【R18】黒い王子様

深石千尋

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本編

第一夜(一)

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 エマは螺旋状に続く石階段を登り、ぜーはー言いながら上まで辿り着いた。普段から家の手伝いで羊を追いかけ回しているとは言え、こんなに長い階段は上ったことがない。
 エマの家は簡素な木造の平屋建てだった。しかも、居間も寝床もたった一つで、総勢十一人がプライバシーもなく暮らしていた。そのため階段のある家と言えば、普通は都会か金持ちの家だとエマは思っている。
 塔の天辺は小さな部屋だった。天井は高く、屋根の上に天窓が付いている。しかし、手入れの行き届いていない外観からも想像できる通り、中は蜘蛛の巣だらけで埃ぽっかった。さらに、まだ昼間だというのに室内は薄暗く、壁掛けの燭台には火が灯されている。


「――本当にこんなところに王子様が?」


 狭い室内の真ん中には真っ黒で重厚な棺が置かれていた。棺自体は金で精緻な意匠が施されて立派なものの、見窄らしい部屋とはミスマッチだ。
 一国の王子様でありながら、随分と適当な扱いだなと不憫に思いながら、エマは入り口からそっと棺を眺めた。夜中に動き回ると聞いて、さすがに近寄る気にはなれない。町の小母おばさんも夜な夜な人を殺すと言っていた。すんなり近寄れるわけがない。
 エマは入り口近くの階段のへりに座り、鉄格子の窓の向こうを眺めた。エマの心を表すかのように、空はどんよりとしている。時間を早巻きにして三日後にならないかと不毛なことを考えて、エマは小さく嘆息した。
 背後の棺は恐ろしいほどに静かだ。


「あの――――王子様、そこにいますか?」


 エマは思い切って恐る恐る部屋の中央に話しかけてみた。
 何も死体と仲良くしたいという意図はない。背中をチクチクと刺すような恐怖を紛らわしたくて、羊に話しかけるような気持ちでエマは声をかけたのだ。
 もちろん棺から返事はない。
 それは森の中を熊避けに歌いながら歩く感覚に似ていた。


「わたしの名前はエマと言います。ゴートという町の羊飼いの娘です。父や下の弟妹きょうだい達は元気ですが、母が今病気で苦しんでいます。それで……魔法薬が欲しくて、王子様の棺のりに名乗り出ました。三日間どうぞよろしくお願いします」


 答えは相変わらず無言だったが、エマは話しているとだんだん落ち着いてきた。家族の話をした後は、自分の可愛がっている犬の話や子どもの頃の話など、とりとめのない話を続ける。
 そうしていると次第に空は暗くなり始め、喋り飽きたエマはいつの間にか眠ってしまった。初めての王都への小旅行に少なからず疲れてしまったようだ。王と面と向かって会話したことも、緊張で神経が磨り減った原因だろう。


「……あれ? 今……何時かしら?」


 エマはぼんやりと小さく呟いた。ふいに「王子は零時から一時まで動く」ことを唐突に思い出すと、寝惚け眼をかっと見開く。
 もし今が零時なら今頃自分は死んでいるはずだ……多分。多分と言うからには、自分でも確認の仕様がない。そして、死んでいないといことは、少なくとも今はまだ零時ではないはず。
 エマは状況を瞬時に整理すると、煌々と照らす燭台の炎を消して回ることにした。夜目に慣れておこうと思い立ったからだ。
 実はエマはりをするに当たって、事前にある作戦を立てていた。
 自分がひ弱であることは十分に自覚している。剣も振るえなければ、魔法も唱えられないエマにできることはたった一つ――――それは『逃げる』ことだった。とにかく動き回る王子から逃げまくること。何たったの一時間だ。隠れんぼするとでも思えば、三日間何となる気がした。
 エマは息を殺して、部屋の隅の柱の影に隠れて、じっと棺を見つめる。


 …………


 …………


 …………


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。
 時を知らせる何度めかの鐘の音が鳴ったとき、部屋の中央からカタリ……と物音がした。
 エマは柱を背にして二、三度深呼吸をした後、そっと棺のある方を見る。
 目を凝らすと、棺の蓋が開き、ゆっくりと人影が起き上がるのが見えた。
 ――――やっぱり‼︎‼︎ 町の人々や王の言っていたことは嘘ではなかったのだ。いや、正直心のどこかで嘘であってほしいという願いもあった。けれども、エマの目に映ったのは紛れもなく死人だろう。
 エマは悲鳴を上げたいのを必死に堪えた。
 人影は立ち上がって棺を跨ぐと、棺の周りをぐるぐると歩き始める。何かを探しているようだった。
 エマは咄嗟に人影の探し物が自分だと分かると、両手で口を覆う。駄目だ……叫んでしまいそうだった。
 天窓から月光が降り注ぐ。どうやら雲間から月が顔を出したようだった。青白い光が影を照らす。


「――――っ‼︎‼︎‼︎」


 エマは声にならない悲鳴を上げた。口をパクパクと魚のように動かす。
 それは王子の格好をしただった。金色の蔦模様で縁取られた深紅の衣装を身にまとった人物は、文字通り『黒い』。
 聞いた話では、王子は金髪碧眼の色白の王子だったはずだ。しかし、今エマを血眼で探す屍は、黒い物体だった。それは肉が腐ってそうなったという次元の話ではない。まるで火炙りにされて、真っ黒焦げの炭になってしまたかのようだった。
 エマは喉元に迫り上がった恐怖を辛うじて呑み込む。見つかったら殺される――――‼︎‼︎ と本能的に思ったからだ。
 すると、王子らしき黒い影はゆらゆらと揺れながらエマのいる柱に近づいて来た。
 エマはハッとして、部屋の中央に忍足で駆け寄る。
 黒い影は先程エマのいた柱の周りをうろつく。
 これは命を賭した隠れんぼだなと湧き上がった皮肉に、エマは頭を振って自分自身に発破をかけた。エマは本当は今すぐにでも階段を駆け下りて逃げ出したい気持ちを堪えつつ、今度は先程まで黒い影が眠っていたであろう棺にそっと入り込んで、静かに蓋を閉める。
 棺の中は死臭はせず、弔花ちょうかとされる百合の花の匂いがした。不思議とそれは嫌な匂いではなく、余計にエマの頭を恐怖で混乱させる。
 エマはぎゅっと目を瞑った。胸の内側では太鼓がドンドンと打ち付けられている。それが外に漏れ出て、黒い影にバレやしないかと、エマは気が気ではなかった。心の中で来るな、来るな、来るな、来るな、と何度願ったことだろうか。
 しかし、エマの願い虚しく、カツーン……カツーン……と乾いた足音がエマの潜む棺に近付いて来た。
 そして遂に、エマは蓋を開けられてしまう。


「……い、いやあああぁぁぁ――――っ‼︎‼︎」


 エマの口から耐え切れずに恐怖が飛び出した。見たくもないのに、目は怖いもの見たさにばっちりと開く。
 黒かった。何もかもが。
 王子の顔は白目も瞳も鼻も口も、全てが黒かったのだ。まるで人型の黒い怪物。
 エマの目から思わず涙が零れた。
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