上 下
3 / 55
第一章:夕顔花魁

2

しおりを挟む
「少しそこで待っとれ」

 実質この吉原遊郭を支配する妓楼、吉原屋。その吉原屋の最上階に位置する個室を与えられた花魁である私が吐き出したただの煙を羨んでいると、下の方から嗄れ声が聞こえ、それに釣られて視線を空から地面へと落とした。
 そこには夜回りをする吉原独自の警備隊と老夫が会話をしており、その少し後ろでは若男がそれを眺めていた。双方共に足元には何か荷物が置いてある。私は何となくその様子を見下ろしていた。
 すると若男が視線に気が付いたのか不意に私を見上げた。月明りに照らされながら偶然に合った目。私は挨拶の意を込め(見えてるかは分からないけど)微笑みを浮かべながら手を振った。

「行くぞ」

 だけどその直後、老夫が荷物を持ち上げながらそう言うと若男は私へ手を振り返す事はなくそのまま自分の分を持ち上げ行ってしまった。

「わっちも反応を貰えへん時があるんやねぇ」

 いつもならむしろ男たちは私からの反応を貰おうと躍起になるのに。別にそこには何の感情も無かったけど私はただ一人呟いた。いつからだろう、男たちが私に対してどんな想いを持とうともどうでもよくなったのは。その全てが単なる偽りだと分かっているからなのか。ただ吉原屋の遊女、夕顔として生きるしかないと諦めたからなのか。私には分からない。気が付けばこうなっていた。吉原遊郭の女王。そんな地位まで上ってきた私が自由と引き換えに得られたのはこの景色と御馳走だけ。あとは欲に塗れた視線も、か。
 そんな思いと共に見上げた夜空に煌めく星々は酷く輝いて見えた。

 私の一日はお客を起こすところから始まる。

「またおいでなんし」

 そして早朝、開いた遊郭の大門前まで奉公人を連れお客を見送る。

「あぁ。また来るよ」

 私はお客の耳元まで口を近づけると昨夜のように囁いた。

「主さんとまた楽しい夜を過ごせるのを心待ちにしていんすよ」

 顔を離すと表情の緩んだお客と目を合わせその胸に軽く手を触れさせる。

「お仕事頑張ってくんなまし」
「あぁそうだな。ありがとう」

 言葉と共に体に伸びた私の手にこちらをじっと見つめるお客の手が触れる。そして別れを惜しむようにそのままの状態がほんの少しの間だけ続いた。

「それじゃあ残念だがもう行くよ」
「またおいでなんし」

 後朝の別れを済ませた私は吉原屋へと戻り、仮眠の後いつもと変わらぬ一日を再開した。化粧や着付け、お客からの手紙の返事や妹分の教育。時間になればお客の元へ。
 毎日、毎日。この吉原遊郭の中で同じ日を繰り返しているようなそんな日々。でも悲しくもそんな日々にすっかり慣れ疑問すら持たなくなってしまった自分がいる。これが当たり前なんだと。受け入れている自分がいる。
 だけどそんなある日。私の日常に一つの変化が起きた。それはその日、同衾するはずだったお客が直前で急用により帰ってしまい(それに加え他の客も今日はいなかった)、いつぶりかの静かな夜を一人過ごしていた時の事。時刻は子ノ刻ぐらいだろうか。
 煙管を片手に窓際へ腰掛けていると戸の向こうから声が聞こえ返事の後この吉原屋の楼主、吉田秋生が部屋へと入ってきた。彼は父親でもある前楼主が亡くなり若くしてこの吉原屋の経営者となった。それは同時にこの吉原遊郭の主という意味でもある。
 そんな秋生は鋭い双眸を真っすぐ私に向けながら目の前まで足を運んできた。

「客だ」
「折角、今夜はゆっくりできる思っとったのになぁ。わざわざ稼がせる為に大門も閉まってるゆうのに探してきたん?」
「いつも通り選択権はお前にある。一夜限りだが嫌なら帰らせろ。そうなるのも了承済みだ。それと。今夜の客の事は一切口外するな。吉原屋の信用に関わる」
「そないな危ない橋渡ってええんか?」

 そう質問を返しながら私は傍にある煙草盆に灰を落とし煙管を戻した。

「問題ない。もし漏れたとしてもお前が認めさえしなければどうとでも出来る。だが面倒はごめんだ」
「ならそもそもその客を取らなええんちゃうん?」
「稼げる内に稼げ」

 それだけを言い残して秋生は部屋を後にした。そんな彼と入れ違うように一人の男が部屋へ。私はその間に窓際から立ち上がり簡単に着物を直した。

「ようこそ……」

 私はその姿を目にした瞬間、一驚を喫し言葉が止まると同時に秋生の言葉の意味を理解した
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ずっと君のこと ──妻の不倫

家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。 余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。 しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。 医師からの検査の結果が「性感染症」。 鷹也には全く身に覚えがなかった。 ※1話は約1000文字と少なめです。 ※111話、約10万文字で完結します。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

処理中です...