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プロローグ
血の城
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美しき王子は、わずか十八にして短い生涯を終えた。
蜂蜜を溶かし込んだふわふわの長い金髪に、きらきらと輝くサファイアの双眸。形の良いすっとした鼻梁と、ぷっくりと膨らんだ蕾のような唇。加えて、女性さえもうっとりと羨む象牙を磨き込んだ白い肌。マクシミリアンはかつて絶世の美女とも呼ばれた王妃から生まれたこともあり、母親によく似た女性的な面立ちで、何とも見目麗しい王子だった。
ところが成人を迎えたばかりの王子は、皮肉にも自身の誕生の日に、誰からも看取られることなく息を引き取ったという。
誰もが王子の死を惜しみ、悼んだ。
見目は別にしても、王子はとても心優しい性格で誰からも愛されていたからだ。農業と牧畜が盛んな国らしく、花や動植物が好きな少女のような王子だった。また、非常に優れた学と魔法の才能もあり、ただの生まれの良いおっ坊ちゃんではなく、ゆくゆくは立派な王になるだろうと誰もが信じて疑わなかったという。
「お、お止めくださいっ‼︎」
「…………」
「おっ、願いですからっ‼︎ こ…このようなこと……」
「…………」
「――――――殿下っ‼︎‼︎」
――――真夜中。
草木も眠る時間に、カツカツと乾いた足音が響いた。逃げ惑う足音と、もう一方は追いかける足音だ。男の震える声が暗闇に木霊した。
美しき聖ルマリア王国。
小高い山の頂にあるフッセン城は、『天空の城』とも呼ばれた美城だった。断崖絶壁の台地にアーチ型の尖塔がいくつも建てられ、目に沁みるような白い城壁と濃い青空のコントラストが目を引く。その山の麓にはメルヘンな街並みが溶け込み、さらに緑の牧草地帯が広がっていた。城の背景には国境に沿うように雪を残した山脈と、点在する小さな湖も見え、国そのものがまるで一枚絵のようでもあった。雨が降って霧に包まれた日には、正に『天空の城』になる。
――――しかし、そんな美しきフッセン城は、王子の死後、夜な夜な『血の城』と呼ばれた。
「で、殿下‼︎ どうか命だけは……っ‼︎」
「…………」
どこかの一室だろうか、青白い月明かりに照らされて、冷たい石壁に囲まれた小さな部屋がぼんやりと浮かび上がった。きらりと何かが銀色に光る。
壁際まで追い詰められた男は、もう逃げ場はないと観念し、遂に床にしゃがみ込んだ。男はいくつもの宝石で飾られた大剣を佩刀し、重たそうな甲冑を身に纏っている。尻餅を付いて失禁していることを除けば、見るからに立派な騎士と言えるだろう。
男はつい先日、城に呼び出されたばかりの傭兵騎士だった。
城に初めて足を踏み入れたとき、「ただ座って番をしているだけで良い」と大司教が胡散臭く笑っていたことを男は思い出す。薄々どこかでおかしいことには気付いていた。「簡単な仕事」だと言う一方で、求める人材は魔法使いや騎士などの強者ばかり。ただし、報酬は桁外れ。職業柄そういう怪しげな依頼が舞い込むことは無きにしも非ずだが、男は相当やばいと感じていた。
男はこれまで傭兵稼業でたくさんの人間を殺めてきた。男も女も、老人も子供も、良い奴も悪い奴も。そこには正義や罪悪などといった概念は存在しない。ただ自己顕示欲を満たすためだけに淡々と仕事をこなしてきた。
そう――――今回の仕事だって完璧にこなせるはずだったのに……
それがなぜ屈強な戦士たる男が、こうも戦意を喪失しなければならないのか――――?
――――その答えは闇の向こうにあるだろう。
月光が男を薄く差し、目の前に漆黒の影を落としていた。男の震えに合わせてガチャガチャと金属の擦れる音と、小さな命乞いが夜に混ざる。
男が『殿下』と呼んだものは、闇に閉ざされていた。
男は剣を抜くこともなく、地に頭を擦り付けて「お助けください、お助けください」と念仏のように唱え始めた。腰の剣を抜こうなどという考えはもはや頭にはない。
「お助けください、おた――――……」
そして不幸なことに、男の狂った懇願はそれ以上続かなかった。
ぽっかりと口を開けた暗闇から黒い腕が伸びてくると、男の顎の先端を掴んで耳に向かって捻り上げたからだ。
瞬く間に男の気管は詰まり、息がひゅっと止まった。半開きの口は空気を求めるが、顔全体を覆う兜の隙間からは何も入ってこない。脳味噌からの指令を遮断された指先が、風前の灯を前にして小刻みに揺れる。男の意識は稲妻に打たれたかのように、見る見る内に泥塗れの底に落ちた。
黒い手には何の躊躇いも感じられない。極め付けに、黒い手は顎から頭へと持ち変え、男はとっくに死んでいるというのに力任せに引き千切った。伸縮する首の皮などお構いなしに。
派手な血飛沫は上がらなかった。ただ首と胴体の切れ目からこんこんと血が湧き出て、冷たい石床を血の海に染める。それからゴトリ……と不気味な音を立てて頭が床に転がった。
あまりの一瞬の出来事に、男は自らの生を振り返ることなく、あっけなく地獄に堕ちていったのだ。
「……助けて……誰か、助けて…………」
不意に、宵闇に青年の悲痛な声が響いた。
男の骸の上で、黒い手は微かに震えている。
蜂蜜を溶かし込んだふわふわの長い金髪に、きらきらと輝くサファイアの双眸。形の良いすっとした鼻梁と、ぷっくりと膨らんだ蕾のような唇。加えて、女性さえもうっとりと羨む象牙を磨き込んだ白い肌。マクシミリアンはかつて絶世の美女とも呼ばれた王妃から生まれたこともあり、母親によく似た女性的な面立ちで、何とも見目麗しい王子だった。
ところが成人を迎えたばかりの王子は、皮肉にも自身の誕生の日に、誰からも看取られることなく息を引き取ったという。
誰もが王子の死を惜しみ、悼んだ。
見目は別にしても、王子はとても心優しい性格で誰からも愛されていたからだ。農業と牧畜が盛んな国らしく、花や動植物が好きな少女のような王子だった。また、非常に優れた学と魔法の才能もあり、ただの生まれの良いおっ坊ちゃんではなく、ゆくゆくは立派な王になるだろうと誰もが信じて疑わなかったという。
「お、お止めくださいっ‼︎」
「…………」
「おっ、願いですからっ‼︎ こ…このようなこと……」
「…………」
「――――――殿下っ‼︎‼︎」
――――真夜中。
草木も眠る時間に、カツカツと乾いた足音が響いた。逃げ惑う足音と、もう一方は追いかける足音だ。男の震える声が暗闇に木霊した。
美しき聖ルマリア王国。
小高い山の頂にあるフッセン城は、『天空の城』とも呼ばれた美城だった。断崖絶壁の台地にアーチ型の尖塔がいくつも建てられ、目に沁みるような白い城壁と濃い青空のコントラストが目を引く。その山の麓にはメルヘンな街並みが溶け込み、さらに緑の牧草地帯が広がっていた。城の背景には国境に沿うように雪を残した山脈と、点在する小さな湖も見え、国そのものがまるで一枚絵のようでもあった。雨が降って霧に包まれた日には、正に『天空の城』になる。
――――しかし、そんな美しきフッセン城は、王子の死後、夜な夜な『血の城』と呼ばれた。
「で、殿下‼︎ どうか命だけは……っ‼︎」
「…………」
どこかの一室だろうか、青白い月明かりに照らされて、冷たい石壁に囲まれた小さな部屋がぼんやりと浮かび上がった。きらりと何かが銀色に光る。
壁際まで追い詰められた男は、もう逃げ場はないと観念し、遂に床にしゃがみ込んだ。男はいくつもの宝石で飾られた大剣を佩刀し、重たそうな甲冑を身に纏っている。尻餅を付いて失禁していることを除けば、見るからに立派な騎士と言えるだろう。
男はつい先日、城に呼び出されたばかりの傭兵騎士だった。
城に初めて足を踏み入れたとき、「ただ座って番をしているだけで良い」と大司教が胡散臭く笑っていたことを男は思い出す。薄々どこかでおかしいことには気付いていた。「簡単な仕事」だと言う一方で、求める人材は魔法使いや騎士などの強者ばかり。ただし、報酬は桁外れ。職業柄そういう怪しげな依頼が舞い込むことは無きにしも非ずだが、男は相当やばいと感じていた。
男はこれまで傭兵稼業でたくさんの人間を殺めてきた。男も女も、老人も子供も、良い奴も悪い奴も。そこには正義や罪悪などといった概念は存在しない。ただ自己顕示欲を満たすためだけに淡々と仕事をこなしてきた。
そう――――今回の仕事だって完璧にこなせるはずだったのに……
それがなぜ屈強な戦士たる男が、こうも戦意を喪失しなければならないのか――――?
――――その答えは闇の向こうにあるだろう。
月光が男を薄く差し、目の前に漆黒の影を落としていた。男の震えに合わせてガチャガチャと金属の擦れる音と、小さな命乞いが夜に混ざる。
男が『殿下』と呼んだものは、闇に閉ざされていた。
男は剣を抜くこともなく、地に頭を擦り付けて「お助けください、お助けください」と念仏のように唱え始めた。腰の剣を抜こうなどという考えはもはや頭にはない。
「お助けください、おた――――……」
そして不幸なことに、男の狂った懇願はそれ以上続かなかった。
ぽっかりと口を開けた暗闇から黒い腕が伸びてくると、男の顎の先端を掴んで耳に向かって捻り上げたからだ。
瞬く間に男の気管は詰まり、息がひゅっと止まった。半開きの口は空気を求めるが、顔全体を覆う兜の隙間からは何も入ってこない。脳味噌からの指令を遮断された指先が、風前の灯を前にして小刻みに揺れる。男の意識は稲妻に打たれたかのように、見る見る内に泥塗れの底に落ちた。
黒い手には何の躊躇いも感じられない。極め付けに、黒い手は顎から頭へと持ち変え、男はとっくに死んでいるというのに力任せに引き千切った。伸縮する首の皮などお構いなしに。
派手な血飛沫は上がらなかった。ただ首と胴体の切れ目からこんこんと血が湧き出て、冷たい石床を血の海に染める。それからゴトリ……と不気味な音を立てて頭が床に転がった。
あまりの一瞬の出来事に、男は自らの生を振り返ることなく、あっけなく地獄に堕ちていったのだ。
「……助けて……誰か、助けて…………」
不意に、宵闇に青年の悲痛な声が響いた。
男の骸の上で、黒い手は微かに震えている。
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