上 下
50 / 50
海遊び編

memories

しおりを挟む
 ――いつのまにか日は落ちていて。
「はーっ、はー……つかれたー!」
 びしょ濡れのわたしは、砂浜に寝転がった。
 あれからわたしは沢山遊んだ。
 海で水を掛け合ったり、砂で山を作ったり、ちょっとだけ泳ぐ練習をしたり……。
 なのちゃんはもちろん、琥珀ちゃんや珊瑚ちゃん、瑠璃や、しまいにはあまり遊びには積極的ではなかったはずのざくろちゃんも加わって。
「たのしかったね、あおいちゃん!」
 そんななのちゃんの言葉に、疲れ果てたわたしはしかし。
「うん!」
 元気よく答えた。

「みんなー、バーベキューの準備できたわよー」
 翡翠さんの声掛け。駆けていく中学生たち。
 わたしたちもぴょんと立ち上がって向かう。お腹はもうペコペコだった。

 じゅうじゅうと肉が焼けていく音とともに、暴力的なまでの芳香が鼻腔を蹂躙し、空腹感を煽る。
「おにくまだー?」
 なのちゃんの問いに、ラッシュガードを着た、一見中学生どころか小学生にすら見える母親は「もうすぐ焼けるから待ってなさい」と答える。
 海で遊ぶ少女たちを横目にひたすらバーベキューの準備をしていたのだという彼女は、「……なんで私まで水着を着させられたのかしら」と愚痴を漏らす。
「こんな可愛いのに水着を着ないなんて損ですよ!」
 珊瑚ちゃんのいかにも陽キャラといった感じの言葉に、げんなりした萌さんはため息をつく。
「おかげさまでナンパまでされたのよ、私。一児の母なのに」
「夏の風物詩じゃないっすか!」
「翡翠さんが助けてくれたから良かったけど……なんならいまそこで手伝ってもらっちゃったし」
 彼女が指をさした先には三人の、高校生くらいの男女。
「世話ンなってます! 肉うめえっす!」
「ジロー、ちょっとは遠慮しろよ」
「そうよ。ただでさえ迷惑かけてるのに……」
 挨拶をした男子にツッコミを入れるもう一人の男子。そしてため息をつく女子。
 ……あれ? 何処かで見た気がするのは、気のせいだろうか。
「そもそもなんで翡翠さんは水着着てないのよ……」
 ため息交じりの言葉。彼女が水着断固拒否を譲らなかったのはたぶんおむつのせいだろうなとか思っていたら。
「おっ、日向じゃん」
 不意に声がかかった。さっきの高校生からだ。
「ホントだ。意外と世間って狭いんだな」
「なにほかの女に目移りしてんのよタカオミくん」
 口角が上がった比較的大人しそうな男子は、しかし女子に腕を絡まれる。なるほど、二人は付き合っているらしい。
 ……おかしいな。不自然な既視感が拭えない。
「聞いてくれよそうー。この前いきなりタカオミといいんちょーが付き合いだしてさー……聞いてる?」
「ああ、うん」
 曖昧な返事。「どうした? 熱中症か?」心配する彼。「大丈夫。なんでもない、なんでもない……けど」
 わたしは、思い切って聞いた。

「あなた、だれですか」

 一瞬彼は、信じられない物を見たような表情を見せた。
「おい、嘘だよな。冗談、だよな……」
 嘘でも冗談でもなく、彼のことを思い出せなかった。
「この前も一緒に話したろ? ほら、夏休み前。幼稚園の暮らしについて話してくれたじゃないか……」
 覚えていない。まるきり。――いや、しかし、微かに記憶が輪郭を帯び始める。
「その前も……ほら、家まで押しかけたとき丁寧にもてなしてくれたじゃないか。なあ、なあ!」
 輪郭をなし始めた記憶。ピントが合ってゆくように、ぼやけたそれはやがてはっきりとしていって。
「……ごめん、ちょっと熱くなりすぎた。頭冷やしてくるわ」
 やがて肩を落として海の方に歩いていく海パン姿の彼に、「待って!」と声をかけた。
「ジロー、だよ、ね」
 その声かけに、彼は振り返って、目を見開いて――涙をぼろぼろこぼしながら、わたしに抱きついてきた。
「お前……おまえ~~!!」
「なかないでよ。おとこのこでしょ?」
「だからってぇ……うあぁぁぁぁ~~~~っ!!」
 彼が落ち着くまで、しばらく背中を擦ってやった。

「お肉はたくさんあるからね。ゆっくり食べてね」
 翡翠さんの言葉に、わたしはこくりとうなづいて、焼けた肉の串を二本受け取る。その一本をジローに渡し。
「ああ、さんきゅ。助かるよ、親友」
 そんなことを告げた彼に少し複雑な感情を抱きながら、わたしはお肉を一口。
 黙々と食事風景。ぼんやりと海を見て――夕日がすっかり海に溶け星々が夜空に瞬き出したあたりで、彼はようやく話し始めた。
「……見ないうちに、すっかり女の子らしくなったな」
「それはほめてるの? それとも……」
「俺がそこまで器用なやつに見えるか?」
 モシャモシャと肉を食う彼が、どこかしおらしく見えた。
「可愛い幼女が見れて俺は満足さ」
 相変わらず、不器用なやつだ。
 そして串を一本食べ終わって手持ち無沙汰になったわたしに、彼は問いかけた。
「なあ……なんで忘れたふりなんてしたんだ?」
「ほんとうに、おもいだせなかった。……それだけ」
「……そっか」
 わたしは目を伏せる。
 なんで、忘れていたのだろう。
 親友のこと。子供になる前のこと。――自分が以前、男子高校生だったことすら。
 一応覚えていないわけではなかった。けれどそれは他人事のようで。
 しかも、完全には思い出せない。まるで誰かのアルバムを見ているようにしか、思い出すことができない。
 そんなことに今更気づいて――背筋に寒気がして――。

「このことも、いつかは忘れちゃうのかな」

 ひゅるひゅるひゅる、と音がした。
「ママ、あれなに?」
「あれはね、花火っていうの。……きれいね」
 耳をつんざく破裂音とともに、遠い夜空に咲いた大輪の花。
 口から転げ落ちた弱音に、少年は。
「知らねーよ。いつか、どうなるかなんて」
 そう口にしたうえで。
「けどさ」
 微笑んで告げた。

「いつか思い出して、笑える日がくればいいなって――俺はそう思ってるよ」

「写真撮ろうよ! 花火をバックにしてさ!」
「お、いいな。誰が撮る?」
「三脚あるわよ。みんなで……そこのお二人さんも」

「さん、にー、いち!」

 シャッター音。刻まれるわたし達の一瞬。
 それを見返すのは何年後だろうか。
 ――鮮明に焼き付いた眩いその一瞬が、永遠に消えないことを祈った。

 夜の砂浜、終わる花火。波音がわたしたちを見送った。

    *

 結局、家に帰ったのは翌朝だった。
「ようやくついたねー」
「疲れたわ……もう一踏ん張り」
 わたしたちの家まで送迎してくれた萌さん。お疲れ様です、と去っていく車に手を振って。
「ただいまーっ!」
 瑠璃がドアを開けた。鍵を開ける動作をせずに。
 玄関の鍵、締めていったはずなのに。
 たぶん留守番を頼んでおいた九条先生か。父さんや母さんが帰ってきているわけ、ないはずだし――「おかえり」
 するはずのない声が聞こえた。大人の女性の声。
 九条先生とは違う。翡翠さんは自分の家まで帰ったはずだ。
 じゃあ――誰だ?
 疑問。そして、短い廊下の先、リビングのドアを開ける。
 わたしは目を見開いた。
 信じられない光景だった。
 男と女がいた。
 目をうるわせた瑠璃は、叫ぶように、口にした。

「パパ! ママ!」

 いるはずがないと思っていた、父さんと母さん――日向 群青《ぐんじょう》と、日向 夕陽《ゆうひ》がそこにいた。
 そして、父さんはわたしを見るなり、歓喜をたたえた表情で、驚くほど優しい声で告げたのだった。

「おかえり、『 あおい』」

 To be continued.
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

「ばらされたくなかったら結婚してくださいませんこと?」「おれの事が好きなのか!」「いえ全然」貴族嫌いの公爵令息が弱みを握られ令嬢に結婚させら

天知 カナイ
恋愛
【貴族嫌いの公爵令息が弱みを握られ、令嬢と結婚させられた結果】 「聞きましたわよ。ばらされたくなかったら私と結婚してくださいませんこと?」 美貌の公爵令息、アレスティードにとんでもない要求を突きつけてきた侯爵令嬢サイ―シャ。「おれの事が好きなのか?」「いえ、全然」 何が目的なんだ?と悩みながらも仕方なくサイ―シャと婚約したアレスティード。サイ―シャは全くアレスティードには興味がなさそうだ。だが彼女の行動を見ているうちに一つの答えが導かれていき、アレスティードはどんどんともやもやがたまっていく・・

とある名家の話

侑希
BL
旧家の跡取り息子と付き合っていた青年の話。 付き合っていて問題ないと言っていた跡取り息子と、別れさせようとした両親と、すべてを知っていた青年と。すこしふしぎ、少しオカルト。神様と旧家の初代の盟約。

ロリコンis正義!

頑張るマン
大衆娯楽
 大人になって体験したパンチラや胸チラなど。

古の巫女の物語

葛葉
恋愛
槻夜光留は高校一年のごく普通の少年。 彼のクラスには絶世の美少女がいた。 鳳凰唯――学内一の人気者である彼女に、光留は何故か嫌われていた。 釈然としない思いをしながら、唯との距離も縮まるどころか広がる一方なある日、光留は正体不明の化け物に襲われる。 喰われそうになった光留を不思議な炎の力で助けたのは唯だった。その日から光留は不思議な夢を見る。 唯とそっくりな少女と自分が実の兄妹で、恋仲であるという夢を。 それは光留の願望なのか、前世の記憶なのか、あるいは彼女の夢なのか。 彼女はなぜ光留を嫌うのか、唯の目的や使命とは。 これは、神に愛され長い時を過ごした少女と、彼女の因縁にまつわる結末を見届ける少年の恋の物語――。

かわいいは正義

M・A・J・O
児童書・童話
【児童書・童話ランキング、最高第1位達成!】 かわいいものに固執する魔法少女は、それをけがす悪役の子を意識するようになる―― ・表紙絵はノーコピーライトガール様のフリーイラストをお借りしました。

あの女を狙う!

鬼龍院美沙子
恋愛
1人の女性が魅力的で好きで我慢できない。 冴えない中年以降の男が命懸けで自分を変える!

キングの怒り

皆中明
ミステリー
「時計塔の千夜」を知ってるか? 最初の噂は、それだった。 東棟の屋上にある時計のそばに、輝く銀髪の女性が一人佇んでいる。 その子は、昔この学校の生徒だった。 いじめに遭って飛び降り自殺をして、そのままここに居座っている幽霊だ。 「キングの怒りを買うと、千夜に呪い殺される」 二つ目の噂は、それだ。 寮長という面倒なものを任され、渋々引き受けた俺に対する、嫌がらせ。 キングとは、俺のこと。俺の怒りを買うと殺されるらしい。 馬鹿馬鹿しくて、笑うに笑えない。  寮生をまとめる立場にありながら、その統制を取ることが出来ない力不足を叩き直すと言われている。 ——冗談じゃない。  いいだろう、その挑戦、受けて立つ。  うまく騙したつもりだろうが、俺にその手は通じない。  それがどうしてなのかを理解した時、お前は無事でいられるかな? 孤高の学生探偵「最上光彰」と、謎の幽霊「千夜」。 その二つが絡むと人が死ぬと言われている、私立清水田学園高校。 そこで生徒が頭から血を流して死んでいるのが発見された。 噂を信じきっている学生たちは、学長に光彰の退学を求める。 「光彰はそんなことをする人じゃない」 唯一の味方である柳野黎と共に、無実の証明に挑む光彰。 「余裕だけどね」と語る光彰の、犯人探しが始まる。

転生した先は…悪役令嬢と学園とクリスタルと宇宙人たち⁉︎そしてバッドエンドへ

Y.Itoda
ファンタジー
中世ヨーロッパ風の異世界に転生したエリザベスとマーガレットは、名門学園で平穏な日常を送っていたが、異世界からの勢力の干渉に直面する。 学園を守るために奮闘する中で、勇敢な戦士セリナが命を落とし、最終決戦では異世界の勢力に学園が完全に崩壊される。 エリザベスとマーガレットは、希望を胸に絶望的な未来に向かって歩むが、物語は悲劇的な結末を迎える。

処理中です...