上 下
19 / 31
第四章 精霊と呪い

拒絶(1)

しおりを挟む
 次にシグルンが目覚めたとき、辺りはすでに真っ暗だった。


 眼前にはぼんやりと明かりで照らされた、柔らかな織物ファブリックが広がっている。
 シグルンは目をぱちぱちと瞬かせ、今自分の置かれている状況を理解しようとした。
 シグルンはいつもの固い長椅子ソファーと違い、沈み込むような、包み込むような柔らかな天蓋付き寝台ベッドの上に横たわっている。
 いつの間に眠ってしまったのだろうか。
 今日の出来事がすっぽり記憶から抜け落ちていた。


「奥様、目が覚めましたか?」


 シグルンが身体を起こしたのと同じタイミングで、ヨハンナが声をかけてきた。
 ヨハンナはいつも起床すると、良い具合に話しかけてくるのだ。
 そこで初めて、ここが自分に与えられた王宮の部屋だと認識した。
 ベッドの横では、背もたれに身体を預けて、横に揺れながら微睡まどろんでいるゲオルグもいる。


「あら? 私……いつの間に寝て?」
「ヤンセン様が気を失った奥様を連れてこられました。暴漢に襲われたと聞きました」


 ヨハンナの言葉にシグルンはようやく記憶を取り戻した。
 そうだ、言われてみれば確かにそうだ。
 今日はフロスティーと一緒に庭仕事をしていたら、貧民街スラムに住む姪の治療を頼まれたのだった。そこで突然襲われて、ゲオルグに助けられたところまでをはっきり思い出す。


「そういえばそうだわ。私、アークレイリの街に行ったのよ」
「奥様、身体はもう平気なのですか?」
「ええ、しっかり休めたと思うし、怪我もない……と思うわ」


 身体のあちこちを目で確認する限り、アニタに踏まれた足以外でどこか痛いところはなさそうだった。
 ヨハンナは苦笑するシグルンに眉を顰める。


「ヤンセン様から奥様は教会へ移ると伺いました。行かれる際は私もお供いたしますので」
「え……?」


 ヨハンナは驚いて不思議そうな顔をしたシグルンに、自分は本来ゲオルグの召使いであることを付け加えた。
 ヨハンナは相変わらず愛想笑いもせず難しい顔をしていたが、ヨハンナはヨハンナなりに心配をしていてくれたということだろう。しかも教会まで一緒に来てくれることになるなんて。


「心配をかけてごめんなさい」
「いいえ」


 謝罪するとヨハンナは素っ気なく首を振った。
 ヨハンナはすぐにお茶の準備に取り掛かる。
 夜の静かな室内に茶器の音が妙に大きく響き、うつらうつらしていたゲオルグががくりとよろめいて覚醒した。


「あ! は!? すみません……うっかり寝てしまいましたな」
「あ、あの……今日は助けていただきありがとうございました」


 シグルンは一瞬面食らったが、慌てて感謝を伝えた。
 ゲオルグがいなければ今頃どうなっていたか分からない。


「いえいえ、当然のことをしたまで。むしろ私がしっかりお守りしなければならないのに、お側にいられず申し訳ありません」
「そんな……!」


 シグルンは困って眉根を寄せた。
 悪いのは襲った犯人であって、ゲオルグが責任を感じる必要はないのに。


「追跡魔法によると、シグルン様を襲った男はベーヴェルシュタム公爵家の屋敷に向かったようです。恐らく、犯人は公爵の子飼いの者かと」
「ベーヴェルシュタム公爵……!?」


 ベーヴェルシュタム公爵の名にシグルンはショックを受けた。
 舞踏会でアニタに足を踏み付けられたのは記憶に新しい。
 もしかしてあのとき、アニタの手を引いていた男こそがベーヴェルシュタム公爵だったのでは? シグルンは記憶の糸を手繰り寄せながら考えた。
 細かい人相までは覚えていないが、シグルンとアニタとのやり取りを見ていながら、ひどく冷たい人物だったと思う。まさか故郷ラップラントの領主が、領民を殺そうとした犯人だったなんて。
 震えるシグルンにゲオルグは神妙な顔で頷いた。


「少し前に言いましたように、ここも決して安全な場所ではありません。今は出入り口に侵入防止の結界を張っていますが、それはあくまで一時凌ぎに過ぎません。用が済み次第、夜明けを待たずに教会へ移動します。良いですね?」
「え、用? はい、よろしくお願いします…………」


 シグルンは『用』という言葉に引っかかりを覚えて首を捻ったが、すぐさまあっと大声を上げて寝台ベッドから飛び出した。
 そうだ。今夜はアレクと会う約束をしていたのだった。
 王宮を離れることになるのは悲しいが、何も告げずに会えなくなるのはもっと悲しい。一刻も早くアレクに伝えなければならない。
 シグルンは自分でも熱を感じるくらいに顔を真っ赤にさせて言った。


「今は時間はどれくらいですか? 人を待たせてるんです! 早く行かないと」
「ええと……日没から大体三刻ほどでしょうか」
「良かったわ! じゃ、今は真夜中になったぐらいの時間ですね。ゲオルグさん、早く行きましょう!」
「お茶です」


 ゲオルグを急き立てるシグルンに、横からヨハンナが顔を出した。
 真顔でお茶を突き出してくる。


「え? お茶は後でも……」
「奥様はずっと眠っておられましたら、何かお口にしませんと。少し落ち着かれては?」


 ヨハンナは立ち上がったシグルンを、有無を言わさずテーブルに促した。
 どさくさに紛れて軽食を出されたので、シグルンは食べるより他ないようだ。
 ヨハンナは表立って口にはしないが、よく世話を焼いてくれようとした。
 どうしてこう焦っているときにと疑問は抱いたが、どうせ逆らえまい。


「ヨハンナも……ありがとう」


 シグルンは肩を窄め、改めてヨハンナに礼を言った。
 ヨハンナは照れた様子もなく頭を下げて、シグルンの礼を受け入れただけだ。
 やはりヨハンナはどこか養母のゾーイと似ていた。


 シグルンは早くアレクに会いたい気持ちを抑えながら、お茶と食事に手を伸ばつつも、心が妙に温かくなる感じがした。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

王太子殿下から婚約破棄されたのは冷たい私のせいですか?

ねーさん
恋愛
 公爵令嬢であるアリシアは王太子殿下と婚約してから十年、王太子妃教育に勤しんで来た。  なのに王太子殿下は男爵令嬢とイチャイチャ…諫めるアリシアを悪者扱い。「アリシア様は殿下に冷たい」なんて男爵令嬢に言われ、結果、婚約は破棄。    王太子妃になるため自由な時間もなく頑張って来たのに、私は駒じゃありません!

処理中です...