前は運が良い。だがこの事は一切口外しないという条件だ」
「えっと……それって」

 僕は彼が何を言っているのかすぐには理解できなかった。

「もしそれが出来るのならいいだろう」
「すみません。ちょっとどういうことか……」
「今夜の事をお前の中だけに留められるのなら応じてもいいと言った。だがあいつは客を選ぶ事が出来る。もし断られたら諦めろ。だが返金はしない。お前を客とするのにはこちらも多少なりとも危険を背負う事になる。そしてこれはその分の代金でもある。どうする? 今すぐに決めろ」

 今すぐに、確かに彼はそう言ったが僕は少しの間だけ唖然とし黙り込んでしまった。頭の中は彼の言っている事を理解するのに必死で条件なんて全くと言っていい程に気にしてなかった。

「無理なら――」
「出来ます! お願いします!」

 秋生さんが巾着袋を返そうとするのを遮り僕は前のめりで答えた。

「ならついて来い」
「はい!」

 そして僕は驚愕しながらもどこか嬉しそうな幸十郎さんと握った拳を軽く合わせてから先に歩き出した秋生さんの後に続いた。あまりにも急すぎる出来事に夕顔さんの部屋へ向かっている途中でやっと脳が現状を理解したようだ。同時に緊張が心臓へと到着。夢でも見てるんじゃないかと疑いたくなる程に理解は出来ても信じられなかった。あまりの鼓動に今にも飛び出しそう心臓を胸に上へと向かう。
 そしてついにその部屋の前へ。今まで何度見上げた変わらないあの吉原屋最上階。幾多の男たちが欲望の眼差しで見上げた部屋。この立派な襖の向こう側にはあの夕顔花魁さんが居るんだ。そう思うだけで今にも倒れそうな程の緊張に襲われる。
 そんな僕を他所に襖の前で立ち止まった秋生さんはそれを開く前にこちらを振り向いた。

「最後にもう一度だけ言っておく。もしこの事が口外されればお前だけじゃなく三好もこの吉原遊郭から追放する。いいな?」
「はい。大丈夫です」

 僕はあまりの緊張か興奮か秋生さんの言葉を話半分しか聞いていなかったのにも関わらず即答してしまった。今の僕の頭には早く夕顔さんと会ってみたいという想いしかなかったのだ。

「なら少し待っていろ」

 そして秋生さんは僕を廊下に残し部屋の中へ入って行った。僕はその間まるで自分自体が巨大な心臓に成ってしまったかのように鼓動を感じながらただ待つのみ。そんな僕とは相反し寸分の狂いもなく冷静な様子の秋生さんは暫くして部屋から出て来た。

「入れ」
「ありがとうございます」

 お礼を言い彼とすれ違おうとした僕だったがその際、胸に当たった手に一度足を止められた。

「それと早朝、この部屋からは一人で出ろ。そして吉原屋からは裏から出るんだ」
「はい」

 僕の返事を聞くと彼の手は離れ、そして僕らはそれぞれ反対方向へ足を進めた。
 部屋に入るとそこには窓際に立つ夕顔花魁さんの姿が。彼女を目にした瞬間、僕の時間は止まった。ついさっきまであったはずの緊張も戸惑いも全てが消え去りただ目の前の彼女を見つめるだけ。その立ち姿、その所作、頭からつま先までどこをどう切り取っても美しいという言葉しか見つからない。いや、それ以外の言葉を探す事さえどうでもよくなってしまう程にただ見つめその美しさを感じていたいと思わせる魅力が彼女にはあり、僕はその虜にされてしまっていた。ここに入り一目見ただけで。

「ようこそ……」

 でも時間の流れは絶対。僕が止まったと感じているだけで実際は進んでいる。そして僕の中で段々と現状が現実となるにつれ消えていたはずの緊張が彼女を目の前にしている分、より増大して戻ってきた。あまりの緊張に手が震える。僕は思わず彼女から目を逸らした。

「おいでくんなまし」

 それから僕の視線は回遊魚のように部屋のあちらこちらへ動き回り、手持ち無沙汰のように両手も落ち着かない。
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